第20話 特徴13:心配して、恩を着せよう。
何と言ってもこの手合い、「心配」することが得意です。
正確には、「心配している」という趣旨の言葉を述べることが、得意なだけ。
要は、方便、方便(苦笑)!
もちろん、なかには真剣にそういう心配をしている人もいるのだろうけど、残念ながら、それは相手の利益に何もならん以上、方便にさえも、実はなっていないことに気付かないのが、無能の無能たるゆえんなのですよ。ええ。
そして、その主語は、自分やそこらだけじゃないよ。自分自身が心配していますだけでなく、自分側の関係者が相手に対して「心配しています」などと伝えるのも、この手合いの常とう手段ですからね。
ということは、無能にとっては、割に使い出のいい言葉であるということか。
ま、そういうことにも、なるわなぁ。
心配することによって、相手を思いやっているつもりになれる。
酒一滴も飲まずして、酔える!
その言葉を発して自家用車を運転しても、飲酒運転にならねえ(わっはっは)!
そりゃそうか。
アルコールが体内で生成されるわけでもないからな(やれやれ)。
まあ、うらやましい限りですな。
おめでたい限りですな。
とにもかくにも、「心配しています」と伝えれば、相手は自分のことを親身になって気にかけてくれていると、本気で思っているのでしょうかね?
だとすれば、ますます、おめでたいわな。
そうでないとすれば?
それは「ためになる」のではなく、「ためにする」ための言葉、ってわけやで。
というかねえ、そういう言葉を相手にまとわりつかせるように述べることで、自分自身の免罪符を作るというよりも、相手への精神的なプレッシャーでもかけているのかもしれん。
でも、実のところを言うと、そんなことなど考えてもいないで、とにかく、その言葉の先になる相手と接触を持ちたい、話を聞いてほしい、一緒に遊んでほしい・・・、レベルの認識しかないのが、こういう手合いの本質的な意識ではないかと、わしは、分析しておるのよね。
そりゃあ、確かに、確かに、年端のいかん子どもには通用するかもしれん。
あるいは、身内同士で余程の信頼関係もあれば、それは通用するやろ。
とくに後者に関しては、わしも、非難する気は、ねえ。
遺憾砲とか、強い非難砲とか、そんなもんは撃たねえから、安心してね。
だっけどさあ、どう見ても対立軸的な関係になっているような状況下において(そういう認識がない場合はもっと性質が悪いけどな)、そんな対手にそんな言葉を述べてみたって、何がクソの役に出も立つものであろうか?
そんなゴミのような言葉を述べてまとわりついてくるんじゃねえ!
ってことに、なりやしねえか?
よくよく考えてみたら、これも、主観を「わめいとるだけ」の言葉やね。
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