第32話 裏口からこんにちは

 洞窟の細い回廊に出ると、やっぱりさっきのボス部屋とは雰囲気が全然違う。壁全体が淡く光って少し明るいし、嫌な圧迫感も少ない。うん、これは快適なダンジョンだよ。


 ふと見上げると、天井から突き出した岩の表面に『12階層』と刻まれており、その脇に魔法で数字が浮き出ている。


 「何かな? あの数字、だんだん減っていっているけど」

 『100、99、98、97……』

 カウントが100をきった瞬間から黄色だった文字の色が赤く変わって点滅し始めた。

 なんだか嫌な予感がする。

 焦りを生じさせるような嫌味な仕掛けだ。


 「女神エル! 11階層に急ぐぞ!」

 魔物が落としていった説明書をパラパラとめくっていた勇者が急に顔色を変えてボクの手をつかんだ。

 「え!」

 マダナイがぎゅっと手を握り締める。

 こんな展開、予想外だ! ふいに乙女の手を握るなんて!


 イケメン顔でこっちをちらりと見て駆け出す。さわやかに前髪が揺れる。


 ドキン! と胸が高鳴った。

 ま、まさか、実はこいつ、ボクに惚れているんじゃない? もしそうだったら? 


 もう、照れるじゃないのーーこっちにも準備というものがあるんだよっ。


 「何か余計なことは考えてるな? まずは足を動かせ!」

 マダナイがギロっとにらんで、ぐいぐいとボクを力強く引っ張って走る。


 キシャアア!!

 岩陰から不意に羽をもつ小悪魔が二匹襲い掛かってきたが、マダナイは足も止めずに一撃でそいつを叩き切った。


 魔物は悲鳴も上げず光って消えた。


 あれ? マダナイがなんだかとても強いんじゃない? 今日はどうしたというんだろう?


 やがて天井に突き出た岩のカウントが10を切った。


 「あった! あそこだ!」

 二人の目の前に階段がある。その上には扉が見える。


 「なにをそんなに急いでいるの! 靴が痛いんですけど!」

 「ちっ、使えん奴だ! いいから早く入るんだっ!」

 マダナイは扉を開くや、ボクのお尻を蹴った。

 そして自分も飛び込む。

 ぷしゅう~~~~と間抜けな音がして二人の背後で扉がバタンと閉じる。


 「ふう、なんとか間に合ったか」

 マダナイは扉に背もたれて額の汗を拭った。


 「どういう事なんだよ?」

 「これはタイムアタックだ。各階層をクリアするのに時間制限があるらしい。時間内にクリアできないと迷宮の配置が変わって倒した魔物がリポップするらしいぞ。ほら見ろ」


 マダナイが指さした先、天井の岩に『11階層』と刻まれ、その脇に緑色の数字が光っている。数字は『1264、1263、1262……』と変わっていく。


 「げっ! 時間内に階層をクリアしろってことなの? うわーー苦手なタイプのダンジョンだよ、これ」

 ボクは焦ってくると、普通にできることができなくなったり、失敗するタイプなんだよねぇ。緊張に弱いんだ。


 「だが、俺たちが有利な点もある。行くぞ」

 マダナイは奥に続いている洞窟の先を見た。どうやらすぐそこに扉があるらしい。


 「有利な点? 何なの?」

 「俺たちは最下層のラスボス部屋から出発した。つまり逆ルートなんだ、そこが利点になる。敵にとってはトリッキーだ」

 そう言って扉に手をかける。


 「と言うと、どういう事かしら?」

 「つまり、ほら見ろ、次の階層に着くとすぐにボス戦だ。しかもボスは俺たちがまさか裏口から入ってくるとは思っていないから油断している」

 扉の向こうに大きな洞窟があり、その中央に巨大な蛇の魔物がとぐろを巻いていた。


 「あわわわわ……。あれは、毒吐きの地邪ちじゃっていう大蛇よ! レベル60だよ! あんたのレベルは?」

 ボクはマダナイを見た。

 「俺か? 俺は……」

 勇者のくせに口ごもった。何か言えないわけがあるんだな。


 そういえば最近レベルを見ていなかった。前回見た時からだいぶ経験値は獲得したはずだから、少なくともレベル20は超えてて欲しいよね。

 こうなったらもう強制手段!


 「女神パワーーーー!」

 おお、なんてこったい、こいつ、いまだに『レベル5』だよ!


 「もう、どうすんのよ! あんたのレベルじゃあ、とっても太刀打ちできない魔物だよ! あれ!」


 毒吐きの地邪という大蛇は、魔王城が遠くに見えるくらいの位置に毒沼を作って住み着いている討伐高難度の魔物なんだよ。

 あれの老齢な奴がポイズンドラゴンに進化するという超危険な魔物。本来こんなのと出会うのはずっと先のはずだ。女神レースで先頭を走っている女神たちがようやく遭遇したかどうかってくらいのね。


 「しっ、大きな声を出すな。見ろ、奴は後ろから入ってきた俺たちに気づいていない」

 「さっきみたいに後ろからグサリとやる気なの? でも無駄よ、レベルが違いすぎるから歯が立たないよ」


 「ひとつ俺に考えがある」

 そう言って、マダナイは急に正面からボクの両肩をつかんだ。


 思わず後ろに下がったら、壁にぶつかった。

 これって? ほとんど壁ドンじゃない?

 この勇者、顔だけはほんとにイケメン顔だから、そんなにまっすぐ見つめられると正直困る! ほら、顔が赤くなってきた。ドキドキしてくる。


 その唇が近づいて……! 

 思わず顔が真っ赤になった。

 ちょっとだけ期待してたら、この勇者、くんくんと鼻を鳴らしている。


 「やはりな、お前、さっきラスボスの椅子に座ってその力を吸収したな?」

 「え? 匂いでわかるものなの?」

 本当に鼻の利く勇者だ。まったく無駄なところにばかり能力を使っている。


 「お前のそのラスボスパワーを俺に分けるんだ。そうすれば一時的に俺のレベルは10倍以上になるだろう」

 だから、近いよ、顔が近いんだよ! このイケメン!


 「ど、どうすればいいのよ? 分け方なんて知らないよ」


 「魔力吸着という売れ残りの限定特売だったスキルを使う。お前の体に染みついたラスボスの匂いを吸い込んで体内で力に換えるスキルだ」


 へぇーーーーそれもボクの知らないスキルだ。誰も見向きもしないスキルばかり習得しているな、こいつ。やはりレアスキルマニアなのか?


 「匂いを吸う? どうやるのか知らないけれど、あの敵を倒すため必要なら仕方ないよね、ほら、好きにしていいよ。ありがたく匂いを吸いなさい」


 勇者は目の前でニヤリと微笑んだ。


 「お前のことだ。そう言うと思っていたぞ。さすがは暴力女神、見た目ばかり気にして、恥じらうだけで役に立たない女神とは違うようだ」

 お前ねえーー、それが、協力を受け入れた海のような広い心の女神に向かって言う言葉か?


 そう思っていると、くんくんと勇者は私の首筋の匂いを嗅ぎ始めた。


 カアーーッとさらに顔が赤くなる。


 そんなに顔を近づけるとは思ってなかった。

 この変態勇者の厚かましさを舐めてたよ。マダナイが首から胸へと匂いを嗅ぎ取っていく。はたから見たら変態に襲われている美女じゃない?


 「後ろを向け、背中の方がラスボスの椅子に接触していた面積が広い」

 そう言って今度は背中の匂いを嗅ぎ始めた。


 本当にこれで強くなるのかしら? タイムカウントは1000を切ったし。あまり準備に時間をかけてもいられないのだけど。


 「やはり椅子に触れていた分だけ、このあたりが一番匂いが強い」

 ん? と振り返ると、なんとそいつ、人のお尻近くの匂いを嗅いでいる!


 ぎゃああああああーーーーーー!

 無言で悲鳴を上げて、そいつの頭を殴ったよ!

 尻が匂うだなんて、この麗しい女神に向かってなんたる冒涜だよ!


 だが、マダナイは頭を押さえながら平気な顔でふらりと立ち上がった。


 「今の一撃を緩衝かんしょうした感じからすると、疑似レベルは50を超えたぞ。奴と戦えるレベルだ」

 勇者マダナイが颯爽と剣を抜いた。


 ーーーーーーーーーーー


 「じゃあ、ここで応援しているよ、がんばってネ!」

 ボクはキラキラの瞳を潤ませて勇者を励ます。どうだよ、これが美しき女神の慈愛の微笑みだよ。演技だけど……


 「合いの手、頼んだぞ!」

 なんてそっけない奴だ。

 チッ、せっかくの演技がもったいなかった。


 マダナイが毒吐きの地邪に向かってまたも背後からこっそりと忍び寄っていく。ああ、やっぱりどう見ても勇者って感じはしないね。姑息だねぇ。


 「今だっ、がんばれ、ハイ、ハイ! そこよ! アラサッサーー!」

 ボクが踊り出すと、マダナイが蛇に飛び掛かった。

 うまい!

 一撃で奴の弱点の頭の後ろに剣を突き立てた!


 奴は入口の方にばかり気を取られていて、背後は無警戒だったようだね。お得意の毒の罠も前方に集中していて、後ろは数が少なかったしね。


 「ホイ、ホイ、そこだ! ホイサッサのサ!」

 でも、奴の尻尾がマダナイを襲おうと音もなく立ち上がった。マダナイは気づいていない。


 そうはさせないよ! 力場変化だよ!

 「フォースフィールド・トランスフォーム! 重力異常!」

 ボクは華麗に杖を振ってマダナイを支援する。技の名前はちょっとカッコつけただけだ、本当は力場変化でいいのだ。


 急に空間に直方体の力場が発生し、振り上げた尻尾が床に押しつぶされた。どうかしら? これが防御術である女神の障壁を応用した女神パワーだよ!

 本来守る対象を中心に球状に広がる力を無理やり狭い空間に圧縮するとこうなるのだ。


 毒吐きの地邪が吠えた。

 さすがはボス、つぶされて動けないよりは、と尻尾を切り離した。敵ながらその判断力は見事!


 「負けるな! マダナイ! ホイッ、ホイ!」

 マダナイはそいつの弱点を攻撃しているが、まだ致命傷にはならないようだ。体を大きく左右に振ってマダナイを叩き落そうとしている。蛇の生命力は甘くない。


 マダナイに噛みつこうとした時、妙ちくりんな踊りを踊っている女神に気づいたらしい、毒蛇がこっちを見た。


 その口が開いて舌先が円筒形に突き出される。


 「危ない!」

 とっさにかわしたから良かったけど、さっきまでいた床が毒液で溶けている。


 「ああっ!」ちょっと跳ねた汁でボクの華麗なドレスにほんのちょっぴり小さな穴が開いた! 

 これ、高級品なんだから!


 「よくも、よくもやったね、……ええい、力場変化!」

 ボクは杖を振るう。

 蛇の顔の側面に小型の直方体が発生した。


 「これでも食らうがいい! 左右振動っ!」

 直方体が徐々に振動し始め、左右にぶれ始める。

 これって、痛いんだよ。


 次の瞬間、突然横ぶれが大きくなったかと思うと、蛇の顔にびんたを張るように直方体が左右からガンガン叩きのめしていく。

 ……しかも、いつまでも終わらない。

 首を力場で固定しているからね、蛇は逃げられないよ。


 さすがに容赦ないと思ったのか、揺れる蛇の背中からマダナイが少し青ざめた表情でこっちを見た。


 大蛇の体から力が失われていくのが分かる。

 女神に唾を吐いた罰よ! 神罰よ! ドレスの恨みだよ!

 その時、マダナイの剣がついに蛇の首を貫いた。


 ドドドドーーン!


 青い血しぶきを上げ、顔がボコボコに変形した毒吐きの地邪が床に倒れた。次の瞬間、目の前で大蛇の体がブロック状にバラけ、光になって消えた。


 「やったわ! マダナイ! あんた、レベル60のモンスターを倒したよ! 強くなってるね」

 「いや、おそらく……。こいつのダメージはほとんどお前が与えたものだろ? 恐ろしい……」

 うーむ、ボクを見る目が妙な気がする。なんでそこで少し後づ去りするかな?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る