第29話 森の賢者

 森の中に建つお菓子の家から、とても甘い、良い匂いがしてくる。


 ぐううう……と思わずお腹が鳴る。これは我慢しろって言う方が無理なんじゃない?


 ドアの前に立っているけど、中々、家の中から返事が返ってこないのよね。もしかして留守なんじゃないかな?

 

 マダナイは生真面目に玄関前で直立不動のまま待っている。


 うーーむ、どうせマダナイは向こうを向いているし、これだけあるんだから、少しくらいお菓子を貰っても大丈夫だよね? 


 クッキーにチョコに飴…………思わずよだれが流れるんだ。


 ボクは、こっそりと隠密力を発揮してみたけど、マダナイは気づいていない。しめしめ……。

 今のうちだ。ボクは家の壁からお菓子を引きはがし、せっせと空っぽの袋に詰めた。

 花壇にはジュースの実みたいな果実がたくさん成っているので、それも頂くことにする。一つや二つ減ったってわかるわけないんだよ。


 やがて、カランと鐘の音がしてゆっくりとドアが開いた。


 「今、何かしてたか?」

 何もしていないよ、と振り返ったそいつに、ボクはちょっと膨らんだ頬をもぐもぐさせながら笑顔で首を振る。


 「ダレジャ? 人間ジャナ? 珍シイ匂イガスル」

 片言の人族の言葉が家の中から聞こえて来たよ。まだ姿が見えないけど言葉の雰囲気からすれば、そいつが人間じゃないのは間違いないよ。


 「俺だ」

 マダナイがそう言って家の中に入った。


 「ン? 誰ダ?」

 またも声だけだ。


 再び隠密スキルを発揮して壁の飴を剥がして袋に詰めてからマダナイの後ろに続いて家に入ってみると、そこにいたのはもちろん人間じゃない。


 うーむ、この種族は知らないな。

 布袋の頭に棒切れの胴体、手足は細い木の枝で出来ているし、もしかして、これはカカシとかいう奴じゃない? 

 耳や口が、頭代わりの袋にイタズラ書きのように描かれている。目が無いのは描き忘れなんだろうか?


 あんまり細身だから部屋が暗いと同化して姿が見えづらかったんだ。


 でも良く見ると、一見棒切れに見えるのは焼き菓子だよ。手足も焼き菓子や飴を木の枝のように見せているし、良く見ると頭には草じゃなくて綿菓子が入っているし、ってことは、こいつはお菓子のカカシ? 


 お菓子の家にお菓子のカカシなんて何かおかしいんだよ。うーーーーん、こいつ、本当に森の賢者なのか? 


 「俺だ、お前の古い友人、冒険者のマダナイだ。まさか忘れたのか?」

 マダナイは肩をすくめて見せた。


 「……オ、オオウ、ソウカ、誰カト思ッタラ、人間ノ、マダナイ、ダッタカ」

 カカシはぎこちなく体を左右に振った。


 「お前が暖炉に火を入れているとは珍しいな? 火は嫌いじゃなかったか?」

 壁際の暖炉がぱちぱちと音を立てている。


 暖炉は滅多に使わないというより、これ、本来ただの飾りじゃない? お菓子で出来ているし、なんだか周りも焦げ始めているし、このままだと火事になりそうな気がするんだけど、この森の賢者、本当に大丈夫なんだろうか?


 「ソレヨリ、何カ用カ?」

 カカシが暖炉の前に立った。


 「お前にちょっと見てもらいたいものがあるのだ」

 「ホウ、ソレデワザワザコンナ所マデ? 一体何カナ?」


 マダナイが目で合図をした。

 ボクが女神の腰袋から布で包まれた石を取り出すと、マダナイはぱっとそれを奪った。


 ムッ、まるでボクが石に触るのを嫌っているようだよ。

 こいつのことだから、どうせ女神パワーが付着するとまともな鑑定ができなくなるのだ、とか言いそうなんだ。

 ちょっと頬を膨らませる。


 「この石なんだが、これが何かわかるか?」

 マダナイは石を掴んで、カカシの前に突き出した。

 明らかにカカシが動揺したように見えたよ。……たぶん何か知っているんだよ。


 「コレハ……」

 何か言いかけて言葉が止まる。


 ……時計の音だけがチクタクと聞こえる。

 表情が無いので、何を考えているのか分からない。

 

 まるで時間が止まったようだよ。 


 ……時計の音だけがチクタクと聞こえる。


 こいつ……、ああ、実は居眠りしてました。なんて言われてもおかしくない沈黙が流れていく。いや、こいつマジで寝てるんじゃないかな?


 「わからんなら、もういい」

 そう言ってマダナイが布に石を戻そうとすると。


 「マ、待テ、ソレヲコチラニ渡セ、モット近クデ見タイ。触レテミレバ、ソノ感触デ何カワカルカモシレヌ」

 そう言ってカカシが細い枯れ木のような腕を伸ばした。


 「手に取らずとも物体の波動を見ることができるのが自慢じゃなかったか? 賢者パワーってやつだろ?」

 何だか、森の賢者に対してマダナイが強気だよ。

 相手が怒りださないか、ちょっとハラハラしてカカシの顔色をうかがうが、やはり何を考えているのかさっぱりだよ。


 「ウウム……」

 「やれやれ、森の賢者も老いぼれたかな? それともこの石がそれだけ特殊なのか? いいか良く耳を澄ませ、この音だ」

 マダナイが短剣を取り出して石を軽く叩いてみせた。


 カキューーーーン! と独特な音色が響いた。

 耳の奥がこぞばゆくなるような共鳴音がある。


 「オオウ! ソノ音ハ……間違イナイ、ソレハ魔王結晶石ジャナ!」

 うれしいのか、びっくりしただけなのか、どんな感情表現なのか意味不明だが、森の賢者は体の軸棒が床に接している所を支点に大きく左右に体を動かした。


 「魔王結晶石だって? 初めて聞く鉱物だな。珍しいのか? どういう石なんだ? 魔王というからにはまさか魔族の?」

 マダナイが少し怪訝な顔をした。


 へえ~~、確かにボクも初めて聞く鉱石だよ。


 この世界の知識を集めた女神向けのマニュアル本にもそんな名前の石は出てこなかった。でも、魔王という名前がついていることを考えると、何だか重要アイテムのような気がするんだよ。

 

 「コレヲ見ルガヨイ!」

 そう言って、カカシがさっと手を振ると、壁に刺さっていた本の形をしたクッキーが壁から抜けて、マダナイの目の前にふわふわと飛んできた。


 壁の本棚って単なる飾りじゃなかったんだ……。


 ちょっと驚いて見ていると、空中で独りでにパラパラと本がめくれ、とあるページで止まった。


 そこに、魔王結晶石の事が書いてあったよ。


 『魔王結晶石……魔族の力を凝縮して作られた貴重な石で、小指の先ほどの欠けらですら大いなる魔力を有する。魔族の権威の象徴にもなっており、また、重要な儀式や扉を封印する鍵としても用いられることがある。特に二十四宮と言われる石は……<なぜか文字が消されている>……竜の血によって毒素が弱められ初めて石に触れることができる』


 竜! やっぱり竜が関係するものなんだ!

 ラキャインがこの石を飲み込んでいたのは単なる偶然じゃないかもしれないんだよ。


 「ソレハ魔ニ属スル物ジャナ。危険ダシ人間ニハ宝ノ持チ腐レジャロウ。ワシガ買イ取ッテヤッテモ良イガ?」

 カカシが一回転すると、目の前の床にどさりと袋が落ちた。


 その金属音! 間違いなくお金だよ!

 しかも大金! 大金持ちだよ!


 思わず瞳にコインが浮かび、マダナイに気づかれないようにそっと手を伸ばす。そういえば隠密スキルを発動したままだったから誰にも気づかれないよ。


 「墜ちたものだな!」

 ぐえっ、ばれた!


 袋を掴んだまま、閉じた目を開くとマダナイはカカシを指差している。どうやらボクに言った言葉ではなかったらしいよ。


 「貴様、本当に森の賢者なのか?」


 「オオ、急ニ何ヲ言ウノダ、古キ友人、マダナイ」

 カカシがトントンと跳ねた。


 ふっとマダナイが口元に笑みを浮かべた。

 あーーーーこいつ、それ悪い顔だ。


 何かやらかす気満々だよ。

 せっかく森の賢者からうまく情報を聞き出していたのに、険悪な雰囲気になりそうだよ。


 「その事だ……。俺はお前とは初対面、友人というのは真っ赤なウソだ」


 「!」

 はあ? どういうこと! と思ったけど、カカシの動きもピタッと止まったよ。


 「見知らぬ俺に対し、まるで友人のような態度は何故だろうな?」

 部屋が急に静かになったよ。

 時計の針もなぜか止まったし……。


 暖炉でぱちぱちと燃える音だけが不気味に響いている。


 「それに、その暖炉で燃えているものは何だろうな? 俺には本物の森の賢者だったカカシのように思えるんだけどな!」

 刹那、マダナイが長剣を一閃した。


 前触れもなく襲いかかってきたカカシの手を打ち払ったのだ。


 「!」 


 そのカカシの手に鎌のような鋭利な爪が伸び、その気配が邪悪なものに変化していく。こいつ、やっぱり、魔物だったんだ!


 「ソノ石ハ、渡シテモラウ!」

 カカシが体を独楽のように回転させて、凶悪な爪がマダナイを襲った。


 マダナイが身を反らし、ちらりとボクの方を見て、唇に人差し指をあてた。


 まだ声を出すなという意味らしい。その仕草、なんだかカッコいいんだよ。ヤダなぁ、イケメンに見えるんだよ。


 「お前! やはり魔王の手の者か?」

 マダナイが剣を打ち込んだのでカカシが止まった。お菓子の手で剣を受け止めているのが非現実的な光景だ。


 「ソンナ事ハ、ドウデモ良イ! オ前ハココデ死ヌノダ!」

 一歩後退しつつ、カカシが突然全身から黒く凶々しい氷のようなナイフを射出した。


 真正面にいたマダナイに直撃! と思ったけど、マダナイは素早く机を倒して身を隠したよ。


 カカカカッとナイフがリズムカルな音を響かせて机に突き立ったよ。


 「カワシタノカッ! マサカ貴様、勇者!!」

 両手をさらに長い爪に変化させてカカシが勇者を襲う。


 だが、身体がお菓子で出来ているし体に柔軟性がないから、本来戦闘向きではないらしい。一本足を支点として左右に回転するような攻撃だけだから、へっぽこ勇者でも十分に対応できているんだ。


 やるね、マダナイ! 見直したよ!

 と思ったら、爪の背で足をすくわれてコケた。


 「死ネエエッ!」

 チャンスとばかりに、カカシが大きく爪を振り被った。


 「今だ!」

 マダナイがボクをちらりと見たんだ。


 「炸裂! 女神パワーーーーっ!」

 球状の障壁がマダナイとボクを包み込む。


 キュキシシシシシシーーーーーー!!

 カカシの爪が障壁の表面を引っ掻いて、いや~な音を立てた。


 「ひぃいいいい! やな音だよ!」


 「キイイイイッ!」 

 自分で音を出しておきながら、その音に一瞬怯んだカカシが一歩下がったよ。


 「今だわ! マダナイ! ハイ、ホイサッサ!」

 恥も外聞もなくガニ股踊りだよ!


 グギャアアアアアーーーーーー!

 刹那の一刀両断!

 飛び出したマダナイの剣がカカシを叩き斬った。


 「メ、女神メ、息ヲ潜メテイタトハ! 卑怯ナリ……」


 「森の賢者に化けて騙そうとしていたアンタには言われたく無いんだよ」


 玄関を入る時に、マダナイが言葉を発するな、と身ぶりでボクに合図していたんだよ。


 おそらくカカシの正体と、そいつに視覚が無いことにすぐ気づいたんだ。おそらく何かのスキルだ。このへっぽこ勇者は妙に無駄スキルが多いんだよ。


 カカシがバラバラと床に崩れ落ちた。だけど、何だかちょっと美味しそうな匂いが漂っている。


 次の瞬間、ボボッ! と暖炉から炎が上ったよ。こいつ、魔力で暖炉の炎を抑えていたのかもしれない。炎は乾燥したお菓子に燃え移って、天井まで一気に燃え広がった。


 「不味いよ! 火事になったよ!」

 「それよりもだ、何かおかしい。おい、不味いぞ! 女神エル! すぐに外に出るぞ!」

 部屋の壁が歪んでいく感覚が二人を襲った。

  

 マダナイが叫んだが、ちょっと気づくのが遅かったんだ。

 床に散らばったカカシの残骸を中心に、一瞬にして床に黒い穴が広がった。これは転移系の罠だ!!


 「うわっ、しまった!」

 「きゃあーーーーーー! あっ、お金がーーーーーー!」

 ボクの手からお金の袋が吹き飛んだ。


 「ぶぅぎゃあ~~~~~~!」

 へそから下が吸い込まれた。すぅすぅしてパンツを履いていないみたいな感覚だよ!

 「女神だろ! もっと上品な悲鳴を上げたらどうなんだ!」

 そういうマダナイも胸までどっぷり闇に浸かっている。顔だけ真面目でも全然カッコよくない。


 「こんな時に、びぇええええ……!!」

 「もげもげもげ……」

 こうしてボクたちは、吸い込まれるようにアリジゴクに似たその深い闇の底に落ちていったんだ。

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