第27話 うひひひひひひひひひひ……
「行くぞ、女神エル!!」
そう言ってマダナイがボクの手をぎゅっと握った。
「ちょ、ちょっと待ってよ! うぎゃあああああああああああああああああああ……!」
爆風を残し、マダナイが走り出した。
突然、顔面に吹き付ける猛烈な風!!
髪はバラバラ、まぶたまで浮く、浮く!
「女神エル、おとなしくしてるんだ!! 動くと落ちるぞ!」
「え!」
気づいたらマダナイがボクをお姫さま抱っこして疾駆しているんだ。
思わずその凛々しい顔を見上げ思わず赤面した。
うわ~、これは恥ずかしいんだ、ボクじゃなくたって照れるよね!
「こんなところでモタモタしていられないんだ!」
マダナイが歯を食いしばった。
へぇ、勇者っぽ~い、ちょっとだけ見直したよ。
なんだかんだ言ってもやる時はやる男なのか……?
「そうだね、急いでマダナイ! ローファたちがピンチなんだ。ここでまた人々の恨みを買ったら不味いんだよ!!」
どうかボクらが着くまでの辛抱だ、ローファ、ラキュイン、我慢するんだよ!
「げひっ、つつつつつつ……! また腹がキリキリ来たッ!!
ぐおおおッ辛抱だ! 次のトイレまで我慢できるかどうか、ここが勝負だッ!!」
あ、この全力疾走、理由はそれなんだ。
トイレから次のトイレへ移動ってことだね?
ローファのために力を振り絞っているわけじゃないんだよ。やっぱりこういう奴なんだよ。
ゴゴゴゴゴ……と腹が唸るのが聞こえた。
これは不味いね、我慢できなかったらどうなるんだろ?
ボクは思わず目を細めたよ。
ーーーーーーーーーーー
ゴゴゴゴゴゴゴ…………!! と重々しい地響きを立てて、ついに崩れ落ちた城門の向こうから竜が姿を見せた。
怒りに燃える凶悪な眼、半分開いた巨大な口腔から滴るのは溶岩流だ。一歩踏み出す毎に大地が震え、尖った爪が硬い石畳を難なく引き裂く。
「待って! みんな持ち場を離れちゃダメ! ああ、なんてことなの……」
女神ハンナは、蜘蛛の子を散らすように次々と逃げ出し始めた兵士たちを前に唇を噛んだ。
あの姿を見たら恐怖に囚われるのを責める事はできないけど、背後には守るべき人々がいるのよ!
街は大混乱に陥り、付近には避難できていない人々がまだ大勢いるのだ。
なぜこんな事態になったのか。
数刻前、街の外の林の中に潜んでいる竜に最初に気づいたのは城門を守る兵士たちだ。
本来なら竜のような高ランクモンスターの接近はその一報を領主と女神たちに知らせ、対応策を練らなければならなかったのに、あまりに突然の竜の出現に兵士たちは驚愕して、よせばいいのに一斉に矢を射かけたらしい。
人間の放つ矢程度で倒せる相手なら、こんなに勇者がやられたりしないのに!
だが、悔やんでも遅い。
彼らは竜を怒らせてしまったのだ。
グゴッオオオッ!!
竜は肩が引っかかった城壁を突き崩し、破壊された石が周囲に飛び散った。次々と地面に突き刺さった石は、直撃すれば即死の威力だ。
凶暴な顔をした竜が口から炎の滴りを垂らしながら、大地を震わせて迫ってくる。まだ距離はあるはずなのに恐怖で視覚情報が混乱してくる。まるですぐ目の前で竜が口を開けているかのような錯覚すら覚えてしまう。
「ダメだわ、早くみんなを下がらせて! 体勢を整えるため一旦通りの角まで退却!! 防衛線を再構築します! 自警団の皆さんもここは下がってください!」
女神ハンナは左右の女神たちに指示を出した。
逃亡する兵士を尻目に必死に恐怖に耐えていたのは冒険者を中心とする自警団たちだ。
数多くのモンスターと戦った経験豊富なメンバーがそろっているはずなのだが、始めて目にする竜の圧倒的な力を前に、思考回路が停止している。
勇者ですらたじろぐ恐ろしさだから仕方がないとは言え、せっかく虎の子の対巨獣兵器である大型強弩を引っ張り出してきたというのに竜を間近に見たとたんみんな棒立ちになってしまった。これでは、はっきり言って足手まといだ。
竜を前に萎縮しないで立っていられるのはやはり女神と勇者くらいなのだろう。
「女神ハンナ、ここは私が! 今度こそ、この間の礼をさせてもらいます!」
女勇者のベラーナが雷の大剣を両手で握りしめ先頭に進み出た。
「ベラーナ、いけるの? 古傷は大丈夫?」
「もちろんです、ハンナ!」
二人は目と目を交わし、うなづきあった。
女勇者ベラーナはハンナと魂で結ばれた真の勇者だ。
目立つ右頬の傷はあえて治さないで自らの戒めにしているらしい。赤毛の長髪が竜の巻き起こす風にたなびいているのは、愛用の兜を前回の戦いで溶かされたからだ。
「他の勇者も今こっちに向かっています。これ以上は好き勝手はさせない!!」
「頼んだわベラーナ。もう、あなただけが頼りよ」
この街に滞在中の勇者ではベラーナが一番高レベルなのだ。
自分と彼女の力で竜を追い払うことができなければ、他の女神と勇者では手も足も出ないだろう。
この街にいる他の女神は経験が浅い者ばかりで、戦闘系女神とは言ってもそもそもの実力が足りない。
女神エル……、彼女が噂を耳にした例の女神と同一人物だったなら、こんな竜も追い払うことができたかもしれない。
だが、こいつらがここに現れたということは、そうではなかったらしい。
例の女神と似ている名前だったからちょっと期待したのが間違いだった。女神エルとその勇者は既に生きていない可能性が高いだろう。やっぱり、何と言われても付いていくべきだった……、女神ハンナは後悔の念で拳を握り締めた。
「ここまでだぞッ! 化け物め!」
ベラーナが剣を手に前に進み出た。
「ベラーナ、防御力向上! 斬撃に風属性付与!」
女神ハンナはベラーナの体に次々と支援魔法をかけた。
竜と一緒に姿を見せた竜族の少女が何か言葉を発した気がするが、聞きとる前に「このおおっ!!」とベラーナが猛然と攻めかかった。
「女神ハンナ!! 援護は任せろ!!」
「後方の守りは私たちが!!」
遅れて到着した他の勇者たちが屋根の上で弓を構え、数人の女神が街の住民を守る障壁を展開し始めた。
「とりゃあああああ!!!!」
ベラーナの大剣が風を斬った。
彼女はレベル25、まだ傷は完全には癒えていないが、街に残る勇者では一番強いのだ。同時に無数の聖なる矢が後方の勇者たちから放たれ、着弾と同時に爆裂した。
ゴオオオン!!
轟音と土煙が竜を包み込む。
「どうだ!」
「やったか?」
矢を放った勇者とその女神たちは目を凝らした。
グルルルル…………!!
竜が唸った。
「ベラーナ!」
ハンナの悲痛な声が響いた。
土煙の向こうに絶望的な光景が見えた。
飛び掛かった女勇者は竜の右手に握り締められている。
カラン……と乾いた音がして、その手から剣が落ちた。
やはり怪我の回復が十分ではなかったんだ。
ベラーナは生きているが苦渋の表情を浮かべている。ちょっとでも竜が力を入れれば確実に絶命する。
「まさか矢の攻撃すらノーダメージ?」
いや、違う、あの竜族の少女が矢をすべて刀で叩き落したのだ。爆発は刀で斬り払われた矢が地面に着弾したからだ。
少女の周りには無数のクレーターとへし折れた矢が散らばっている。美しい可憐な少女にしか見えないが、凄まじい二刀流の使い手なのだ。
「なんて戦闘力なの!」
「これが高レベルモンスターの力か?」
集まっていた勇者たちが絶句した。
竜の進路をふさぐようにその前方に少女が立ち、刀を正眼に構えた。防御の構えにも見えるが違うのかも知れない。
美しい顔だち、その澄んだ瞳がこっちを見た。その体から立ち上る剣気に誰もが身を震わせた。
改めてわかる。これは高レベルに育った勇者でなければ太刀打ちできない存在だ。
「今はまだダメだ、手も足も出ない。本来なら出会ったらすぐ逃げるべき相手なんだ……」
だが……と女神ハンナは後ろを振り返った。
まだ大勢逃げ遅れた人々がいる。人々が安全なところまで逃げきるまで、何とかしてこの竜を食い止めなければならない!
「女神のみなさん、勇者に最大の加護を! 勇者は聖なる矢で竜の頭部に集中攻撃して下さい! あの竜族の少女は私が相手をします!」
天界の神々よ、私に力を!
そう願いを込め、女神ハンナは右手に女神パワーを込め始めた。
◇◆◇
大急ぎで街を見下ろす丘に到着したボクたち。
そこには街に入る手前の最後の野営地がある。もちろんマダナイは奇声を上げてトイレに直行だよ。
街からはモクモクと煙が上がっている。
あれを見ただけで胃がキリキリしてくる。
少しして、ちょっとだけすっきりした顔のマダナイが姿を見せた。
「もういいのかい?」
「ああ、今度は大丈夫だ。行こう、ここまでラキュインが吠えるのが聞こえてくる
」
「急ぐよ!」
「おお!」
ボクらは颯爽と丘を駆け降りて城壁に近づいた。
あ、ひどいね、これは。
城門なんか完全に崩れているよ。
「上だ、跳ぶぞ」
「わかったよ」
たまに勇者らしいところを見せたマダナイと一緒に跳躍するとボクらは城壁の上に降り立った。
そこからこっそり広場を覗き込むと、それはもう大変な事になっている。
「打合せどおり、あんたの言う通りに動くけど、本当に大丈夫なの? うまくいくと思う?」
「俺を信じろ!」
親指を立てたよ。
そこにきらりと白い歯を意味なく光らせるイケメンがいるんだ。さっきまで青い顔をして下品な音をトイレから響かせていた奴とは思えないんだよ。
「あとはタイミングだな」
「そうだね」
広場では女神ハンナが最前線で頑張って指揮しているのが見えた。
さすがだよ。
彼女、
人々の安全が確保されるまで何としても竜を食い止めなければって思っているんだろう。
「ほら見て! 女神ハンナが右手に女神パワーを込め始めたよ」
「女神ハンナが動くか……。頃合いだろうな。行ってくるぞ、後は頼んだ」
息を飲んで見ていたボクの肩を軽く叩き、マダナイが立ち上がったよ。
◇◆◇
「今です! 再度一斉射です!」
そう叫ぶや、女神ハンナは疾風のように飛び出した。
「えいやあああああっ!!」
片手を光に包んで猛然と少女に迫る。
同時に再び一斉に放たれた矢が、光の束となって竜の頭部目がけて飛んだ!
目の前の竜族の少女が刀で防御態勢をとった。
「くらえっ! 滅せよ、女神の怒りっ!」
ハンナが暴風をまとわせ、強烈な光の拳を突き放った。
キィーーーーーーン!!
刹那、耳をつんざく物凄い金属音が轟いた。
同時に、常人には立っていられないほどの強烈な旋風が吹き荒れ、その拳が止まった。
「?」
ハンナの拳を剣の腹で受け止めた男の両足が砂煙を上げながら後退し、その強大な力を吸収した。
「え、マダナイさん?」
男の背中を竜族の少女がきょとんとした目で見た。
「遅くなったな、ローファ」
「ウンコ長すぎ……」
マダナイは何か言いかけたローファの唇を指でふさいでキザにポーズを決めた。
「はあ?」
女神ハンナの目が丸くなった。
攻撃を中断させたのが、ボクの勇者だと気づいたんだ。
後方の女神と勇者たちも何事かと唖然としているよ。
誰が見てもすぐに低レベルとわかる勇者マダナイが、女神が繰り出したパワー全開の拳を受け止めたのだ。
うひひひひひひひひひひ…………。
来たよ来たよ! 今だよ、ついにボクの出番が来た~~~~~~っ!
ピカッ!!
突然、街の人々の頭上にまばゆい光の球が現れた。
その瞬間、まるで時間が止まったかのように放たれた矢が一斉に空中で静止し、音の無い世界を清らかな光に包まれながら美しい聖女が天から舞い降りてきた。
その様子はつい今しがたまで城壁の上で「ハイッ! ホイッ!!」と妙な合いの手を入れながら太腿も露わに踊っていたとは思えない高貴さなんだ。
「何です?」
「何だ、あれは!」
聖なる光球の出現にみんなの視線が集まる。
「みんな~~~~、今すぐ攻撃をやめるんだよ!」
その時、ボクの澄んだ声が大空に響き渡った。
ボクは光の翼を生やした姿でくるくると回転しながら
うーーむ、我ながら、かなり演技がかっている気がするんだ。
でも、恥ずかしがっている場合じゃないよ。
ボクの登場に、多くの者は度肝を抜かれている……女神と勇者たちですら口をぽかんと開けて驚いているんだよ!
よし! ここまでは狙いどうりだよ。
そのままボクは地上に降り立ち、ひらひら〜〜と少し大袈裟に手足を振って華麗に一回転。
聖なる力を感じさせる光の翼で優しく竜を包み込むと、その顔に向かって片手を差し出した。
「!!」
みんなの目が飛び出しそうだ。
竜は女神をパクリと……はせず、その手の平を愛おしそうにぺろりと舐めた。
どうだい? このわざとらしさ。
我ながら見事な演技力!
周りで見ている女神と勇者はいろんな意味で絶句しているわけだ。
「ええっ! あの恐ろしい竜をまるで子犬のように!!」
「竜が女神エルに甘えている?」
「嘘だろ!」
何だ何だと、逃げまどっていた街の人々も立ち止まって、その奇跡に呆気にとられている。
「はあ? なんなの? いくら女神だからって……」
驚くハンナの前で竜は片手で握り締めていた女勇者ベラーナを静かに開放し、ベラーナは怪訝な表情を浮かべながら地に足をつけて竜を見上げた。
「竜人ローファ、お前も刀を収めるんだ」
勇者マダナイが言うと、竜人の少女は素直に二振りの刀を腰の鞘に収めた。
「はあ? なんでこいつらが言う事を聞くわけ? こいつらは魔王配下の邪竜なんでしょ?」
女勇者ベラーナが、やっぱり納得いかないという顔をしてマダナイをにらんだ。
「勇者ベラーナ、これこそが女神の愛の力なんだ」
ボクは微笑んで見せた。うん、わざとらしい。
そして思いっきり息を吸って叫ぶ。
「みんな聞いて! この竜たちは女神エルの慈愛の光を浴びて改心したんだよ!! もう危険な存在じゃないよ!! ほ~~ら大人しい。彼らは女神に従う聖獣に生まれ変わったんだよ!」
両手を優しく広げながら会心の微笑みを振りまいた。
いかにも聖女って感じだが、どこか胡散くさい。
だけど、みんなが嘘臭いなと思う前に、ボクの背後でラキャインが頭を垂れ、ローファが片膝をついて恭しく拝礼した。
息を飲むほどの美少女と凶悪な竜が女神にかしづく、その一瞬の光景はあまりにも神がかっていた。
うん、見事なタイミングだよ。
打合せもしていないのに、さすがはローファ、分かっているじゃないの。
「!!」
二人の姿にみんながさらに仰天した。
うししし……、これでボクに対するみんなの評価も急上昇間違いなし! たった今、新たな女神伝説が生まれたんだよ。
「まさか、あのレベル3程度のへっぽこ勇者と女神が竜を改心させるなんて!」
「すごい、すごいですわ! 女神エル!」
「女神エルのお力、最高神に匹敵するのではありませんか?」
「尊敬しましたわ! 女神エル様がこれほどの聖女だったなんて!」
周りに瞳を輝かせた女神とその勇者たちが駆け寄ってきた。
みんなの表情を見て、ボクはホッと胸を撫でおろした。一時はどうなることかと思ったけど、マダナイの作戦がうまくいったらしいんだよ。
これはちょっとしたショック療法みたいなものだ。
天から舞い降りた女神が邪竜を聖なる力で善なる存在に変えるという、ちょっと信じられない ”嘘くさい” 神話的な場面を見せ、人々の度肝を抜いたんだ。そしてボクらはローファたちが安全な存在になったとみんなに思い込ませたんだよ。
これはマダナイの持つ怪しい”騙しスキル” と、ボクの無駄スキルの一つ、”初級演劇スキル” が相乗効果を発揮した結果なんだ。
マダナイ考案の「みんなまとめてだましちゃえ!」作戦。いかにも実力に頼らないマダナイらしい作戦なんだよ。
ーーーーーーーーーー
「さすがは女神エル様ですわ、びっくりしましたわ!」
集まった女神たちをかき分け、女神ハンナが息を切って姿を見せた。
その顔、あり得ない奇跡を目撃して感激したような表情だ。そのすぐ後ろから現れた神官見習いの娘、コロンも瞳を輝かせている。うん、二人とも完璧に騙されているよ。
「女神ハンナ。実は折り入って頼みたいことがあるんだよ。これはハンナにしかできないことなんだよ……」
ボクはちょっと黒い笑顔をして、ハンナの肩をポンポンと叩いた。
「私にしかできないことですか? なんでしょうか?」
疑いを知らない純真な女神ハンナが愛らしく首を傾げた。
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