第26話 元凶は腹下りです

 作戦開始日のお昼である。


 雲一つ無い青空が広がって、草原を少し乾いた風が吹き抜けていく。そしてその野営地には私たち以外は誰もいない。


 もっとも、こんな真っ昼間から休んでる人なんて、普通はいないと思うよ。


 ガタ、ガタガタ、ガタ…………


  ボクはテーブルに頬杖をついて、仏頂面で派手に貧乏ゆすりをしているんだ。


 その音にびびって、草原を魔獣ネズミウサギの群れが一斉に逃げていくのが見える。


 意気揚々と4人で谷を出発したのはいいが、マダナイのせいでボクは野営地に足止めなんだよ。


 「ねえ、早くしなよ! まだなのかい? 時間がかかりすぎだよ!」


 「お、お前のせいだぞ……、昨日あんなに無茶をさせるから腹が冷えて……うおおっ、まだ腹が下る! くそっ!」


 昨晩冷たい川に入ったせいか、夜冷えたからなのか、急に腹を下したマダナイがトイレにこもって出てこない。


 うわーーーー、これまた驚くほど下品な音が聞こえてきたんだよ。ボクは指で耳栓をした。


 これはまだ当分無理かな?


 「もう……あんたがローファたちに先に行け、なんて格好つけるから、あの二人、本当に先に街に向かって行っちゃったよ。不味いんじゃない? ちゃんと指示どおり街の手前でボクらを待っているかな? ラキャインの人化の術が解けたりしないか心配だよ」

 なんだか不安しかないんだよ。


 「そんなに心配なら、くっ、……得意の魔鏡を使って見てみれば良いだろ? うおっ! ぐおおおお……、それより俺の腹が不味い、不味いぞ!」

 不協和音と共にマダナイの苦悶の声が聞こえてくるよ。


 「まったく仕方がないんだよ。薬が欲しい? それとも治癒魔法がいい? この高貴な女神さまには似合わないけど、下痢くらい治療してやってもいいんだよ?」

 ボクは指をぽきぽきと鳴らした。


 すぐ治るように秘孔でも突いてやろうか?

 ハァアアアアアアーーーー! とナントカ拳を構えドアノブを引く。


 ぎぃいいーーーーーと扉がきしんだ。

 あ、これ開いたよ。鍵をかけ忘れてるんだよ。


 「ばかっ! 急にトイレの扉を開けるな! うわっ!」

 前を手で隠して驚く丸出しのマダナイを見て、ボクは不敵に笑った。


 「あんた……トイレで下はパンツまで全部脱ぐの? へえーー、そうなんだ……」

ぷっ、こいつの弱みを握った気がするよ。


 「変態女神!!」

 バン! と扉が荒々しく閉じられた。


 「薬だけよこしてお前は鏡でも見てろ!」

 「はい、はい、しょうがない奴だよ」

 ボクはわずかに開いた扉の隙間から薬の入った瓶をマダナイに手渡した。こんなことならマダナイは放っておいてローファたちに付いていけば良かったよ。


 「さて、ローファは街に着いた頃かな? おとなしく隠れて待ってるはずなんだけど」

 ボクは杖を手にした。


 「魔鏡よ、写し出せ! ターゲットはローファたちだよ!」

 ボクは華麗に杖を振るって、トイレの前で魔鏡を発動させた。


 直後、何もない空間に丸い黒い穴が開いたようになって、そこに白亜の石の彫刻に縁どられた魔鏡が出現した。鏡は一見重そうに見えるが、ふわふわと宙に浮いているんだ。


 「どれどれ………………!」

 軽い気持ちで覗き込んで、ボクは思わず絶句したよ。


 衝撃映像に目が飛び出しそうになったよ。


 「な、なんですって!」

 ボクの素っ頓狂すっとんきょうな声にトイレの方からガタガタンと音がした。


 鏡に映し出された街はまさに大混乱、阿鼻叫喚あびきょうかんの光景だよ。


 必死に城壁から矢を放つ兵士たち。

 天を覆い尽くす矢の雨を一瞬で焼き払う巨大な竜の炎。


 逃げまどう人々。

 城壁にいた兵士たちも恐怖に駆られて次々と逃げ始めたよ。


 ローファもラキャインも、たぶん仕掛けられた攻撃から身を守っているだけなんだけど、街の人々から見たらそうは思えないんだよ。


 「……女、子どもを家に! 戦えるものは武器をとれ!……」

 叫ぶ男たちの前に、まだ体力が戻っていない痛々しい勇者とその女神たちが立ちふさがった。


 「……ついに襲って来たわね! 邪竜ども!……」

 「……急いで! 早く街の人を非難させてください!……」


 叫ぶ人々の前に城門をくぐって竜族の少女と巨大な竜が姿を現すのが映った。


 「あわわわわ……! 不味い、不味いよマダナイ! ローファたちが街の人と交戦状態になっているんだよ! 早くそこから出てきてよ! もう一刻の猶予もないんだよ、これ!」

 ボクも膝がガクガクだよ。

 マダナイ、やってくれちゃったんだよ。あんたの腹下りのせいで計画が全て台無しだよ。



 鏡の中でローファが何か懸命に叫んでいる。


 おそらく話し合いをしようとして「戦うつもりはないわ」とか言っているのだろうけど、竜の出現でパニックに陥った人々の喧噪のせいで、女神や勇者たちにはまったく聞こえていないようだ。


 女神ハンナが先頭に立って、左右の女神や勇者たちに指示を出しているのが見える。


 彼女は優秀な女神だけど、ローファたちに戦う意思がないということに気づいていないようだよ。


 あ、女神ハンナの前に赤い髪の女勇者が現れたよ。

 その顔には「この街と人々を守る!」という絶対に曲げない強い信念が見える。


 「ひいいいいーーーー! これは最悪の事態だよ! あの女勇者ベラーナが前線に出てきちゃったよ!」


 女勇者ベラーナは生まれた村を邪竜に壊滅させられた少女で、特に竜に対する憎しみが強いんだ。

 彼女を治療した時、「この次こそは必ず屈辱を晴らす!!」って言ってたんだよ。


 ローファがベラーナに向かって何か言葉を発した気がするけど、「問答無用! 先手必勝!」とばかりにベラーナが矢のようにローファと竜に攻めかかった。


 ベラーナの大剣が風を斬り、同時に無数の聖なる矢が後方の勇者たちから放たれるのが見えた。


 さすがにその聖なる矢の一斉攻撃は不味いよ。ラキャインでもただでは済まないはずだよ。


 ゴウッ!!

 轟音と土煙が竜を包み込んだ。


 どうなった! 

 ボクは、食い入るように鏡をのぞいた。


 「ああ、良かった。ローファも竜の姿のラキャインも無傷のようだよ……」


 煙の中から何事もなかったかのように少女と竜の姿が現れた。

 どうやらローファが二刀流の技を駆使してラキャインを矢から守ったようだ。さすがは高レベルの竜族だよ。

 

 ボクは少し胸を撫でおろしたけどローファたちの周囲にさらに女神と勇者が集まってきたんだ。


 女神たちが結集して女神パワーを使いだしたらちょっとヤバいんだよ。


 それに、何だよあれ。あんな秘密兵器があったの?

 対大型魔獣用の強弩まで運ばれてきたよ。あれは城壁も崩すほどの威力があるこの世界最強兵器の一つだよ。




 「ふーーむ、ローファたちがピンチか?」

 ーーーーと、その声……


 勇者マダナイがボクの肩をグッと押さえ、後ろから鏡を覗き込んだよ。


 「わ、あんた、いつの間にトイレから出てきたんだよ? うわっ、その手、ちゃんと手は洗ったの?」


 「細かいことは気にするな、皺が増えるぞ」

 「気にするよ! さては、あんた本当に手を洗ってない?」


 この美しい清らかな女神の素肌にトイレから出て来てすぐ手も洗わずに触れるなんて! しかも、こいつ、下痢だったんだよね。さてはこの前、買ったばかりのスカーフでボクが手を拭いたおかえしか?


 「そんなことよりもだ。今すぐローファたちを救出に行くぞ」


 「既に交戦中なんだよ、この状態をどう収拾するつもり? 偽の魔物に街を襲撃させて、ローファたちが身を挺して街を守るっていう計画は実行できないんだよ、何か他に考えがあるの?」


 「俺に任せろ。こんなこともあろうかと第二、第三の策は考えてあるんだ。お前の出番が多くなるのが難点だけどな。ほら耳を貸すんだ」

 そう言ってマダナイが怪しく笑ったよ。


 ボクの出番?

 マダナイのその表情、うわ~~不安が募るんだよ~~~~。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る