ディナーと事件 - 下
どういう事だ?
「……俺もファントムに会ったことがある」
リュクレーヌが似合わない小さな声で言った。ちょっと待って、今なんて?
ファントムに──会った?
「あれ……でも十年間、牢屋に入っていたんじゃ」
「その前だよ。奴は仮面の契約を持ち掛ける。満月の夜に……」
言いかけたところでリュクレーヌは黙り込む。窓の外を見てぼんやりとしていた。
「……リュクレーヌ?」
我慢できなくなって、僕は話しかける。
すると、リュクレーヌは頭を上げて目を見開いた。
「あ……ああああっ!」
そして、例の大きな声で叫んだ。僕は両手で耳を塞ぐ。
「何!? 急に大声出して!」
「まずい! 俺は友人を一人失う事になるかもしれない」
「何だって?」
どういう事だ? 全く分からない。友人を失う? 何か大切な約束でもしていたのか? それにしても、こんな夜遅くに?
僕が混乱している中、リュクレーヌは廊下に出てそのままコートを羽織って、シルクハットを被った。
「とにかく! 出かけるぞ! ついてこい」
「出かけるって、どうして!」
僕も慌ててキャスケット帽をかぶった。
だが、リュクレーヌは玄関のドアを開けたまま呆然と立ち止まっていた。
「リュクレーヌ? どうしたの?」
「見るな! フラン!」
そう言われても、目に飛び込んでしまった。
ドアの外で変わり果てた姿となり雪の上を這うメリーさんが。
「ひっ」
僕は声を漏らした。リュクレーヌはすたすたと死体へと近づく。僕も怯えつつ雪を踏みしめてゆっくりと近づいた。
メリーさんは心臓を刃物で刺されているのだろうか、胸にぽっかりと大きな穴を空けていた。
よく見たら、頭も鈍器でかち割られて血が出ている。
ひどい、状態だ。
「遅かったか……」
「そんなどうしてメリーさんが……」
「取材だよ、取材。夕方言っていただろ『大きな取材をする』って」
確かに言っていた。メリーさんは、マスカやファントムの都市伝説について調べていて……まさか!
「もしかして、ファントム本人に取材を!?」
「そうだよ。だが、ファントムの事だ、言葉巧みに契約を持ち掛けるかもしれない」
会うだけのつもりが契約まで持ちかけてくるという事か。たしかに、あり得る。
「でも、そんな急に、今日だなんて」
「今日じゃなきゃ駄目なんだ。ほら、空を見てみろよ」
僕は夜空を見上げた。少し黒い雲はあったが、見事な円を描いた満月が浮かんでいる。
「満月……あっ!」
「ファントムとの契約は今月は今日しかできない」
そういう事か。ファントムに会えるのは今日がチャンスだったわけだ。
「正解〜! 流石、名探偵だね!」
背後から能天気な声が聞こえた。声の方を振り向くと、仮面で顔を覆ったマントの男がいた。
まって、この特徴ってもしかして。
──ファントム!?
「全部、お前の仕業だな。まさか、無理矢理契約を」
慌てふためく僕とは対照的にリュクレーヌは冷たく訊く。
「失礼だな。そんな事しないよ。合意の上の契約だ。成り代わりたい人間が居たみたいでね」
「じゃあ、メリーさんはもう、マスカに……!」
「サービスで成り代わりたい人間も殺しておいたからね、多分転生済みじゃないかな?」
そんな。なんてことだ。メリーさん、どうしてマスカに……
「彼、なかなかしぶとくてね、心臓を刺してもなお、這いながらキミのもとへと向かったんだよ? 健気だから、僕が連れてきたのさ」
そう言いながら、ファントムは足元に転がったメリーさんの死体を鷲掴みにした。
そのまま腹話術の人形を扱うように死体を持ち上げる。
「まあ、もうコレはただの死体だけど」
嘲笑うような声で言った後、ファントムはメリーさんの死体を雪の上へと叩きつけた。
正に、悪魔の所業だった。
「このっ……」
感情が高ぶり、僕はスチームパンク銃を構え、ファントムの方へと向けていた。
だが、引き金が引けない。あれ? 誰かが、僕の右手を握っている?
「へえ、ボク、随分と物騒なもの持っているじゃないか」
ファントムが目の前で僕の手を銃ごと握りしめていた。
──いつの間に!?
「この銃、くれたら見逃しても良いよ?」
そう言いながら、ぎりぎりと音を立てながら僕の手を握る。
「うわあああっ!」
銃とファントムの手が万力のように僕の手を潰そうとする。
痛い。怖い。あの日と同じ恐怖だ。
禍々しい悪魔が目の前に居る。このままじゃ、殺される。
「っ……ううっ!」
それでも駄目だ。この銃だけは、渡すわけには──
その時だった。僕とファントムの間に青い影が差しこんだ。
「フランに近づくな」
「リュクレーヌ……」
彼は僕を庇う形でファントムに杖をつきつけて、威嚇するように低い声で言った。
突如、ファントムの手が離れる。
「怖いなあ。冗談だよ」
「どうだか」
リュクレーヌが冷たい声のまま言う。それでもファントムは飄々とした様子だ。
「まあ、いいや。本来の目的は果たせたし」
「何?」
リュクレーヌが訊く前にファントムはメリーさんの死体の元へと移動した。
「じゃあ、コレは貰っていくね」
そのまま死体を持って、手を振る。まずい、逃げる気だ!
「待て!」
僕たちが後を追うよりも先に彼は死体と共に夜の闇へと溶けるように消えた。
「……まずい事になったな」
「メリーさん……やっぱり、マスカに?」
「だろうな……きっとメリーさんの魂が転生したマスカがいるはずだ」
メリーさん、転生したい人物なんて居たのだろうか。ファントムに唆されたにしても、心当たりがない。それ
どころか──
「手がかりとなる死体が奪われたのは痛いな」
顎に手を当てて険しい表情で言う。
僕は辺りに他の手掛かりがないか見渡してみた。
すると、雪の中に小さな四角い何かを見つけた。
「ねえ、あそこ! 何か落ちているよ」
「遺留品か!」
僕らは遺留品の傍に駆け寄った。
「メモ帳、か」
緑色のメモ帳だった。
「これ、メリーさんのものじゃないかな。たしか、メリーさんも緑のメモ帳を持っていた。ほら、後ろに名前まで書いてある」
「どうやら、メリーさんのもので間違いなさそうだな。じゃあ中身を少し失敬して」
メモ帳の中を見ると、真っ黒だ。
けれども、その文字ひとつひとつが、左から右へと消しゴムでもかけたようにインクの跡が付いている。
「文字が横に掠れているね」
「……あ」
リュクレーヌの動きが止まる。
「どうしたの。リュクレーヌ?」
僕が彼の顔を覗き込むと、随分と真剣な顔で何かを考えていた。そして、深く嘆息を吐き、呟いた。
「お手柄だ、フラン」
「へ? も、もしかしてマスカの正体が分かったの?」
「いや、分からない」
分からないのかよ!
「でも、考えなら浮かんだ。ちょっとその銃、貸してくれよ」
「え?」
「絶対に悪用しないから」
「……いいけど」
僕は『悪用しない』という条件でリュクレーヌに銃を貸した。
「さて、じゃあ行くか」
「え? どこへ」
「決まっているだろ? マスカのところだよ」
マスカの正体は分からないのに? と訊く前に、リュクレーヌは夜道を掛けて行った。
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