ディナーと事件 - 上
◆◆◆
街を歩き、テムズ川に沿って歩くとすぐに市場がある。
肉や魚を主にした新鮮な食材が揃っている。僕らがたどり着くと、リュクレーヌは彩られた市場を呆然と眺めていた。
「こんなところがあったのか」
「早く行こう。売り切れちゃう」
僕はリュクレーヌを急かしながら市場へと足を踏み入れた。
パンに卵にミルク、肉に魚、調味料……うん、品ぞろえがいい市場だ。
僕は晩御飯のメニューをぼんやりと思い浮かべながら食材を買う。あ、そうだ。明日以降保存が利く調味料も買っておこう。本当にあのキッチン、何もなかったからな。
「毎度あり」
「ありがとう」
紙袋に入った品はどっしりと重い。
リュクレーヌはせめて荷物持ちくらい、と荷物の半分を右腕に抱えた。
「随分とたくさん買ったな」
「まぁね。それにしても、あそこの市場は食材が豊富だね」
「そうなのか? 気にしたことなかった……」
「料理はしないの?」
「全く。あらかたの事は得意だけど、家事だけは苦手でね」
そういえばさっき掃除した時、キッチン回りは異様に綺麗だったな。
「リュクレーヌさん」
すると、誰かがリュクレーヌに声をかけた。
聞き覚えがある声だ。誰だろう、と振り向く。
「貴方は確か……新聞社の」
ああ、リュクレーヌに名刺を渡して話を聞いていた新聞社の人だ。
「メリーです。ネオン新聞社の」
「そうだ、メリーさん! どうしたんです?」
リュクレーヌが用件を訊くとメリーさんはにこっと微笑んだ。
「先日のお礼を言いたくて」
「お礼?」
「ほら、マスカについていろいろと教えてくれたでしょう。あの都市伝説の事、記事にしようと思って」
「ああ! そうでしたか。それは、それは」
今度はリュクレーヌが笑みを浮かべる。けれども、その瞬間、メリーさんの表情が曇った。
「ただ……弊社はあまり、そういったオカルト的なゴシップ記事は好まれないんですよね」
「そうなんですか」
「でも。決定的な証拠さえ掴めれば、きっと! 記事になるはずです」
メリーさんは緑色のメモ帳を握りしめ、意気込むように言う。あの都市伝説を絶対に記事にしてやるんだという気迫を感じた。
「うちはネオン新聞社にお世話になっていますからね。記事になったら読ませてもらいますよ」
「はい、是非とも」
再びメリーさんは笑顔を見せた。すると、懐中時計を手に取り、確認する。
「おっと……もうこんな時間か」
「お急ぎですか?」
「ええ。ちょっと今夜は大きな取材がありまして」
「なるほど。取材、頑張ってくださいね」
「はい。では」
そう言って、彼は夕闇へと消えていった。
◆◆◆
事務所に戻ってまずは食材をキッチンに置いた。
僕はそのまま機器を取り出す。早速調理に取り掛かろう。
「さて、と」
食材はそろっているし、作るものは決まっている。
でも。どうせならちょっと粋な事もしたい。
そういえば、さっき掃除をしたときに大きなケーキスタンドを見つけたなあ。アフタヌーンティーでもしようとしたのかな。
あっ……そうだ!
それから四十分ほど経った。僕は「できたよー」とデスクの方へと声をかけた。
キッチンと向かいあう場所に位置する食卓へと食器を運ぶ。
すぐリュクレーヌも食卓へと向かった。お腹が減っていたのかもしれない。
「お待ちどうさま!」
そう言って、僕はダイニングテーブルに置かれた料理を見せびらかした。
三段に積み上げられたケーキスタンドに肉料理と魚料理とサラダとデザートを載せ、ティーカップにはスープを注いだ。
「え……?」
「おいしそうでしょ?」
「いや……あの」
アフタヌーンティーを模したフルコースだ。我ながら頑張ったと思うけど、リュクレーヌは狼狽えている。
あっ、そうか! 何の料理か説明しなきゃ。
「これが桃の生ハム巻き、こっちがサーモンとオリーブのマリネでスープはにんじんのポタージュ、それとローストビーフにトマトのチーズケーキ!」
「待って……何、呪文?」
どうやら、説明をしても分からなかったみたい。
「アフタヌーンティー風のフルコース。ちょっと張り切っちゃった」
リュクレーヌは呆然としていた。が、すぐに目を輝かせた。
「こんなの、絶対に美味いやつじゃん!!!!!」
どうやら、お気に召したようだ。掃除のときにケーキスタンドを見つけて良かった。
「とにかく、食べよう。僕もお腹減っちゃった」
僕達は席に着き、少し遅めの夕食をとる。
「いただきます」
挨拶をして料理に手を付ける。
リュクレーヌは早速マリネを口に運んだ。
「うっっっっま!?」
「でしょー!」
うん、我ながら美味しい。
酢とオリーブオイルの絶妙なハーモニーが新鮮なサーモンと玉ねぎに溶ける。
桃の生ハム巻きは甘味と塩気の互いの調和が見事にマッチしている。
「待って、本当に美味い……頬が落ちそうだ!」
ローストビーフは口に入れた瞬間に肉の旨みが油と共に舌へと伝う。
ソースはバルサミコ酢とスパイスが肉本来の味を引き立てる。
橙色のポタージュは冷えた体を芯から温める。あっ、そういえば。
「スープは明日の分も作っておいたから、朝食べよう。寒いしね」
「本当か! やったー!」
目を輝かせてリュクレーヌは両手を上げる。そこまで喜んでもらえるとは。
あっという間に、リュクレーヌはデザートを口に運んだ。
「あれ? このチーズケーキ、本当にトマト入ってる?」
「うん……トマト苦手だった?」
「いや! むしろ好物だ! そうじゃなくて、トマトがまるでフルーツみたいで……」
「あぁ、それはね。砂糖で煮詰めてジャムみたいにしてみたんだ」
「ジャムはまだあるのか?」
「うん! スコーンに塗っても美味しいよね」
これは今後のメニューにも使えそうだ。ジャムにしたから保存も利くし。
食後、リュクレーヌは「ああ、幸せだ」なんて言いながらお腹をさすっていた。
料理を作ってこれほどに喜んでもらえるのは久しぶりだな。
家族が生きていた時以来、かもしれない。
そうだ、家族と言えば
「そういえばメリーさんの取材って、もしかしてマスカの都市伝説の事?」
「だろうな」
リュクレーヌは首を縦に振る。すると、すぐさまハッとして悲しそうな顔をした。
「悪い! 俺のせいでお前の過去が記事に」
なんだ、そんな事か。
「いいよ。むしろ感謝している」
「感謝?」
「僕、誰にもこの話を信じてもらえなかったんだ」
僕はずっと嘘つきだと言われてきた。何度過去を話しても鼻で笑われ続けた。
「……本当のこと、なのにな」
リュクレーヌはゆっくりと口を開き、零すように呟いた。
「リュクレーヌも、信じているの?」
「もちろん。じゃなきゃマスカ専門探偵なんてやらないだろ」
「どうして信じているの?」
「どうしてって……そうだな、君と同じだ」
「同じ?」
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