追放処分と生きていた名探偵 - 下

◆◆◆


 ルーナ探偵事務所は、教会や音楽ホールのある文化的な街並みを外れたところにあった。


 バンガローという別荘のような造りの家は一人暮らしには少し広い。


 ──もしも、ファントムが生きていたら、どうしよう。


 思えば、何も考えずにここへ来てしまった。今度こそ殺されるかもしれない、と脳内に警鐘が鳴る。


 ──どうしよう。やっぱり帰るべきか?


 玄関先で頭を悩ませていると、ドアが開いた。


「おっ……と」


 ドアから顔をのぞかせたのはあの銀髪のお医者さんだった。


「あっ、あの時の」


「ん? 君は確か、殺人犯」


 人聞きが悪いな。いや、まあ、傍から見たらそうか。


「フラン、です。あの! あの人……探偵さんは、どうなったんですか」


 気になるのは彼の安否だ。


 僕の焦る表情を見て、お医者さんは暗い顔になった。


「最善の処置はしたんだが……」


 そう言いながら、目を逸らして悔しそうな表情をする。


 ──あの人は僕のせいで死んだ。僕が殺した


 現実がずしんと鉛玉のように圧し掛かる。


「ごめん……なさ」


 震える声で謝罪をした。体も口もうまく動かない。


 息が、うまく吸えない。ごめんなさい。言わなきゃ。ごめんなさいって。


 その時、部屋の中からどたどたと大きな足音がした。足音は徐々に近づいていく。



「ブラーチ! 誰か来たのか! もしかして、お客さん?」


 思い切り扉を開けて、紺のスリーピーススーツを着て赤色のネクタイを結んだ男が大声で言った。この大声は……そう、あの名探偵だ。


「あ、あああああっ!」


 生きてるじゃん! それに、さっき大きな足音立てながら走ってなかった?



 滅茶苦茶ピンピンしているじゃん!


「あれ? たしか君は俺を殺した……」


 リュクレーヌは僕を眺めながら、ぼんやりと呟く。


 僕は今それどころではない。リュクレーヌを指差しながら僕はお医者さん──そう言えばさっき名前言っていたな。ブラーチさんに強くクレームを入れるように言った。


「ど、どうして! 最善の処置はしたけど死んだって」


「死んだとは言っていない。私は、『最善の処置はしたが……施す間もなく回復してピンピンしている』と言おうとしただけだ」


 なんて紛らわしいんだ! 先ほどまでとは絶対にジャンルの違う震えが止まらない。


 リュクレーヌは、ブラーチさんの後ろに隠れるようにして僕の様子を伺っていた。


「えっ、もしかして、お客さん?」


「違います!」


「じゃあ、どうしてここの住所が」


「これ!」


 僕は彼自身が配っていたチラシをつきつけた。


「ああ、このチラシ見てきてくれたのか!」


 どうやら納得したようだ。


「まあ、寒いしとりあえず中にどうぞ」


 扉が大きく開かれて、玄関から廊下へと案内される。


この時を待っていた。


「動くな」


 僕は、銃口をつきつける。リュクレーヌは「おっと」と言いながら両手を上げた。


「穏やかじゃないね」


 彼は両手を上げながらも落ち着いた様子で言った。


「お前、ファントムなんだろ!」


「ファントム? 俺が?」


「とぼけても無駄だ! 七年前、僕のお父さんをマスカにしたのはお前だろ!」


 リュクレーヌはやれやれと首を振る。


「だから、知らないって。俺はファントムなんかじゃない」


「じゃあどうして、僕の過去を知っているんだよ!」


 リュクレーヌは幼い僕の出来事を事細かに知っている。


 彼は僕に銃を託したお兄さん──すなわちファントムだから。


 ──そうに、違いない。


 僕は銃の引き金を指を掛けた。


「撃てばいいさ」


「えっ?」


「大丈夫。俺は死なないから」


 リュクレーヌはにっこりと微笑んで言う。


 ──死なない、だと? そうだ、そういえば


「どうしてお前は死ななかったんだ! やっぱり、ファントムだから」


「ああ、それは。ここにいる名医ブラーチ先生が」


「最善の処置を施すまでもなく、ピンピンしていたってさっき言っていた」


 名探偵は困ったように頭を掻く。


「……それは、俺にもよく分かんないんだ」


 そう言って、杖を手に取る。


「けど、俺はとっても運がいい上に──」


「うわっ!?」


 しまった! 持っていた銃は杖で弾かれてしまった。


 丸腰になった僕は、そのまま羽交い締めにされた。


 目の前には木製の床だけが見える。


「ご覧の通り、とっても強い」


 リュクレーヌは僕の背中に跨り、チェックメイトとでも言うように杖で僕の頬をつつく。


「くそ……僕を、どうするつもりだ!」


「別に? どうもしない」


 どうもしない? 既に組み敷いているじゃないか!


「ただ、少しだけ俺の弁明を聞いてもらおうと思ってね」


「弁明?」


「ブラーチ、アレだ。アレ」


 アレって何!? 


「あああっ!」


 突如、背中に刺さるような痛みが襲う。それだけじゃない。みるみるうちに全身を痺れが包む。


 感覚が、どんどん失われていく。


 ──何が、あった?


「安心しろ。暫く動けなくなるだけだ」


 ブラーチさんが淡々と言う。どうやら、注射の様なものが刺されたみたいだ。


「ブラーチ。子供相手なんだから手加減してやれよ」


 リュクレーヌは僕の方をニヤニヤと見ながら言う。すると、急に僕に跨るのをやめて立ち上がった。


 反撃のチャンスだ。僕は立ち上がろうとした。


「だからっ……子供じゃ……あれ?」


 おかしい、体が動かない。


「あー、無理無理、動けないでしょ? これ、っていう魔術なの。この人医術師って言って、お医者さん兼魔術師だから」


「医術……師?」


 あれ、たしかアマラ軍での裁判の時もそんな言葉を聞いたな。


 そうか、医術師は魔術を使い、人の治療を行う専門職の事だ。


「ブラーチはアマラ軍の武器も監修してんだ。すごいよな」


 そう言いながら、リュクレーヌは廊下を出た。


 なるほど、アマラ軍の武器の監修。オクト曹長がへこへこしていた理由はそういうことか。


 って、それどころじゃなかった!


「そんな、ことよりっ……弁明って、お前は!」


 リュクレーヌは再び僕の目の前に立ちはだかる。そして、一枚の紙を見せつけた。


「これ、見てよ」


「え……なにこれ……釈放……届?」


「俺、捕まってたんだよ。10年前からつい1週間前まで……ずっとね」


「そんな……じゃあ」


「つまり、アリバイがあるってことだ」


 彼はつい先日まで過去十年間獄中生活を送っていた。


 だとしたら七年前、僕の元に現れるのは不可能だ。


「10年なんて……一体何を」


「ああ、俺、伝説の詐欺師だったから」


 ええ……詐欺で十年って……


 胡散臭さがさらに増した。


「分かってもらえたかな? 俺はファントムではない」


 でも、アリバイがあるのは確かだ。


「なん……だ」


 やっぱり、僕の勘違いだったのか。抵抗する力を弱めると、次第に術もみるみる弱まっていく。


 ブラーチさんも拘束を解いてくれたようだ。


 すべて、僕の勘違いだった。


「ごめんなさい」


 僕は深く頭を下げた。間違いで二度も銃口をつきつけてしまった。


 頭に、ぽん、と手のひらが置かれる。


「誰にだって間違いはあるから、気にすんな」


 顔を上げると笑顔のリュクレーヌがそう言った。


死にかけたのに、優しすぎない!? まあ、撃ったの僕だけど。

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