都市伝説と名探偵 - 上
モスグリーンの軍服を着て、僕らはロンドンの街中を練り歩く。
強い風に吹かれて胸に付けた小さな勲章が揺らめいた。
寒いなあ。辺りには雪が積もっている。
あ、ちょっと……待って!
「う、わぁっ!」
足元を取られて、僕は水分を含んだ雪へと見事に倒れこんでしまった。
冷たいし気持ちが悪い。
「フラン、情けねえなあ。ガキじゃねえんだから」
僕と一緒に歩いていたカプリス先輩は、厳しい口調で言う。
「ま、ガキみたいな顔してるけどな」
うっ……それを言わないで。
もう一人の先輩、テンプ先輩は笑いながら僕のコンプレックスを刺激した。
気にしているんだよ、それ。
「すいません……」
僕は重い腰を上げる。頭についた雪を手で払い帽子を被りなおした。
直毛でさらさらの金髪に澄んだ水色の目、これだけ聞くとかっこいい大人に思われるかもしれない。
けれど、この童顔のせいで十七歳になってもいまだに子供扱いだ。それも、しょっちゅう。
「ほら、コートにも雪、付いてるぞ」
「あっ、本当だ……」
軍服の上から羽織った焦げ茶色のコートにもベッタリと雪はついていた。僕は革の手袋で強く叩くようにして払う。
「アマラ軍になったっていうのに、そんな事で大丈夫か?」
「は、はい……」
アマラ軍。それが僕たちの着る服が意味している所属だ。
一九〇〇年英国ロンドン。
幼い日の出来事から七年が経った。
あの化け物はお兄さんの言った通りマスカと呼ばれ、人類に脅威をもたらしていた。
「アマラはマスカを倒すっていうのによ。まさか、こんなガキが入隊するとはな」
マスカと戦うために国はアマラという人材を育てた。マスカを倒す武器を扱う特別な訓練を受けた軍人だ。
「ママー! みてみて、アマラ軍だ、かっこいいー!」
「あら、本当ね」
街角ですれ違った親子が僕達の方に微笑みかける。僕もにこりと笑って手を振った。
「まあ、このナリだ。マスコットにはちょうどいいんじゃねえの?」
「なるほど! でも、こうやって女子供に声かけてもらえるなら、見習い兵の子守も悪くねえな」
僕は見習い兵としてアマラ軍の本部に配属された。一応、マスカと戦う事が出来る、立派な軍人になった──はずだった。
「あの、今日のお仕事も散歩ですか?」
「パトロール、な。マスカが居ないか見回り……つっても、マスカが街に出ることなんてほとんど無いけどな」
テンプ先輩は笑い飛ばすように言う。僕は「でも!」と食い下がった。
「も……もしも、マスカが出たら」
「そのときは本部に連絡。俺達下っ端は上長が来るまで時間稼ぎの応戦だ。とどめは上長に刺してもらう」
「はあ……」
見習い兵と指導役の一般兵。下っ端である僕たちの仕事なんて、こんなものだ。
マスカとの応戦なんて一度もない。昨日も一昨日も。ずっと。
「にしても、本当にマスカいねえな」
「言ったろ? 街中にいる事なんてほぼ無いって」
「じゃあ、本当に散歩だな!」
カプリス先輩がケタケタと笑う。だが、すぐに俯いて「あーあ」と暗くつぶやく。
「俺達はマスカぶっ殺したくてアマラになったのに……」
彼は拳を握りながら物騒な事を呟いた。
「先輩は……マスカに恨みがあるんですか?」
僕は、おずおずと尋ねた。
「ん? ああ、そうか、お前には話した事なかったよな」
「俺達、マスカに友達を殺されてるんだ」
「そうそう。アマラになる奴なんて大体そうだよ」
「それが、まさかこんなつまらない仕事だとはな……」
愚痴を言いながらテンプ先輩は雪を蹴った。
「お前もそうだろ? フラン」
「え……ええ、まあ」
急に話を振られて僕は適当に答える。
僕はマスカに兄さんたちを殺されている。
だが、そのマスカは父だった。父は、騙されたのだ。だから知っている。本当に悪いのは、マスカではない。
黒幕は、マスカを作ったファントムという悪魔だということを。
「マスカもさあ、自分の体に機械を入れて国と戦うなら、関係ない人間殺したりするのはやめてほしいよな」
けど、何故だかファントムのことは公に知られていない。
マスカは国に対して不満を持つ民たちが
「デモだか何だか知らねえけど、人体改造して一般人を殺してまで国を変えたいかねえ」
「本当にな。もはやただの兵器じゃねえか」
ようするに、マスカの正体は国賊が人体改造を施した兵器。
マスカと戦う僕達アマラもそう教えられてきた。
ファントムなんていう悪魔の名前を聞いたのは、七年前のあの日が最後だった。
「兵器……か」
僕は、地面の雪を見ながら小さく呟いた。
「なんだよ、フラン。暗い顔して」
「いえ……その」
「なんだよ。失恋でもしたか? お兄さん達に言ってみろって」
「えっと……」
言ってみろ、と言われたのなら試しに言ってみるべきか?
僕は、勇気を出してマスカについて、本当の事を知っているか、尋ねてみることにした。
「先輩たちは、マスカの……本当の正体を──」
──知っていますか?
そう、言いかけた時だった。
「ご通行中の皆さあああん!」
びりびりと、石畳とレンガを震わせてしまいそうな大声がこだまする。
大声なんてかわいいもんじゃない。これは騒音だ!
い、一体なんだ? と思いながら僕は耳を塞ぐ。
「何だ、あれ?」
先輩達は変なものを見る目で、声の主を指差す。
大通りを挟んで反対側の歩道に、ロイヤルブルーのコートを着た男がいた。
「ルーナ探偵事務所、本日オープンでーす!」
間違いない。彼こそが大声で呼びかけた犯人だ。
顔は、ここからじゃあ離れていてわかんないや。遠い上にあの人、コートと同じ色のシルクハットを深く被っているし。
探偵、か。よく見たらあのコート、探偵がよく着ているインバネスコートだ。色は青だけど。
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