七年前の約束 - 下

「……え?」


 化け物の腕に付いていたナイフが無くなっている。


『ヴアッッ!!ヴアアアアアッッ!!』


 それに気づいた化け物はじたばたと暴れだした。


 その時だった。何処からともなくズガン、と音がする。


 銃声だ。


 放たれた弾丸は見事、化け物に命中する。


『ヴっ……ううううっ……うわああああっ!』


 刹那、あれ程大暴れをしていた化け物はその場で倒れ込み、爆散して消滅した。


 家はもうボロボロだ。土埃が舞う。


「ごぼっ……ごほごほ」


 ぼくがせき込むと土埃の中を人影は歩み、どんどん大きくなっていく。


「誰?」


 土埃に覆われていて姿は分からないままだ。


「遅くなってごめん。君のお父さんを、あんな姿にしたのに」


「あの化け物は何? お父さんって、どういう……事?」


 人影に訊く。


「あの化け物はマスカだ」


「マスカ?」


「君のお父さんが契約した仮面によって、生み出された機械仕掛けの化物だよ」


 思っていたよりも素直に返事は返ってきた。


「あの化物……マスカは、ぼくの父さんなの?」


「あぁ、君のお母さんを永遠に生かしたい。そう願ったお父さんが、仮面を契約してお母さんに転生した。そして、お母さんの皮を被った化け物になった……」


 ──父さんが、母さんに転生?


 状況は掴めない。だが、ようやく土煙が晴れて一人の男が現れた。マントを着て仮面を付けた男が。


「……おまえは!」


 一ヶ月前、父に仮面を売り、契約を交わした人物だ。間違いない。


「あぁ、君のお父さんをこんな化物にした……この仮面を売った張本人だよ」


 ──という事は、彼がこの惨劇の犯人!


 ぼくは男の元へ駆け寄り、涙を流しながらマントを鷲掴みにした。


「よくも! ぼくの家族を……!」


 ぼくが握りしめたマントにはぽたりと落ちた涙がシミを作った。 


 ──全部、この人のせいで! 


ただ、ただ憎かった。家族を奪った、この男が。


 けど、男は冷静だった。ぼくとは対照的に。


「気持ちはわかるが、聞いてくれ。僕は仮面を売った奴と同じ体を持っているが、中身が違うんだ」


「どういう、こと?」


「僕の体には魂が二つある。一つは今ここにいる僕の魂。もう一つは、君の父さんに仮面を売った悪魔……ファントムの魂だ」


 ──ファントム? 二重人格か? 


 ぼくは考えようとしたが、彼の肉体には悪魔が宿っている。


 警戒した。


 今度はぼくが殺されてしまうのではないか、と。


「ぼくを、どうする気だ? なんの用でここに来た!」


 ぼくは訊いた。男は指を二本立てて「二つある」と言った。


「一つは、君を助けに来た」


「助けに?」


「あぁ。あの仮面をつけた者は一ヶ月経つと自我を失った化物になり、ファントムの意のままに人を殺す」


 男は仮面を売った張本人だ。契約を交わした人間がどうなるかを簡潔に説明した。


 つまり、父さんは契約から一ヶ月が経ったから化け物になった。


 そして、悪魔の意思のままに兄さんたちを殺した。


「君たち家族が危ない。そう思ったからここに来たが……一足遅かったようだ。すまない」


 男は申し訳なさそうにぼくの頭を撫でた。


 ぼくは助かった。しかし、兄さんたちは殺されてしまった。


 もし、この人が来るのがあと一歩遅ければ、ぼくも兄さんたちのように殺されたかもしれない。

 

 ──そのほうが良かったんじゃないか? 


兄さんたちに先立たれて父さんも母さんも居ない。ぼくは、一人ぼっちになってしまったのだから。


「……」


 複雑な心の内を吐き出せないまま、ぼくは沈黙した。


 すると、男は痺れを切らすようにもう一度口を開く。


「時間がない。もう一つの要件を聞いてくれ。僕は託さないといけないものがある」


「託す?」


「あぁ、この銃を……君に託そう」


 男は、銀色のスチームパンク銃をぼくに手渡した。


 新品だろうか。ぼくの顔が映るほど輝いている。


 これで、先ほどのマスカを倒したのだろうか。


「これ、を?」


 手のひらにずしりとした重みを感じる。


 これが大切な物だという事は分かるが、ぼくに託された理由は分からない。


「いいか、よく聞いてくれ。僕は今、ファントムの魂を制御している。しかし、長くは持たない」


 時間が経てば、男の中にある悪魔の人格、ファントムが出現するというのだ。


「ぼくは、どうすれば?」


 質問に対して、男は自身の顔を覆っていた仮面を取った。

 

 声や口調の印象よりもずっと若い青年だった。僕より十歳くらい年上──兄さんたちと同じくらいだろうか。


 それに、やけに整った顔をしている。


 夜空の色をした紺色の髪の毛を照らすような黄色い満月の瞳は、ぼくの方をじっと見つめた。


 まるで、夜を擬人化したようなその姿に吸い込まれてしまいそうになる。


「もしも、君が今後僕に会う事があれば……その時は僕を殺してくれ」


「なっ……!?」


 ──殺す!? ぼくが……この人を?


 当然、狼狽えた。


「その時にはこの銃を使えるようになっているはずだ。いいか。この銃で、僕を撃つんだ」


「そんな……できないよ! そんなこと!」


「頼む! 君の家族のような犠牲を出さない為なんだ」


 犠牲? これからも父のような仮面の化け物が現れるとでもいうのだろうか。


 男は真剣に僕を説得する。とても嘘を言っているようには見えなかった。


「……約束、してくれないか?」


 男は、まるで懇願こんがんするように僕を見つめる。もう、こうするしかない。最後の手段なんだ、というような眼差しで。


「……分かった」


 本当に僕にしかできない事かもしれない。僕は恐るおそる頷いた。


「いい子だ」


 男はそう言って微笑みかけると、もう一度ぼくの頭を撫でた。しかし──


「……うっ……ぐうっ……ああああっ!」


 彼は突如頭を押さえて苦しみはじめた。


「ちょっと! 大丈夫!? お兄さん!」


「ぐっ……ぅ……はぁ、もうすぐっ……ファントムが……うぅっ! 逃げるんだ!」


男は必死に頼む。


「今ここで、ファントムの人格が現れた場合……君の命はない!」


「でも!」


 苦しんでいる彼の事を放っておけない。


「いいから、逃げろ!!」


「っ……」


 強い口調にぼくは怯んだ。


 結局、最後の忠告も素直に聞いてぼくは森へと逃げた。


 

 彼がその後どうなったかは、七年経った今も分からないままだ。

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