七年前の約束 - 中

 一夜明け、居間の机に一枚の紙切れが置いてあった。


 フェルシュ兄さんはそれを手に取り


「なんだ? これ」


と口にした。


「ええと……『しばらく仕事で留守にします』だってさ」


 フォーリス兄さんは淡々と言う。僕もそのメモを見て気づいた。


「父さんの字だ」


 父さんは書き置きを残して家を出て行ってしまった。


 兄さんたちは寂しそうにする素振りを見せたが、仕事なら仕方ないと割り切ったようだった。


「フォーリス、フェルシュ、フラン。洗濯をするから早く着替えなさい」


「分かったよ、母さん」


 対照的に、母さんの体調はみるみるうちに回復した。


「それにしても……母さん、すっかり元気になったね」


 フェルシュ兄さんが言うと母さんは微笑みかける。


「ええ。貴方たちのおかげよ。今夜はシチューを作りましょうか」


「やったー!」


 献立を聞いてフォーリス兄さんがガッツポーズをする。しかし、ぼくの方を見ると表情を歪めた。


「……って、フラン。どうしたんだよ?」


「え? な、何?」


 ぼくはひどく不安だった。満月の夜、仮面の男と交わした契約が関係あるんじゃないか、と。


「シチューだってよ。夕飯」


「そう……」


 けれども、兄さんたちはぼくの気持ちも知らずに母さんの回復を喜んだ。


 それから、母さんは見違えた様に働き僕たちとも明るく接していた。

 

◆◆◆



 契約から一ヶ月が経ち、再び月は満ちていた。


 深夜、ぼくたちがぐっすりと寝静まっていた時の事だった。


 ドカン! と目が冴えるような爆発音と地鳴りがした。


「何だ!」


 フォーリス兄さんが様子を見に行く。爆発が起きたのは居間の方だ。


「おい、フォーリス!」


 フェルシュ兄さんも後を追う。


 ぼくも付いて行こうとした。けど、嫌な予感がしてぴたりと足を止めた。


「待って。行かないで!」


 兄さんたちは居間へと向かった。そして──


「う、うわぁぁぁあぁあああっ!!!」


「ぎゃああああっ!!!」


 二人分の悲鳴が響く。まるで、断末魔のように。


「フォーリス兄さん! フェルシュ兄さん!」


 兄さんたちの様子が心配になって、ぼくも遅れて居間へと向かった。


 しかし、そこに広がっていたのは地獄だった。


「……なに……これ?」


 家族団欒を象徴していた居間は瓦礫と化していた。ぼくは辺りを見渡す。


「兄さん……どこ」


 いた。兄さん達は瓦礫の影に倒れている。気を失っているのだろうか?


 僕は二人の元に近づいた。


「兄さ……」


 だが、見てしまった。既に兄さんたちは跡形もない状態になっていた。


「う……うわぁぁぁっ!!」


 頭部と胴体が引き離されている上に辺りにははらわたなどの臓器が飛び散っていた。


 兄さんたちの血肉は瓦礫が飛び散る床を紅へと染め上げていた。


「どうして……どうしてこんなこと……嘘だ……こんなの」


 僕は、〝兄さんたちだったもの〟に寄り添う。


「起きてよ! フェルシュ兄さん! フォーリス兄さん!」


 現実をまだ飲み込めない。


 どうか、生きていてくれ。そう願っても、腕に抱いた兄さんたちの頭部は目覚めることなく冷たくなっていった。


 ──兄さんたちは、死んだ?


 ようやく、何が起きたのかが分かった。目頭がじんわりと熱くなり、せきを切るように涙があふれた。


「たすけて、母さん……どこにいるの」


 ぼくは泣きながら母さんを探した。


 瓦礫をどかしながら痕跡が無いかを確かめた。けれども、どこにも居ない。攫われてしまったのか?


 ──誰がこんなむごい事を?


 頭の中で自分に問う。誰もいないのだから答えなんて返って来やしないのに。


『ぅ……ヴ……』


 声だ。苦しそうなうめき声。もしかして、母さんのものだろうか?


「母さん?」


 違う。


「……っ!?」


 答えはぼくの瞳に映っていた。


『ヴ……ヴウウウ……』


 声の正体はぼくよりも一回りも二回りも巨大な銅の筐体だった。


 錆びだらけの歯車で構築された、機械仕掛けの化け物だ。


 楕円形の体はシュンシュンと蒸気を発しながら、ぎこちなく動いていた。


 ギギ、ギギギィ、と軋む音がする。


 腕を模したような長いアームの先端は鋭いナイフのようになっていた。


 そのナイフはべったりと紅に塗られていた。


「うそ……でしょ?」


 ──もしかして、兄さんたちの血か? 何がどうなっているんだ? 


 分からない。考えても、分からなかった。


 ぼくは、はくはくと呼吸を乱しながらパニックに陥った。


 ──兄さんたちはこの化け物に殺された? いったいどうして? 


 夢ならとっとと覚めてくれ。


 いや、こんなもの現実であってはいけない。どうか夢であってくれ!


 そう祈ることしかできなかった。


『ヴアアアアアッッ!!!』


 機械の腕はギシギシと異音を立てながら振りかぶる。兄さんたちの命を奪ったナイフが、ぼくの方へと向かう。

 

 ──あぁ、ぼくも兄さんたちの所へいくんだ。


 ぼくは、死を覚悟した。


『ヴァ……?』


 けれども、その刃はぼくに刺さることなく化け物は動きを止めた。

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