マスカレイド・ラビリンス

宵之祈雨

七年前の約束 - 上

「……次、会ったときには殺してくれ」


 満月に照らされた彼は、ことづけた。


 ──ぼくは、彼を殺さなければならない。


 それは、家族を殺されて、全てを失ったぼくにとって、白い紙に垂れた一滴の黒いインク染みのようだった。


「……分かった」


 ぼくたちは交わした。決して消すことができない約束を。

 


◆◆◆



 一八九三年。ぼくはイギリスのコッツウォルズという田舎町に住んでいた。


 ぼくの家──コンセルタ家は農業を営んでいた。


「あれ? フラン、お前は畑に行かねえの?」


 上の兄であるフェルシュ兄さんがぼくに訊く。


「うん。ぼくは母さんのお手伝いをするんだ」


「手伝い? 何の?」


 下の兄であるフォーリス兄さんが訊いた。


 すると、隣の部屋から母さんが洗濯物を持って言った。


「フランは料理のお手伝いをしてくれるのよ」


 十歳だったぼくは、父と畑を耕すよりも母と家で料理をすることの方が多かった。


「昨日のポテトサラダもぼくが作ったんだ」


 僕がえっへんと胸を張りながら言うと父さんが目を丸くした。


「あれはフランが作ったのか! 母さんに似て、料理上手なんだな」


「もう、あなたったら」


 母さんが照れながら父さんに言う。


「じゃあ今日の晩御飯も楽しみだな!」


 フェルシュ兄さんが言うとフォーリス兄さんが「あっ」と何かに気づいた。


「兄ちゃん、独り占めすんなよ!」


「しないって!」


「あはは、兄さん達が喧嘩しないように、たくさん作っておくね」


 家族が喜んでくれたから料理をすることが好きだった。


「ぼく、大人になったらシェフになって、うちで採れた野菜を使った料理を作りたいんだ!」


 そんな、ささやかな夢を見ていた。ぼくは家族五人でお客さんを幸せにするレストランを営みたかった。


「フランが料理人かあ。毎日、お客さんが殺到しそうだな。」


フェルシュ兄さんが僕に微笑む。フォーリス兄さんも「よし!」と声を上げた。


「俺達もがんばらねえとな!」


「ああ!」


 兄さんたちもいっそう張り切っていた。


「よし、今日も畑に行くぞ!」


そう言って父さんと兄さんたちは畑へ行く支度をした。


 ぼくたち家族は決して裕福ではなかったけど、幸せだった。


 ──そう、幸せだったんだ。


「ゴホッ……ゴホッ」


「母さん?」 


「大丈夫よ、咳が出た……だけ」


 か細い声で言いながら母さんは床へと倒れ込んだ。


「母さん!?」


「おい! どうした!」


 ぼくの声に気づいて父さんも駆けつけた。


「母さん! 返事をしてくれよ!」


「母さん!」


 兄さんたちも母さんに駆け寄った。



 幸せは、長くは続かなかった。


 母さんが病気で倒れたことで、ぼくたちの運命は大きく狂うことになる。



 それから、母さんは寝たきりの生活を送る事になった。


 お医者さんにも手の施しようがない謎の病魔にむしばまれて、日を追うごとに弱っていった。


「お母さん……死んじゃうのかな」


 不安で胸がいっぱいになりながら、ぼくは呟く。


「何言ってるんだよ! そんなわけないだろ!」


 フォーリス兄さんは強く否定した。すると、フェルシュ兄さんがぼくたちの肩をぎゅっと抱く。


「大丈夫だって! 母さんなら、きっと……」


 自身に満ちた声だったがフェルシュ兄さんの手は震えていた。


 ぼくたち兄弟は皆寂しかった。母さんが居なくなってしまうのでは、と案じていた。


「……どうすれば、いいんだ」


 父さんもぼくたちの心情を察して、母さんの命を救う方法をなんとか模索していた。



◆◆◆



 数週間が経ち、母さんが倒れてから初めての満月の夜だった。


 ぼくがトイレに行きたくなって起きると、父さんは居間で両手を組み目を瞑っていた。


「父さん……?」


 ぼくが声を掛けても父さんは黙ったままだ。眠っているのかと思ったけどそうじゃない。


 ずっと、祈っていた。満月の方を向いて熱心に。


 すると、その時だった。月明かりから徐々に像が浮かび上がる。


 マントを羽織った男が現れた。顔は分からない。黒い仮面を付けていたから。


「ボクを、お呼びでしょうか? コンセルタさん」


 男は落ち着いた声で父さんに問う。


「妻を……妻の命を助けて欲しいんだ」


 父さんが縋るように呟くと男はしばらく考え込む。


 すると、男は両手を広げてマントをなびかせて


「そんな貴方に嬉しいお知らせです!」


 と、大層嬉しそうな声で言った。


 すると、男は顔に付けている仮面と同じものを父さんに見せびらかす。


「この仮面を使うと、死後、好きな死体に転生する事が出来ます」


 ──転生だって? どういう事だ?


「貴方は記念すべき一人目のお客様ですからね。特別サービスで、代金は無料タダにしますよ!」


  ──父さん、こんな奴の言う事なんて聞かないで!


 絶対に怪しい。とても嫌な予感が頭を過る。


「さぁ、契約しますか?」


 ──だめだ……だめだよ! 父さん!


 最後に見た父さんの姿は、男が持っていた仮面に手を伸ばしていたところだった。


 契約は、成立してしまった。

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