第二節
「まったく。ネイトを弟子にしてから、ああいう矮小な事件ばかりだ」
レーアは嘆息混じりに隣のネイトにぼやく。
「事件に大きいも小さいもないと思います。魔法の秩序を脅かし、善良な市民を苦しめている点においては、罪もまた平等です」
人差し指を立てながらなぜか偉そうに説いてくるネイトに、レーアはうっすらと腹が立った。
「よく言えるな。自分だけでは人一人助けられずにやられっぱなしだったやつが」
「う。でもレーアさん、そうは言いますけど、そんなに死刑相当の事件を受任したいんですか? 昔みたいに?」
「いつか言っただろう。私が喜びを感じるのは、魔法を否定する者を葬る瞬間だ」レーアは肩をすくめて、「あの三人も禁獄では甘すぎたんじゃないか。死刑でよかったかもな」
ネイトは眉をひそめて言う。
「そんなこと言ったら穏やかじゃありませんよ、レーアさん。第一、あの三人を死刑になんてできるわけないじゃないですか。あいつらまだ若いですし、なんだかんだで更正の余地だってないわけじゃなさそうだし。そもそも断罪ノ魔法では、死刑に処せるのは謀殺犯などの──」
その生意気な抗議に、レーアは手のひらを上下させながら言葉を割りこませた。
「やめろ。言われなくてもわかっている。弟子のおまえに教戒される筋合いはない」
「だったら」
「ただの愚痴」
助けた相手であるはずのネイトに困ったような笑みを浮かべられて諭されているのが、この上なく気に入らない。もう一度その柔らかそうな頬をつねり、いっそちぎってやろうかとも思ったが、これではますますこの年下の弟子に大人げなく思われそうで、やめた。
断罪ノ魔法──臣民の罪と刑について定められたこの魔法では、その第三編第一〇条において傷害の罪が規定されている。そこには最重でも禁獄刑、すなわち、帝都の地下深くにある大監獄に強制転移させる刑が定められているに留まり、死刑の定めはない。
法官が罪人と出会えば、その場が法廷となる。法官は罪人のスティグマから、裁判に必要な真実を読み取ることができる。そのあとに法官が科することのできる刑罰は、すべて魔法によって限界づけられているのだ。魔法に反して独断で死刑を科そうものならば、今度はレーアが罪人となってしまう。
無論、わかっている。わかっているからこそ、レーアは今まで、殺人事件を好んで受任し続けてきた。魔法に法定された死刑の名目の下、合法的に罪人の命を絶ち、魔法の守護者たる充足をこの上なく得ることができる事件を。
だが、殺人事件が自分に配当される数も激減している。魔法の秩序がこの帝都に行き届き、平和になったからでは、もちろんない。アムゼル・フォイエルバッハ──自分の師匠たるあの男だ。彼が自分にネイトを弟子としてあてがい、その面倒を見るよう計らわれてからだ。
「良かったじゃないですか。僕はともかく、あの子を助けられたんです。あの子、すぐにいなくなっちゃったけど、レーアさんに感謝していますよ。絶対。間違いなく」
「どこが。あいつ、感謝なんてしているようには見えなかったが」
むしろあれは、恐れられていたのだ。
“法令遵守の虐殺者”。
レーアは六年前、ノウェイラ軍の敵兵を数千人処刑し、大局を一気に休戦協定の締結へと運んだ。その後、帝都における内国勤務に配置転換されたあとも、無数の殺人犯を処刑し続けた。そんな彼女に与えられた異名がこれだ。この二つ名で自分を呼ぶ者が、自分に感謝をした例しなどない。あるのは、畏怖、忌避、憎悪、そんなところだ。
「たとえそうでも、いいじゃないですか」
無垢な笑顔を満面に浮かべて、ネイトはあっけらかんと言う。
「僕のいたノウェイラでは、警察は賄賂がないと動きません。裁判官だって、当事者の思想で判決を書き分けるんです。それに比べたら、レーアさんのしたことは間違いなく“正義”です。それで十分じゃないですか。ね?」
ネイトの青紫色の大きな瞳が、自分の顔を覗き込んでくる。こういうとき、彼の方が年下なだけではなく、自分よりも背丈が少しだけ低いこともあって、ふと主人によくなついた子犬を連想してしまう。
だが、今はまるで自分が拗ねている子供で、年上のきょうだいに言葉巧みになだめられているかのようでもある。なんだか面白くない。むかつく。レーアはぷいと目を背けて、
「くだらない。感謝されたくて法官を続けているわけじゃない」
「あ、忘れるところだった! 感謝といえば!」ネイトが両手を叩きながら声を上げた。「レーアさんへのお礼の手紙を預かってるんです!」
ネイトがいそいそとボディバッグから取りだしたのは、飾り気のない白い封筒だった。
聞けば、レーアが以前に受任した事件の当事者の女性からの手紙だという。ネイトはそれ以上に事件のことを聞いていないようで、どこの誰かということまでは知らなかった。
とりあえず受け取り、封を解いてみると、中には数葉の上質な便箋が入っていた。そしてそこには、懇切丁寧な字で、確かにレーアに宛てた文章がしたためられていた。
文章は自己の名や住所を紹介するくだりから始まっていたが、レーアには思い出せなかった。いや、想起できないということは、きっと名前を知らないのだ。
ただ、自分がいかなる事件の当事者であったかを説明するくだりになって、レーアはようやく手紙の主に思い当たることができた。
この事件は、いつだっただろう。その時はネイトがまだいなかった。だから、一年以上は前の話だ。
──どうして!? どうしてもっと早く来てくれなかったの!?──
事件現場に駆けつけたとき、この女性は血だまりの上で、原型の伺い知れない赤い塊を抱えながら、レーアにそう叫んだ。だが、レーアは特に何も返事をせず、その非難を甘んじて身に受けた。
レーアはその後、犯人を見つけ、処刑し、魔法の秩序をまたひとつ回復した。レーアにとって、この事件はそれですべてだ。それ以上でも以下でもない。
だが、手紙はレーアに対する謝意に溢れていた。事件を解決してくれたことへ謝恩の情。そして、いやしくも非難の声を浴びせてしまったことに対する後悔と謝罪もあった。
手紙の女性はこうも言った。
あなたのおかげで、私の人生が救われた。
あなたは、私の英雄であり、救世主。
だから私も、あなたのため、魔法の秩序のために、自分にできることをします。
「…………」
自分はただ、魔法を否定する者を殺したいだけ。遺族などから非難されることも、慣れている。だから特段何も感じない。
逆に感謝されることも、やはり何も感じない。感じないようにしている。感謝などしてしまえば、人を助けてよかったなどと思ってしまえば、助けられなかったとき、きっと心に無駄な傷を負う羽目になる。
何より、感謝されたくて法官をしているわけではない。
結局レーアは、便箋を乱暴に折りたたんで封筒にしまってしまうことにした。
「良かったですね、レーアさん」
ネイトがまた、見透かしたような微笑を浮かべてレーアの顔を下から覗き込んでくる。
「その人の不幸は完全には癒えなかったかもしれないけれど、レーアさんがいたおかげで新しい明日を歩めるようになったんですね。……いててっ! ちょ、何するんですか!」
「何をもっともらしいことを言っているんだ、おまえは」
今度こそちぎってやろうかという勢いでネイトの頬をつねり、弟子に対する峻烈な不愉快さを隠さずに睨みつけた。それから手紙の封筒を押しつけるように突っ返す。
「手紙は処分しておけ。こんなもの、貰っても嬉しくない」
「またまた」
「またまたじゃない」
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