終章 いずれ空へと続く道

第108話 それは分かれた道の果て

 たとえその先が行き止まりだと分かっていても歩みを進めるものは必ずいる。あるかもしれない得難き報酬を求めて。ましてや引き返せる事を知っているのならば全てに寄り道する者すらいるかもしれない。


 キリコが元いた時代のこと、つまり現在より随分と先の未来において、なんだかんだ紆余曲折あって日本は崩壊した。天変地異とか核戦争とかそんな大規模な話じゃなくて、単純に自国の経済が回らなくなって。結局この国はバブル崩壊以降復活を遂げることなく潰えてしまった。

 そして合衆国の国旗に星が一つ増えた。本当はその前に一悶着あったのだけれど、その当時の事を誰も口にしようとはしない。誰しも嫌な記憶からは目を背けたいのだ。

 そんなあり得るかもしれない未来において。

「ようやく見つけた。リーゼロッテ……いえ、不滅の魔女」

 不滅の魔女、御伽話に出てくるその名でリーゼロッテを呼び捨てる女がいた。敵意を隠そうともしないその態度はまるで誰かによく似ている。もっとも彼女がその誰かを知っているはずなどないのだが。

「おや?予想よりも随分と早い到着だね、黒峰真希君」

 黒峰真希、リーゼロッテは明らかに敵対姿勢の女を確かにそう呼んだ。どこまでも深い闇のような黒い髪と何色とも形容しがたい虹のような瞳を持つ女、そして白銀桐子の幼馴染で親友でもある。だが、桐子と幼馴染のはずの彼女は明らかに大人びた容姿をしていた。それもそのはず、この未来において桐子が失踪してからすでに7年もの月日が経過しているのだから。

「瞳の調子はどうだい?」

「最高。ならず者にしては意外と気が効くのね?」

 真希の瞳の特徴は何もその外見だけにとどまらない。桐子に刺されて以降発現することとなった何もかもを透過し文字通りの万象を見据える目、どう考えても人の手には余るであろうそれを真希は気も遠くなるような訓練の末に扱えるようになった。

 しかし、ごく親しい身内しか知り得ないそれを初対面の筈のリーゼロッテが何故知り得ているのか?真希の警戒心が否応にも高まる。

 もしこの場に見知らぬ第三者がいたのならば一目散に逃走を図っただろう。しかしながら、並大抵の胆力でそれが叶う状況とは到底思えない酷い環境であった。

「私の前に現れた以上、君の意思は固いのだろう?」

「当然。リーゼロッテ、貴方を排除する」

 何もかもを知っているかのような堂々たる態度で現状を受け入れるリーゼロッテに対して、真希は指を突きつけて宣言した。彼女は黒峰真希、人の世の起こりから続く人ならざる者を排除する血筋の末裔であるからして。

「いやあ、あの黒峰から直々に名指しされるなんて私もなかなか大物になったようで感慨深い。でも良いのかい?ただちょっと魔法が使えるだけで曲がりなりにも私は人のはずだけれどね」

 その言葉とは裏腹にリーゼロッテは黒峰の存在をずっと昔から認知していた。その上で接触もした。白銀桐子を黒峰に深く関わらせ、黒峰真希が産まれる様に細工もした。全ては自身の悲願を達成する為に。

 だが、その一方で彼女は答えの出ない悩みを抱えていた。

 人と魔を隔てる壁は一体なんなのかと。

 リーゼロッテ自身の出自は農村にある。もう何百年と昔の話だからその記憶も朧げになってしまったが、人として生まれ人として生活していた記憶が確かにあった。両親に愛され、日々の暮らしの手伝いを始め、村民と協力して農作物の手入れに精を出した。忙しない収穫期が終わると村の宴で夜遅くまで騒いでいた。きっとあの頃の私が一番幸せだったのだろうと今になって思う。村に産まれ、村人として生き、やがて死を迎え村の土に還る。何の根拠もないのだけれどあの時小娘だった私はそういう人生を送るのだと信じていた。

 村が野盗に襲われて焼き払われるまでは。

 ある日、目が覚めた私は全身真っ黒だった。そりゃあもう灰かぶり姫だってドン引きするくらいまっくろくろすけの煤だらけさ。なにせ身体を起こしたら村はもう燃え尽きた後だったんだからね。恐らくこの時、私は不滅の魔女になったのだろう。元からそういう性質だったのか、あるいはこの時になって発現したのかは定かじゃないけれどね。自覚の有無で言えば間違い無くなかった。たまたま運良く生き延びたのだと思っていたんだ。少し考えればそんな事ないとすぐにわかるはずなのに、まったく我ながらおめでたい頭をしていたものだ。

 村を失った私は住処を求めてただひたすらに歩いた。

 村の復興はどうしたのかって?たかが嫁入り前の小娘一人にそんな真似ができるとでも?ご都合主義の夢物語を摂取するのは程々にしておいた方がいい。人生を棒に振りたいなら止めはしないけどね。

 ともあれ私は歩いた。生活のできる村を求めて。

 あの頃は街道なんてろくに整備もされていなくてね。森だか道だかよく分からない所を延々と進んだものだよ。道中、よく獣に喰い散らかされる夢を見たと思っていたのだけれど、実際に襲われていたのだろうね。夢オチとは少し違うが無自覚な復活を繰り返してどうにかこうにか生活の出来る村にたどり着く事ができた。

 嫁入り前の小娘で器量良し、絶世の美女とまではいかないが見た目もそこそこ良い部類ではあるんだ。新しい村の生活に馴染むのにそう時間はかからなかった。そこでの生活は私の人生の中で一番幸せだったと断言できる。好きな人も出来たし、子供も出来た。中でも末の娘はとびきり良く出来た娘でね。他人を癒す不思議な力があった。それはもう怪我も病も何でもござれさ、あの子が手をかざせばあら不思議!なんて具合にね。

 噂を聞きつけた人々がひっきりなしに村に訪れる様になった辺りであの子は旅に出ると言い出したんだ。『村に居たままではここに来れる人しか救えない』そう言ってね。心配はしたけれど驚きはしなかった、誰よりも優しくて誰よりも強情な娘だったからね。いつかそういう日が来ることはなんとなく予想がついたものだ。

 あの子が旅に出てしばらくすると、旅する聖女様の噂が村にも広まる様になった。母親である私からしてみれば聖女だなんてお上品にまとまった子じゃないと断言できるけどね。救われた人々からしてみればそういう風に見えたのだろう。いい歳した大人達が元は田舎町の村娘をありがたがっているのは少々滑稽な光景だったのはよく覚えている。

 それからもうしばらくすると、私を目当てに村を訪れる人が現れた。曲がりなりにも私は巷で噂の聖女様の母親だからね。お礼を言いに会いに来たとか、あるいは私をとっ捕まえてあの子の弱みを握り言うことを聞かせようとか、その手の連中が来るのは想像に難くない。ただまあ不思議なことにあの子と似たような不思議な力を持った人々がどう言う訳か私を慕って集まってくれたからそれほど大事には至らなかった。

 不思議な力を持った人達は奇妙なことに村で生活を共にする様になってね。一人二人ならそういう事もあるかと思い特別気に掛けたりする事もなかったのだけれど、それでも年を経るごとにだんだん増えていく様になるとさすがに気になるもので聞いてみたのさ。

『その力を奮えば個人の栄達なんて思うままだろうに一体何しにこんな辺鄙な田舎町までやって来たんだい?』なんてね。すると彼等は口々にこう言うんだ『どうか我々が思うまま生きられる土地をお作りください。その為の協力ならば惜しみません。御母上殿』ご丁寧に頭まで下げて。

 反省したよ。それはもう海よりも深く。

 私はあの子に人としての生き方を教えたつもりだった。だけどそれだけでは不十分だったんだ。たとえ人の器に収まらない存在であっても人として振る舞うことはできる。どうしてそれが窮屈な生き方であると思い至らなかったのだろう。知らぬ間に我が子に課した枷の重さにひとしきり後悔した後で、私は人ならざる者達が大手を振って歩ける環境づくりに着手した。

 幸運にも人材に困る様なことはなかったからね、金を稼ぎ、戦功を立てて、土地を買い、環境を整備した。歴史に登場する魔女狩りが本格化する前には土地を丸ごと隠してしまったりもしたっけ。そうして出来上がったのが魔界だよ。今はもう無くなってしまったけれどね。

 いや、正直に言おう。

 私が死のうとした過程で、魔界は滅んでしまった。

 人も、組織も、国でさえも、いつか必ず滅びる。そんな事とうの昔に分かりきっていた事なのだけれど、私一人が取り残されてしまっている様な気がして膿んでいる時期があってね。死のうとしたのさ、私は。不滅の魔女であるにも関わらず。

 世界が私を存在させ続けるならば、その世界ごと滅して仕舞えば良いなんて浅はかな考えを実行した結果がこれさ。大事に守って来たはずのものを全部失って、私一人だけが生き延びている。

 リーゼロッテの在り方はすでに人の道を外れてしまっていた。

 故に黒峰真希は拳を握る。

「戯言を。人とは人にあらず、人の道をゆく者なれば」

「そうか。それならば私の歩んだ道にも僅かながらに意味があったという訳だ」

 もう何も残っていないリーゼロッテの世界に対する最後の足掻き。彼女は自らに終止符を打つべく、故意に黒峰に接触した。

「満ち足りたのなら早く去れ。人の世を離れる手伝いならばやぶさかでもない」

 最後の最後で真希は一瞬躊躇した。リーゼロッテの過去を垣間見てしまったが故に。

 世界が人を人の道から外れさせるのならばこの拳はなんの為にあるのか。

「それならばお言葉に甘えるとしよう……しかしそれは今じゃない」

「なっ ……」

 迷いを見せた真希をリーゼロッテは過去へと飛ばす。自らの悲願を達成するために。

「何故なら私はもっと早くに滅びたかったのだから」

 大事にしていた魔界を護る為、リーゼロッテは世界すら犠牲にする。


「それと、私は意外と義理堅い人でね。約束を違えた事はあまり無いのさ。忘れてはいないよ、白銀桐子君。君と交わした約束はこれから果たされる」

 ただ一人残された彼女の独り言は誰にも届かない。

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