第107話
拍子抜けするほど簡単にリーゼロッテは解放された。
ただの一度も北部領の連中と刃を交える事すらなく。
帰って来たリーゼロッテも負傷や憔悴の様子が見られなかった事から一団は一度退却を余儀なくされた。何かしでかしている証拠でもあればそのまま攻め込む口実にでもなっただろうにリーゼロッテが捕まっていただけとなると攻め込む大義名分としては少々弱い。
奪還作戦当初の目的が達成されたので喜ばしい事ではあるのだが、過去の事件で煮湯を飲まされた東部や西部の面々からすれば、その胸中は靄が残る結果となった。
「結局連中は何がしたかったんだと思う?」
「分かる訳ないでしょ、馬鹿の考えることなんて」
王都に帰還した後もサニーとリリーは頭を悩ませていた。
リーゼロッテを軟禁したヴァーミリオンの連中の狙いが読めなかったからだ。真っ当に考えるならば何かしらのメリットがあって軟禁という手段に出たのだろう。しかし、その方法が周囲の反発を招く事など容易に想像がつくはずなのだ。
ならば取れる手段は大きく分けて二つ。強行するか、迅速に事を成すか。
結果から見ればそのどちらも失敗したように思える。
軟禁は露呈し、リーゼロッテは解放され、成果らしきものは見当たらない。後は何かしら理由をつけて連中を制圧すればそれで終わり。
しかし、何かを見落としているような気がしてならない故にこうして顔を合わせて考えを巡らせているのだが、これと思えるような答えにはついぞ辿り着かなかった。
軟禁されていたリーゼロッテに何か手掛かりになるような物はないかと問うてみてもその結果は同じだった。
「藁にも縋りたくなる気持ちは解らないでもないけどね、私は捕まっていたんだよ?向こうの動きを探れる様な状況じゃあなかったのさ。手掛かりなんて物は何も無いけれど、強いて言うなら事を構える準備くらいは入念にしておいた方がいいんじゃないかい?」
「知ってるのか知らないのかハッキリしなさい」
何も知らない様な、それでいてどこか訳知り顔の様相でいつもの様に饒舌に語る彼女を前にサニーは怒りを露わにした。
「すまなかったね。知らないよ。少なくとも今回の件に関して私は何も知らない」
謝っているのかどうなのか判りづらい態度で謝罪を口にするリーゼロッテ。
「じゃあ、事を構える準備っていうのは何?」
「だって君、連中を野放しにしておくつもりないだろう?」
「当然でしょ」
「それならば尚更だ。何事も準備は念入りにと言うだろう?戦事ならなおのこと、戦の趨勢は戦う前に決まっているなんて言葉もあるくらいだしね」
リーゼロッテが言うことももっともなのだ。それがただなんとなく苛立たしいというだけで。
腹の内にモヤモヤしたものを抱えて押し黙っていると急にリーゼロッテが頭を下げた。
「そういえば、君にお礼を言わなきゃいけなかったね。ありがとう」
「なによ。いきなり改まったりして、気味が悪い」
彼女の振る舞いにしては珍しく正面からふざけた様子もなく礼を伝えられるとサニーはその薄気味悪さに体を震わせた。
「その反応は酷くないかい?せっかく私が珍しいことに滅多に下げない頭を下げてまでお礼を言ったというのに」
「滅多に下げない頭なら下げないでもらえる?」
リーゼロッテ相手にはどこまでも冷たいサニーであった。
「お礼云々の話はさておいて、アレを倒してくれて助かったよ。これであの子も浮かばれる事だろう」
折り合いのつかない感情の話は一旦みなかった事にしてリーゼロッテはそんな事を言う。その口ぶりはまるでサニーの母、セレスティアを自称していた彼女の仔細を把握していると自白する様なものだった。
「あの子?ひょっとしてあんた、あの人が聖女だって知ってた訳?」
「……ん?ああ、そうだよ。言っていなかったかな?」
サニーの指摘に一拍遅れて悪びれる事なく返事をするリーゼロッテ。その振る舞いもサニーにさらなる苛立ちを募らせるのだった。
「ほんとムカつく。こんな状況じゃなかったらアンタを切り捨ててたところだったわ」
それを躊躇ったのは“銀閃”が使えないからか、それとも妹の形見で自らの憑代である魔剣を血で汚したくないからか、その本心はサニー自身にも解らなかった。
「私としては君に切り捨てられるなら本望なのだけれどね」
「なにそれ?どうしようもない性癖の話?」
当人以外に理解できそうもない欲望をサニーはまたしても冷たくあしらった。
「……ところでサニー君、南の島に行ってみたいとは思わないかい?」
「今度はなんの話?」
今日のリーゼロッテは妙に饒舌だ。長期間一人での軟禁生活を送ってきた反動だろうか。それにしては内容がフラフラと彷徨っていて要領を得ない。精神的に参ってしまっている人の世迷い言と思って適当に聞き流そうとサニーは思った。
「だいいち南の島って近づけなかったんじゃなかったっけ?」
南の島、魔界においてそれは実質的に存在しないものを指し示す。
魔界大陸の地図には海を挟んで南方に確かに島が記載されている。しかし、その島に辿り着けた人は魔界が始まって以来誰一人としていない。地図の記載に間違いはなく、その座標にも間違いはない。船で近づいて目視で確認することも当然できる。だがしかし、そこまでなのだ。
年に一度派遣される調査隊の話では見えない何かに阻まれるようで如何様な手段であっても上陸する事はできず、それは調査用の観測機材であっても同様らしい。
以前調査隊に同行したことがあるリリーでさえも『少なくとも魔法によるものではないわ。解析できるかどうかで五分、解除に成功するかどうかでさらに五分、そのうえ何が起きるか解らないのでしょう?下手に手を出して新たな問題を抱えるべきではないと思うわ。観測だけして注意を払っていればいいんじゃないかしら?』などと語っていた南の島である。
「それにどうして今なの?のんびりバカンス決めてるような余裕のある時期じゃないでしょうに?」
一体どうして北部との緊張感が高まっているこの時期に南の島の話を持ち出すのか、リーゼロッテの思惑がサニーには全く理解できない。
「むしろのんびりバカンスにでも行ってきたらいいんじゃないかな?お友達なんかも誘うともっと楽しめるだろう?」
「は?」
状況を読む気のないリーゼロッテの誘いにサニーはこの日何度目かの威圧的な返答をした。
「いやあ、済まない。言い方が悪かったようだね。一仕事終えた後の君を労うつもりで提案したのだけれど上手く伝わらなかったみたいだ。休んでおいで、サニー・アージェント。北部との騒乱に向けた準備はこちらで引き継ごう。私だって仮にも魔王だからね、舐められたままでは困るのさ。それに、君らが王都にいないと分かれば連中だって動かざるを得ないだろう?」
そこまで言われてサニーはようやくリーゼロッテの真意を理解した。
ヴァーミリオンの連中が先にリーゼロッテを監禁するという形で事を始め、サニーを筆頭とする武力による威圧を受けて彼女を解放した以上、連中はどこかで王都へ反旗を翻さなければその体面を保てない状況にある。そこでサニー達を南の島の調査という名目で王都から離れさせるのだ。明らかに見え透いた誘いの罠にも関わらず、それを踏まなければいけない状況に追い込むあたりリーゼロッテのやり口はえげつない。
「ひどい罠を仕掛けるものね。それで、船で何泊ぐらいすればいいの?さすがに日帰りではまずいでしょう?」
「おそらくだけど今なら上陸できるんじゃないかな?サニー君、他ならぬ君のおかげでね」
相手の行動を誘うためにどの程度の時間を待機すべきかと問うたサニーに対してリーゼロッテは何やら意味深な答えを返した。
「それは……どういう意味?」
「ああ、失礼。こう呼ぶべきだったかな?……終焉の魔女様」
どうしてそれを知っているのか、リーゼロッテの考える事はやはり分かりそうにない。
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