第105話 恋愛というのは惚れた方が負けらしい
「私、完全に死んでたと思うんだけど?」
目を覚まして起き上がるなりサニー・アージェントはそう口にした。周囲の想いも苦労もまるで知らぬと言わんばかりに……いや、いつも通りの彼女である。今更どうこう言って治るような物でもないのだろう。
「死んでたわ。というか今も死んでいるって言った方が近いでしょうね」
予想通りの反応を見せたサニーを見て、リリーはその復活を内心で喜びつつ妙な事をを口にした。
「え?」
唖然として聞き返すサニーの反応ももっともだろう。目覚めて活動しているというのに死んでいるとはどういう事なのか?なにやらややこしい哲学的な話か?それともひょっとして摩訶不思議なツボでもつかれたのだろうか?
「へー、これは見事なものね。おはようサニーちゃん、気分はどう?」
考え込んでいるサニーをしばらく観察していたスカーレットが問いかけた。サニーの復活……いや、強引な再起動という暴挙に協力した彼女だが、自身もまさかここまでうまく機能するとは思っていなかった結果を目の前にして驚きと好奇心が抑えきれずにいる。
「ええっと……?ちょっと身体が動かしづらい様な気がする」
寝起きの身体をほぐす様に肩や首を一通り動かしてからサニーは答えた。筋肉や関節が痛いという訳ではなく、動かそうという意識と実際の身体の動きに若干の遅延がある気がする。
「やっぱり、本体を動かしてるわけじゃないからそうなるのも当然よね」
サニーの答えをリリーは予想していた。あくまでサニーの精神は魔剣にあって、そこから肉体を操っている。どうしたって本体の意識と身体の動きに遅延が出るのは仕方がない。だというのに当の本人はその答えを盛大に勘違いした。
「え?え?本体じゃないって事は複製品?私に内緒で私のクローンとか作ってたの?」
リリーとスカーレットを交互に見てトンチキな事を言ってのける彼女はいつも通りのサニーであった。
「違うわ、それは本物。あんたの本体はそっち」
呆れた顔でサニーの隣にある魔剣を指差すリリー。
「……マジ?」
その答えを咀嚼しようとして飲み込みきれなかったサニーは改めて確認した。
「マジよ。次にまた無理したり剣が壊れたりすると治しようがないから気をつけて」
リリーが言うにはサニーの精神は魔剣にあり、それを通してほぼ死体同然のこの身体を操っているらしく、再び全力を出したり、もし魔剣が壊れてしまう様な事があれば治しようがないらしい。そこまでデメリットを負わせてまで私を呼び戻す理由は不明だが、ひとつ言ってやりたいことがある。
「……死んでも働かせるとか酷いと思わない?」
せめて死後くらいは労働から解放されたかったのだけれど。
「死にたい人を無理矢理生かす程度には酷いでしょうね?」
最初にそれをステラに課せたのが自分である以上、現状を受け入れるしか無いのだろう。
「ひとでなしー」
それでも文句の一つや二つは言っておきたい。
「魔女よ。あんたも私も最初からね」
たとえ魔女に人の心が解らなかったとしても。
「さて、どうしたものかな」
レイブン・アージェントは悩んでいた。リリーから受けた魔法による拘束は程なくして解けた。どうやら単純に時間を稼ぐための行為だったらしいが、彼女の後を追って街に出たレイヴンが耳にしたのはグッタリとしたサニーを担いで街中を駆け抜けて行ったらしいリリーの噂、そして困った事に彼女が向かった先がよりによって妹の住んでいるアパートの一室であった。
幸いな事に妹のナタリーとはすぐに連絡がついた。
演習から学生達を引き連れて一足先に王都へ帰還した後、各所への報告に回ったり事務作業に追われたりしているらしい。それはそれで面倒ではあるが厄介ごとに巻き込まれていないようでなによりと安堵したのも束の間、彼女と同居しているはずのスカーレットと連絡が取れないという問題に直面した。
スカーレット・ヴァーミリオン、紅蓮の魔女。
万能の魔女と名高いリリーを追っていたせいだろうか、レイヴンは普段は気にも留めていなかった母親の二つ名を思い出した。リリーの事だ、単純な逃亡先としてそこを選んだ可能性は低いだろう。むしろ紅蓮の魔女としての何かしらを目当てにそこへ向かったと考える方が自然である。そして外から見て争っている気配が感じられないのならば、すでにどちらかが制圧されているか、あるいは意見が合致してしまったと予想すべきだ。
「どうにも手に負えない気しかしないんだがな……」
魔女が二人、そしてそれらに匹敵する女が一人。どう楽観的に見積もったとしても人一人の手に負えるような状況には思えない。けれど、結果が見え透いていてもやらなければいけない時があるとするならば今なのだろう。
彼の脳裏に妻とのやり取りが過ぎる。
『私が居なくなったら、姉さんはきっと気に病むと思うんです』
『あいつがそんな殊勝な奴だとは思わないんだがな』
『そんな事ないです。あの人、あれでいて結構普通な考え方してますから』
『分かったよ。その時はその時だ。けつでも引っ叩いて……』
『本当にわかってます?』
『分かってる。誓っても良い。俺、レイヴン・アージェントはサニー・アージェントを必ず助けると』
『誓いを聞き入れます。……ああ、貴方を伴侶に選べて本当に私は幸せ者でした』
『……なあ、今からでも考え直さないか?』
『貴方が最高だから先を憂うことなく旅立てるのですよ』
『そうか』
満足そうに微笑む妻の笑顔は何よりも眩しかったから。
「惚れた女との約束だからな」
覚悟を決めて歩みを進める。なるべく敵意を示さぬようにドアを叩くと、しばらくしてリリーが顔を出した。
「謝らないわよ」
こちらを見るなり明らかに不機嫌な様子を隠さない彼女はそう口にした。
「謝罪を求めに来た訳じゃない。サニーは無事か?」
「……そっか、あの子の旦那だもんね。どこまで知っていたの?」
こちらの答えを聞いた彼女は一瞬驚いたようなそぶりを見せた後で何に納得したのか急に落ち着いた様子に態度を改めた。
「特別な事は何も。あいつが覚悟を決めていた事とそれを覆せなかった事だけはよく知ってる」
最愛の人が自らの手からこぼれ落ちていく悔しさを隠し通すことができていただろうか。
「……そう。サニーは、無事よ。それ以上の詳しい事は本人から直接聞いて……流石に今日は無理だろうけど」
「そうか。帰りを待ってるとだけ伝えておいてくれるか?」
「分かったわ」
今はただ、無事の帰宅を知らせる『ただいま』の言葉だけが欲しい。その願いを胸に秘めて踵を返すとアパートの敷地を出たあたりでちょうど帰宅してきたナタリーと鉢合わせた。
「兄様、随分と焦っているようでしたが何があったんですか?」
「ナタリー、お前今日はホテルに泊まれ。金なら俺が出す」
こちらを見つけるなり寄ってきたナタリーの肩を取りアパートの外へと反転させるとそのまま彼女を押して歩く。
「えっ?ちょっと、兄様!?」
突然の事態におぼつかない足取りの妹を尚も押して歩いて。
「……お互い面倒な相手を好きになったものだな」
嗜好のよく似た兄妹である事を自傷気味に呟いた。
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