第104話 仁を捨てて命を拾う
レイヴンはサニーを連れてどうにかこうにか自宅へと辿り着いた。
別にサニーが普段通りの調子に戻ったという事もなく、むしろ無気力で呆然としている彼女を担いで運んでいったという方が正しい。
しかし、辿り着いた我が家で目にしたのはレイヴンも、そしてサニーすらも予想していない人物であった。
「それに用があるの。こっちに渡してくれる?」
リリー・セヴァライドである。サニーの古くからの友人である彼女がサニーの不在時に家を訪ねてきて、そのまま住人の帰宅を待っていたというのは想像に難くない。
だが、その態度は普段の彼女からは想像もつかないほどに苛烈で鬼気迫る物だった。
「問答をしている余裕はないの。いいから早くよこしなさい」
彼女はレイヴンを魔法で拘束するとカツカツと歩み寄って彼からサニーを奪い取った。
「……なにを……するつもりだ」
拘束に抗うレイヴンはなんとか疑問を口に出すことに成功した。
『どんな質問をしても良い。それは君たちに与えられた権利だから』
高名な教授がそんな事を言っていた記憶がある。だが、その人は続けてこんな事も言っていた。
『ただし、回答するのは私の権利だ。君達の質問に答えない事も当然ある』
リリーは何も言わずサニーを抱えてアージェント邸を後にした。
万能の魔女が鬼気迫る表情で王都の街並みを駆け抜けて行く。住人にとって道を空ける理由などそれだけで十分だった。あれと相対しようものなら命など幾つあっても無いのと同じであろう。誰しもにそう思わせるほどにサニーを背負って疾走する彼女には余裕がなかった。周囲に対する配慮など微塵も感じられない。だってそんなものは大切な友人の命と比べるまでも無いのだから。
リリーは目的としていた部屋の前に辿り着くと乱暴にドアを連打する。
「スカーレット!いるんでしょ!手伝いなさい!」
おおよそ助けを求めるとは思えない様相で家人に呼びかけるリリー。
「あらリリーちゃん、久しぶり。ちょうど今から夕飯……それどころじゃなさそうね」
ゆるい雰囲気で出迎えたスカーレットだったが、誰が見ても明らかに焦っているリリーの姿と彼女が背負っている先刻からピクリとも動かないサニーの様子を見て事態の深刻さを理解した。
「火を貸してくれないかしら、紅蓮の魔女様?」
「二度とやらないつもりでいたのだけれど、そうも言ってられないわね」
スカーレットは諦めた様に覚悟を決めてそう言うとリリーを家へと招き入れた。
「手を貸すつもりではいるのだけれど、さすがに死人を生き返らせたりはできないわ。というかこの状況から助かる見込みなんかあるのかしら?」
スカーレットは連れてきたサニーと彼女が抱えていた剣をベッドに乗せ、しばらく観察するなりそう口にした。彼女が言うにはどうやらすでに深刻な状況を過ぎ去って手遅れであるらしい。
「出来るかどうかなんて聞いてないわ。万能の魔女が友人一人救えないなんてそんなこと、許されるはず無いじゃない」
自らの唇に歯を突き立て悔しさをあらわにするリリー。
もう少し早くこの事を知っていたならば他のやり方もあっただろうに形が定まってしまった今となってはたとえ彼女であっても外道めいた方法で延命する手段しか思い浮かばない。
「後で恨まれるんじゃない?」
そんなリリーをかつての自身と重ね合わせて眺めるスカーレット。泣いて救済を求める戦友達を焼き払った記憶は未だに燻ったまま彼女の心に残っている。
魔界がまだ戦乱に満ちていた頃、炎を自在に操り紅蓮の魔女と恐れられていた彼女だが自身が前線に出て戦闘を行った記録は防衛時のものしか存在しない。
ならばスカーレットは一体何に火を灯したのか?
火が燃えるためには三つの要素を成立させなければならない。可燃物、酸素、熱。この三つが必要なのはたとえ魔界であっても変わらない。ただし魔法で火を起こす場合は必ずしもそうではなく、それらを魔力と適切な魔術式で代用することができる。つまり、燃える環境がそこに無くとも燃やす事が可能なのだ。
たとえば命の残りを蝋燭の火に例える文化があるならば、それに火を灯すことも。
火が消える事が死を意味するならば、炎を灯し続けることも。そうして出来上がったのが北部の武力の象徴として恐れられた不死兵団であった。
不死兵団と呼ばれていても決して死なない訳ではない。しかしながら、明らかな致命傷を負いながらそれでもなお侵攻をやめない兵団は相手の戦意を削ぐ上で十分すぎる以上に有用だった。魔神による災害のような侵略を防ぐ際にも実に強力な手段であったと語られている。
それだけで済む話ならばどれほど良かったことか。
戦いに身を置いている者であれば死の気配に敏感になる。それはきっと致命傷を避けるための動物的な本能なのだろう。それでも人は死んでゆく。運の悪さや間の悪さ、タイミングの妙でいかに屈強な戦士であろうと死から完全に逃れる事はできない。しかし、紅蓮の魔女が施す魔法はそれを強引に踏み倒す力を与えてしまった。
だがそれでも人の精神は何度も死を経験できるほど強くはない。度重なる死を経験した精神と未だに生き続ける肉体、それらは次第に乖離していく。自らの歪みを知覚した勇士達は不死兵団の終わりを求めた。彼らに恨みを向けられてなどはいなかったが、無事に帰ってきて欲しいと願いを込めて魔法を施した同郷の者達を自らの手で灰に変えていく紅蓮の魔女の心境がどのようなものであったかなどは想像に難くない。
「覚悟はできてる。それに、サニーが私を恨める筈ないでしょう?」
生きる気のない者を延命させる。
なぜならそれは、サニー・アージェントが初めて他者に行使した魔法だから。
「……青春よね。でもどうするの?肉体と魂が完全に分離していて、そのうえ身体の方は活動を停止してるじゃない。私がどうこうできる範囲を既に過ぎてるわ」
覚悟を決めたリリーを見て、スカーレットは再び運び込まれたサニーへと目を向けた。だが、彼女の見立てではここからサニーを救う手立てはないように思える。それどころか一体何をどうしたらこの状態に行き着くのか想像すら出来ない。
「私だってこの状況になるまでこんな奇妙な状態で生きていたなんて思いもしなかったわ。まさか自ら魔女である事を終わらせて産まれてくるなんてね」
名をつけるならば終焉の魔女だろうか、リリーは思う。
魔女としてこの世に発生したはずのサニーは自ら魔女であることを終わらせて産まれてきた。本来のサニーの肉体を死産で終わるはずだったステラに与え、自らは死ぬはずであったステラの肉体へと。
サニーが固有魔法をうまく扱えないことも、魔女に匹敵するレベルの馬鹿げた魔力を持っていることも、そのくせ制御が下手くそで常に暴走気味なことも、それですべて理屈が成立してしまう。謹慎処分の件でステラに連行されていたときに彼女から打ち明けられた秘密、それを元に立てた仮説。馬鹿げた話だと一度は自ら切り捨てたその説がこうして目の前に転がっている。
自ら死を望んだステラも、彼女を生かしたサニーも、そんな二人を産んだセレスティアも……本当にどいつもこいつも身勝手で。
「やるわよ、スカーレット。その剣がそいつの本当の肉体……だったもの。それはまだ死んでないでしょう?」
ステラが変じて生じた魔剣を指さしてリリーは尋ねる。
「ええ、確かにこれはまだ死んでないけれど……どうするつもり?まさかこれを元に戻して使おうとでもいうの?」
「まさか、いくら私でも固有魔法の極致を逆行させたりは出来ないわ。でも協力して……生きてさえいるならいくらでもやりようはあるの」
これから行う事は間違いなく外法だとリリー自身ですらそう思う。まだ生きてる身体と精神を繋いで既に死んでるはずの身体を強引に動かす、それも当人の意志など考慮に入れることすらなく。これが道から外れた行為でないなどと言うはずもないが、たとえそれでも彼女にはまだ生きていて貰わないと困るのだ。
目の前に転がっているのはサニーの……いや、本来はステラの物であった身体。既に瀕死の状態で助かる見込みなど到底あり得ないそれに結び付けられたサニーの精神。そしてステラが変じて生じた魔剣、無機物に過ぎないそれが生きているというのもおかしな話だが魔剣としての機能が使える内はそれを生きていると定義する事はできるはずだ。
死にかけの身体と生きている精神、生きているだけの空虚な魔剣、そして私。材料ならば十二分にある。これならば死人を生者として偽装するには事欠かない。
魔術式を展開し魔法を行使、サニーの精神を身体から切り離して魔剣へと繋ぎ直し、魔剣の性質を所有者の肉体を操作する形に書き換え、死にかけの肉体がこれ以上崩壊しないようにその状態を固定する。
「帰ってきなさいサニー!あんたが始めた事件はまだ終わっちゃいないのよ!」
あるいは助けを求めるその叫びすら言い訳に過ぎず、あるのはただ親しい人を失いたくないという身勝手な願いかもしれない。しかし、夢物語にも満たないそれを実現出来てしまうのが魔女が魔女たり得る理由なのだろう。
それが出来てしまうが故に魔女は人の心を理解出来ないのだ。
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