第100話 総合演習・5
イレギュラーな事態も起きたが当初の予定通り総合演習を終了し、生徒達の王都への帰還を見届けた後。サニーは誰に向けてでもなく言葉を発した。
「ここから先はお・と・な・の時間」
無論、改めて言うまでも無く独り言の冗談である。
だが、そうでもしないとやっていられない心境であったのは確かだ。
ところで、緊急事態だからと呼びつけた当人がこのようにふざけた態度をとっていたらどう思うだろうか?人によって程度の差こそあれ、間違いなく怒るであろう。
「サニー?ふざけてないでちゃんとしなさい?」
それはサニーにとって実の姉妹でもあるステラであっても例外では無かった。ただし、サニーが度々このような行動に出ることを知っている彼女の心境は怒りよりも呆れる方が多かった。
「無理矢理にでもテンション上げないとやる気なんか起きないの。見逃してよ」
怒られたサニーはそんな言い訳じみた返事をする。まあ、百歩譲れば彼女の言うことも分からなくは無い。この後に控えて居るであろうどの目が出ても面倒な事態を予期すれば憂鬱な気持ちになるのは誰であっても同じことだろう。
「二人きりなら見逃すことも出来たんですけどね……」
ろくでなしそのものといえるサニーの態度にステラは小さく呟いた。気分屋と言って差し支えないサニーの性格からしておそらくこのような事があるであろう事は想像に難くない。実際、身内だけの状況下であればステラはそこまで小言を言ったりはしないのだ。単純にいちいち指摘したところでサニーが今更変わるとも思ってないというのもあるが。
「ステラのけちー」
「はいはい。いいから早く行きますよ。それなりに距離があるのでしょう?」
「そうね、報告を聞いた感じだとたぶん森の中だと思うわ」
いつものようにくだらない会話を繰り広げつつ、現場と疑わしい方角へ歩みを進める。この時点では誰も事態の深刻さを把握していなかった。
「ところで、ヴァーミリオン主導の実験施設とは一体何を?あそこは武門のはずだろう、そうそう実験や研究を主だってするような事柄はないはずなのだが……?」
現場に向かう道すがら、同じく助っ人として呼び出されたレイヴンが疑問を口にする。
今になって敵対しているとはいえ、ヴァーミリオンはレイヴンの実家である。それ故に自分の家が何を持ってその勢力を拡大してきたかはよく知っている。だからこそ一連の事件の裏側にヴァーミリオンが関わっていると言われたところで腑に落ちないのだ。
ヴァーミリオン家の歴史を遡っていくと北部諸侯連合という勢力に行き当たる。
これはまだ魔界が地方同士での争いを続けていた頃に結成された勢力で、北部以外の勢力から侵略を受けた場合に団結して対応するというだけの一種の不可侵条約に基づく物であった。
西をシュヴァリエ、東をシノノメという巨大勢力に挟まれておきながらどうして一つの勢力に纏まらなかったのかという疑問はあるが、おそらく厳しい環境故に単純に我の強い連中が多かった事と、まとまりの無い仮組の集団であってもなんとかなってしまったというのが大きな理由だろう。そんな北部諸侯連合の中で武門として代表格にあったのがアージェントとヴァーミリオンだった。
だが、そうはいっても武門である。戦略、戦術、戦闘法について突き詰める習慣こそあれど、今回のように科学的な研究というのは彼らからして見れば馴染みのないもののはずなのだ。
「レイヴン達が知らないのも当然よ。あんた達がヴァーミリオンから離れた後で動き始めた計画なんだから」
レイヴンの疑問にサニーは億劫そうにそう答えた。そんな彼女の態度を見てレイヴンも一呼吸開けると覚悟を決めて先を促す。
「……正直知りたくないが、聞かせてくれ」
「一番最初は十数年前の西部領、それからしばらく姿を潜めていたんだけど、去年の東部領、そして今回。全部ヴァーミリオンから人と金の移動があって、その全てに共通するのが……魔石。それもよりによって、リーゼロッテが持ち込んだとされる不滅の魔石に関する物」
サニーが過去の帳簿を調べた結果浮かび上がった疑惑はなんとも気が重くなるような出来事だった。
そもそも魔神発生以前に旧魔法研で行われていた魔石を利用する研究が廃れていったのにはきちんと理由がある。どうしようもないほどの費用対効果の薄さと目当ての性質を持つ魔石を手に入れる為に……生命倫理を無視した行為が行われていたからだ。
極め付けは魔神発生のその理由が魔石研究によるものという住民の中に流れる噂。確たる証拠のない単なるゴシップであることなんて分かりきっているはずのそれだが、リーゼロッテがその魔石の破壊方法を求めてそれを魔法研に持ち込んだこと、研究内容が魔石の破壊からそれの利用に変化していったことなどをリリーの父から聞き及んだサニーはあながち的外れな噂でも無いのではないかと考え始めていた。
まあ、魔石の研究なんてものがタブー視されているのはサニー達にとって今更言うまでもなく。
「とんでもない厄物に手を出してくれやがって!あの大馬鹿野郎!」
それを聞いたレイヴンは怒りをあらわにした。
「過去の例からすると大方生体兵器の類だとは思うわ。それもうんざりする程とびきりのタフなやつ」
不滅の魔石を利用した研究、西部と東部で起きた事件からサニーはこれから相対するであろう敵を予想する。研究が進んでいるならばきっとそれは過去の事件で出現したそれらの改良版であるはずだ。
「……ほんと、やる前から気が滅入るわね」
「そうでしょ?」
「今回ばかりはサニーに同意するわ」
これに関してはサニーと意見の食い違うことの多いステラであっても同じ感想を抱く他なかった。
「妹……ナタリーはこっちじゃ無いのか?」
続けてレイヴンは異常事態の解決に向かうメンバーに自らの妹であるナタリーが含まれていないことに疑問を持った。単純に戦力を考えるならこちらのチームに組み込むべきで実際サニー自身も彼女の配置を直前まで悩んでいた。
「向こうの目的がわかんないけどアージェントの失墜が目当てなら生徒達を襲うと考えてそっちの護衛に回したわ」
サニーは答える。おそらく一連の計画を主導しているであろうヴァーミリオンの現当主:ダニエルの狙いが分からない。軍学校時代にサニーが喧嘩をふっかけてきた彼を必要以上にボコボコにした事やステラとレイヴンの婚姻をきっかけに企てられた事件を叩き潰した事を根に持っているのならば、サニーをどうにかしてやろうと全戦力を向けてくるだろう事は容易に想像がつく。だがもしも、恨みつらみを拗らせていたならば……その矛先が自分以外に向くこともあるだろう。
「……あり得ない話じゃ無いわね」
ステラもそれに同意する。敵の考えが読みきれない以上、戦力を分散させる必要がある。だから万が一のことを考えて、ナタリーと自らの配下である第7隊の半数を王都へ帰還する学生達の護衛に回した。
そうして出来上がった異変解決チームがサニーを筆頭にステラとレイヴン、第7隊の残り半数。
「さすがにローザとリリーは呼べなかったか」
レイヴンは口惜しそうにそんなことを言う。確かにその二人が居たならば万に一つもないだろう。
「今のローザの立場だと昨日の今日で駆けつけたりは出来ないわ。運良く王都近辺に居たならなんとかなったかも知れないけど。それと、さすがに謹慎中のリリーを動かす訳にもいかないでしょう?」
ただし今の私達は大人になってしまって、なんでも自由に好き勝手動ける立場ではなくなってしまった。いや、興味のままに行動して謹慎食らってるリリーに関しては完全に自業自得な気がするけど。
「タイミングが悪いな」
レイヴンの言葉は本当にその通りだと思う。
異変の解決のために全てを投げ捨てられるのならば喜んでそうしたのに。
「でも、その代わりに強力な助っ人を呼んでおいたわ」
得意げな表情を浮かべてサニーは言う。
「この場に居ない強力な助っ人?」
その言い様にレイヴンはかえって混乱した。魔界において知りうる限りで最強と言って差し支えないサニーがわざわざ強力な助っ人と呼ぶような人物に思い当たる節がない。
「母さん」
何気ない雰囲気でサニーはとんでもない人物の名前を出してきた。魔神討伐の英雄、今もなお生きる伝説、文字通りの魔界最強、セレスティア・アージェント。
「それは心強いが……呼びつけてしまって良かったのか?」
確かに心強いこれ以上望むべくもない切り札だろう。レイヴンとてそう思う。だがそれ故にこの程度の事で呼び出してしまって良かったのだろうかと不安な気持ちもある。
「母さんもあの方面から妙な気配がするから来るって言ってたし、たぶん大丈夫じゃ無い?」
英雄などと称されてはいるものの彼女は国や組織のお抱えではない個人で、さらに言ってしまえば血縁関係にある。そこまで気を使う必要もないわと軽い気持ちで答えるサニー。
「それは別の意味で不安になるわね……」
そんな彼女の発言、強いて言うならば彼女の口を借りて発せられたセレスティアの言葉にステラは不穏な気持ちを抱くのであった。いまだ人の住める土地ではない旧市街地の中心で日常的に強靭な魔獣を狩り続けるセレスティア、その当人が感じる妙な気配ともなれば一筋縄でうまくいくようなものではないだろう。
「……見つけた」
不安に駆られるステラにサニーの呟きは聞き取ることができただろうか?
彼女は薄暗い森林の中で黒い人型の標的を見つけ出すと他の誰よりも早く突撃した。すれ違いざまに瞬く“銀閃”、その光が消える頃には敵の四肢は身体から切り離されて重力に引かれて落下する……はずであった。
確かにそうなるはずであったのに。切り落とされた四肢は空中で静止すると、まるでそれそのものが死を否定するかのように元あった身体へと吸い寄せられるようにして再生を遂げた。
「数が増えないだけマシ……かな?ある程度予想はしてたけどこれは苦戦しそうね……」
挨拶がわりの初撃を叩き込んだサニーがその様子を見てぼやいた。
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