第99話 総合演習・4
原因不明の異変の調査中、まるで示し合わせたかのようなタイミングで同時に先頭を歩くキリコとアイギスが後ろへ跳んだ。期せずして揃ってしまった行動に顔を見合わせる二人にナタリーが問いかける。
「何かあった?」
「見える範囲には何も無いのだけれど、なにか……」
先に口を開いたのはアイギス、不確かな感触を確かめるように前方へ手を出したかと思えば、何かを感じ取ったのか反射的にその手を引っ込めたりしている。
「これ以上近づけばたぶん相手に気づかれる。撤退するなら今のうち」
一方のキリコはすでに槍を構えて臨戦体制であった。何も見当たらないはずのはるか遠方を見据えたまま、ジリジリと後退していく。
「……確かに遠くの方に何か居そうだけど、そんなにやばいやつ?勝算は無さそう?」
先行する二人の様子を見て気持ちを入れ替えたナタリーが改めて周囲を確認すると確かに遠方の森の奥に何かが居るようなそんな感覚が過ぎる。だが、彼女の見立てではこの5人であれば十分に対応できるようなそんな気持ちもある。せっかく出向いたのだからスッキリと問題を片付けてから帰還したいという考えもあるのだ。
「……理由は分からないけれど、なにかで強く隠蔽されてる。いま感じてる相手の戦力が隠蔽後の結果だとしたら、間違いなく生き残れない」
尚も警戒心を緩める事なくゆっくりと後退を続けるキリコがそんな事を口にする。
その時だった。
「撤収!」
ナタリーが一際大きな声を出して号令をかけた。
「私が殿を務めます。全員背後を気にせず撤退しなさい」
指示を出しながらナタリーはアイギスとキリコより前に出る。指示を受けた4人が撤退を始めると、ナタリーははるか前方を警戒しながらそのまま後ろ向きに走り出した。
程なくして拠点へと帰還した5人、警戒しながら前進した道のりを走って帰って来たのだから予想よりもかなり早い到着は当たり前の事だった。
「一旦休憩して、それが終わったら報告に行きましょう」
張り詰めたままでは気が滅入ってしまう。ナタリーは一旦解散とし、各々休息を取ってから改めて報告に向かうことにした。
「……なるほど。確認はしてないけど確かに何かいるらしい、か。それで、ナタリー含めた5人で勝算が薄いから帰還してきた、と」
反芻するように報告の内容を繰り返す男、その態度に室内の空気が重たくなる。
「まあ、上出来じゃない?」
ピリピリとした空気が肌を刺す中、サニーは実に軽い様子で一連の報告を受け入れた。
「サニー隊長、お気に入りの子達だからと甘やかされては困ります」
しかし、なおも今回の総合演習で責任者の立場にある男は厳しい態度を崩さない。その理由にはサニーが『面倒だから私はパス』とその立場を押し付けたこともあるかもしれない。
「別に甘やかしてるつもりは無いんだけど?異変の原因調査が今回の目的で原因があることを確認して自分達の手には余りそうだから帰還してきた。何もおかしなところはないでしょう?」
そんな男の心情など知ったことかと言わんばかりにサニーは続ける。飄々とした彼女の軽い態度に男の怒りが沸点を迎えた。
「ですがっ!叩ける時に叩いておくのが定石で!例年に類を見ない優秀な特別クラスの面々を揃えて動かしたのです!なんの戦果も上げられないとはどういうことですか!」
男の言うことも尤もである。現時点で動かせるほとんど最大戦力と言っていい人員を投入しておきながら、得られた物は何かがあるという情報だけ。怠慢を指摘されれば反論は難しい。
「先手必勝とは言うけどね、なんでもいいから先んじて攻撃を仕掛けろって意味じゃ無いの。戦ごとは準備が肝要だから、相手より先に戦いに専念できる環境を構築しなさいって事、だからこれで良いの」
サニーは力技で会議をまとめた。元より軍内での立場は第5団副隊長である男より第7団隊長であるサニーの方が上で、総合演習の領分を超えるとなれば彼女の判断が優先される。
「……」
不服そうな態度を隠さない男を放置して、サニーは対応策について話を進める。
「今から急に撤収作業を始めても色々無理が出るから総合演習自体は予定通り続行するわ。異常者が出る方面の夜間警戒は私の隊から人を出します。それと原因に関しては翌朝の撤収に合わせる形で応援を呼んで叩きに行くわ。こっちの参加者も私の方で招集をかけます。意見のある人は?」
予定を語り終えるとサニーは室内を見回した。形式上意見を募っているだけであって、サニーとしては仮に反対されようが強引に決行するのだが、それでも形だけでもそういうフリをしておくというのは非常に重要なことなのだ。
「……無いみたいね。それじゃあ、解散!」
サニーが会議の終了を告げると会議に参加していた演習における各班の責任者、演習に同行している各クラスの担当教官、並びに臨時の教官役として参加している軍属の人員などがぞろぞろと退室していく。残ったナタリーだけがひどく落ち込んだ顔をしていた。
「また、お姉様の手を煩わせてしまいました……」
ナタリーはサニーを崇拝に近い形で尊敬している。盲信に近いようなそれだが、ただ好いているのではなく彼女の役に立ちたいと望んでいるのだ。それ故に自身の行動が彼女の負担となってしまった事に負い目を感じている。
「別に気にしてないわよ。それよりもあいつ、飛ぶと思うからそれとなく監視をお願い。飛んだ場合は総合演習の責任者をナタリーが引き継いで。よろしく頼むわね」
そんなナタリーの気持ちなど知った事かとばかりにサニーはヘラヘラとした態度で応えるのだ。ただしその内容は彼女の振る舞いに比べて妙に不穏で重たい。
「あいつ……先程の第5の副隊長ですか?飛ぶ?まさか、副隊長の立場にある人間がちょっと意見が通らなかったぐらいで失踪なんてするはずないじゃ無いですか」
サニーに頼まれた内容にナタリーは戸惑いを隠せない。別の部隊に配属されているとはいうものの同じ魔王軍で同格のしかもそれなりの立場にある人物がそうそう簡単に失踪などするだろうか?
「そういえばナタリーにはまだ話してなかったっけ?ここ最近ヴァーミリオンの連中が不穏な動きをしてる話」
ついうっかりして伝え忘れていた事があるなどといった雰囲気のサニーの発言を受けるとナタリーは一気に顔を顰めた。サニーが自分に情報を伝えてなかった事ではなく、その内容にである。
「……まさかとは思いますが、馬鹿兄ですか?」
「お察しの通りです」
サニーはとても疲れ切った表情でそう答えた。
「いまさら言うけどここまで状況整えるのめちゃくちゃ大変だったんだからね!調べれば調べるほど怪しい動きが出てくるし!証拠を揃えても北部へ立ち入ることは出来ないし!」
机にだらりと身体を預けて、サニーは今までの苦労を吐き出した。もはや形を整える気持ちを捨て去ってしまったらしい。あからさまに爪が甘く尻尾を隠せない悪党、住人であれば誰でも閲覧できる公的な書類を確認しただけで次から次へとボロの出て来る輩を相手にし続ければそうなってしまうのも仕方がない。
「今回の総合演習だってそう!あからさまに怪しいヴァーミリオン主導の実験施設がこの辺りにある事まではびっくりするほど簡単に突き止められたけど、それ以降の現地調査が一向に進まないから内通していた副隊長の彼を演習の責任者に引き摺り出して、仮拠点の設置場所も件の施設のほどよく近くになるよう色々……頑張ったんだからぁ」
サニーはここに来て今まで溜め込んできていた様々なものを吐き出していた。元より真っ当な手段で行動を起こすのがとても不得手な彼女のことである。やって出来ない事ではないが、それはそれは非常に精神的に磨耗する行為なのだ。出来る事ならそんな物とは無縁の気楽な人生でありたいのだが、そう上手く事が運ばないのもまた人生である。
「……お疲れ様でした。それにしても馬鹿兄の阿呆、どうしてまた今になって妙なことをしでかし始めたんでしょうか?」
完全に愚痴を吐き出すだけの機械と化したサニーに労いの言葉をかけるナタリー。それと同時に彼女は諸々を画策しているらしい血の繋がった自身の兄のことが気になっていた。魔界全体に喧嘩をふっかけるような今回の行動は、家の権勢を強めようとした前回の行動以上に説明がつかない。本当にまるでさっぱり理解できないのだ。
「馬鹿の考えることなんて知らないわ。おおかた拙い勝算があるのでしょうけど、私に対する個人的な恨みか、アージェント家に対する恨みつらみのどちらかじゃない?」
そう言ってのけるサニーは他人の考えを理解する気がない。他者に対して興味が薄いのではなく、自他の境界がはっきりし過ぎていることが原因なのだろう。
「完全な逆恨みじゃないですか……」
そう溢したナタリーはどこか遠い目をしていた。
自身の兄の筈ではあるけれど、彼はここまで理解し難い人間だっただろうか?
「連中がアージェントの事をなんて呼ぶか知ってる?北部を衰退に導いた裏切り者だそうよ」
「どうして……」
表現として間違いではない。
あの一件以降孤立した北部が疲弊し、衰退していったのは確かにその通りなのだから。
「……立場によって見方が変わるとはいえ、なんとも言えないわね」
物憂げに言葉を溢したサニーの表情は忘れられそうになかった。
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