第98話 総合演習・3
「ふん ふふ ふん ふん ふんふ ふんふ ふーん……」
夜間警戒の番を終えた朝6時頃、キリコは仮眠をとるべく休憩室に向かって移動していた。どことなく上機嫌なのか鼻歌まで歌っている。
そんなふわふわ気分のキリコが仮設された医療テントの前を通り過ぎようとしたところ中から結構な声量の叫び声が聞こえて来た。治療中の痛みであげる叫びにしては物々しいそれを耳したキリコは野次馬根性を発揮するとテントの中の様子を確認しに行く。
医療テント内の様子を確認するとベッドに横たわる患者が数人、目立った外傷はなく落ち着いているように見える。周辺にいる医療スタッフからも慌ただしさのようなものは感じない。直近で絶叫が響いたにしては妙に静かな雰囲気を不思議に思ったキリコは事情を知っていそうな医療スタッフに話しかけた。
「……なにがあったの?」
「つい先程まで夜間警戒で精神的に参ってしまった学生たちの対応をしていたのですが、突然一斉に悲鳴をあげたかと思えば、そのまま意識を失ってしまって、我々も何が何だか分からず……」
説明を受けたはずのキリコも状況をうまく飲み込むことができなかった。夜間警戒の本番で精神的に参ってしまうのは、まああり得ることだろう。それは理解できる。だがしかし、その全員が同じタイミングで叫び声を上げて気絶するのは何かしらの作為的なものがないと難しい。
そう仮定したキリコは一つ確認することにした。
「皆同じ様な錯乱状態にあったって事で良いの?」
「恐らくは……というよりもそうでないと説明がつかないの方が適切でしょうか。個々の発言は支離滅裂で要領を得ないものでしたが……」
言い淀むその姿にキリコは少し興味を抱いた。
「ちなみにどういう発言を?」
「右のドアを閉める、カメラを見る、右のドアを開ける、右のライトを点けて消す、左のライトを点けて消す、停電したらお祈り。どれも譫言のように繰り返すばかりで手掛かりのようなものは何も」
「……まじで意味分かんないやつじゃん」
日常で起きる奇妙に首を突っ込めば不思議な現実への手がかりが得られる。そんな期待を抱いていたキリコは野次馬根性を発揮したことを少しばかり後悔した。
自分にはどうにもできない訳のわからないトラブルから離れて、キリコは仮設シャワーで軽く汗を流し、朝食を食べ昼近くまで仮眠を取る。予定していた時間より少し早くに目覚めると軽くストレッチをして身体をほぐし、装備を整えて予定していた集合場所へ向かう。
いよいよ楽しみにしていた魔獣討伐の時間……と意気込んでいたのに予想外の人物がそこに居た。ナタリー。魔王軍第7師団の副団長でサニー直属の部下であり、明らかに異常な彼女を義姉と呼んで崇拝するちょっとおかしな人である。
「すっごい嫌な予感がするんですけど逃げて良いですか、ナタリーさん?」
本来ここに居ないはずの彼女がどうみてもこちらを待ち構えている様子を目にしたキリコは律儀に一度近づいた後、改めて逃走の許可を求めるという実に奇妙な行動に出た。
「逃げても良いけどどうせ捕まえるから時間の無駄だよ、キリコちゃん」
残念ながら逃げるコマンドはグレーアウトしていた。
「観念しろ、キリコ。俺も数時間前に同じ様なやり取りをしたばかりだ」
そう口を挟んだのはリュウガ、本来であれば彼は午前中の内に魔獣討伐に参加していたはずだ。その彼が今ここにいるという事は計画していた予定を捻じ曲げてまで人員を集めたという事なのだろう。
「控えめに見ても厄介事が起きたから対処しに行く様なメンツの揃え方よね。ひょっとして朝方の騒ぎから何か見つかったのかしら?」
「とりあえず現時点で自由に動かせる最大戦力でしょ。バックアップの連絡は済んでるの?」
普段のゆるい雰囲気からシリアスに切り替わったクロエとアイギスがそれに続く。集まったメンバーを確認したキリコはあまりにも明らかなトラブルの気配を感じつつもそれから逃げ出すことを諦めざるを得なかった。
「分かりました。それで一体何をすれば良いんですか?」
ちょっと不貞腐れた態度で捩じ込まれた課題について詳細を聞き出すキリコ。
「何をすれば良いのか分からないから調査に行くのよ」
それに対するナタリーの返事はどことなく不穏なものだった。
「昨夜の夜間警戒で錯乱状態に陥った子達が数人出たのは知っているかしら?」
拠点を出て移動する道すがらナタリーが状況を説明する。一行の隊列はアイギスとキリコが前、リュウガがその少し後ろ、クロエと監督役のナタリーが後衛といった並びである。「万が一があればフォローに入るから思う存分自由にやりなさい」なんて発言が出てくるあたり、ナタリーは確かにサニーの事を崇拝に近い形で尊敬している。
「一見して精神的に参っちゃった子が出て来たように思えたんだけど、全員同じような錯乱状態である上に配置されてた方角が特定の方向に偏ってたのよね。だからこうして何かあるんじゃないかと調査に向かってる訳」
彼女が言うには昨夜の夜間警戒で数人の精神的傷病者が発生、理由は分からないものの発症者の担当していたエリアに偏りが見られることから当該エリア方面の調査を決行することとなった。
「精神攻撃を仕掛けてくる魔獣が出現したとかではないんですね?」
周囲を警戒しつつ前進しながらアイギスが問う。
「少なくとも王都に近いこの辺のエリアではまずあり得ないわね。この辺りで発生するのは魔法的なものは持たない野生動物程度。その手の行動を取るような連中が出てくるのは森の奥の方かそれを越えた旧市街地の辺り、流石にそいつらがここまで出て来てたら誰かしら気付いているはずよ」
アイギスの想定した一番あり得そうな展開をナタリーはあっさりと否定した。それは困った事に事態が予想を超えて厄介な状況である事を示唆している。
「嫌だなぁ……気乗りしない」
ふと、キリコがぼやいた。
「意外ね、キリコちゃんだったらこういう事、楽しみそうと思っていたのだけれど?」
今年になって養成所の訓練では飽き足らず、暇さえあれば手合わせを所望するキリコを度々目にしているナタリーが不思議そうな表情をして言う。
「私は組み手がしたいだけなんです。命のやり取りも後腐れもなく。そうして足りない部分を見つけて、鍛え直して、今よりちょっとだけ強くなって……そういうのが好きなんです」
キリコはとても嬉しそうにそれを語る。鍛錬して、手合わせをして、また鍛錬。修行僧か何かかなどと笑われそうであるが、キリコにとって自身の身体を十全に動かす事は他の何にも変え難い趣味であり、人生の目的なのだ。
魔法が使える様になってしまって一度は心が折れかけた。自由に魔法が使える様になった頃、道半ばで中断していた気を扱おうとして今度は身体が死にかけた。そして今、なんの因果か周囲の人々の助けで生き長らえた私は一体どこへ辿り着けるのか?白銀桐子はそれを知りたくてたまらないのだ。
「それに、今度死にかけたら怒られるのでは済まなそうですから」
「それは当然でしょ」
昨年の暮れに突然倒れたキリコの介抱に奔走してくたびれ果てたサニーを知っているナタリーは当たり前の様にそう答えた。
その横でクロエの頬が少しだけ赤く染まった。理由は二人だけの秘め事である。
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