第91話 寮内個室

「ほんっと意味わかんない!」

 一人寮内の自室に戻った後、怒りに身を任せ机を割らんばかりの勢いで拳を叩きつけるアイギス。

 告白は確認作業であると誰かが言っていた気がするが、その前段階はどこにもなかった。一緒に遊びに出かけたこともなければ、贈り物をしたこともされたこともなかった。本当にただ単純にクラスメイトであったという接点しかない。

「もう少しやり方ってものがあるでしょうよ……」

 やり場のない怒りを放り投げるようにベッドに倒れ込む。怒りに任せてその場で手を出さなかった自分を褒めて欲しい。

「お邪魔しまーす……大丈夫?」

 発散しきれないモヤモヤした気持ちを抱えたままベッドに臥せているとキリコが部屋に訪れた。明らかに怒り心頭のまま談話室を抜け出して来たので気になって様子を見にきたのだろう。

「すっごいイライラしてる。キリコ、これ持って」

 そう言ってアイギスはキリコに小型の盾を投げつける。

「構えて」

 それを受け取ったキリコに防御姿勢をとるように促すと

「せいっ!」

 アイギスはその盾を鬱憤を晴らすかのように思いっきり殴りつけた。

 周囲に金属同士を叩きつけた重たい音が鳴り響く、時間帯によっては怒られそうなそれが彼女の心境の発露だとするならば、それは悲痛な叫びにも怒りを湛えた怒号のようにも感じられた。

「スッキリした?」

「まあまあ」

 キリコの問いかけにアイギスは煮えきらない答えを返すと、殴りつけるために顕現させていた盾を消した。

「どんな心境だったらいきなり告白なんかするのよ」

「東部領、行って来たんでしょ?なんかあったんじゃないの?」

 頭を抱えて心情を吐露するアイギスにキリコが茶々を入れる。キリコ自身も西部領から帰ってきた後で一通り報告書を読んでいる。どういう事件があって、何と戦って、その顛末がどうなったのか、それなりに詳しい報告書だったのだが、当然そこに個々人の色恋沙汰に関する情報なんてものは書かれている筈もない。

「色恋沙汰に繋がるような事なんて無いわ。せいぜい一緒に戦ったぐらいよ」

「戦場で芽生える恋、とか?」

「馬鹿言わないで」

 隠れたところでイチャイチャしてたんでしょ?とでも言いたげなキリコであったが、それに対するアイギスの態度は非常に塩気の強いものだった。酒のアテにはなりそうだがシェフの味覚を心配したくなるくらいに。

「入っても良いかしら?」

 そうして緩慢とした時間を過ごしていると、部屋の外からクロエの声が聞こえた。

 ちゃんと確認して返事を待つあたりクロエは割と律儀な方だと思う、吸血鬼だから招かれないと部屋に入れないとかそういうことではない。

 入室を許可して最初に入ってきたのは、二人の予想に反してアヤメであった。

「この度は我が主君が大変なご迷惑をおかけしました!一時の気の迷い故、何卒ご容赦を頂きたく……」

 入室するや否やものすごい勢いで土下座からの謝罪を決めるアヤメ、見ているこちらの膝と頭が痛くなりそうな勢いだった。

「謝罪を受け付けます。告白は聞かなかったことにするから、報復はなし。これでいい?」

 謝罪があろうがなかろうがそうすると決めていたアイギスは定型分のような返答をした。

 ぶっちゃけとっとと盤面をリセットして面倒な状況から抜け出したかっただけである。

「ありがとうございます!このご恩は必ず返させて頂きます!」

「いや、そういうのいらないから。とりあえずどうしてこんなことになったのかだけ教えて貰える?」

 尚も深く頭を下げ続けるアヤメに告白に至る経緯を求めるアイギス。

「ええっと、その……」

「どうにも戦力目的らしいわ」

 何やら言いづらそうに口をモゴモゴさせるアヤメを差し置いてクロエが口を開いた。結局アヤメは口を挟まなかったのでそれが本当のことなのかどうかは分からないままなのだが。

「それなら分からなくもないわ、それならそうと言ってくれれば良いのに。ただ、そうなると私の気持ちだけじゃ決められないのよね」

 戦力目的の勧誘、それを聞いたアイギスは満更でもないという表情で応じる。ただし、通すべき筋や踏むべき手順はきちんとしておいて欲しいというのが彼女の考えである。

 有用な人物を自陣営へと集めるためにあの手この手で早めに接触しておく、どこでもありうるごく普通の話だ。養成所を離れた後の進路が確定的でないアイギスや、目星をつけられた連中の内、西部や東部の両方と関わりの薄い者達なんかは積極的に勧誘を受けていることだろう。

 ただし、それに応じるなら応じるで周囲に与える影響をそれなり考えなければならないのが頭の痛い所だ。

「どういうこと?」

 そのことを理解していない……いや、どうでもいいと思っているキリコが疑問を呈した。

「今度西部にキリコが行くでしょ?元から王都に母さんとサニー、それからお祖母様だっている。これで私が東部に行くとなると、ねぇ?」

「他所の勢力からしたら面白い話じゃないわね」

 アイギスが危惧しているのは政治的な権力の偏りであった。

 魔神を退けた英雄であるセレスティア、その娘で火力面なら同等かそれ以上の能力を持つサニー、個人戦力としてはその二人に及ばないものの軍の第一と第二部隊を率いるステラとレイヴン、現時点でこれだけの戦力がアージェントの血筋を中心に集まっている。

 各個人が政治的な闘争を避けるように振る舞っている現時点でも他所の勢力からいい顔をされないことはそれなりにある。

 その上、長年に渡る西部領の問題を解決したシンボルに祭り上げられたキリコが西部領へ赴き、自身が東部へ行くようなことがあれば、外側からどのように評価されるかは分かりきっている。

「そうなのよ。必要とされるのは嬉しいけれど、それで敵を作ったんじゃあ意味がないわ」

「うわぁ、面倒な話」

 キリコはそういう話を理解する気がないだけで、理解できない訳ではない。実際、話の途中からは不味いものを無理やり食べさせられているような心底嫌そうな表情をしていた。

「……考えようによってはそう悪い選択肢でもないと思うわ」

 しばらく口を閉じて考え込んでいたクロエがそんな事を言い出した。

「本当にそう思う?」

 いきなり妙な事を言い出す彼女の話の続きを催促する。

「アイギス、あなた軍属になるにしてもどこに行くのよ?第一や第二で受け入れるにはもったいないし、かといって第三に行くほど魔法専門って訳でもないでしょ?地方方面の部隊はどこも欲しがると思うけど、どこに配属されても他所からいい顔はされないでしょうね。念の為聞いておくけど第七は……」

「絶対嫌」

 もしもの仮定を持ち出したクロエの問いかけにアイギスは食い気味に答える。

「そこまで言う?」

「これから先ずっとサニーに振り回され続けるとか絶対嫌よ、頭おかしくなりそう」

 色々と無茶苦茶やるサニーの行動を、面白いと思うキリコと、迷惑だと思うアイギス、感性の違いばかりは折り合いをつけるのが難しい。

「そう考えれば結婚を建前に東部領に行くのは悪い選択肢じゃ無いと思うわ」

 きっとどこを選んでも下らないヤジを受けるのであれば、選んだのではなく選ばれた事にしてしまう。ヘイトの向く先に東部領を追加して分散する。

 クロエが持ち出したのはそんな提案であった。

「それも少しは考えたんだけどね……流石にこんな事になるとは思ってなかったから」

「建前は建前でちゃんとしてくれないと困るのよね……」

 実はアイギスもクロエの提案に近い形の物を考えた事がある、あった。この状況になってしまったからには白紙に戻さざるを得なかったが。

「……私のとき完全に事後じゃなかった?」

 建前や手順を大事にしろというクロエの愚痴にキリコがツッコミを入れた。それもそのはず、彼女が西部領に召抱えられるのが決まった時は完全に外堀を埋めたうえでの事後承諾だったのだから。

「あーあー聞こえなーい」

 都合の悪い指摘に耳を塞ぎ聞こえないフリをするクロエ。


『若様が本当はアイギス様に惚れてる事を言うのは野暮……ですね。勝ち目の見えない様子ではなさそうですし、少しだけ助け舟を出しても良いですよね?』

 騒がしい部屋の隅で秘められたアヤメの想いに気づく者は居なかった。

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