第88話 セヴァライド魔法研究所

「来るたび思うけどまじでなにもない田舎よね、ここ」

 サニーは目的地であるリリーの実家、セヴァライド魔法研究所が見えてくるとボヤいた。

 彼女が愚痴を漏らすのも無理はない。魔導列車の西部領側終点である西部領南から乗合馬車を乗り継ぐこと5回、かろうじて集落と呼べるエリアから徒歩三日、見渡す範囲に他の建物など一つもない完全に辺境の地である。

 いくら魔法の実験で周囲に被害を及ぼさない為とはいえ、ここまでくるとただの田舎では無い。

 ド級の田舎、ど田舎だ。

「そろそろ速度を落とさないと怒られそうね」

 全力疾走に近い足の回転を徐々に緩めていく。

 魔力を用いた身体強化は単純な出力強化の他にも、消費する魔力と体力の割合を変化させることで長時間の活動にも使えるようになる。

 なるのだが……普通はやらない。

 せっかく目的地に到着したところで魔力が枯渇してました、なんて状況では目も当てられないのは言わずとも分かるだろう。

 その問題を回避するための固有魔法の反転運用、特定の事象を魔法とみなして回収し魔力へと変換する行為もあるにはあるのだが、これもまた普通は行われない。

 いまさら言うまでもなく、固有魔法というのは十人十色である。

 火を出せる者ならば火を、水を出せる者ならば水を糧にして自身の魔力へと変換するのだが、無論移動中の環境がそんな都合よく恵まれている様なことなどなく、その様な空論は大抵机上で却下される。

 しかし、そんな常識から一人外れてしまっているのがサニーであった。

 彼女の固有魔法、銀閃。

 類稀な切断能力を持った剣状の銀に輝く空間を生み出す彼女の固有魔法を反転させると同じく剣状の真っ黒な空間を生み出す。

 どういう訳か通常運用する固有魔法と遜色ない切断能力を持ったそれは彼女の魔力を急激に回復するのだ。

 まったく持ってインチキめいた非常識極まりない性質のサニーは、その無法な魔力回復能力を持って、魔導列車の終着駅から一軒家の他に何も無いど辺境までの道のりを自らの足で駆け抜けてきたのだ。


 サニーはセヴァライド魔法研究所と命名された個人宅の玄関をくぐると予想外の人物と対面した。

 リリー・セヴァライドである。

 ここが彼女の実家であるからして彼女自身がいることにはなんの問題もないのだが、問題となるのはその立場である。

 元々サニーの後釜として人間界に派遣されたはずの彼女がその派遣元である軍になんの通達もなしに戻って来ているのはさすがにおかしい。

 人事異動とかであればその情報は公開されているはずである。

「どうしてあんたがここにいる訳?」

「知的好奇心に負けた結果、かな?研究中の魔術式が向こうにいる間に完成しちゃって我慢できずに実験したら謹慎くらってご覧の通りっていう訳」

 不審に思ったサニーが問いただしたところ、帰ってきたのは拍子抜けする様な答えだった。

 研究に熱が入って周囲を気にしなくなるのは軍学校時代から変わらない彼女の悪癖である、心配するだけ無駄だったと悟ったサニーは自身が抱きかけた疑念を無かったことにした。

「……そう。ところでイメチェンとかした?」

 しばらく会っていなかったせいか、心なしかリリーの様子が以前と違う様な気がする。

「……特に変えた所はないけど?」

 そんな気がしたのだが、記憶を反芻するようにしばらく時間をおいて答えたリリーが違うと言うのであればそうなのだろう。

「気のせいか」

「気のせいでしょ」

 リリーに勧められるままお茶を啜り、一息つく。

 持ってきた話題が話題だけに少し落ち着いてから話を切り出すことにした。


 久しぶりに出会った気の合う友人との会話というやつは途切れる様子がない。

 概ね昼過ぎ辺りにここへ来たサニーだが、リリーと人間界で別れて以降、おおよそ2年分にあたるお互いの出来事を報告し終える頃にはすっかり夜遅くなっていた。

 いつの間にやらつまみ片手に酒の入ったグラスを揺らしていい気分である。

「そういえば、おじさん旧魔法研にいたって覚えがあるんだけど?」

「そうよ、当時のことはあんまり話したがらないけどね。パパー?サニーが呼んでるー!」

 リリーが酔っ払い特有のボリューム調節が狂った大声で彼女の父親を呼び出すと、しばらくしてくたびれた白衣を着た初老の男が現れた。

「やあ、久しぶりだね。僕に何か用かい?」

 久しぶりに出会ったリリーの父親は、いかにも人間的な生活を犠牲にしたような見た目をしていた。

「……またやつれたんじゃない?」

 不躾にも他人の父親を指差して口を開くサニー。

「これでもマシになった方なのよ……」

 ため息がちに吐き出されたリリーの言葉にその苦労を推し測る他なかった。


 結局、本題の話に入ったのは酔いもすっかり覚めた深夜帯のことだった。

「何かと思えば旧魔法研の話とはね、そこまで詳しい話は知らないけれどそれでいいかい?」

 旧魔法研の話が聞きたい。

 そう伝えると彼は少しばかり考える様なそぶりを見せた後、あまり詳しい話は出来ないけれどそれでも良ければと条件をつけて了承した。

「手がかりが見つかれば上出来よ、正直言って手詰まりだったからね」

 当時の旧魔法研で魔石研究が行われていたという情報だけで他に手掛かりと呼べる様なものなど何もないのだ、もし仮に手がかりがなければ別の線で捜査をするしか無いだろう。

「旧魔法研の遺物でも見つかったの?」

「たぶんね。これなんだけど心当たりはある?なきゃないで構わないわ」

 サニーはそう言うと机の上に半ば強引に持ち出した琥珀色の魔石を置いた。

「……サニーくん、これを一体どこで?」

 それを目にした男の様子を見て、サニーはおそらくこの一件が旧魔法研と根深い繋がりのある物なのだろうと推測すると同時に、明らかに厄介な面倒事の気配を感じていた。

「説明すると長くなるんだけどね……」

 サニーはその魔石を入手経緯について話し始めた、自身が勝手にそれを持ち出したことを上手に隠蔽しながら。

「僕の記憶が正しければだけど、これは確かに旧魔法研、それも革新派が研究対象にしていた魔石で間違い無いよ」

 転がすように、眺めるように、手の内で魔石の観察を続けていた男が自身の記憶との照合を終えたのか、その魔石が間違いなく旧魔法研の研究対象物であった事を断言した。

「やっぱりそうなのね、他に当時のことで知ってる事があれば教えて欲しいの」

 できれば当たって欲しくなかった予想が的中してしまい若干苦い顔をするサニーだが、そうなってしまったからには対応せざるを得ない。少しでも多く現在に繋がる手がかりを得ようと話の詳細を催促する。

「革新派がこれの研究を始めてしばらくしてから僕等は研究所を辞めてしまったから、詳しいことはわからないのだけれど、そもそもこれの研究を要請してきたのは今の魔王様だよ」

「あいつが?」

 男の言葉を聞いてサニーの脳裏に小憎たらしいリーゼロッテの顔が浮かんだ。

 あのクソ魔王様め、今だけじゃなく昔から面倒事を撒き散らす害獣だったとは。この一件が片付いたらとりあえずあいつを心ゆくまで殴ろうと思う。

「……元はと言えば彼女がこれの壊し方を考えて欲しいと言ってきたのが始まりでね。僕等も最初は色々なことを試したんだ、結局壊すことは叶わなかったけどね」

 そんなサニーの思いを知る由もなく、男は当時を懐かしむように話を進める。

「もしかすると当時行われていた魔石研究って……」

 そんな彼の思い出話を遮ったのはリリーだった。

「さすがリリー、察しがいいね。どうやっても破壊できないこれを何か別の用途に使えないかって考え始めたのが始まりさ。最初の内はまだ真っ当なものを創り出そうとしている様に見えたけれど、徐々におかしな方向に舵を切りはじめてね」

 男が言うには旧魔法研で行われていた魔石研究はどうやらこれを核に据えた物らしかった。

 決して壊れることのない魔石、確かに研究材料としては魅力的なのだろう。

 ただ、無限に湧き上がる探究心の行き着く先がおそらく碌でもないものだったことは想像に難くない。

「まさかとは思うけど魔神も旧魔法研の産物とか言わないでよ?」

「……可能性が全くない、とは言えないかな。革新派の連中が生体利用を検討していたのは知っていたけれど、なんとなく悪寒がして研究所を離れてしまったからその後の詳細までは分からないけれどね」

 サニーの脳裏によぎった根拠のない嫌な予感を男は否定しきれなかった。

 彼が旧魔法研を離れる少し前、件の魔石を生体に利用する計画は確かに検討されていた。

 彼とその仲間達の研究倫理から外れたそれに忌避感を抱いて研究所を去った者達も少なからずいて、しかしそれ故に当時の研究の果てが一体何だったのか今となっては確かめようもない。


 楽しかった過去に思いを馳せるのはいつだって楽しい。

 しかし明けない夜はなく、昔話に花が咲いた夜もいずれ朝を迎える。


 翌午後、仮眠から目覚めたサニーは王都へ帰還する準備を進めていた。

 その表情がどうにもスッキリしたものでないのは、単に寝起きだからという訳でもないだろう。

 ここ数年立て続けに起きた事件、過去から追いつく様にして現れた謎の魔石、おそらく何かしらの繋がりがあって裏で糸を引いてる人物がいるはずなのだが、その意図が読み取れない。

 西部で起きた事件も東部で起きた事件も、どちらも体制の掌握を目的とした物のように思える。思えるのだがいずれも解決の糸口を長期間放棄したままであり、それが相手の狙いの本質かと問われるとどうにも判断に迷うところがある。

「なんだか分からないことが増える一方だわ」

「大変そうね、サニー」

 独り言のつもりで溢した言葉にリリーが反応する。

「あんたが謹慎中じゃなかったら手伝って貰おうと思ってたんだけど?」

「本当にやばい時は呼びなさい、謹慎なんかクソ食らえよ」

「ありがと」

 煽り気味に持ちかけた協力の提案は条件付きで受け入れられた。

 万能の魔女たるリリーが手を貸してくれるのならば、自分一人では少々やばい危機的状況に陥っても何とかなるだろう。とはいえ黒幕が判明していない現時点で不用意に動かすべきではないのも確かで、危険ではあるが後手に回った所を巻き返すしか方法は無いのだろうとも思う。

 そろそろ出発しようとしたところで、リリーの父親に呼び止められた。

「ところでサニーくん、これはどうするつもりだい?」

 彼が持っていたのは例の魔石、ある程度ではあるが正体が掴めたのでサニーの興味からはすっかり外れていたそれだった。横領のような形で持ち出しておいてこの扱い、やはりサニーはろくな大人ではなかった。

「ぶっ壊すわ、こんな気味悪い物」

 サニーはリリーの父親が所在なげに持っていた魔石を奪い取るようにして受け取ると中に放り投げ、銀閃を使って剣の腹を叩きつけるように切り捨てた。

「それじゃ、また会いましょ」

 例の魔石の正体が分からずとも、やるべきことはたくさんある。

 簡単な別れの言葉だけ残して、サニーは走り出した。


「見つかったんだね、リーゼロッテ。あの子が君の望みを叶えてくれる子か」

 突然の訪問者が去った部屋の片隅で、リリーの父親が溢した言葉を聞いた者は誰もいない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る