第87話 アージェント邸

 3回目ともなると、養成所が開校を迎える前にクロエがアージェント邸に泊まりに来るのも恒例となっていた。しかし、予定より一足早くやって来たクロエは見るからに思い詰めていて、きっと何かがあったのだろうと察するも危険物を不用意に刺激するべきでないとの考えから一同は普段通りの接し方を心掛けていた。

 その夜、いつまで経っても寝ようとせずベッドに腰掛けるクロエを見て、キリコは翌午前中の行動予定を全部取り潰した。

 こういう日ぐらいは夜更かししてもいいかもしれない。

 キリコがクロエの隣に腰掛けしばらくすると、クロエは弱々しく口を開いた。

「……ごめんなさい」

「えっと……いきなり何?」

 突然の謝罪、正直な所キリコには謝罪を受ける謂れが思い当たらない。むしろ、西部領で無茶をやった結果一人で死にかけて大迷惑をかけたのはキリコの方である。

「私、この前あなたが倒れた時、あなたを吸血鬼にしようとしたの」

 困惑したままのキリコに対し、クロエは唐突な謝罪の理由を告げた。

「その話?別にクロエの好きなタイミングで良いって言わなかった?」

 いかにもそれらしい理由のようであったが、それもキリコの腑には落ちなかった。

 それもそのはず、養成所を出た後シュヴァリエに仕えることが内定したキリコは、種族の違いから来る寿命差という避けられない問題を解決するべく、いずれ吸血鬼になる事を承諾した。

 故にそれもクロエの謝罪の理由としては妙な気がする。

「それでも、気絶してる時にそうするのは許されない事だわ」

 尚も弱々しく自罰的な発言を続けるクロエにキリコは心当たりがあった。

 それはキリコが不覚にも自らの友人を刺してしまった時の様子に酷く似ていたから。

「プライドの話?」

「……そうね、そうかも」

 探りを入れてみれば、どうやら当たりの様子であった。

 キリコは、自らが離れていた時のクロエに何かが起きていたことに若干の後悔を抱きつつ、未だ俯いたままのクロエが続く言葉を紡ぐのを辛抱強く待つことにした。

 今夜は長くなりそうだ、温かい飲み物でもいれてこよう。


 冷えというのは思考が負の方面に向かう原因の一つであるとどこかで目にした気がする。

 持ってきた温かい飲み物に口をつけた後、キリコは珍しいことに自分のベッドにクロエを招き入れた。

「キリコ、あなたに言っておかないといけない事があるの」

 それからしばらくして、クロエは先程までよりもはっきりとした口調で話し始めた。

「何?いまさら改まって」

 ようやくクロエが凹んでいた理由が聞き出せるかも知れないと期待するキリコだが、勤めて冷静にいつも通りの態度を続けた。

 たとえ誰かの手を借りることになろうとも、窮地から這い上がる意志だけは己の内から発するものでなくてはならない。キリコはその事を身をもって自覚している。

「私ね……私になる前の記憶がないの」

 自らの意思で自らの言葉を紡ぐのはとても難しい。

 クロエは鈍った頭を必死に総動員して辿々しい言葉を組み上げるとその事を強く自覚した。

「……?いや、生まれる前の記憶が無いのは当たり前のことじゃない?」

 だってほら、やっぱり上手く伝わらない。

 それでも諦める訳にはいかない。

「ええっと、そうじゃなくて。私はお母様の娘だけど娘じゃなかったみたい」

 靄のかかった頭で、ボロボロに崩れ落ちた自分を組み直すように言葉を紡ぐ。

「……義理の娘みたいな感じ?」

 今度は少しだけ伝えたいことが伝わった気がした。

 でも、もう少し。

 バラバラになった私を寄せ集めるように言葉を紡いで吐き出す。

「ううん、血縁上のつながりはあるんだけど。なんて言ったら良いのかな……」

 まとまりそうでまとまらない想いの丈をゆっくりと、ゆっくりと。

 モヤモヤとした感情を言葉に乗せて外へ出し続けると、次第に頭の中がスッキリしてくる気がした。それまで辿々しかった言葉が徐々に流れるようになっていく。

「吸血鬼の増え方については前に説明したでしょ?」

「うん」

 吸血鬼はその性質上子供を産む事ができない。もしかしたら子供を産める者もいるのかもしれないが、少なくともシュヴァリエの一族はそうじゃない。

 何かあれば消えてなくなりそうな自勢力を拡大するために特殊な方法で行われる吸血や魔力の交換によって自らの眷属や同胞を増やすのだ。

眷属という名の都合のいい手駒から同胞と呼ばれる主人とほぼ同格の吸血鬼まで、その手法は様々ある。

 そういう説明をキリコは以前に受けた事がある。

「あの話には続きがあってね、その……シュヴァリエの吸血鬼にする方法があるの」

「嫌な予感しかしないんだけど?」

 躊躇いがちに話を進めるクロエを見てキリコは彼女が知りたくない事実を知ってしまった結果、ここでこうしているのだろうという事を察してしまった。

「キリコには知っておいてほしいの」

「いいよ、続けて」

 これを口にした結果、キリコに引かれてしまうかもしれない、嫌われてしまうかもしれない、もしかしたら彼女が私の傍から離れていってしまうかもしれない。

 不安と恐怖が口を閉ざそうとするけれど、それでもクロエは想いを伝える。

 これはきっと私を知ってもらうために必要な儀式だから。

「シュヴァリエの固有魔法は変質、物事の在り方を弄り作り変える力。雷撃も変化も血液を使った攻撃も、全部そこから派生したもので……」

 クロエは説明を続ける、本来であれば血族以外に開示することはないであろう己の固有魔法についてまでも。

「ああ、どおりで。攻め手の豊富さがどうにも妙だとは思ってたんだよね」

 尚も話を続けようとするクロエをキリコは途中で制した。

 固有魔法の正体について語ろうとした彼女を止める意味もあったが、それ以上にキリコは今までに行った彼女との手合わせの中でなんとなくではあるがその概要に当たりをつけていたというのが大きい。

「ほんと、キリコは戦いのことになると急に冴えるね。眷属にするのも同胞を増やすのもそういう事、その先にシュヴァリエの吸血鬼にする手段があるの……私もつい最近知ったんだけどね」

 シュヴァリエの血族が持つ対象のあり方を変質させるという固有魔法、その一端がクロエの振るう多様な攻撃であったり、あるいは他者の在り方を吸血鬼へと変えるということなのだろう。

 そしてその先にあるのが、他人の有り様を塗りつぶすようにしてシュヴァリエの吸血鬼へと変化させるものらしい。

「ひょっとしてクロエは……そういう事なの?」

 そこまでの話を聞いてキリコの脳内に嫌な予感が浮かび上がる。

 ひょっとしてクロエ・シュヴァリエにはそうなる前の誰かが居たのではないかという事に。

「……そうよ。私……いや、一番最初のご先祖様以外はずーっとそう。そんな話を聞いたら訳分かんなくなっちゃってさ……逃げて来ちゃった」

 キリコの予感は的中した、的中してしまった。

 そして、クロエが未だ何かを言い淀んでいることに。

「そっか。でも、逃げてきた理由はそれだけじゃないよね?」

 多少煽り気味に吹っ掛けると、クロエは観念したように乾いた笑いを漏らした。

 そして、ここに来る前の出来事について語り始めた。

「ははは……お見通しかぁ。見に行ったんだ、私が私になるより前に住んでいた所。まぁ、私がシュヴァリエになったのは3歳ぐらいの頃だから記憶なんてないんだけどね。会って来たの、私を産んだ母親に。話もしたわ、小さな頃の私が魔力を暴走させて死にかけた事、ローザ母様に懇願して私をシュヴァリエにした事、今でもずっと私の無事と幸せを祈っている事、それと……私と関わることは許されない事」

 クロエはキリコが西部領で倒れた時、酷く狼狽していた。

 おそらくではあるが、吸血鬼というのは本能的に配下を失う事に強い忌避感を覚えるらしい。それでも彼女の理性はキリコを有無を言わさず吸血鬼にする事を拒んだ。それこそ自らの母であるローザに『私がもしキリコを吸血鬼にしようとしたら力づくで止めて』と願うくらいには。

 ローザはその様子を見てクロエに彼女をシュヴァリエに迎え入れた時の真実を伝えたらしい、流石にこんな事になるとは思っていなかっただろうが。

「私って、なんなんだろうね……」

 クロエは掠れるような声で自身の悩みの根幹を口にした。

 己自身こそがどんな窮地にあっても最後まで味方で居てくれる。

 ならば、その己が他者によって形作られている事を知ってしまった時、一体どうすればいいのだろう?

「クロエは、クロエじゃないかな?」

 悩み続けるクロエに対し、キリコはよく分からない答えを返す。

「……なにそれ」

「うまく説明できる気がしないんだけどさ、私達は私達である事を辞められないんだよ。人生には無数の選択肢があるように見えて、実際には数える程度しかない。私も魔法が使える事が分かるまで普通に人間として生きて行くんだって思ってた。でも今はこうしてクロエの隣に居るし、きっとこれからもそう」

 キリコは時折、妙に哲学的な発言をする事がある。

 彼女が言うには自己とそれ以外との境界線を把握することが戦いにおいて有利に働くから、らしい。

 だが、そんなことよりもクロエにとって重要なのは。

「よく解らないのだけれど……キリコは私の傍に居てくれるの?」

 大事な配下で、大切な友人で、大好きな彼女が変わらず傍に居てくれること。

「私の支えたいクロエである限り、ずっと」

「……そっか、それを聞いたら凹んでなんて居られないじゃない。ありがと、キリコ。私は理想のクロエ・シュヴァリエであり続ける事をあなたに誓うわ。これからもよろしくね。それと、おやすみ」

「おやすみ」

 かくして、2人の間に契約よりも重い約束が結ばれる。


 なお翌日のクロエが妙にスッキリした表情をしていたこと、2人揃って昼過ぎまで寝室から顔を出さなかったことから、あらぬ疑いをかけられたのは言うまでもない。

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