第85話 万能の魔女

「万能の魔女、か。とんだ皮肉よね」

 目的地である山奥にたどり着いたリリーが自嘲気味にそんな事を呟いた。

『万能の魔女』

 リリー・セヴァライドがそう呼ばれ出したのはいつの頃からだっただろうか?

 魔女。

 魔法に長けた母親が己の願いと命を託して生み出す、託された願いを叶えるための魔法とそれに必要な能力を持って生まれる特異な存在。

 明らかに桁違いの能力は様々な事情で必要とされ、彼女が生まれるよりもずっと昔、魔界が戦乱に満ちていた時代には、それこそたくさんの魔女が生まれて散っていったらしい。

 だがそれも昔の話、曲がりなりにも平和になった今ではその姿を目にすることは殆どない。

 しかし、リリーはそんな平和な時代に魔女として生まれた、別に彼女がそれを望んだ訳でもないのに。

 リリーの両親は2人とも古典派・伝統派などと呼ばれることもある魔術式の研究から新たな魔法を開発・運用が彼等の趣味であり、食い扶持でもあった。

 元々、旧王都にあった魔法研究所で研究を続けていた2人だが、人体から取り出した魔石の運用を目的とする革新派との対立をきっかけに研究所を辞め、故郷である西部領に戻って独自に研究に没頭していた。

 リリーの母親が彼女を身籠ったのもちょうどその頃の出来事である。

 それからしばらくして、リリーはこの世に生を受けた。3人での新しい幸せな生活を思い描いていた夫に予想外の事態が訪れる。

 出産後の妻身に起きる明らかに異常な衰弱、なんとかして復調を願う夫の脳裏にある可能性が浮かび上がった。


 魔女。

 魔法に長けた母親が己の願いと命を託して生み出す、託された願いを叶えるための魔法とそれに必要な能力を持って生まれる特異な存在。


 狼狽する夫が愛する妻の元へ駆けつけると、彼女は最後の力を振り絞って言葉を託した。

「リリーの事、よろしく頼みます」

 そして、

「愛しているわ、あなた」

 ただそれだけを。

 悲嘆に暮れる男の元に更なるトラブルが舞い込んだ。

 そう、魔神の発生である。

 彼は研究者故に前線へ向かう事は無かったものの、未だ赤子のリリーを抱えながら後方で支援に奔走する事になる。嵐のような事態が過ぎ去った後、彼は一人の親として可愛い我が子を強く、賢く育てようと決意するのであった。

 幼児の自我が芽生えるよりも先に、魔力を、魔術式を、魔法を生活の一部として浸透させる。そんな半ば狂気とも呼べる育児方法のおかげか、リリーは幼児期の段階ですでに一般成人と同等の汎用魔法を自在に操るようになっていた。

 誰よりも魔法に愛された魔女として周囲の期待が高まる中、彼女に最初の苦難が訪れる。

 魔界における人生のうちで重要なイベントの一つ、固有魔法を発現するのが大体この幼児期である。魔女として生まれたリリーであったが、周囲の予想に反してなんの固有魔法も発現する事はなかった。

 子供とは思えない莫大な魔力も、精緻にして大胆な魔法の制御力も、彼女が魔女であることを間違いなく証明していたが、リリーには固有魔法と呼べるものがなにも無かった。

 時代にそぐわないとはいえ、周囲の人々が魔女というものに期待をしてない訳ではない。期待を寄せていた周囲の人々がリリーから離れていくことは当然のことだった。

 リリーが周囲に見放されてからも、彼女の父親は彼女を愛することをやめなかった。その愛が我が子に向けるものというよりか、興味深い研究対象へのそれに近いもののように歪んではいたが。

 天才という程では無いにせよ、リリーの父親は一角の研究者であった。彼はリリーに固有魔法と呼べるものがないだろうと見切りをつけると、即座に汎用魔法を中核とした彼の持てる全ての知識を教えることにした。

 さすがは魔女と言うべきなのだろうか、リリーは10歳の誕生日を迎えるより先に高度なものを含む全ての汎用魔法を覚え切っていた。それも、通常あるはずの得手、不得手の区別すらなく。

 これには意を決して彼女を育てていたはずの父親の方が先に根を上げてしまった。

 リリーには間違いなく才能がある、素質もある。だが、これを活かすことのできる環境への伝手が父親であるはずの自分にはない。困り果てた彼は数日逡巡した後、未だ幼いリリーを連れて西部領領主の元へと向かった。


 新たな環境、シュヴァリエ城での生活はリリーにとってとても刺激的なものだった。

 実家にもなかった古い魔術書の数々、今も付き合いの続くローザやサニーなどの同年代の友人、そして彼女にとって何よりも嬉しかったのは思いついた魔法を自由に実験できる環境だった。

 10歳以降、現在は養成所となった当時の軍学校への入学基準を満たす15歳になるまでの間、そのほとんどの期間をリリーはシュヴァリエ城で過ごした。なお、リリーが軍学校へ行くと耳にしてひときわ強く反発したのが、彼女よりも一年早く軍学校に入校していたローザであった。

「サニーはともかくとして、あなたまで行く必要はないじゃない。中央に行きたければ研究所の枠ぐらい用意するわ」

「それじゃあ駄目なの」

 ローザの申し出をリリーは切り捨てる。

「……?」

「私は、私に何ができるのかあまりにも知らなさすぎる」

「なんでもできるくせに?」

「だからこそよ」

 同世代で圧倒的に優秀なローザでさえ、こと魔法の運用に関して言えば年下のリリーに遠く及ばない。若干の妬みを持って持ちかけられたローザの提案と、思春期特有の自己の存在─自分が何を託された魔女なのか─について悩むリリーでは分かり合えるはずもなかった。

「変なの、今の時点でも引く手数多なのに軍学校なんて。ほんとはウチで召し抱えたいぐらいよ」

「考えておくわ」

「結構本気なんだけど……まあいいわ、面倒事があったらウチの名前を使いなさい。余程の事でなければそれで切り抜けられるはずよ」

「ありがとう」

 周囲の心配と反対を押し切る形で軍学校へ入校したリリーであったが、その決断が後悔へと変わるのに時間はかからなかった。王都中央へ赴いた彼女を待っていたのは勧誘に次ぐ勧誘、いずれの派閥や団体もどうにかして優秀な魔女である彼女を確保しようとあの手この手で手を伸ばしてきた。

 少女は社会に出ることで初めて自分が保護されていたことを自覚する。初めの方こそ角が立たないように丁寧な応対を心がけていた彼女だが、何度断っても執拗な勧誘を続ける奴、ついには武力で強引に連れて行こうとする輩などが現れ始めるとそうも言ってられなくなる。まだ若いとはいえきちんと訓練を積んだ魔女がチンピラまがいの大人に劣るはずもなく、叩き伏せた連中の数が4桁に届く頃には無謀な勧誘のたぐいは鳴りを潜めていった。

 現在のリリーが面倒事を魔法で強引に切り抜けようとするのにはこの頃の経験が多分に大きく関わっている。

 軍学校を卒業する頃になると、リリーのことを知らない者は極々僅かになった。

『万能の魔女』『狂犬の飼い主』『魔を食らうもの』等の物騒な呼び名が広まったのもこの頃で、だいたいの理由がストレス発散とか魔法実験と称してサニーとつるんで暴れ回ったせいなのだが、言うまでもなく自業自得である。

 軍学校を首席で卒業すると、リリーは例外的に王都中央の魔法研究所へと配属になった。軍属に耐えられないからという訳ではなく、単純に魔法や魔術式の研究が好きだった彼女を魔王であるリーゼロッテがその権力で持って引き抜いた形である。

 父親とは離れて暮らすことになってしまったが、彼女がそのことを後悔する事はなかった。別になにも父との関係性が悪いとかそういう話ではない。成人して王都で暮らすようになってからもリリーは年に数度は実家に顔を出すようにしている。一人で暮らす研究者気質の父が自身の生活を放り投げていないだろうか心配なのが半分と、もう半分は自分を産んだ母が所有していた過去の記録を見直すためである。

 母がなんらかの願いを託して自分が魔女になったのならば、託した願いのヒントになるものがなにかしら残っているはず。そう考えて資料を漁り眺めるリリーであったが、予想に反して自身の手掛かりになるようなものは見出すことが出来なかった。

 汎用魔法に使用される魔術式の解析が終わり、あらゆる魔法を自在に組み立てられるようになった後でも、彼女が母親から託された願いが何なのかは判明することがなかった。

「自分に託された願いも分からないのに何が『万能の魔女様』よ、くだらない」

 自身に向けられる称賛の声を切り捨てる彼女は傍から見れば冷たく見えるのだろう。

 だが、彼女の心の内はいつだって熱い欲望で満たされている。

「結局、何を託されたのかは分からずじまいなんだけどね」

 自虐的な笑みを浮かべながら大規模な魔術式を構築し始めるリリー。

 いまさら言うまでもなく、人間界での魔法の行使は緊急事態を除いてご法度である。例外的に認められている事前申請を通してのそれでさえ、ここまで大規模なものは認められていない。もちろん事前申請のないリリーのそれは改めて言うまでもなく、ただ単純に悪質な違法行為。どうしてそんな行為におよんだかと聞かれればそれは彼女の興味故、可能性を見出してしまったからには手を出さずにはいられない彼女の性。

「信心なんて持ち合わせてなかったけれど、神様の力ってすごい」

 いずれ手が届くかもしれないが、今の彼女には制御できないはずの広大な魔術式を自在に操りながらリリーは呟く。

 ここに来るより少し前に出会った神を名乗る雪女から持ちかけられた提案『私を信仰してみませんか?』一見して詐欺のようなその提案をリリーは受け入れた。

 信仰、簡単に言ってしまえばその有り様を認め、信じ、崇める。たったそれだけで地域限定とはいえ自身の能力に後押しが受けられるとあれば、リリーがその提案に乗らないはずもなかった。

 彼女の全ては理論上完成していた未実証の魔法のために。

 それは、世界を上書きする大魔法。

 世界の有り様を根底から捻じ曲げ、術者の都合のいいように書き換える無法。

 リリーの前に広がっていた魔術式がひときわ強く輝くと、その光は彼女に吸い込まれるようにして小さく消えていった。

「これでよし。さて……」

 魔法自体は正しく発動した、はずである。

 効果を自覚するまで時間を要する魔法を選んだことに若干の後悔を持ちつつも、リリーは一息入れようと持参していたキャンプセットを広げにかかる。どのみち時間には余裕を持っているし、都市からは遠く離れたロケーションでゆったりとした時間を満喫するべく準備をしていると、ふと彼女の視界の端に人影が現れた。

「あら?ここであなたと出会うつもりはなかったはずなのですが……」

 人里離れた山奥、周囲に住民などいるはずもなく、先程までリリーの他に人気などない場所に突然現れた女は、明確にリリーの方を向いてそう口にした。

「そっちにその気がなくてもこっちにはあるの、久しぶりね?」

 妙に挑発的な口調でリリーが出迎えた彼女は、2年ほど前に彼女の前に唐突に現れ幻のように消えていった女だった。彼女はリリーの方へ歩み寄ると心底不機嫌そうな表情を取り繕うことなく語りかけた。

「私を喚び出したということはそれ相応の覚悟ができているという……あれ?ひょっとして、召喚してない?まさかとは思いますが、偶然?」

 睨みを効かせていた彼女は途中でなにかに勘づくと態度を一変させてリリーに問いかけた。

「その通り、察しが良くて助かったわ。たまたま、偶然、奇跡的に出会ってしまった。一体どうしてくれるのか楽しみね?」

 そんな彼女をリリーは意地汚い笑顔で挑発する。

 彼女の目論見は確かに成功した、その為だけに構築したとんでもない大魔法とともに。彼女が書き換えたのは彼女自身の運勢、出会えないはずの運命すらも捻じ曲げて強引に再会させるほどの幸運。それは本来ならば対価を払って喚び出さなければならないものにすら出会える、あまりに無法なコストの踏み倒し。

 余裕の表情を崩さないリリーであったが、その心中はむしろ真逆のものだった。

『やばいやばいやばい!想定してたのより遥かにやばい!おそらく神性の一種だろうと当たりはつけてたけど、この前の自称神様なんかじゃ比べ物にならないやつじゃない!』

 最初に出会ったときはその異常さに気づかなかった。隠していたのか、あるいはリリーが神様と出会ってしまったことでそれを知覚してしまったからなのか。いずれにせよ眼の前にいる女の姿をした何かは、世界の有様を鼻歌交じりで好き勝手できる存在だということに。

 それでもリリーは退かない、そんなつもりは端からない。

 私の命より、私に託された願いより、遥かに大事にな私の欲望。

 その無理を通すためならば、世界がどうなろうと知ったことか。

 全身に残った理性をかき集め、それと見つめ合うことしばし。

 永遠のような一瞬の時間の後、眼前の化け物から感じていた威圧感が幻であったかのように消え去った。

「ずるいですよ!そういうの!もしも次やったらどうなるか……分かっていますよね?」

「流石にこれっきりよ、疲れるし」

 まるでフィクションのようなコミカルな怒りを態度に出しながら忠告する女に対し、リリーは心底くたびれた様子で応えた。

 積み重ねた鍛錬の果て、さらに幸運な出会いが重なってようやく指先が届いた世界で、それを遥かに凌駕する化け物が平然と歩き回っているならば、そんな所に好き好んで立ち入る人はいないだろう。常人よりも遥かに恵まれた魔女に生まれ、研鑽に事欠かない裕福な環境で育ってきたリリーでさえそう思う。

 だから、この魔法を使うのはこれが最後……いや、記録として魔術式を残してはおくのだけれど。

「言質、取りましたよ。願いは?」

 警告程度で済んでよかったとリリーは心の内で息を吐いた。

「サニーを助けてあげて」

 本来ならば対価を払って願いを叶えるそれ、自分から踏み倒しておいて厚かましいとは思いもするけれど、大切な友人を助けるためにその権利を行使する。一見してろくでなしに見えて、その実ろくでなしではあるけれど、あの子は私の大切な友人だから。

「承りました。……妙ですね、つい最近も同じことを願われた方がいたのですが」

 願いを聞き入れたはずのそれが怪訝な表情を浮かべるのをリリーは見逃さなかった。

「は?一体誰がそんな事を?」

 自分以外に一体誰が露悪的なあいつの無事を願うというのか?

「おおっと、そこから先は喋りませんよ?安心してください、助けには必ず向かいますから」

 降って湧いた謎の答えを知ろうと問いかけてみるも、それは意地悪な笑みを残したまま幻であったかのように消え去ってしまった。

「サニー、無事でいなさいよ……」

 一抹の不安を残して吐き出されたリリーのつぶやきは吸い込まれるように山奥へと消えていった。

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