第52話 講義風景・2年目

「そういえば南の島って何があるんですか?」

 講義中、キリコがそんなことを質問した。世界史とか行政の仕組みとか経済の仕組みとかそんなことをやる講義での出来事である。

「南の島?……ああ、あそこ。何もない、というか何も分からないわね」

 身も蓋もない返答をしたのは講義担当のエルフ先生、休暇の日程を間違えて初回の講義をすっぽかしたろくでなしである。長命種の時間感覚をあてにしてはいけません、必ずトラブルに繋がります。

「いつ頃の話だったかしら……南の方に島があるっていうのは結構昔、少なくとも魔神が現れるより前には知られていて、その当時には調査隊が派遣されてたはずなのよね。調査の結果、島全体を覆うようにバリアみたいな物が貼られていて、結局調査を打ち切ったのよ。その後はお察しの通り魔神が現れて、その後の対処にまわって、いまに続くと」

 なんというか雲を掴むような話だった。結局のところ分かったのは何も判らないということだけ、聞いた方も答えた方も不完全燃焼といったところだろう。

「まあ情勢も安定して来たし、そろそろ調査を再開しても良いんじゃないかなーって私は思ってるけどねー」

 これまたふわふわした感想を述べるエルフ先生、達観というか諦観というか傍観というか、自然とともに生きる森の民であるところのエルフは人の営みを娯楽程度にしか認識していない。

 彼ら彼女らにとって生きることも死ぬことも自然なこと、そこから先の意志を伴う行動に関してはエンターテイメントでしかないのだ、良くも悪くも。

「先生は南の島になにがあるとお考えですか?」

 生徒の一人がそんなことを質問した。

 今ある情報から予測を立てる、それは生きていく上でとても大事なことである。予測の精度はひとまず置いておいて広く情報を集めてつなぎ合わせること、そこから合理的な予測を立てること、最後に予測と現実を比較するのだ、自身の至らなさと幾度となく向き合いながら。

「私?わたしはねー、魔界を支える重要なものがあるって思ってるなー。不滅の魔女のおとぎ話は聞いたことある?前回聞いた?ちぇー。まあいいわ、いまだに魔界は人間界と分かれているでしょう?魔神が出てきてあんだけ暴れた後でも。そして大陸のどこを探しても不滅の魔女の痕跡は見つかっていない。ということは厳重に守られてるあのへんが怪しい場所よねー、半分くらいそうあってほしいなって気持ちもあるけどさ」

 エルフ先生から返ってきたのはなんともロマン溢れる回答だった。

 おとぎ話が本当に起きた出来事だとするならば……魔界と人間界が分かたれているのでその点については本当である可能性が高いのだが、不滅の魔女や聖女が実在していたかどうかについては確たる証拠が見つかっていない。

 だからこれはきっとそうだったら良いなという淡い期待でしかないのだ。

「まあ、みんなが大人になって生活に余裕ができたら調査してみると良いんじゃないかしら?私はその結果をのんびり待ってるわ」

 エルフ先生はどこかおっとりしている、世界のあるがままを受け止めるのがエルフ社会での美徳であるがゆえに。




 はたまた別の日。

 こちらは魔術式構造学での一幕、一年次にあった汎用魔法概論から続く講義内容となっている。

「さて、配布した資料は全員に行き渡ったかな?その本は禁書指定されていたものなので養成所外での取り扱いには十分に気をつけるように、特に旧魔法研の連中に見つかると確実に一騒動起きるので注意してくれたまえ」

 この日は珍しく講義開始時に物理書籍の配布があった、資料の殆どがデータ化されている魔界において紙製の資料本を配ることは極めて稀である。ちなみに、その本の厚みは百科事典並みであった。これを持って殴りかかれば十分な殺傷力がありそうだ。

「どうしてそんないわくつきの書籍を配るんですか!?」

 生徒の意見はごもっとも、禁書指定されてる書籍を配布する講義担当の倫理観を問いただしたい心持ちである。

「なぜ?……ふむ、その本が汎用魔術式について一番詳しく記載してあるからという他ないのだが」

 自身が禁書指定されている書籍を配ることに微塵の違和感も感じていない講義担当、その答えは若干世間の倫理観とは乖離している。これだから研究者というやつは……と言いたいところではあるが、そうでもなければ事象を探究するなどとてもじゃないができない。結局どこかで普通であることを諦めるか、あるいは元々普通から外れているかのどちらかなのだ。

 彼はどちらかというと普通であることを投げ捨てた側の人である。

「えっと、知りたいのはそういうことではなくて、禁書指定になった理由なんかを教えていただけると……」

 さらに問いを投げかける生徒の声が心もとない、それもそのはず一般流通にNG食らった理由など知らなければよかったと後悔するのが関の山だ。

「これが禁書指定を受けた理由?表向きはまあ色々なことが言われているがね、実のところは魔法研の偉い人のご子息がこの本の内容を雑に解釈して、腕だか脚だかを吹き飛ばしたからだな。身内の恥を隠そうとした結果、この本が悪者にされたってところが実情だ、まったく馬鹿馬鹿しい」

 ただ、事実はそれよりも数段下をくぐり抜けていった。当初思っていた方向性とは別のベクトルで知らなければよかったという感情が生徒一同に芽生えた。

 そんな弛緩した生徒たちに釘を差すように講義担当が続ける。

「そうは言うものの、この本『なんでもできる魔法の書』が危険であることは確かにそうだ。一年次に君たちに覚えてもらった汎用魔術式は長年継承されてきた誰でも使えて、術者に影響を及ぼす心配がない、いわゆる安全な魔術式だ。だがこの本に書いてあることはそれらから遠く離れたところにある。既存の魔術式を調べ上げ、地道な検証作業を繰り返した結果、汎用魔術式に使われる構文を極限まで分解した内容が記されている。言ってしまえば安全装置を外した魔法になりうるものだな、自身の魔力を全部使って自爆するなんてこともやろうと思えば当然できる、もちろんそれ以上のことも」

 先程まで緩んでいた教室の空気が重く冷たく沈んでいく、その一方で好奇心を隠しきれない一部の生徒もいた。

「だがあまり怖がる必要はない、基本的に魔術式は魔力を通さなければ起動しないからな。さて、前置きが長くなってしまったが、諸君らのこの講義における評価は去年調べた自身の魔力波長に合わせて各個人でオリジナルの魔術式を構築することだ。無論、構築した魔術式の内容によっては去年の講義内容である魔力波長の変換式が必要になってくる場合もあるな。危険性をなるべく排除するため、魔術式は仮作成した段階で必ず私か、私の所属する魔王軍の第3班に検証を依頼するように、調子に乗って取り返しのつかない傷を負わないようにな、頼むぞ。先の話になると思うが術式を実行する際には必ず演習場を利用してくれ。毎年誰かしらが物損を起こす、勘弁してくれよ、頼んだぞ」


 養成所の講義内容は薄かったり濃かったりする、それは人によっても日によっても変わるのだ。ただ一つ言えるのは、自主性のないものはここでは容易に振り落とされるということだろう。生き残るための労力を惜しむものに魔界は生きる場所を提供したりしないのだ。

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