第42話 北部領にて
魔界大陸北部、雪と氷に閉ざされた山間部にそれはある。
膨大な燃料を糧にし煌々とした炎が燃え盛る炉、周囲に熱を供給するそれのお陰で人々はようやく寒さに抗い続けなければならないこの環境で生活することができる。
もっとも、この炉を作った理由は生活そのもののためではないのだが。
事は魔界に人々が移住し始めた頃まで遡る。
人が理解のできるものを科学と称し人ならざるものと袂を分かち始めた頃にそれはできた。
人の理解が及ばない者たち、人ならざるもの、すなわち人外。
認識の外に追いやられたとて消えてなくなるわけではない、それらは決して人の描いた空想ではなく実体であり、当然ながら生活する場所を要する。
そうして開かれたのが魔界と呼ばれる大陸である。
移住に際して特別大きな問題というのは起きなかった。
趣味や趣向、血族や種族など近しい者同士が寄り集まり集落を形作っていく。
その中でも北方の山間部にある豊かな鉱脈に目をつけたのがドワーフと呼ばれる種族、あるいは金属や石材の加工を生業とする者たちであった。
端的に言うとものづくりに取り憑かれた連中が寄り集まって生活しているのが北方山間部のエリアである、元々は金属加工用に作られた巨大な炉を暖房の熱源に再利用し生活の礎としている。
暮らしやすい場所よりも創作活動に適した場所を生活圏にするあたりに住民の狂気を感じる。
そんな人里離れた地域に大型の樽を背負いやってくる老人が一人。
西部領の領主邸で執事を務めていた人物であり、実のところクロエの祖父であり、その母ローザの父親でもあり、シュヴァリエ家先々代当主である。
彼は寒さを堪えながらやっとの思いでこの集落にたどり着くと、炉を中心に囲うように建てられた大掛かりな建物の中へと入っていった。
北方山間部の集落にある建物は、この円形に建てられた巨大な建築物が一つあるだけである。
その中央にそびえ立つ巨大な炉を含めるのならば二つと数えることができなくもないが。
この巨大な建築物こそが北方山間部における集落そのものである。
現代的なイメージとしてはショッピングモールにそのまま生活しているような感じだろうか。
老人は樽を背負ったまま施設内に存在する酒場へと向かった。
この時間ならば彼の目当てとする人物はその場所にいることが多い、もしいなくても背負った重たい荷物を片付けることができる。
そう考えれば老人の選択肢などこれ以外にはあり得なかった。
「久しぶりだな!ここに来たということはお家騒動は片付いたようだな?」
樽を背負って入店した老人に話しかけるガタイのいい初老の男性が一人、話しぶりから老人とは旧知の仲のように見える。
「お家騒動にするつもりはなかったのだがな……」
見るからに疲れ果てた表情で返す老人、吐き出した言葉に覇気を感じられないのは今しがた背負ってきた樽のせいだけではないだろう。
「傍から見てる分には面白かったぞ、なんにせよご苦労だったな」
「他人事だと思って好き勝手いいおって……」
「実際他人事だからな。それに下手に介入すればそっちの計画が崩れかねなかっただろう?」
男達は西部領で起きた一連の事件を振り返って言葉を交わす。
元々は魔界にはびこる不穏分子の一掃を目的として魔王から依頼された一件であった。
滅びを求めて魔神を信奉する集団をかき集めて一掃する。
孫娘のクロエがまだ小さい頃であったため不安はあったが、それでもやるべきことをやらねばならないのが領土を預かる身分としての責務である。
結局、紆余曲折あり色々と危うい状況にも陥ったが、どうにかこうにか彼にとって大事な人物が死なずに事を終えることができた。
お陰でこうして旧友と語らうことができる。
「ところで背中のそれ、いい加減おろしてきたらどうだ?」
男が老人の背中にある樽を指さして言う。
樽の中身は男の好きなもので、老人もまた好きなものである。
つまり、酒だ。
北方山間部の山を超えた向こう側、西部領北部の森林地帯、通称エルフ自治領で作られた酒である。
「はっきり言ってあいつらの何から何まで気に食わないが、酒を作る腕だけは確かだ」
老人と古くから付き合いのある男が昔酒の席でこぼした言葉だ。
北方山間部の住民とエルフ自治領の住民はどういうわけか仲が悪い。
理由は分からないがお互いがお互いのことをなんとなく嫌っているのだ。
間に険しい山がそびえていて本当に良かったと老人は思っている。
ただ、植物とともに暮らすエルフの作る酒は格別にうまい。
その出来は北方山間部の住民が酒の取引だけは決してやめないことが証明している。
エルフ自治領の収入源はこれと製薬分野が大半を締めていた。
険しい山を超え苦労して持ってきた酒樽を酒場の店主に預け、早速旧友との再会を祝して封を開ける。
盃を傾け、酒の肴に手を伸ばし、しばらくとりとめのない話を続けたあと、ふと西部領の事件の話に戻ってきた。
「そういえば研究所の奴らが騒いでいたんだが、西部領で神器が見つかったらしいな?」
「なんだそれは、ワシは知らんぞ?第一あんなもの魔神との一件で使い切ってしまったはずだろう、今更見つかるとは思えんがな」
「お前が知らないならこれ以上追いようがないな。一週間、二週間ほど前か?明け方に強い力が西部領のあたりから観測されたんだが……本当に知らないのか?」
「いやまて、思い当たらないこともない」
男の言葉に老人は先日の出来事を振り返る。
確かにあの時、強い力を二つ感じた。
一つは馴染みのあるサニーのもので、もう一つは孫娘の友人のものだったらしい。
事件後に当人を見た限りではそこまで強い魔力を有している感じではなかった、せいぜい孫娘と同じくらいだろうと考えていたのだが、魔力ではないとするならば辻褄が合わない訳では無い。
おそらくは魔力を対価になにか別の力を引きずり出したのだろう。
それが神器の発する力の波長に近しいものだったのかもしれない。
神器、神の作り出した武器、そしてすでに失われてしまったもの。
魔神が出現した時、最初に標的になったのは神族と呼ばれる大陸中央部で生活している者達だった。
その理由が魔神がたまたま大陸中央に出現したからなのか、それとも神器が魔神にとって有効な武器だったからなのかは今となっては分からないが、とにかく神器と呼ばれる強力な武器の数々は魔神を撃退するために使ってしまい、もう残っていない。
それに近しい力を発現させられるらしい彼女を周囲が放っておくなどということは決してない。
老人はこの後に起きるであろう騒動を予見して、知らぬ存ぜぬを突き通すべきだったと後悔した。
「その面は思い当たる節があるってやつだな?」
「あるにはあるが、面倒事には巻き込まんでくれるか?まだまだ子供だ、老人共の事情で振り回すような真似はよそう」
老人は事件後病床におかれていた桐子のことを思い出した。
まだ少し抜けているような感じではあったが、明るく、まっすぐな性格をしていたように思える。
あれならば孫娘の良き友人になれるだろう。
それ故に彼は大人の事情で使い潰す事を良しとは考えなかった。
ただ、そう考えたのは老人であって、北方山間部の男からすればそんなことはなかった。
元々北部領は武器の製造とその扱いに長けたもの者達の集まりであった。
アージェントもヴァーミリオンもその一角、そして武器製造の核となる地域がこの北方山間部である。
それ故に神器という強力な武器に興味を示さないものなどいないのだ。
「それで、一体誰なんだ?サニーのやつではないだろう?」
「まったく、面倒事に巻き込むなと言っているだろうに……サニーではないぞ」
「そうだろうな、あれには力があっても肝心の器がない」
「貴様……」
老人が苦々しい表情を浮かべる、相手の男は明らかにこちらの返答を予想してた上で聞いてきたのだ。
「英雄殿でもないよな、あっちは中央にずっと居座ってるはずだ」
「おい……」
男が淡々と持論を述べていく、時折質問を投げかけているような発言をしているが実のところ独り言である。
ただ、老人の反応を逐一確認はしているが。
「ならば誰だ、ヴァーミリオンの娘などということはあるまい」
「その通りだ。いい加減にしないか、今急いで追うような話でもないだろうに」
老人が再度男をたしなめる。
だがそれも男の心についた火を消すには不十分だった。
「単純に気になるんだよ、これでも武器を拵えて生きてきた身だ。ぽっと出の小娘が自分の辿りつけなかった境地にいるのが気に食わない……少しだけな」
「まったく……あの子に迷惑をかけるなよ?かわいい孫娘の友達だ」
老人が少しだけ殺気を漏らす、威圧とけん制とその他諸々の思いを込めて。
できることなら次の世代には楽しく暮らしてほしいものなのだ。
「おおう、流石に怖えな。わかったよ、面倒はかけない……この腕にかけてもいい。しかし、孫娘の友達ってなると西部、いや養成所に通ってるってことは中央だな。いい機会だ、久しぶりに観光旅行とでも洒落込もうか」
妙にフットワークの軽い男を見て今度は老人があっけにとられた。
この男、武器の製造にかけてはかなりの腕前がある。
それこそ数年先まで予約が埋まっているのが当たり前のようなものだったはずだが。
「お主にそんな暇があるとは思わなかったがな」
老人が軽口を叩くと男が明らかにうろたえ始めた。
「あー……いや、ここ数年めっきり注文が減ってな。……俺だけじゃないぞ、他の連中もだ。お陰で暇を持て余してる」
「なんだ、酒の飲み過ぎで腕でも鈍ったか?」
「そんなんじゃねぇよ、一番の大口だった北部の連中からの注文が途絶えちまってな」
「なんだそれは、武器は消耗品だろう?」
大陸中央以外でも弱い魔物が発生することはある。
もちろん、それ以外の用途で武器を使うことも当然ある。
その需要が消えてなくなることなどそうあることではない。
北部領でなにが起きているのか気にはなったが、老人の属するシュヴァリエ家はローザの代になって以降アージェント家との親交が深い。
つまり、今現在北部領の領主であるヴァーミリオン家とはあまり良い関係にない。
それ故に北部領の厄介事に首を突っ込むのはさらなるトラブルを呼びかねないと判断し、中央への報告に止めようと思考を打ち切った。
「理由は知らん、注文がないんだから趣味以外で作るようなものもねぇ。俺はしばらく中央で観光を……ついでに弟子の顔を見に行くのもいいな、楽しくなりそうだ」
老人の不安をよそにどこか浮かれた気分で旅の計画を練る男、北方山間部は今日も吹雪いている。
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