第41話 いつかたどり着く道の途中

 一瞬、見えないはずのものが見えたような気がした。

 あるいは、見てはいけないなにかだったかもしれない。

 平時であればなんの問題もなかったのだが、今この瞬間だけはそれに気を取られるべきではなかった。

 そう、幼なじみで親友でライバルの白銀桐子との試合中でなければ。


 生まれた隙はあまりに短く、取り返しが付かないほどに大きい。


 だからこの一撃は自分への戒め。

 そう考えて黒峰真希は覚悟を決めた。

 その一撃が自分の運命を左右するものだとは知る由もなく。


 少女の決意は鋼よりも硬く、鍛錬を重ねた肉体は意志を支えるにはあまりに脆い。


 桐子の突きが放たれる一瞬、銀色に輝く光を見た。

 流星のように眩く燃える一筋の光を。


 そして光の後に赤い花が咲く。

 肉体を食い破り花開く、黒峰真希だったもの。


 死は誰にでも平等で、冷たい。




 一度は閉ざしたはずの意識が再び覚醒する。

 確かに助からないはずの傷を負ったのだ。

 腹部から背面にかけて貫かれるように出来た損傷は命を奪ってなお余りある。

 もし奇跡的に生きていたとしてもむしろ困る。

 きっとその身体は私の思う通りには動かないだろうから。


 そう思った私が周囲を見回すと……

 不意に私自身と目があった、ような気がした。


 その閉じられた瞳が開くことはもうないのだけれど。

 黒峰真希はもう死んでいる。

 鏡を用いずに自身の顔を見つめた私はそれを自覚した。


 きっと今の私は幽霊とか呼ばれるものなのだろう。

 半透明な自身の肉体が地に足をつけずに漂っている。


 肉体のようなものはあるがなにかに触れることは出来ず。

 意識のようなものはあるが言葉を紡ぐことは出来ない。


 世界は常に私の外側に存在するから、外界に干渉できない私は死んでいるも同じだ。

 この想いを届けたい相手が目の前にいるのに。


 白銀桐子

 幼なじみで、親友で、ライバルで、私を愛し、私が愛した人。

 どうしてそんな泣きそうな顔をしてるのよ。

 ちょっとした手違いで私は死んじゃったけど、私を倒した私より強いあんたは笑って生きていなさいよ。


 彼女を励ますための言葉がかけられない。

 そして、

 彼女が彼女自身の喉元に突きつける銀の槍を止められない。


 先に枯れた花に覆いかぶさるようにしてもう一輪。

 その赤い花は死後の世界への道標。


 死は誰にでも平等で、暖かい。




「桐子っ!」

 自身の力強い叫びとともに意識が覚醒する。

 跳ね起きるようにして起こした上体が腹部に鋭い痛みを走らせた。

 どうにもひどい悪夢を見ていたような気がするが、この痛みは生命の証。

 黒峰真希はまだ生きている。


 もし、悪夢から覚めたはずの現実が悪夢だった場合、私はどうすればいいのだろう?

 飛び起きた真希はその瞬間、目に映る全てに絶望した。

 そう、文字通りの全てに。


 すべてを見通す目に憧れたことがないとは言わない。

 だけれども、私が憧れたそれはこういうものではなかった。

 左右も上下も前後さえも、

 壁も床も天井の向こうでさえも、

 視線が向いていない自らの背後ですらも、

 文字通りに全てを見透す目。


 イメージとしてはどこまでも透過して映し出す全天周囲モニターだろうか。

 どこを見てもその方向にあるすべてのものが写り込んでしまう。

 どこまでも続くすべてが見えるが故に何も見えない。

 特に困ったのは、壁を透過した先が見えてしまうということ。

 瞼などという薄い肉癖は言うに及ばず、

 目をつぶっていても視界から送られてくる情報は止まらない。


 ああ、いっそこんな不良品なら潰してしまおうか。


 そう決意し両手の指を眼前に持ってきたところで、

 誰かに腕を掴まれた。

 視界がうまく機能せず、手の感触から相手を探り当てる。


「……じいちゃん?」

「……なにが見えておる」

「全てが」

「そうか、お主の代で目覚めたか。それにしても間が悪い」


 何かを知っているような曽祖父の口ぶりに疑問が募る。


「何を知ってるの?教えて」

「知ってるもなにもお主の目がそうなった原因は儂のせいじゃからの」


 怒りが湧いた。

 どちらかというと殺意かも知れないが。

 掴まれていた腕を払い除け拳を顔面に叩き込む。

 実に自然で流れるような動作だったが、その手は惜しくも空を切った。


「こういうときぐらい殴らせなさいよ」

「その目があるなら儂を倒すくらいは余裕じゃろ?」


 悪態をつく真希に徹心は答える。

 その目を乗りこなした先に果てへと至る道があると、

 そしてそこには資格あるものにしかたどり着けないのだとも。


 目標があるのなら邁進する

 この呪いのような目が至る標となるならば

 苦難の道など恐れるに足らず


 黒峰真希はまだ生きている。


「じゃがまあ、今はしっかりと休め」

「今更頭なんて撫でられても……え?」


 頭を撫でられていると思った瞬間、真希の視界が闇に染まる。

 さっきまで見えていた全てが何も見えない。

 きっと視神経の何処かになにかされたのだと真希は感覚的に理解した。


 ただそれよりも今は不意に訪れた闇が心地よかった。

 幼い頃はあんなにも恐れていた闇が。

 すべてが見えてしまうがゆえに何も見えないことがこんなにも好ましい。

 真希はしばらくの間、眠ることにした。

 願わくば今度は幸せな夢が見られるように。


 遥かに遠い未来、それでいて過去でもある。

 今はおぼつかない彼女の足取りが未来へと歩みを進め、過去へ追いつくのはもう少し先の話。

 未来の行く末は過去の積み重ね、その舵取りは現在に委ねられている。

 道の続く果てがどこなのか知るものは未だいない。

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