第40話 どうしてこうなった
ところ変わって舞台は人間界、日本。
コーイチやリリーがその職務を果たすために借りている事務所での出来事。
「詳しく説明してください。私は今、理性を失おうとしています」
「お前にも失う理性が残ってたんだな」
「絞り殺してやりましょうか」
「ごめんなさいそれだけは勘弁してください」
嫁の尻に敷かれる夫、コーイチ。
彼は今、比喩的な意味に限らず嫁の尻に敷かれていた。
一部の男性諸君におかれましては見目の良い女性の尻に敷かれることは夢かもしれないが、相手によってはそれがご褒美でないこともあり得る。
いったいどうしてこうなってしまったのか。
事の発端は以前コーイチが助けた女性がその御礼を言いに事務所へ来たことだ。
連絡先から事務所の所在地、名前まですべてが載った名刺まで渡してしまったのだからこうなるのは必然といえよう。
「耕一様!お会いしとうございました!」
仰々しい態度で礼を述べる女の名前は黒峰理沙という、以前街中を散策していたコーイチが偶然トラックに轢かれそうな彼女を助けてしまったことが運の尽きだと彼は思った。
世の中どこに地雷が転がっているかわからないものだ。自らの手で助けられる人を助けたらそれが時限式の爆発物だったなんて誰が考えられるだろうか?
「俺は会いたくなかったよ」
コーイチは目の前の女に心のなかで詫びを入れながらその後ろにいる男に否定の言葉を投げかけるしかなかった。
「なんだ貴様?俺の娘に文句でもあるんか?」
言葉というのはとにかく誤解されやすい。
多かったり、少なかったり、場違いだったり、あるいはタイミングが少しずれていたり。ただしこれに関しては誤解でもなんでもなくただ怒らせるための意図的な発言でしかなかったのだが。
「それはない、一ミリたりともない。俺はお前に会いたくなかったの!なぜなら!お前がその子の父親だからだよ!徹心!」
コーイチとしてはここで徹心を怒らせてこの場を終わらせてしまった方が都合が良かったのだが、そうなることを願い放たれた不躾な言葉はあっさりと流されてしまう。
「ところで、今日はあの銀髪の娘はどうした?」
徹心、コーイチにそう呼ばれた男は困ったことにサニーと交流がある。
そもそもサニー達魔法が使える種族が人間界で拠点を構えている理由は、非常にざっくりとした言い方をしてしまえばトラブル対応である。
交流がないとはいえない魔界と人間界の橋渡し、人間界へ観光に向かう物好きな連中への対応、人間界でトラブルを起こしたバカ共の制圧などなど。
その昔、コーイチがこの拠点で働き出した頃だったろうか、騒ぎを起こしたバカ共の制圧に向かった先で偶然にも出会ってしまったのがこの男、黒峰徹心である。
そう、なんの因果か偶然にもコーイチが助けてしまった女の父親でもある。
そこからなんだかんだあってこの男、いい年して娘もいるおっさんこと黒峰徹心が今なお執心しているのが銀髪の娘と呼ばれたサニーであった。執心するくらいならきちんと名前を覚えるべきだとは思うが、歳を重ねるというのは非情である。
「サニーのことか?出張だよ、しばらく戻ってくる予定はない」
お目当ての彼女がいないことを知れば早めに切り上げて帰ってくれるのではなかろうかと考えたコーイチはサニーがこの場に現れることがないことを伝える。
「機を逃したか、先に手を付けておくべきだったな」
だがその企みもあまり効果がなかったようだ。
「さすが黒峰だよ、節操がない」
コーイチはこの男と関わるようになってから徹心に限らず、黒峰の血族が持つ異常性を知ることとなった。
黒峰、この国で古くから脈々と続いている血族の一つで、その起こりが一体どこにあったのか詳しいことは資料がロクに残っておらず何もわからない。ただ一つ言えることは人の世がまだ神や魔と一緒くたに混ざり合い混沌としていた頃から存在するらしいということだった。人が人として人ならざるものに立ち向かうための意図的に創り上げられた暴力装置、そのうちの一つが黒峰だった。
武を持って相対する、言葉の前に力あり。
その言葉を理念に太古の昔から行われてきた優れた性質を持つものをかけ合わせ育成する、狂気の集合体の成れの果てとも呼ぶべき人間。言ってしまえば遺伝子組換え戦闘特化人類、それがこの黒峰と呼称される血族の正体であった。
「この年になっても褒められると恥ずかしいものだな」
「ちっとも褒めてねぇよ!」
現代的な感覚を持つコーイチからすればはっきり言って頭がおかしいとしか言いようがなかった、当人たちはその限りではないようだが。だから娘の命を助けたお礼にその父親が付いてきた時からすでにコーイチは最大限の警戒をしていた。
「なあ、コーイチ……」
「断る」
持ちかけられそうになった提案を聞くまでもなく否定する。
「まだなんも言っとらんだうが」
「断るつってんだよ、大方そいつと子を成せとか言うつもりだろうが!」
徹心がここに来た時点でおおよそこういう方向性の話になるだろうなとコーイチは予想していた。それくらい普段からこの男はサニーにちょっかいを出していたのだから。
「わかっているなら話が早い、どうだ理沙?」
「耕一様でしたら大歓迎ですわ!」
親も親なら子も子だった、世間一般の倫理観が蒸発した相手にコーイチは頭を抱え叫ぶ。
「黒峰、お前らほんとどうかしてるよ!」
だいたいいつもはこの辺りでしびれを切らしたサニーが徹心を追い返してお開きとなるのだが、今日ばかりはその彼女がいない。そうなると必然この連中を追い返す役目はコーイチのものとなるのだが、この二人を同時に相手取って追い返すような能力は彼にはない。
どうにもこうにも手詰まりを感じていたところに外へ見回りに出ていたリリーが帰ってきた。
「ただいまー。あれ、お客さん来てるの?」
「そうだよ、もっとも来てほしくなかった奴らがな」
コーイチはリリーに予め現地の要注意人物として黒峰の一族のことを伝えてある。伝えているからこそ、もったいぶった言い回しで助けを求めていることが伝わると思っていた。
ただ、リリーが黒峰と出会うのは事故の時を除いてこれが初めてであった。
その結果。
「そっかー、対応頑張って。あたし自室にいるから」
伝わらなかった。
「いくらなんでも薄情すぎないか!?」
「それでどうなんだ耕一、儂の娘は?」
「そうですよ耕一様!さあ!」
頼みにしていた救援もなく二人に迫られるコーイチ、すでに敗色は濃厚である。だがしかし、ここから巻き返せる見込みがなくてもそうまでして迫られる理由を知りたいというのも人心というものである。
「どうしてお前らはそう強気なんだよ!?徹心!俺に嫁も娘もいることぐらい知ってるだろ!?」
一般的で現代的な倫理観しか持たないコーイチには妻子がいることを引き合いに出すぐらいしかこの状況から逃れられそうな理由を提示できない。
「三上の家の傍流の血筋が手に入るチャンスを逃すはずがなかろう!」
無論、それで手を止めるような連中なら黒峰などという一族はとうの昔に滅んでいる。
「誰だミカミって!?初めて聞く名前だな!」
コーイチは感じで書くと耕一、姓は斎藤。
何の変哲もないごくありふれた名前で、ごく普通の家庭の生まれである。
それだけなら良かったのだが、子供の頃から見えるべきでないものが見えていて家族から気味悪がられていた彼は青年期に入り魔術式が見えるようになり、魔法が使えるようになってしまった。
結局、実家とは事実上の離縁状態である。
彼は彼自身の起源を知らない、実親ですらその起源から遠く離れており知ることがなかったと言ってしまえばそれまでなのだが。
「なんだお主、知らんのか。まあよい、やってしまえば既成事実だ」
「承知しました、お父様!」
血統を求める二人に襲われるコーイチ。
最初の方こそ彼は抵抗を試みていたものの、戦力差は絶望的ですぐに抑え込まれてしまう。見目のいい女性に肉体的に襲われるのは男性諸君にとって嬉しいはずなのだが、なぜだかちっとも高揚しない。
これはきっと俺が求められているようで俺ではないものが求められているからだろうかなどとコーイチはどうしようもないことを考えていた。
いまさら抵抗しようなどと無駄、そう思いコーイチはされるがままになっていた。
願わくばこの行為が自身の嫁にバレないことを祈りながら。
しかし、最悪の事態は重なるのである。
「……ったく、あんた達うるさ……なにこれ?」
自室に籠もっていたはずのリリーが騒ぎ立てる物音に文句を言いに来たのだ。
「リリー!ちょうどよかった!助けてくれ!」
徹心に押さえつけられ、衣服をひん剥かれた情けない格好で助けを求めるコーイチ、これ以外に取れる手段がなかったとはいえ、もう少しなんとかならなかったのかとは思う。
もちろん、助けを求めたからと言って必ずしもそれが叶うわけではないのだが。
「……サーシャに連絡しておこう。コーイチが浮気してますって」
リリーの口から出たのはすごくまっとうな判断であった。
サーシャというのはコーイチの嫁である。
魔界で見初めた見目のいい女性。
……もっとも、今となっては立場が完全に逆転しており、いったいどちらが捕まったのか分からなくなってしまったが。
「おいやめろ!マジで大変なことになるから!それだけはやめろ!」
どうにかして連絡を阻止しようと声を上げるコーイチ。
サーシャの旧姓はクローディアという。
そう、カーラの年の離れた姉である。
魔界で見つけた女性が見た目通りの人間であるはずなどないのだ。
「もう送信しちゃった、画像付きで」
事態はコーイチにとって最悪の方向へと舵を切る。
なんてことだ、もう助からないぞ。
こうして冒頭の嫁の尻に敷かれるコーイチが出来上がってしまった。
「それで、嫁も娘もいる男に手を出していたこの不届き者共はなんなのですか?」
コーイチを文字通り尻に敷いたまま問いかけるサーシャ、地面に横たわっている自らの夫にもはや発言権はない。
「娘の命を助けてもらった手前、何かしら礼をしなければと考えたのだが我が家にはさしたる金品もなく……娘を差し出すしかないと考えたのだ、まさかこんなきれいなお嫁さまがいらっしゃるとは思わなかった、すまない」
コーイチの嫁の存在を知りながらいけしゃあしゃあと作り話を披露する徹心、この男なかなかのクズである。
「堂々と嘘をつくなよ……」
これにはコーイチも苦言を呈する。が、ちょうど腹の上に乗られているため思うように声が出ない。
「それは苦渋の決断でしたね……ですがコレはすでに私のもの、他の女に渡すつもりはありません」
サーシャはサーシャで男のついた嘘など簡単に見抜けるはずであろうに、どういうわけかその嘘を真に受けたようなふりをして話を進めてしまう。
「お前もなに乗っかってるんだよ……」
コーイチには自分の嫁の考えていることがわからない。
「そこで提案です。私の夫がそこの娘と子を成す代わりに、あなたの子種を提供しなさい。今回はそれで手打ちとしましょう」
自分の夫を襲った徹心に対しおおよそ理解の出来ない要求を突きつけるサーシャ。
「はぁっ!?」
人生で一番情けない驚きの声を上げるコーイチ。
一体何を考えているのか、というかこいつらにまともな倫理観は存在しないのか。
「先に手を出したあなたに拒否する権利があるとでも?」
「どちらかと言えば俺が襲われたほうだからね!?」
「文句を言わずにさっさとやる!」
サーシャはコーイチを解放すると徹心を引き連れて外へ行ってしまった。
人に人ならざるものの考えを理解することはきっと出来ない。
撒かれた種が芽吹くのはもっとずっと先の未来の話。
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