第17話 後悔
ドラゴンの血を飲んで暴れだしたクロエを少々手荒にねじ伏せて気絶させる、しばらくして目が覚めたクロエは頭を抱えて街の広場にあるベンチに腰掛けていた。
「うぅぇ……頭痛い」
「どう?少しは酔いが冷めた?」
ねじ伏せたクロエを経過観察するためにそばにいたサニーが水を差し出す。
「吸血鬼にミネラルウォーターを飲ませようとするのはどうかと思うわ」
「いらないの?」
「いる。飲めないわけじゃないし」
アルコール類の酔い醒ましに使われる水だがクロエのような吸血鬼が血に酔った際にも同じように利用される、ただし真水は体力を消耗するのでお茶を飲ませるのが一般的な吸血鬼向けの対処法。
しばらくの沈黙の後、サニーの口が重々しく開かれる。
「……ごめんなさい」
それは悔恨、10年前から何度も何度も繰り返し古傷のように彼女を痛めつける過去の記憶。
「だああああ!もう!あんたは未だに引きずってるわけ!?選ばなかった過去の選択肢を何度も何度も反芻してそのたびに凹まれるのいい加減面倒なのよ!」
残されたクロエは当時5歳、もうすでに母親がいない時間の方が長くなってしまった。クロエだって母親が愛しくないわけじゃない、おぼろげに残る楽しかった記憶を忘れたいわけじゃない。
それでも、過去の記憶にいつまでも縋り付くのはおかしなことだと思うから。
「だって、わたしが……」
サニーが選ばなかった。あるいは、サニーが選んだ。
どちらにしてもクロエの母ローザの誘いを断る形でサニーはあの日王都中央にある実家にいた。西部領領主:シュヴァリエ家襲撃の知らせを受けて王都中央から4時間弱現場に駆けつけた頃、既にローザの意識はなかった。
全速力で駆けつけてどうにかこうにか守れたのは親しい友人の娘とその父親だけ。
あの頃、自分は強い、なんでもできると思っていたサニーはその現実に打ちのめされる結果となった。そしてそれは今もずっと続いている。
「でも、私は生きてる。生きてここに居る。私は、私の命は、あんたが駆けつけてくれたからここにあるのよ」
クロエは知っている。
きっとあの時サニーが駆けつけてくれなければ自分も死んでいたであろうことを。
「だけど、ローザが……」
あの日の誘いを受け入れて自分が西部領にいたならば、選ばなかった過去があるという事実がサニーの後悔をより一層強くする。
「そうね、間に合わなかった。私だってお母様に生きてて欲しかったってずっと思ってる。それでも未来に起きることは分からないし起きたことは覆らない。あんたがいくら強くても、あんたがいくら速くても、できないことはたくさんあるのよ」
物心ついた頃、母親は既に深い眠りについていた。
おぼろげな記憶に残っているのは自身と父親をかばって傷ついていく母の姿。
いずれは継がなければいけない領地とそれに付随する業務を前にその記憶もだんだんと色あせていく。忘れたいわけではないが過去に囚われたままでは自領の民を苦しませてしまう、領主としてあるべき理想がクロエを支え前へと進ませる。
だから、私が許すから。お願いだからそれ以上自分を傷つけないで、サニー。
「いい加減過去を振り返るのはやめにしなさい、サニー」
「……もう少しだけ考えさせて」
母と一緒に笑っていた頃のサニーは本物の太陽のように眩かったから、だから。
いつかきっと夜明けが来ますように。
吸血鬼の私がそれを願うのは妙なことかもしれないけれど。
静寂をぶち壊すようにナタリーが駆け寄ってくる。
「ゔぇあああああ!お姉様ー!ヴァーミリオン家は終わりですー!」
「うわ酒臭っ!ナタリー、あんたまた一人でやけ酒してたでしょ!?」
「あんなボンクラが跡継ぎだったならやけ酒したくもなります~!」
「うわぁ……」
どうやら会食がお開きになったあと一人で飲んでいたらしい。これには先程酔って暴れたクロエも若干引いている。
「兄貴の息子さんだったっけ?今年もダメだったの?」
ナタリーにはレイヴンの他にもう一人兄がいる、それが彼女の実家であるヴァーミリオン家の現当主なのだ。その現当主の息子、つまり次期ヴァーミリオン家当主候補がまたやらかしたらしい。
「ダメでした~!ダメだったんですぅ~うぅ……」
すでに夜遅い時間帯ではあるがこの日は養成所の入所試験日である。どこから情報が回ってきたのかは不明だが、ダメだったというのはもちろん試験に落第したということ、それも3年連続で。ちなみに養成所の受験資格は15歳からの3年間、3年連続での不合格とはつまりそういうことである。
領地を守るのに必ずしも領主自身が優れた武力を持っている必要はないのだが、魔王軍、つまるところ国が保有する軍事力との繋がりがないのは大変に厳しいものがある。
「ナタリーはもう家とは関係ないんだから気にしなくてもいいんじゃないの?」
ナタリーは家名としてヴァーミリオンを名乗ってはいるものの、生まれるのが遅かったため家を継ぐ権利はなく、ステラとレイヴンの婚姻時のトラブルに巻き込まれる形で実家を離れてしまっている、現在は先々代のヴァーミリオン家当主と母親と王都で三人暮らしだ。
「それはそうですけど……実家が廃れていくのを眺めるのは結構堪えます」
「手の届かないものは救えないものなのよ」
「お姉様……?」
「ううん、こっちの話」
この間未来からひ孫がやってきたと思ったら、今度は過去が足音を立てて迫ってきた。いい加減けじめをつけるときなのかもしれない。
サニーの頭にふと疑問が浮かびクロエに尋ねる。
「ねぇクロエ、ローザが刺されたのってなんで?」
ローザはそれなりに強かった。同期でつるんで暴れまわっていたリリーやケイシーの次くらいには関わりがあって、飄々としていて掴み所がないながらも芯があっていざという時には頼れる先輩だったから。いままで腑に落ちなかったのはあの程度の襲撃犯に後れを取るなんて思わなかったからかもしれない。
「私とお父様をかばったからよ」
「なんで?」
「なんでって、そりゃあ庇うでしょ!?娘と夫よ!?」
その通りだけど聞きたいことはちょっと違くて。
「いや、えーっと、その、どうしてそんな危ない場所にいたの?」
「言われてみれば……あれ?なんで?」
質問の意図を理解しクロエの頭にも同じ疑問が浮かぶ。
どうしてあの日、戦えない私と父親は戦場に残っていたのか。今になって湧き上がってきた疑問がどうしても拭いきれない。
夜の闇で揺らめく小さな火種が燃え上がるのはもう少し先の話。
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