第3話 別離
私が高校二年生の秋に父の悪性リンパ腫が再発し、専門医のいる県北西部の病院に入院しました。母は看病のため、病院近所のウィークリーマンション暮らしを始め、土日だけ外房の自宅に戻る生活となります。
自動的に平日は自炊になったので、近所のスーパーでカップ麺やパンを買って、食べ比べをして楽しんでいましたが、週末に帰宅した母はゴミ箱を見て不憫に思ったらしく、大垣晶子さんに私の面倒を見てくれるよう依頼しました。
母から直々の頼みとあって、初回は忙しい晶子さん本人が自宅に来て、夕飯を作ってくれましたが、二回目から娘の佳奈江さんと交代しました。
佳奈江さんは中学一年生のときから家族や住み込み従業員の夕食作りを手伝っていただけあって、驚くほど料理上手で、本人が自信作というカレーやロールキャベツ、クラムチャウダー、ボルシチなどは絶品でした。
晶子さんは、夕飯作りに来るのは火曜日と木曜日の週二日だけと話していましたが、佳奈江さんは毎日来てくれ、一緒に夕食を食べて、替えの下着持参で入浴まで済ませていくようになりました。
私の夕飯作りに大垣佳奈江さんが毎日通っているという話は、田舎なので、すぐ広まり、石橋先生あたりから長谷部先生の耳にも入ったようで、私に同級生の彼女ができたと勘違いをします。
元々、先生は1980年代に活躍した女優の田中裕子とか今の足立梨花のような顔立ちで、油絵モデルを始めた当初から「先生は和風美人なんだから、コンタクトにして化粧すればいいのに」とお勧めしてましたが、全く聞く耳を持たずでした。
それが、ある朝、アトリエに向かう車の助手席に座ると、運転席の先生がコンタクトレンズに替えて化粧をし、パサパサだった髪も美容室でカットされて、見違えるような美人になっていました。
「ねぇ、島崎くん、同級生の彼女ができて、
その
私と、あれだけのことをやっておきながら、
今更、恋愛ママゴトとかするんだ。
見てよ、ちゃんと島崎くんの希望どおり、コンタクトにして化粧もしたよ。
若さじゃその娘には敵わないけど、自慢できる彼女レベルでしょう?」
「私、言ってくれれば、なんでもできるんだけど。
髪型だって好みに合わせるし、高校の制服がいいなら着るよ。
恋人みたいなデートがしたいんだったらやるし
セックスなしで、イチャイチャしたいなら、それでもいいよ。
御飯だって、その娘の代わりに作ってあげるし、
何なら、島崎くんの家に泊まり込んで三食作れるよ。
だから、ちゃんと私のことを考えて欲しいの。
島崎くんは私の管理者なんだから」
車が走り出してから、こんな感じで始まって、アトリエに到着後も延々と文句を言われ続けました。
先生は大人の女性で、私とは今でいうセフレみたいな関係だから、お互いが誰と付き合おうが無関係・無関心だろうと高校生ながらに思っていたので、この反応は全くの予想外でした。
大垣佳奈江さんは同級生だけど、姉みたいな存在の幼馴染で、決して彼女ではないし、夕食を作っているのは私が頼んだからじゃなくて、母親同士が勝手に決めたことだと説明しましたが、なかなか納得してもらえず、機嫌が直るまでは数日間を要しました。
後に私は女性からネチネチ言われると、嫌になって逃げる情けない男になるのですが、それは、このときの長谷部先生が、とても面倒だったことのトラウマです。
長谷部先生の変化に勤務先の同僚たちや教頭や校長も戸惑ってたようですが、その原因がわからず、様々な憶測を呼んでいました。石橋先生が父の容体を聞きに自宅に寄ってくれたときも、この話題になりました。
「瑛斗くんは、まだ長谷部先生の絵のモデルをやっているよね?
気付いていると思うけど、先生の様子が随分と変わってね。
うちの学校でも話題になっているんだよ。
服装や見た目もそうだけど、
あれだけ熱心に指導していた美術部の顧問も学年途中なのに
制作活動に専念したいから辞めるとか言い出して、
急遽、もう一人の美術の先生に替わってもらったんだ。
部員の生徒はもちろん、校長も教頭も困ってね。
前は、あんなに責任感が強かったのに、一体、どうしたのかね?
他の先生たちは、急に色っぽくなったので、絶対に彼氏だとか噂しているけど、
恋人ができたとか聞いたことある? なんか知ってたら教えてくれないかな?」
自分は絵のモデルをやっているだけで、長谷部先生のプライベートは全然、知らないけど、最近は絵を購入してくれる不動産管理会社の女性社長がおり、その人からの注文で絵を描いているので、忙しいのは事実だし、急に服装に気を使うようになったのは、絵が売れて、お金に余裕ができたのと、その社長と会うからではないかと適当に誤魔化しておきました。
石橋先生の反応を見るだに、長谷部先生が貞操帯を装着しながら授業をしたり、私と深い関係になっていることなど想像すらしてない様子でした。
長谷部先生はモデル代として、高校生には不相応な金額を渡してくれました。おそらく、私にモデルを辞められては困るのと、やらせていることへの後ろめたさがあったのだと思います。
油絵モデルは、大学に進学して都内で下宿生活を始めたので辞めました。しかし、長谷部先生が身体の関係は続けたいと強く希望したので、毎月2~3回、都内のホテルに先生が宿泊して、その部屋に私が会いに行くことになりました。しかし、この逢瀬も私が大学二年生のとき、先生が結婚したことで終わります。
「県庁の職員から、いきなりプロポーズされた」
ある日、先生から電話がありました。親戚がもってきた見合いに行ったら相手に気に入られ、こっちは断るつもりで会った二回目のデートで結婚を申し込まれたそうです。
「受けるんですか?」
「全然わからないよ。その気がないもん。どうしたらいい?
でも島崎くんは、まだ大学生だから結婚なんて考えたことないよね?」
「さすがに考えたこともないですね」
「そうだよね……」
たぶん本当は、止めて欲しかったんだと思います。でも当時は若くて、そんなことには気づかなかったです。結局、長谷部先生が一旦は断わったものの、相手は諦めず、執拗に結婚を迫り続け、やがて先生の両親も彼の味方になったので、最終的にゴールインすることになりました。
先生と最後のホテルデートをした翌朝、私に抱き付きながら言ってました。
「私の結婚相手はね、本当につまらない男なの。
口は臭いし、セックスは下手の下手くそで話にならないのに、
私が彼に夢中だと勘違いしてて、
世間話も冗談もつまらないのに自分はセンスがいいって思っている。
顔は悪くはないけど、全然タイプじゃない。
取柄は絵を続けてもいいって言ってくれたことと
公務員で生活が安定しているってことだけ。
彼よりも、ずっと年下で学生だけど、
島崎くんのほうが、男性としては遥かに魅力的だよ。
せめて五歳差だったらなぁ。籍とか入れなくてもいいから、
押しかけてでも島崎くんと一緒になったよ。
でも、13歳年上じゃ、どうしようもないよね。悲しいな」
最後に厚い封筒を手渡してくれました。どうやら手切れ金のようです。長谷部先生は、私をモデルにして、少年画を10点近く描きましたが、その半分以上を関谷社長が買ってくれました。渡されたお金には、その分のボーナスも入っていると言っていました。
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