第22話 雇われる
「瑛斗のメイクが、いつもと全然違うし、
横にベッドだってあるんだもん。こんなの絶対に我慢できない。
私、三年ぶりなんだよ。キスだけなんて無理だよ」
文字通り完全にマウントされていましたが、説得は試みました。もちろん興奮した良枝さんは聞く耳持たずで、左上腕で私の胸を押さえ付けて、耳から首筋を舐めてます。
「おいビーノ! ハプニングとか決して嫌いじゃないけど、
私は最後まで見せろなんて頼んでない。
そういうのは、出し惜しみするんじゃなかったのかよ。
もうその辺で、やめておきなって。彼氏も困っているじゃないか。
私は、島崎くんと給料とか待遇の話をしたいんだ。
さっさと彼から降りてもらえないかな?」
良枝さんが顔を上げて、鮎香瀬さんを睨みつけます。両掌は再び私の肩に。押さえている手に力が入り、私から降りる気配はありません。
「もし、いやだって言ったら?」
「なるほど。今日は
この部屋が明日も空いていたら、三人で、もう一泊しようよ。
愛する彼氏と夜通しでも真昼間からでも、気が済むまでヤリまくって、
三年分を取り返せばいいさ。それに食事も付けるよ。
外で食べても三食ルームサービスでも構わない。なんでも御馳走するよ。
私は明日の昼食が済んだら、着替えに一旦、帰宅するんで午後はいない。
夕食には再合流するから、その間は二人で好きにしてたらいい。
どうだい? 悪い条件じゃないだろう?
さぁ、とっとと彼氏から降りなよ」
良枝さんは、しばらく考えている様子でしたが、やがて、私の肩から手をどけて立ち上がります。
「よし。それじゃあ契約成立ということで。島崎くん、大丈夫かい?
私の変なリクエストのせいで、こんなことになって悪かったね。
それじゃ、向こうで待遇について話そうか。
ビーノ、悪いけど、もう一泊したいって、フロントに電話しておいてくれよ」
もちろん、待遇の話をするなんて約束はしていないので、鮎香瀬さんが咄嗟についてくれた嘘です。てっきり暴走した良枝さんに私が襲われる様子を眺めて、高笑いするものだと思っていたので、止めてくれたのは意外でした。
エナメル製コスチュームの上にTシャツを着て、鮎香瀬さんと一緒に彼女のベッドルームへ。「まあ、そこに座ってくれよ」と言われたテーブルの上には、鮎香瀬さんが飲み終えたビールの空き瓶やグラス、食べ残しのオードブルが置きっぱなしになっていたので、まずは片付けることにしました。
「さっきは良枝さんを止めてくれて、ありがとうございました」
「いやいや礼には及ばないよ。ビーノはキスでもセックスでも、
興奮すると止まらないんだ。勘弁してやってよ。
って、島崎くんも付き合いが長いんだから、それは知っているか。
でも二人のキスはきれいだったよ。いいものを見せてもらったよ。
ビーノも君も舌が長いから、ああいう芸当ができるんだな。
私は、そうでないから、ビーノのキスの相手は無理だね」
そう言いながら笑って、片付けを手伝ってくれました。
「そうだ。リビングに行くなら、紅茶を入れてきてくれないか?
ミニバーの上のトレイにティーバッグが沢山、置いてあるから。
島崎くんも一緒にどうだい?」
「御一緒させていただきます」と返事をして、ビールの空き瓶やグラス、空いたお皿をリビングルームのダイニングテーブルまで持っていき、紅茶を用意します。
ルームサービスで頼んだコーヒーのミルクが残っていたので、ミルクティーにするつもりでしたが、良枝さんが気落ちしていないか気になったので、まずは彼女の分を用意し、様子を見にいきました。
良枝さんはバスローブを羽織ってベッドに座りながら寂しげにテレビを見てました。部屋に入ってきた私を見ると、罰の悪そうな顔になったので、ミルクティーを入れたけど飲みますか? と声をかけると嬉しそうに「ありがとう瑛斗、もちろん飲むよ」と返事が。すっかり、いつもの良枝さんです。
「瑛斗、さっきは本当にごめんね。
私、そんな艶っぽいメイクの瑛斗を見るのは初めてだったから、
『長谷部は、いつも、こんな瑛斗を見てたのか』とか考えていたら、
感情が昂って、自分を抑えられなくなったんだよ」
謝る彼女に全然、気にしないでくださいと言い、「良枝さん、もう一泊するなら、フロントに電話した方がいいですよ」と伝えましたが、耳に入ってないようで、一方的に話してきます。
「ねぇ、お願いがあるの。どうしても続きがしたいの。
今の瑛斗が欲しいの。私、この格好のまま、待っているから
アイリーンとの話が終わったら、いい?」
OKして、リビングルームでミルクティーを入れて再び鮎香瀬さんの部屋へ。
鮎香瀬さんは、すっかり寛いだ様子でパンプスを脱ぎ、レザーチェアの上で膝立て座りしており、「行儀が悪くて御免。これでも、お育ちはいいんだぜ」と笑っていましたが、その姿がすごくチャーミングでドキッとしました。やっぱり、この人は美人だなと思いましたが、悟られぬようミルクティーを置いて、良枝さんの様子を伝えます。
「すまないね。丁度、ビーノの様子を見てきてもらおうかと思ってたんだ。
落ち着いていたなら良かったよ。まぁ、座ってくれよ」
鮎香瀬さんは、ミルクティーをすすりながら、自分の病院に来た変な患者の話をしてくれましたが、場の空気が和み出した頃、話題を変えました。
「ところで、さっきの滝谷久美子だけど、
例のビーノと別れる原因になった子だな?
君の身辺調査のファイルが届いて、写真を見たとき、
生き別れた妹かよって思うくらい似ていたから、すぐわかった。
今日、持ってきたファイルは、ビーノも見るだろうから、
調査会社に追加料金払って、
彼女の写真を差し替えた別物を作ってもらったんだ。
差し替え前のファイルは、もう処分したから心配しなくていい。
あの写真だけはビーノには見せられないよな。
これは君のためじゃなくて、ビーノのためだからな。
私から漏れることはないから、君も絶対に墓場まで持っていけよ」
突然、滝谷さんの写真の種明かしをされて、カップを持つ指が震えました。鮎香瀬さんは、全てを知った上で良枝さんが傷つかないよう事前に準備をしていたのです。バレずに助かったとか思っていた自分が、つくづく情けなくなりました。
「あ、あの、申し訳ありません。わかりました。
絶対に良枝さんには言いません。何と御礼を言えばいいのか」
それを言うのが精一杯でした。鮎香瀬さんは、本当に良枝さんのことを第一に考えているのだと思い知りました。
「島崎くんのことを責める気はないよ。気持ちはわかるし。
ビーノと別れて、あんな子がいたら、私だって付き合うもん。
似た子と付き合うくらい、別れてもビーノが好きだったんだろう?
滝谷には悪いけど、本当に結婚までいかなくて良かったよ。
じゃあ、ファイルの件は、これで終わりな。
お互い、もう二度と口にしないということで。
さて、ついでに仕事の待遇について決めようか。
ビーノから聞いたと思うけど仕事内容は、
スケジュール管理とかの一般的な秘書の仕事に加えて、
私の身の回りの世話ね。
恥ずかしながら、私は片付けとか整理整頓が大の苦手でね。
自宅の掃除や洗濯もお願いしたいんだ……」
鮎香瀬さんが勤務している総合病院では、各科の責任者に秘書を付けてくれますが、仕事としてやってくれるのは病院業務限定で、雑誌記事の資料集めとか、編集者との打ち合わせや美味しい店を探しといてとかはダメだそうです。
そのため私費で秘書を雇っている同僚が何人かおり、見てると便利そうだから、鮎加瀬さんもいい人材がいたら、やろうと考えていたとのこと。
「あと、仕事じゃないけど、たまに飲みに付き合ってくれないか?
私は、誰かと話していないと美味しい酒が飲めないんだよ」
鮎香瀬さんは、良枝さんがいたときとは違って、言葉使いが優しく丁寧でした。今日、初めて会ったときの印象が強烈だったので、ちょっと苦手なタイプかもと感じてたのですが、話すうちに、そんな思いは完全に消えました。
住居は例の1DKのマンションが、もうすぐ空くので、今の入居者が引っ越したら備え付けの家具やエアコン、給湯器なんかは全部新品に交換して、壁紙も張り替えてくれて、事前の情報どおり家賃や共益費は不要。水道代やガス代、電気代が私の負担です。
「あと、肝心の給料だけど、サラリーマン時代、幾らもらってた?
……ふーん。非上場の機械商社としては妥当なとこかな。
じゃあ、その30パーセント増の金額を払うから、問題ないよね?
残業代とかはないけど、あまりに忙しかったら、その都度、
臨時ボーナスや一時金を払う。
私と一緒にいるときの食事代や飲み代、交通費などは、
全て支払う。契約は二年更新で給料の値上げは、
更新のとき話し合って決めるでどうだい?」
いくら医師とはいえ個人雇用だから、サラリーマン時代よりも給料はダウンすると覚悟していましたが、それでも家賃の無料分を給料に換算して、以前と同レベルか、やや下回る程度ならOKするつもりだったので、30%のアップという数字は予想外でした。
収入もさることながら、今回の雇用で気になっていたのは女装でした。良枝さんから鮎香瀬さんが女装した私を見たがっていると聞いていたし、今日、彼女自身が「女性っぽい男を身近に置きたくて探していた」「中性っぽくてスーツ着せれば男性で、化粧して着替えれば女性になる」と話していたので、女性の服を着せるつもりなのは間違いありません。
「すいません、一つ質問ですが、良枝さんから鮎香瀬さんが、
私の女装姿を見たがっているって聞きました。
今は、こういう姿ですけど、女装は良枝さんとのプレイのときだけで、
普段はしてないし、自分では化粧もできません。
なので、もし、それも私を雇う条件に入っているなら、
鮎香瀬さんが、どの程度を望んでいるのか知りたいです」
「私も、その話がしたかったんだ。
今、島崎くんが着ているエナメルも好きだけど、
もう一つの好物がOLの着るスカートスーツなんだよ。
会ったときから島崎くんが着ている姿を想像して、ワクワクしてたんだ。
たぶん島崎くんなら、髪さえ伸ばせば、パスできるだろうから、
一緒に街歩きも可能だろうな。
だから、女装はして欲しいというか、やってもらう。
化粧なんて、すぐ覚えられるから心配ないよ。
服なら何でも買ってやるから、私が見たいときは女装して欲しい。
まあ、いささか、とうが立っているけど、こんな美人やれて、
サラリーマン時代より30パーセント増しの給料がもらえるんだから、
女装くらいやってくれよ」
良枝さんから、つまみ食いOKと言われていたので「プレイのときもですか?」と確認しました。
「私は女性も男性も好きだし、島崎くんの容姿はタイプだから、
女装してもらうときと、そうでないときがあると思う。
一つお願いがあるんだけど、そのTシャツを脱いでくれないか?」
言うとおりにすると、「やっぱり君は素敵だよ」と鮎香瀬さんが抱き付いてきて、口唇を合わせてきました。
「柔らかい唇しているんだな。やっと手に入れたよ。
お世辞や社交辞令じゃなくて、
私は島崎くんのことを本当に気に入っているんだ。
どうか、寂しがり屋の女医と仲良くしてやってくれよ」
こうして、私は鮎香瀬和子さんの私設秘書として働くことになりました。
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