第14話 扉へ
仕事内容は彼女の私設秘書で、スケジュール管理などの基本的な秘書仕事に加えて、自宅の掃除や洗濯などの身の回りの世話、そして女性誌と子育て雑誌に連載を抱えているので、各担当編集者と打ち合わせや執筆に必要となる資料の下調べ、場合によっては彼女の喋りを文字原稿に仕上げる口述筆記などでした。
自分のことを話していたときは、フレンチトーストやアイスコーヒーに一切手をつけず、夢中になって喋っていた良枝さんですが、この話題になってからはトーストを食べたり、アイスコーヒーをストローでクルクルと掻き混ぜるなど間を作って、考えながら話している感じです。
「……話を聞く限りでは、鮎香瀬さんは良さそうな方だし、
仕事も問題なさそうですけど、
さっき言ってた『ちょっと思う処』って何ですか?」
「うーん……それに関しては、どう言えばいいかな? 難しいな。
鮎香瀬さんは独身で、金持ちで、頭が良くて、冷静で饒舌な自信家ね。
でも自信家の裏返しで、ちょっと自分勝手で思い込みも激しい。
よく笑うけど、ナル(シスト)な部分も結構あって、
メッチャ寂しがり屋だったりもする。
まあ、なんといっても最大の特徴は、女優の森口瑤子似の美人なのね」
「すいません、『もりぐち ようこ』を知らないんですけど」
今ならスマホに人名を入力して画像検索すれば瞬時に確認できますが、当時は、まだガラケーにカメラすら付いてない時代でした。
「火曜サスペンス劇場とかNHKの大河ドラマにも出てるけど知らない? きれいな女優さんだよ。家に帰ってからパソコンで検索してみて」
以前から良枝さんは、私が他の女性と親しくすることを嫌がり、仕事上の付き合いであっても相手が若かったり、自分とは真逆の可愛いタイプだったりすると、会うだけで機嫌が悪くなりました。鮎香瀬さんは若くはないですが、良枝さん自身が認める美人なので、いつもの嫉妬で、勿体つけて「ちょっと思う処」とか言っているんだと思いましたが、事情はもっと複雑でした。
「私は熊本旅行のときのチョーカーを巻いた島崎くんが忘れられなくて、
東京に戻ってから、鮎香瀬さんに『鹿児島にいる彼氏を傍に置きたい』って愚痴ってたの。
そうしたら、彼女が『要は彼氏が東京に居ればいいんでしょう?
じゃあ、私が秘書として雇ってあげるよ』って提案してきた。
もちろん、そのときは断った」
鮎香瀬さんが私を秘書として雇いたいと言い始めたのは、最近ではなく4~5年前からで発端は良枝さんの愚痴でした。その後、私が名古屋に転勤して割と頻繁に会えるようになると、この話は有耶無耶になったのですが、私が無職になったと聞いて、改めて提案してきたみたいです。
「ねぇ全然、話は変わるけど、この店ね、ドリンクのお代わりが150円でできるの。
私、アイスコーヒーを頼むけど、島崎くんもブレンド、もう一杯、どう?」
鮎香瀬さんに関する「思う処」について話していたのに、唐突にコーヒーのお代わりをするかを尋ねてきました。一旦は断りましたが「相手のカップが空だと話し辛いな」とか言うので頼みました。
ウエイトレスは、私のオーダーを聞きにきた若い女性とは別人のメガネを掛けたアラフォー女性でした。どうやら良枝さんとは知り合いらしく、私をチラ見しながら、二人で話しています。
「さっきはいなかったけど、今日は遅めの出勤だったの?」
「うん。今日は運転免許の更新に行ってたの。
そんなことより、さっきから楽しそうに話している、この男性は誰?
まさかの新しい彼氏じゃないよね? 気になるから、早く紹介してよ」
「この人が別れた元彼の島崎くん。先週、ヨリを戻しました。
どう? いい男でしょう? 驚いた?」
「マジで? 復縁して欲しいって土下座でもしたの?
それとも金か? なに笑ってんのさ?
まさか本当に金を掴ませて、お願いしたのか?
えっ! 彼の方から? 嘘でしょう? 信じられない!
だって世の中には、美人で性格も良くて若い子が沢山いるのに、
若さも可愛さもない太々しい中年の良枝を選ぶなんて、あり得る?
彼氏、バカなの? ひょっとして熟女好き?
彼氏との年齢差、いくつさ? 13歳⁈ おい、本当かよ!
あんたは恋に悩む四十女の希望の星だわ。見直した。
それにしても良枝って、こういう子がタイプだったんだ。
全然、想像とは違ってた。若いし、すごく可愛いいじゃない」
なんだか言いたい放題です。29歳にもなって、年上の女性から可愛いと言われるのは、いささか心外ですが、会話全体からすると褒められているのでしょうか?
やがて彼女がブレンドコーヒーとアイスコーヒーのお代わりとモンブランケーキを二皿持ってきて挨拶してくれました。
「始めまして。この店の雇われ店長やってる清水です。
ケーキは復縁のお祝いに私からのプレゼントです。
敷島さんは、ず~っと島崎さんとやり直したいって、
口癖みたいに言ってて、いい加減、聞き飽きて、
『諦めが悪いよな』とか思ってたんです。
でも今日、御本人とお会いして、
この人なら忘れられないだろうなって納得しました。
敷島さんは面倒くさい性格だけど、すっごくいい人なんで、
これからは、ずっと一緒にいてあげてくださいね」
良枝さんは「そういうことは本人にバラさないでよ」とか言ってましたが、清水店長がいなくなった後、モンブランケーキを食べながら、ちょっと勝ち誇った顔をしています。
話を聞くと、私と別れたことを未練がましくグダグダ言ってたのは事実ですが、清水さんからは「もう、とっくに若い子とゴールインしてるよ」「そもそも本当に、その若い彼氏と付き合っていたの? 良枝の妄想じゃなくて?」などと言われっ放しだったんで頭にきており、今日はヨリを戻した報告と私本人を紹介できて、最高の気分なのだそうです。やはり、この店を再会の待ち合わせ場所に選んだ理由は、店長へのお披露目だったようです。
「それは良かったです。じゃあ、アイスコーヒーのお代わりも
お祝いのケーキも来たし、良枝さんの気分も晴れたとこで、
改めて鮎加瀬さんの『ちょっと思う処』について教えてくださいよ」
「んじゃ、オバさん、機嫌が最高にいいから話しちゃおうかな~♪
鮎加瀬和子の秘密と思う処について~♪」
そうそう。そうでなくちゃいけません。ただ、この後に語られた話は、この言葉のノリほど軽くはなかったです。
10年位前から鮎香瀬さんは、自分の愛人として女性のような男性を探し始めました。しかし希望どおりの人がおらず、良枝さんにも、どっかで見たら教えて欲しいと声を掛けてたそうです。
ファミレスの面接に来た私を初めて見たとき、「あ! この人だ」とすぐ思いましたが、良枝さん自身が一目惚れしたので、彼女には黙っており、鮎香瀬さんに恋愛相談しているときも、職場にいる大学生のバイトとして話し、正直に打ち明けたのは熊本旅行の後で、そのときに私に女装させて、プレイしていることも教えたそうです。いくら昔から鮎香瀬さんに私のことを相談していたとはいえ、そんなことまで打ち明ける必要はあるのかと驚きました。
「どうして鮎香瀬さんに、そんなプライベートなことまで話すんですか?」
「本来なら、彼女に紹介すべき男性を自分の彼氏にしている負目があって
『そんな素質のある彼氏なんだから、当然、女装はさせているよな?』って聞かれてたら、
正直に言うしかないじゃない。
そんなわけだから、彼女は、以前から、あなたにすごく興味を持っていて、
会いたがっているし、女装した姿を見たがってるの」
「いやいや、すごく興味を持っていて、女装した姿を見たがっているとか言うけど、
そんな人の秘書として私が働いても、良枝さんは平気なんですか?」
「だから、思う処があるって言ったのは、
こういうことを全てひっくるめてなんだってば!
そう簡単じゃないんだよ。私と彼女の関係は。
そんな彼女の下で、あなたが働くのが平気かについては、
平気なわけがないけど、平気だよ」
「また、そうやって面倒くさい言い回しをする。それ、良枝さんの悪い癖ですよ。
ちゃんとわかるように説明してください」
口下手というわけではないのに、以前から良枝さんは、変な言い回しをする癖があって、私は、それが苦手でした。
「わかったよ。あのね、私は島崎くんが戻ってきてくれて本当に嬉しい。
奇跡だとすら思っている。だから、もう絶対に離れたくない。
けど仕事次第では、また転勤で遠くに行くかもしれないし、
転勤がない仕事でも、職場で私より若い娘に目移りする可能だってある。
島崎くんがその気がなくても、好意を持って近づく女性もいるかもしれない。
でも、鮎香瀬さんの秘書なら転勤はないし、
若い女性が近づかないように監視もしてもらえる。
もちろん、鮎香瀬さんが島崎くんに心奪われる可能性もあるんだけど、
それは彼女を信頼するしかない。
だから平気じゃないけど平気は、そういうこと。
あと、悪いけど、島崎くんの二の腕を触わってもいい?」
急に良枝さんは、そう言うと、身を乗り出してきて、テーブル越しに私の左上腕を掴んで、撫で始めます。
「やっぱり学生時代や熊本旅行の頃よりも太くなっているんだよね。
働くようになって筋肉が付いて、ある意味、逞しくなったんだけど……」
軽くため息をついて、鮎香瀬さんから聞いた例え話を教えてくれました。
「以前に鮎香瀬さんから言われたの。
私は島崎くんっていう希少なスポーツカーを手に入れたんだって。
ピカピカのボディでエンジンの調子も最高の掘り出し物だけど、
ちゃんと技術と知識のある専門店でメンテしてやらないと、
調子は維持できないし、いずれ故障もする。定期的に洗車して、
ワックスがけもしないとボディの艶だって失せて錆が浮き始めるって。
島崎くんは今は端正な顔立ちで華奢な身体の自慢の彼氏だろうけど、
普通に働いていれば筋肉が付いて逞しくなり、歳をとれば太り始める。
でも彼女に預ければ、あなたの生活の面倒を全てみてくれた上に
チョーカーやキャミが似合う姿が一日でも長く続くように
管理してくれるって言うの。
あなたを彼女に預けてもオーナーは私だから、いつでも運転ができる。
彼女はメンテをする専門店だから、調子を見るために試乗はしても、
車は絶対に奪わないって約束してくれた。
だから、私に彼氏を預けてみないかって」
良枝さんがアイスコーヒーを飲み干し、私をじっと見つめています。
「もちろん最初に聞いたときは相手にもしなかった。
でも彼女の言うことにも一理あるのかなって。
結局、私は狡いの。島崎くんには、ずっときれいでいて欲しいし、
そんな島崎くんに一度でも多く抱かれたいの。
今日、あなたを見てから、余計にそう思ったの。
だから、多少、引っ掛かる点があっても秘書の仕事を紹介したわけ」
正直、良枝さんの考え全てを理解できたわけではないし、鮎加瀬さんが、どういう人物なのかもわかりません。しかし鮎加瀬さんが私に興味を持っていると聞いて、私も彼女に会いたくなりました。
「……ねえ、島崎くん、せっかく久々に会えたのに、
途中から鮎加瀬さんの話題ばっかだったでしょう?
だから提案というか、お願いなんだけど、
ファミレス時代に通った洋食店さん、覚えている?
そうそう! 老夫婦二人が夜遅くまで頑張っている小さいお店。
この喫茶店からだとタクシーで10分位なの。
私が奢るから、あそこのビーフシチューを食べながら、
もう少し話したの。いいでしょう? お願い!」
突然、話が飛んで今度は洋食店でディナーのリクエストです。私としては、もっと鮎香瀬さんの話を聞きたいとこですが、良枝さんの様子から、これ以上は難しそうなので、希望どおり洋食店に行くことにしました。雇われるか否かは別として、とりあえず、一度、彼女に会わせてもらえるように良枝さんにセッティングをお願いしました。
その洋食店に行くのは、私は6~7年ぶりでしたが良枝さんは通い続けていたらしく、お店に入ると「あら、敷島さん、いらっしゃい」と女将さんが挨拶してきました。ここのビーフシチューは、大きな赤身肉を三日間も煮込むとメニューに記すだけあって絶品です。
良枝さんは、それを美味しいそうに食べながら、この店に通ったファミレス時代から名古屋時代までの思い出を喋り続けてます。楽しそうな彼女の様子を見て、来て良かったなと思いました。
「ねぇ、付き合い始めの頃、島崎くんのことを
呼びたいってお願いしたら断られたけど、今ならいいかな?」
あの頃はファミレスの上司と部下だったので、良枝さんが店でも「瑛斗」と天然で呼びそうだから嫌だったのですが、流石に今は関係ないのでOKしました。
食事が終わって、コーヒーを飲んでいると「コーヒーを飲み終わったら、お別れの時間か」「やっぱり寂しいな」とか名残惜し気に言うので、今夜は都内のホテルに泊まる予定なので、一緒に来ますかと誘ってみました。
「そりゃ、私だって島崎くんと一緒に泊まりたいよ。
でも、今の私は島崎くん、じゃなくて瑛斗の記憶にある敷島良枝じゃないの。
腹とか二の腕とか太腿とか、絶対に見せられないから無理だよ。
私は自分に掟を課しているの。元の体形に戻るまで瑛斗の前では脱がないって。
だから、今日は絶対に泊まれない」
洋食店を出た後、良枝さんは「見送り」と称して、わざわざホテルまで付いてきました。どうするんだろう? もしかして気持ちが変わったのかなと思っていたら、ホテルの入口で立ち止まり、しばらく考えています。
「やっぱりダメ。我慢する。島崎くんには見せられない。
必ず痩せるから待ってて」
そう言い残してタクシーで帰っていきました。どうやら、最後の最後まで迷っていたみたいです。
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