第13話 喫茶店で(2)


「確認するけど年増で大女で根性曲がりで、

 体重は前より増えたけど、こんなオバさんでいいの?」


「それ昔、似たフレーズを聞いたけど、そんな良枝さんがいいです」


「ありがとう。その言葉を島崎くんの口から聞けて嬉しい」

 

 そうだ、これだけはフォローしておきましょう。


「あと、私、良枝さんのことを根性曲がりだなんて思っていませんよ」


 急に良枝さんが笑い出しました。


「はははは、その言い方だと、年増で太った大女だとは思っているのね。

 いやいや冗談だってば! そんなに必死になって否定しなくていいから。

 本当に島崎くんは真面目だよね。いいの。いいんだって。

 まあ、そういうとこが、私は好きなんだけどね。

 白状するとね、島崎くんから電話があったときは嬉しくて、たまらなくてね。

 40過ぎたオバさんがキャーキャー言いながら、ベッドで転げ回ってたんだよ」


 ベッドで転げ回る良枝さんが脳内再生されて、思わず笑いそうになりました。ついさっきは、SMクラブで同僚を蹴りまくったと自慢をしていたのに。


「私、男性を好きになったのは島崎くんが初めてだから、

 普通なら10代や20代で経験してる異性との恋愛や別れを知らないの。

 まぁ、同性とは短期も含めれば、沢山あるけど

 別れ話は私の方からばっかりだったし。

 なので島崎くんに捨てられたときは、どうすればいいかがわからなくてね。

 ただ泣きまくって、自己嫌悪に陥って、後悔して死にたくてね。

 でも気持ちが落ち着いてからは何を間違えたんだろう?

 なんで島崎くんを追い込んだんだろうって、結構、反省したの。

 あとは、ずっと再会を望んでた。だから、今日は、すっごく嬉しいの」


 ここまで良枝さんは一気にしゃべると姿勢を戻して椅子に深く座り、アイスコーヒーで喉を潤します。表情は前にも増して穏やかで嬉しそうです。

 少し沈黙した後、再び私の方に身を乗り出してきて、いい機会だから、さっき、ちょっと話題になった御主人のことを話しておきたいと言います。


「島崎くん世代には信じられないだろうけど、

 私が若い頃は、25歳以上の独身女性は『売れ残り』とか言われたの。

 酷い話だよね。私は学生時代から同性が恋愛対象で、かなりモテて

 相手には不自由なしだったんで、結婚する気なんて無かったの。

 両親も私の嗜好を知っているんだけど、世間体があるから、

 何とか結婚させようとして、見合い話や縁談を持ってくるのね。

 それを端から断わっていたら、最後に形だけの結婚を打診されたの」


 ファミレス時代も良枝さんは同性に人気でした。バレンタインデーには何人もの女性客からチョコをもらっていたし、常連客だった40代のOLさんからは、食事や映画、ドライブを執拗に誘われて断るのに苦慮していました。

 パートで働いていた30代の主婦も「私、そっちの気は全然ないけど、敷島チーフだったら抱かれてもいいなって思う」と言っていたので、そういう独特な魅力があるのだと思います。


「私は法律上は既婚者で、本名は敷島良枝じゃないことは知っているよね。

 でもね、旦那には結婚直後から憎悪と軽蔑しかないの。

 だから、そろそろ弁護士に依頼して、決着をつけるつもりなの」


 良枝さんの旦那さんは銀行員で、父方の親戚で10歳年上でした。結婚には興味がないという触れ込みでしたが、1980年代の銀行員は、家庭を持たないと出世が遅れるため、先方の両親は形だけでも結婚させたいと希望しており、敷島家に形式結婚を打診してきました。男性が無理という良枝さんの事情にも配慮して、結婚しても一切、手を出さないという条件で、両親が敷島家の畳に頭を付けてお願いするので合意したそうです。


 ところが実際には、旦那さんは女性絡みのトラブルが絶えない、とんでもない人物でした。良枝さんとの縁談が決まったときも、クラブホステスと半同棲中で、人妻だった部下の行員とも不倫していたので、自分の女癖の悪さを見逃してくれる都合のいい嫁が欲しかっただけでした。


「私には手を出さない約束だったのに、

 動物レベルの性欲だから、女性を見たら我慢ができず、

 同じ部屋にいると平気で襲ってくるの。

 最初に押し倒されたときは、

 顔面をグーで殴って前歯を折ったけど、

 動物だから懲りずに、また襲ってくるの。

 だから二回目は、花瓶で殴って頭を割ってやってね。

 結構な出血量だったけど、嫁に殴られて、

 怪我したなんて知れると出世が遠のくから、

 救急車は呼べないし、会社にも転んだって言い張るしかないの。

 次に襲ってきたら、躊躇なく利き腕の骨を折るって警告したら、

 ようやく私を犯すのはリスクが高過ぎるって動物なりに理解してね。

 それから、ずっと別居で、そのまま奴は海外転勤になって、

 私は島崎くんと知り合ったわけ」


 少し前にお義父さんが亡くなり、足の具合が良くないお義母さんは、息子夫婦に近所に住んで欲しいと切望し、今、住んでいるマンションを用意してくれたので、旦那さんと同居していますが、最初に聞いたように完全な家庭内別居状態です。

 私と知り合った当初、腹が割れていたのは、旦那さんが海外赴任する前は、いつ襲われるか、わからないので、体力的には、絶対にお前には負けないと誇示するために身体を鍛えていた時代の名残だったそうです。良枝さんの女性格闘家のような身体に、こんな事情があったとは驚きでした。


「離婚は何度も考えたよ。でも離婚したら、

 家庭の管理もできない奴っていう烙印を押されて、出世に響くとか、

 結婚式で仲人をお願いした支店長が役員になっているとか言って、

 絶対に同意しないの。

 正月とか部下が遊びに来るんで、仲の良い夫婦を演じて、 

 散々我慢してきたけど、もう、うんざりなんだよ。

 離婚が原因で出世コースから外れて、左遷でも出向でも何でもされて、

 とっとっと野垂死ねばいいんだよ」


 想像以上に人間として問題のある御主人でした。こんな人なら、その苗字は名乗りたくないという気持ちも理解できます。良枝さんの行動力は半端ないから、おそらく離婚するでしょう。


「聞いて。私、旦那とは離婚して、島崎くんのために身体を絞る。

 これからずっと傍にいてくれるなら、どんなキツイ減量だって平気。

 だから、もう二度と離れないって約束して。

 あと名古屋の再雇用の話は断って欲しい。

 名古屋で付き合っていた彼女、まだ完全には別れてないんでしょう?

 島崎くんは、もう会う気はないだろうけど、

 向こうがどう思っているかわからないんで、

 彼女のお膝元に行くのは嫌だよ」


「わかりました。再雇用の件はお断りします。

 あと、もちろん、もう二度と良枝さんを手放しません。

 良枝さんこそ、減量はともかく、

 離婚っていう人生リセットして大丈夫なんですか?

 くれぐれも無茶はしないでくださいね。

 私も、頑張って仕事を探しますから」


 そして、この後に良枝さんが何気なく口にした一言から、我々の人生は大きく変わることになります。


「……仕事の話だけどね、個人的に、ちょっと思う処があって黙ってたけど、

 私の友人に以前から島崎くんに興味を持っている人がいるの。

 その人に島崎くんが仕事を辞めて、名古屋から戻ってきたって話したら、

 雇ってあげてもいいとか言ってるの。

 引っ越し先も、彼女名義のワンルームマンションがあるから、

 そこでよければ、家賃もいらないって」


 「ちょっと思う処がある」という前置きが引っかかるものの、良枝さんの友人が私を雇いたがっていて、しかも家賃なしの住居付きなんて、すごく魅力的な話です。


「良枝さん、その就職話を詳しく教えてくれませんか?

 お友達は企業経営者とか店舗のオーナーですか?

 仕事内容はデスクワーク? それともサービス業?」


「やっぱりね。絶対に食い付くと思ってた。

 まあ、こんなおいしい話、誰でも詳しく知りたくなるよね」


 良枝さんは苦笑しつつ、その人物について教えてくれました。名前は鮎香瀬和子あゆかせ かずこさんと言い、医師で都内の総合病院で小児科の責任者を務めている方でした。良枝さんは都内の中高一貫の私立女子校出身ですが、鮎香瀬さんは一学年上の先輩だそうです。


「ずっと前から鮎香瀬さんには、島崎くんのことを相談しててね。

 告白しなよって肩を押してくれたのも彼女なの。

 『大概の若い男は腹空かしているから、カレーを作り過ぎたとか言って、

 家に上げて自分の気持ちを伝えたら?』ってアドバイスもくれてね」

 

 鮎香瀬さんは、私が初めて良枝さんの部屋に入るきっかけとなったカレーの助言者、つまり我々二人にとっては縁結びの恩人でした。


「だから、先週、島崎くんから電話があった後、すぐ彼女に連絡したの。

 最初は『おめでとう』『良かったね』って祝福してくれたけど、

 話すうちに『ヨリを戻すのはいいけど、大丈夫なの?』とか言い出してね。

 その流れで島崎くんの仕事の話題になったんだけど、

 『お母さんの看病のために会社を辞めたなら、今は無職なの?

 それなら私が雇ってあげるよ』とか言い始めて。

 『住む処も私の所有してるマンションなら家賃いらないよ』だって」


 鮎香瀬さんは、ベイエリアの高層マンション暮らしですが、都内に単身者用の1DKと夫婦用の2LDKのマンションを所有しており、管理を不動産会社に任せて家賃収入を得ていました。近々、単身者用の部屋が空く予定なので、そこでよければ無料で住めるとのこと。

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