第9話 新しい彼女
良枝さんから連絡が途絶えて一ヶ月くらい経った頃でした。会社で営業コンビを組んでいる中西先輩と一緒に遅めの昼食をとるべく、いつものように支店近所の裏路地にある定食屋に行きました。
かなり年季の入った外観の店ですが、掃除は行き届いており、40代の女将と70代のお母さんの二人で切り盛りしています。安くて美味しくてボリューミーなので、昼休みの時間帯は行列ができるくらい繁盛してます。
東京本社と違って名古屋支店の昼休みは一斉ではなく、部署ごとに午前11時30分から午後2時30分までの間に交代で取ることになっていたので、私と中西先輩は午後1時以降の時間帯をよく選んでました。
店内の黒板にチョーク書きされた日替わりメニューの中から、二人とも生姜焼き定食を選び、出てくるのを待っていると先輩が尋ねてきました。
「島崎は、ここんとこ元気ないけど、どうした?
悩み事があるなら相談に乗るけど。まさか彼女と別れたとかじゃないよな?」
「図星です。情けないことに五年間付き合っていた彼女と、つい最近、別れました」
「うわ、それは気の毒だな。五年も付き合ってたんじゃダメージ大きいな。
原因は何だ? 相手が浮気したとかか?」
そもそもの原因は、あなたが誘ってくれた合コンに来ていた女性ですよと言いたいとこですが、さすがに、それはできません。
「いや、そういうのじゃなくて、些細なことで喧嘩して、
売り言葉に買い言葉の後、冷戦状態になって、
せっかく向こうから謝りたいって電話してきたのに、
意地張って無視してたら、最後は連絡が途絶えたパターンです」
「一種の喧嘩別れか。まあ、やっちまったものは仕方ないよな」
そこに女将が「中西さん、日替わりAセットの生姜焼き定食、二つお待たせ」とトレイを運んできました。先輩は、すぐにガガッとかき込みつつ、ビジネスバッグからデジカメを出して女性とのツーショット写真を見せてくれます。
「俺、今、美容師と付き合っているんだけど、彼女の同僚が彼氏がいないとか、
別れたって奴ばっかで、合コンをやろうって前から言われてんだよ。
島崎と、うち(の課)の大里と3課の前田、あと経理の吉村辺りに声掛ければ、
今週中にでもセッティングできるぞ。美容師はいいよ。髪切ってくれるし、
頭も洗ってくれるし、カラーリングもしてくれるぞ。
島崎だったら、すぐに相手が見つかるよ」
「先輩、申し訳ないんですけど、今は合コンって気分じゃないんですよ」
私も生姜焼き定食に箸を入れながら返事をします。良枝さんと別れて寂しいイコール、新しい彼女が欲しいではないし、中西先輩の合コンに来る女性は、派手で変なテンションの人が多いので、正直、あんまり好きになれません。
「それなら、グラフィックデザイナーの
前回の合コンに来てて、お前が昔のバイト先の上司に似てるとか言ってた。
実はアイツ、俺と高校の同級生なんだけど、合コンの後、お前に彼女がいるのか、
わざわざ聞いてきたんだよ。
そんとき、いるらしいよって教えたら、すごく残念がっていたから、
今なら彼女に振られてチャンスだぞって連絡してやろうか?
彼女は真面目だし、22歳くらいから、ずっと彼氏もいないから、お勧めだぞ」
中西先輩は本社採用の新卒社員ではなく、名古屋支店が現地採用した中途社員なので、うちの新卒社員の掟である東日本出身者は西日本勤務、西日本出身者は東日本勤務を経験しておらず、勤務地は、ずっと愛知県内です。ただし県外転勤がない代わりに、どんなに優秀でも出世は副部長までで部長以上にはなれません。
先輩は生まれも育ちも名古屋市内で、友人が大勢おり、いろんな店も知っているので、接待や合コンの幹事役として重宝されていました。良枝さんに似た滝谷久美子さんも、女子メンバーに欠員が出たので、先輩が声をかけて急遽、参加してもらったそうです。
「もちろん覚えてますけど、あんまり話してないんですよ。
あのとき、滝谷さんに話し掛けたら先輩、急に変な絡みをしてきたけど、
まさか俺の元カノってオチじゃないですよね?」
「滝谷が元カノは絶対にないから。高校三年のとき同じクラスで、
受験勉強そっちのけで二人で文化祭の実行委員を全力投球したんで、
戦友みたいな関係だよ。
とにかく真面目でサバサバしてて、いい奴なんだけど、
ヤオラ―(今の腐女子と同じ意味)だから、俺は無理。
断言するけど、当時から今に至るまで恋愛感情は全くないし、
あいつも昔から、島崎みたいな顔が良くて細身の男に憧れてて、
俺みたいな、がっしりした男性はタイプじゃないよ」
「あと、先輩の同級生なら28歳でしょう?そろそろ付き合う相手は、
結婚前提の人とかになってませんか?」
「どうだろう?滝谷が結婚願望が強いって話は聞かないけどな。
なんなら直接会って、その辺を確認するか?」
別に彼女が悪いわけではないのですが、滝谷久美子さんは良枝さんとの別れの原因みたいな存在なので、会いたくないが本音でした。ところが中西先輩は定食屋を出た瞬間、いきなり携帯電話で彼女に連絡します。
「もしもし、タキクミ?、ナーザン(中西先輩の高校時代のあだ名?)だけど。
あのさぁ、前に彼女がいるか聞かれた東京から来た島崎だけど、
付き合っていた彼女に振られたらしいから、今ならチャンスだぞ。
もし時間があるなら、明日とか明後日とか三人で飲まないか?」
翌日、仕事が終わってから中区栄の居酒屋で三人で会いました。実際に滝谷さんと会って話してみたら、当たり前ですが、良枝さんと似ているのは顔だけで性格は全然違い、文化系の落ち着いた女性でした。
前回の合コンでは一度も隣席にならず、ほとんど話せなかったのですが、共通の知り合いの中西先輩が同席していたこともあって、結構、盛り上がって、終わる頃には、お互いの連絡先を交換し、次回のデートの約束もしました。
中西先輩の滝谷さんに関する情報は間違いだらけで、高校時代に入っていた漫画同好会の部長がヤオラ―だっただけで、本人はヤオラ―でもBL好きでもなく、単なる漫画好きでした。いい感じに酔いが回った頃、滝谷さんが先輩に嚙みついていました。
「ヤオラ―じゃないってのは、毎度毎度、説明してるでしょう!
これで何回目なの? ナーザンは関心がある子のことは、
つまらない情報でも、ずっと忘れないのに、
興味のない人の話は全然、覚えないよね。
お願いだから、これから付き合うかもしれない人に間違った情報を教えないでよ。
島崎さんに忠告するけど、ナーザンは高校時代から本当に、
いい加減な奴だったから、信用しないほうがいいよ」
滝谷さんは高校生の頃から漫画家を目指しており、専門学校時代には雑誌の新人コンテストに応募したり、出版社に原稿を持ち込んでいたそうです。今は本業の傍らで、地元のタウン情報誌に4コマ漫画を連載しており、友人たちと同人誌を発行しています。
年齢は二歳年上でしたが、ほぼ同世代なので学生時代に見たTV番組や映画、漫画の話題で、いくらでも盛り上がれます。また、ビールやワインをグラス一杯程度しか飲まない良枝さんとは違って、普通に
三人で飲んだとき、こう見えても、やることは普通にやるタイプですと自己紹介していたとおり、三回目のデートの後、酔い覚ましのコーヒーを御馳走したいからと彼女のマンションに誘われて、そういう関係になりました。
顔は同じなのに身体や声や反応が全く違う女性を抱くというのは、なんとも不思議な体験でした。
「……ごめんね。年上だから私がリードしなきゃって思ってたけど、
なんか完全にトロトロにされちゃった。
島崎さんの元カノさんって、ひょっとして年上?」
「そうですよ。どうして、わかったんですか?」
「キスもセックスも誰かに仕込まれたみたいに上手だったから、
前の彼女さんから、手ほどきを受けたのかなとか思って。
今、4コマ漫画を連載しているタウン誌に
元風俗嬢だったライターさんがいるんだけど、
その人がキスが上手な男性は、大概、ヒモか遊び人か、
年上の女性と付き合っているって教えてくれたんですよ。
島崎さんはヒモや遊び人には見えないから、もしやと思って。
元カノさんは、私より年齢は上ですか?」
「もうちょい、上です(嘘ではない)」
「本当に! 良かった~ 私、2歳年上なのを結構、気にしてたんで。
じゃあ、28歳でも大丈夫ですか?」
「全然、大丈夫ですよ。滝谷さんもキスやセックスが上手ってわかるのなら、
実は経験豊富で、酸いも甘いも嚙み分け済みですか?」
「違う! 違う! そんなんじゃない。私、島崎さんで二人目です。
最後にしたのも22歳のときだから、もう六年前だよ。
そいつ、自分だけ気持ち良ければいいっていう最低の奴で、
付き合っているから義務感でやってたみたいな?
それしか知らないから、今日はなんか、すごかった。
最初のキスだけで、全然、違ってて、え~ってなった。
今までインスタント袋麺を鍋から直接、食べてたのに
いきなり一流料理人のフカヒレラーメンを御馳走されるみたいな。
だから、今日は私が、いろいろ下手くそで本当に、ごめんなさい。
いい歳して、今どきの女子高生以下なんで情けないです。
これで最初は、年上だから私がリードしなきゃとか、
大それたことをよく考えてたって恥ずかしくて、たまらないですよ。
本当にごめんなさい」
「いや、別に謝らなくてもいいですよ。
全然。可愛かったし、満足してもらえて嬉しいですよ」
まあ、とりあえず、こういうときは、抱きしめて、優しくキスということで実行。
「もう止めてよ。心も身体も離れられなくなるから。
ねぇ、明日、土曜日だから、このまま泊まっていって。
もう一回、キスからして欲しいなんて、思ってるんだけど……」
結局、翌日も帰してもらえず、もう一泊して、彼女の身体を開発しつつ、自分の部屋の掃除と洗濯がしたいからと言って日曜日の午前中に解放してもらいました。
滝谷さんと付き合い始めて、しばらくした頃、会社で人事異動があり、昇進したばかりの新任課長が我々の上司となりました。しかし55歳にして温情人事で課長になれた人物だけあって根本的にダメな人で、部長の指示や顧客から提示された仕様書の内容を理解できないらしく、我々に命じる仕事が間違いだらけで無茶苦茶。
おまけに気に入らないことがあると、子供のように怒って暴れるパワハラ上司で、課長の指示はおかしいですと真正面から指摘する中西先輩は、いつも殴られていたし、暴れて手が付けられなくなった課長を抑えつけるために警備員が呼ばれたことが幾度もあり、悪い意味で支店の有名人でした。
私も殴らたことはなかったですが、小突かれたり、胸ぐらを掴まれたりは日常茶飯事でした。我慢して働いていましたが、さすがに限界かなと感じ始めた頃に、実家の母親が入院したと連絡があったので、看病を理由に1997年に退社して、実家のある千葉県に戻ることになりました。
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