第5話 告白
その日、私と敷島チーフの仕事上がりは午後6時でした。ところが近所の公園で野外イベントがあり、それが終わった午後4時頃から急に店が混雑し始めた上に、夕方から入る予定だったスタッフが欠勤になったので、店長から残業を頼まれます。
私はホール、チーフはキッチンで働き、客足が途絶えた頃には夜8時を過ぎていました。疲れ果てて、いつものようにチーフの運転する車で帰る途中、夕食に誘われます。
「島崎くん、昨日、間違えてカレーを作り過ぎたんで食べていかない?
一晩置いたカレーだから美味しいよ。サラダとデザートも付けちゃうよ」
「一人暮らしの30代女性がカレーの分量とか間違えるかな?」と疑問を抱きつつも、忙しく働いた後で空腹だったし、すぐに食べられるならいいかと、初めてチーフのマンションにお邪魔することになりました。
1DKの部屋は、チーフらしく実用本意のシンプルなインテリアでした。キッチン横の木製テーブルに座るよう勧められ、カレーを温め終わるまで少し待っててねと言いながら、冷えた缶ビールを出してくれました。
「それ飲んで一息入れてね。島崎くんは自分でカレー作ったりするの?」
「いや、カレーはレトルトだけですよ」
「まあ、男子の一人暮らしだとそうだよね。最近のレトルト、美味しいしね。
そもそも自炊とかは、あんまりしないのかな?」
「実家から、ちょくちょく野菜を送ってくるんで
野菜炒めとか鍋は割とやりますよ。
あとは目玉焼きとかパスタを茹でるくらい?
お手軽なんでインスタント麺とかサバ缶なんかは、よく食べてます」
「え~ そんなんじゃ栄養が偏るって。
じゃあ、これから私、島崎くんのこと誘うから一緒に御飯を食べようよ。
一人分も二人分も作る手間は同じだから。いいよね?」
そんな会話を交わしながら、チーフは冷蔵庫にあった野菜を手際よくカットしてサラダを作りました。やがて部屋中に美味しそうな香りが漂い始めて、カレーのお皿がテーブルに置かれます。
「お待たせ。私、普段はチキンカレー派なんだけど、
島崎くんに沢山食べて欲しかったから、今回はビーフにしたの。
遠慮なく、おかわりしてね。
サラダのドレッシングは和風とフレンチと
サウザンアイランドの三種類があるから、好きなの使って」
誘われたときは作り過ぎたと言ってたのに、沢山食べて欲しかったからビーフって、やっぱり今日のカレーは私が食べることが前提だったんですか? チーフはしっかり者ですが、こうやって無意識のうちに本音が漏れてしまう天然ちゃんです。
「普段は、お酒を飲まない」と公言しているチーフが、この日は珍しく缶ビールを開けたので乾杯しました。食事の話題は、いきなり残業をさせた店長への文句から始まって、いつも深夜に一人で来店し、三~四人分のメニューを完食していく謎のアラサー女性についての考察(ストレス食い? それともフードファイターの訓練?)やら、バイト新人の女子高生の石田さんと大学生の竹内くんは付き合っているのか否かの情報交換を終えた辺りで、二本目の缶ビールを空けたチーフから質問されました。
「ところで島崎くんは、私のことをどう思っているのかな?」
「チーフのことは、もちろん上司として尊敬してるし、
いつも職場まで送迎してもらって感謝しています」
「大学生の島崎くんから見たら、34歳は十分にオバさんだよね?」
「チーフは見た目も気持ちも若いんで、
オバさんだなんて思ったことは一度もないですよ。
一緒に行ったカラオケやボーリングやドライブは楽しかったし、
急に思い付いて市川のバッティングセンターから、
銚子まで日の出を見に行く深夜ドライブは最高でしたよ」
「行った。行った。交代で運転してね。バカだったね。
途中、オートスナックの自販機でハンバーガー食べてたら、
トラックの運ちゃんから『駆け落ちか?』とか話しかけられたよね」
そう言いながら、思い出してケタケタ笑っています。
「じゃあさぁ、これから、すごく勇気がいることを言うから聞いてね。
なんとなく感づいているかと思うけど、私ね、島崎くんのことが好きなの。
もう好きでたまらないの。10歳以上も年下だから、ずっと我慢してたけど、
最近、どうしても気持ちが抑えられなくなってきたの。
今も楽しいんだけど、もっと親密な関係になりたいなって」
職場で見る厳しくて凛としたチーフとは別人で、恥ずかしそうにしています。やはりカレーの作り過ぎは部屋に上げるための口実でした。何かあるんだろうとは思っていましたが、まさか告白とは。普段は飲まない缶ビールを飲んでいたのも、このためだったみたいです
「ありがとうございます。すごく嬉しいんですけど、チーフは既婚者ですよね。
旦那さんがいるけど、私とも親しくなりたいは、かなりヤバくないですか?」
「その件は心配いらないから。
法律的には夫婦だけど、主人に対しては、昔から軽蔑と憎悪しかないの。
常に外に複数の女がいる最低の奴で、何年も別居中なの。
今も海外で、若い現地妻を何人も取っかえ引っかえしているから、
好き勝手することにしたの。私が島崎くんと付き合っても、
奴が、なんか言ってくることは絶対にないんで、
全然、気にしなくていいから」
チーフは感情がストレートに顔に出る人ですが、旦那さんの話をするときは、本当に嫌そうでした。結婚後の苗字が嫌で、ずっと旧姓で生活しているのも納得です。
「私、チーフより背は低いし、全く逞しくもないし、
男性としては、かなり情けない奴ですよ?」
「全然、情けなくないよ。私はそういうとこも含めて島崎くんが好きなの。
ファミレスのバイト面接に来たときから気になってて、
絶対に採用するように店長にお願いしたんだよ。
私、男性に対して、こんな気持ちになったのは、島崎くんが初めてなんだよ」
以前から好意をもたれているのは知っていたし、それが決して嫌でなかったんで「私で良ければ」とOKしたら、すぐに強く抱きしめられてキスされました。チーフとの初めてのキスは当然ながらカレーの味で、のっけからディープキスでした。
びっくりしたのは、そのまま何の躊躇もなく、私を床に押し倒して、服を脱ぎ始めたことでした。どうやら、この流れのための自宅告白だったみたいです。以前、パートさんから冗談で言われた「チーフに押し倒されたら、島崎くんじゃ抵抗できない」は全くの事実で、されるがままでした。
キッチン担当のパートさんが女性用更衣室での目撃談として「敷島チーフの腹は、板チョコみたいに割れている」と教えてくれましたが、これも事実でした。ただ、鍛えられてはいるものの、女性ボディビルダーのような上半身が逆三角形で、二の腕や太腿の筋肉が極太ではなく、体脂肪率が低くて贅肉がなく、筋肉に表皮が被さったような女性版の細マッチョでした。
「ねぇ、島崎くん、脱がせてあげようか? それとも自分で脱ぐ?」
馬乗りになって、シャツのボタンに指を掛けながら、チーフがいたずらっぽく聞いてきます。
「自分で脱ぎますけど、チーフ、私、昨日、風呂に入ってないし、
今日はバイトで汗かいたから、まずシャワー浴びてもいいですか?」
私に言われて、チーフも自分の二の腕と脇の匂いを嗅いでます。
「ああ、そうだね。私も結構、汗かいてたわ。
思わず興奮して、押し倒しちゃってごめんね。まずシャワーだね」
立ち上がって、私が服を脱ぐと「えっ⁈ 島崎くん、その胸、どうしたの?」と案の定、驚いた様子だったので自分の身体について話しました。
中学時代の不安とは裏腹に、今までそういう関係になった女性は、最初こそ驚くものの、事情を話すと理解してくれた人ばかりでした。しかし体育会系なチーフの性格を考えると、おそらく受け入れるのは無理だろうなと予想しながら、自分の身体についてと中途半端に終わった治療のことを説明しました。
「……要は男性としては情けないどころか、出来損ないの失敗作なんです」
「そんなこと言わないで。島崎くんは絶対に失敗作なんかじゃない。
本当のことをいうと私、島崎くんが女の子みたいなんで好きなの。
だから、むしろ胸があった方が嬉しいし、
今、初めて島崎くんの身体を見て、すごく綺麗だと思う」
チーフの反応は予想とは真逆でした。その夜は、そのままチーフの部屋に泊まり、長谷部先生に仕込まれた舌づかいを披露すると、チーフから執拗に胸を責められました。
チーフから二人だけときは、名前の良枝で呼んで欲しいとお願いされます。
「島崎くんのことも
「いや恥ずかしいんで、これまでどおり島崎くんでお願いします」
本当の理由は、良枝さんが仕事場で間違って呼びそうだから、予防線を張るためでした。一応、良枝さんには、二人の関係を気付かれないようにするため、仕事場では極力、今までどおりに振る舞いましょうと提案し、彼女も「それが良いよね。私も浮かれないように注意しなきゃ」とハッキリ言ってました。
しかし、翌々日、いつものように迎えの車に乗ったら、髪型はクラウンブレイドで、明るいブラウンの髪色になっていました。「つい最近、良いことがありました」が丸出しです。
「昨日、美容室でやってもらったの。似合う?」
こう尋ねられて、似合う以外の返事があるのでしょうか? バイト先では、これまでにないくらい上機嫌で肌の色艶が良いチーフを見て、スタッフ全員が事情を察した様子でした。この日以降、私の前で敷島チーフへの文句や不満を言う人はいなくなりました。
ちなみにチーフのクラウンブレイドは、「すごく似合っている」「その髪型、なんていう名前ですか?」と年齢を問わず常連の女性客には大好評でした。
付き合い始めてからは良枝さんのマンションで食事をして、そのまま泊まることが増えました。
実は当時、合コンで知り合った短大生の恋人がいたのですが「最近、瑛斗はバイトばっかりで全然会ってくれない」と文句を言われ続けていたうえ、デートしても良枝さんとのドライブみたいなワクワク感がないので、結局、別れました。それから一層、私は良枝さんに溺れて、ひたすらにお互いを貪り合うようになりました。彼女はどこまでも淫靡で魅力的でした。
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