双月が照らす奇麗な深夜。フラグの備蓄は十分か

 暗く月もない夜道をウィンディは一人とぼとぼと歩いてた。

 ふと振り返るも都市からの距離が離れたのもあってさっきまで居た屋敷の灯りもすでに見えなくなっている。

 見上げると空には小さな赤と青の双子の月が浮かんでいた。

 滲んできた涙を腕で拭うと一気に駆け出すつもりで歩調を早めようとしてすっころぶ。

 屋敷から飛び出して通算八回目の転倒。

 レア冒険者である勇者に認証されたことで一気に運動能力が下がったウィンディは半刻立った現在でも思ったように離れることもできず都市の近くにいた。


「もう……」


 ついに溢れてきた涙が頬を伝う。

 元々はもっと陽気で快活だったウィンディだが、都市が封鎖され自身も怪獣に感染した後は所属していた冒険者ギルドに駆られる側になることを恐れずっと都市近隣に潜んできた。


「いやだぁ……」


 運命のあの日、冒険者ギルドのギルドマスターだったミスティからの緊急クエストを受けたフライングキャットは魔窟の五十層に潜った。

 どうしてそれをするのかはウィンディには理解できていなかったが、大規模海水魚養殖フロアである五十層に設置されていた大量の海水を下層に放水する仕組みを手動で動かす必要があった。

 あの時、ギルマスのミスティは赤龍機構せきりゅうきこう本部からの干渉を止めるために都市に残留、当時ミスティを除けばラルカンシェルの最高ランク冒険者だったフライングキャットの三人が単独で死地の中へと飛び込んだのである。


「自分がここであれを止めるっすよ」

「無理っ! あの数の魔獣無理だよっ!」


 ガストとの最後のやり取りを思い出す。


「自分には挑発系ヘイトタレントがあるっすから。全部引き付けて全力で逃げるから大丈夫だって」

「でも……」

「いきますよ」


 後ろ髪を引かれるウィンディの手をミラが強く引っ張った。


「自分なら大丈夫っす。必ずレインちゃんに会いに戻るっすよ」

「この馬鹿」

「ウィンディ」

「うん。絶対っ、絶対だからね、ガスト」


 殿を務め手を振るガストを置き去りにしたまま脱出のための小部屋まで到達したウィンディとミラージュだったが時は一足遅くヒドラフォッグの魔窟全体への浸食に伴い制御用の魔導装置は全てダウンしていた。


「あは……終わったね」


 暗い小部屋の中でぺたりと座り込んでしまったウィンディ。

 その後ろでは部屋の隅にあるパネルをあけて中の回路をいじる通称ミラことミラージュの姿があった。


「諦めたらそこで終わりだそうですよ」


 それは異世界転生者であるトライを祖母にもつガストの口癖だった。


「諦めなくても詰んでんじゃん」

「そうでもありません」


 ミラの言葉と同時に小部屋の上部に光が点灯する。


「えっ、まじっ!? ミラ、すご……」


 飛びついて喜ぼうとするウィンディをひらりとかわしたミラ。


「ふべっ!」

「いつも言ってますがうっとうしいので張り付かないでください」


 思いっきり顔を壁にぶつけたウィンディは痛む鼻をこすりつつ涙目でミラを見た。

 灰色の髪に青い瞳を備えた魔導系タレント使いの少女はウィンディを一瞥すると部屋の外に出て室内と同じようにパネルをあけ魔導回路をいじり始めた。

 幼少期に水の都レビィティリアで怪獣災害にあったこの少女ミラージュは引き取られたロマーニ王城地下の研究施設で魔導の初歩を習った。

 その理解速度は指導をした魔導士にして国家宰相でもあったルキフグス・フォン・ロフォカルスが刮目する水準だったとウィンディはミスティから聞いていた。

 そんな極めて高い素養を持った天才少女、だがその一方で少女には残酷なまでに魔導士としての才能が欠けていたのである。

 MPに溜まるマナを吸い上げて魔導の形に流し込む才能。

 かつて起こった海の怪獣災害に巻き込まれた少女の体内経路はどうしようもない程に寸断、破損しておりマナがあっても魔導として行使することができなかったのである。

 その消費しきれないマナは周期的にミラの体を蝕んだ。

 それにより定期的に起こる体調不良によって少女の余命は長くないと思われていた。

 そんな折、初の新型魔窟付帯都市ラルカンシェルが公式に発表。

 同時にリニューアルした都市のお披露目に当たり新タレント『魔導まどう』と育成迷宮管理者の『魔王まおう』がリリースされた。

 それはミラにとって大きな転機だった。

 水難事故の後遺症で魔導が実行できない魔導士ミラージュ。

 マナを消費することで才能に関係なく誰にでも魔導の利用が可能となる冒険者のタレント『魔導』

 冒険者ギルドを運営する赤龍機構では初期テストを行うにあたってMPとマナはあるが魔導適正に問題のある人材を探しており、ミラージュはその条件にぴたりとあてはまったのである。

 元々はインスタントスキルと呼ばれていた冒険者のタレント。

 学術研究の成果として緻密に編み上げられる魔導の実行式とは違い、インスタント、簡易さを前面に押し出したタレントの魔導にはパターンの組み合わせによって簡易に実行式を編む手法が実装されていた。

 ラルカンシェルで冒険者となり初めて魔導を行使できるようになったミラは次々と新しい魔導を編みリリースしていった。

 特にミラが精力的に作り上げたのが猫用魔導と幻影魔導でウィンディがミラに出会ったその時には既にかなりの数の猫用魔導玩具を都市の富裕層向けに販売しており、結構な額のパテント報酬をミスティ経由で冒険者ギルドから貰っていた。


「ウィンディ、少し奥に下がってもらえますか」

「こう?」


 幻影の猫魔導士という通り名を持ったミラの言葉に従い、小部屋の一番奥まで下がったウィンディ。


「直りそう?」


 問いただすウィンディにミラは少し思案した後でこう答えた。


「もうすぐ動かせます。ただ、制御系が死んでいるので完全に外からの手制御になってしまいますが」

「外から?」

「はい。ミスティ師匠によろしく」

「え、ちょっとまって、それってどういう意味?」


 一瞬だけ手を止めたミラの藍色の瞳がウィンディをとらえた。


「さよなら」


 勢いよく閉じた小部屋の入口。


「ミラッ!?」


 驚き続ける暇もなく上に向かう強い力がウィンディを床に押し付けた。


「うぐっ!」


 床に張り付いたウィンディの瞳に床の隅からじんわりと滲みでてきた黒い霧が映る。

 そして獲物を見つけたかのような勢いで黒い霧がウィンディに張り付いてきた。


「いたっ! いたいっ!」


 激痛に喘ぐウィンディの耳に長く連れ添ったチューリッヒのチュチュっという鳴き声が聞こえた。

 その後のことはウィンディは一切覚えていない。

 気が付くとウィンディは何もない平野に取り残されていた。


「……ガスト……ミラ……リッヒ……」


 魔獣の爆発に巻き込まれても即回復し、なにも食わなくても死なない体。

 そして大きく穴が開いたような感覚に苛まれながら気が付けば年を超える日々を過ごしてきた。


「私はどうすればよかったのかな……」


 ウィンディが動くと何故か一緒に大量についてきた爆発する魔獣の類はここ数日はきれいさっぱりと影を潜め、かわりに日々鶏を生み出しては姉妹とアキラ、そして喋る銃と過ごすという奇妙な日々。

 だが、それももう終わりだとウィンディは思う。

 赤龍機構が本気になれば宇宙怪獣くらいは土地ごと葬り去ることができる。

 そうなればサニーもレインも、そしてアキラも無事では済まされない。

 ウィンディは頭を振ると痛む体をねじ伏せてゆっくりと立ち上がった。


 できるだけ遠く……

 あの人たちに被害が届かない場所で……


「……死にたい……」


 ウィンディは心からそう思った。

 もう、だれも死なせたくない。

 だから私だけが、どことも知れない誰も見つけられない隅っこの場所でそっと死にたい。

 ウィンディは願う。


 この命を捧げます、だからどうか、神様、私の願いをかなえてください。


 ちらりと頭をよぎるのは冒険者仲間と語った夢のパーティホーム。

 猫がくつろぎ、遊び、訪問者がのんびりと時間を過ごす夢のような、夢の猫カフェ。

 でも、とウィンディは独りつぶやく。


「……もう……つかれた……」


 たった一週間ほど。

 それでもあの館での日々は生きる意味を失っていたウィンディにはまぶしすぎた。

 そこに降ってきた絶好の死ぬ理由。

 いつだったか、ギルドマスターのミスティが言っていた。

 アンデッドというのは死なないではなくて死ねないもののことなんだよ、と。

 ならば自分はアンデッドではないか、ウィンディはそう思った。


「……死なせて……」

「駄目です」


 ふいに目の前に赤みがかった銀髪に赤い瞳、豊満な体形を備えた馬鹿の魔王が出現した。


「どっ、どっ」

「私、ウィンディを依り代にしましたから」


 聞いた瞬間血の気が引き、次に頭に血が上る。


「なんでっ! 私、そんなことしてくれなんて頼んでないっ!」


 ガストも、ミラも、リッヒも、そして目の前のサニーもっ!

 どうして皆、勝手に助けようとするのか。


「はいっ! でもウィンディは私と約束しましたからそれが叶うまでは駄目ですっ!」

「約束って何っ!」


 絡み合う二人の視線。


「約束したんですっ!」

「だから何をっ!」


 ふんわりと笑った美貌の魔王。


「猫カフェ作ったら店長さんをする約束ですっ!」


 そういってウィンディにびしっと敬礼したサニー。

 硬直したウィンディが震える唇を開いて声を絞り出す。


「……覚え……てたの?」


 双月が照らす暗い世界で、明るい太陽のような満面の笑みを浮かべたサニーは白い歯を見せて笑いながら大きく頷いた。


「はいっ! たとえ自分が誰なのかを、お家がどこなのかを忘れても忘れちゃいけない思い出メモリーがあります。だから約束、守ってくださいっ!」


 ウィンディの瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れだし地面へと吸われていく。


「ず、るいよ……何でそういうのは覚えてるのかな」


 揺れる胸を張ったサニーは大きな声で答えた。


「私、魔王ですから。冒険者を……」


 一瞬首を傾げたサニーはもう一度言葉を紡ぎ治す。


「自分の気に入った大切な約束だけを守るのが魔王です」

「ひどい」

「魔王ですから」


 自然と笑みが浮かんだ二人。

 そんな二人に少し離れた位置から聞きなれた声が聞こえた。


「別れの言葉はすんだか」


 二人がびくりとして視線を声の方に向けるとそこには紫色の髪に紫の瞳、足に光る銃をつけた少女の姿をした熟練冒険者、兼二人のギルドマスターの姿があった。


「サニー、依り代設定を強制解除しろ。できるよな?」

「できませんっ!」


 胸を張って不可能宣言をするサニーに紫の少女が嘆息する。

 愛らしい容姿に不釣り合いな口端を引き上げる笑みを浮かべながらその少女、アキラは二人にこういった。


「ならウィンディを外すしかねーな」

「いやですっ!」

「………………」


 即答したサニーと沈黙したウィンディ。


「死にたいんだろ?」


 引き抜いた銃の銃口を向けてきたアキラに二人が息をのむ。


「アキラさん、本気、なの?」

「ああ。マジだよ」


 珍しく怒った顔をしたサニーがウィンディの手をぎゅっとつかんだ。


「絶対にさせません。ウィンディ」

「なに?」


 再び二人の視線が絡み合った


「約束、守ってください。フライングキャットがオーナーで私達が店長です。最期まで養ってください」


 堂々の扶養宣言に一瞬逡巡したウィンディ。

 強い意志を込めたサニーの瞳を見て別な方向での諦観を持ったウィンディは小さく頷いた。


「私達で……いいの?」

「貴方達がいいんです」

「わかった」


 やり取りする二人にアキラが声をかける。


「さてお前ら。フラグの備蓄は十分か」


 手を握ったままのウィンディとサニーはアキラを睨みつける。

 そんな二人を見ながらアキラが浅く笑う。


「いい面構えだ。こっちもマジでやるから覚悟しろ」

『アキラだとオーバーキルですね』


 軽口をたたく銃。


「アンデッドだけにな、言わせんな」

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