田中美咲⑥
しばらくの間、私は呆然とその場に立ち尽くしていた。
それがどれだけの時間だったのかは分からない。
ハッと我に返る頃には、部屋に入ってきた男の背後で、ドアが「ガチャン」と音を立てて閉まっていた。
「僕だよ。覚えていてくれてたんだね」
私は必死に頭を動かそうとしたが、状況を飲み込めない。
目の前にいるのは、どう見ても卓也ではない。小太りで眼鏡をかけたその姿は、いかにも鉄道好きのオタクといった感じだ。
「こうやって顔を合わせるのは、中学3年の時以来かあ」
「中学3年……」
脳の奥底にあった当時の記憶を掘り起こす。
すると、教室の片隅で、いつも本を読んでいた無表情な男の顔を思い出した。
少し面影が残っているような気がするが、彼なのだろうか。
しかし、名前を思い出すことができない。
「嫌だな美咲、さては久しぶりだから照れてるんだね」
男はうすら笑いを浮かべながら、じりじりと距離を詰めてくる。
「昨日ようやく君を見つけることができて、今日もあとをつけてきたんだ」
彼は、目の焦点が合っていないように見える。どこを見ながら話をしているのか分からない。
「フロントで君がどの部屋にいるか聞いてみたら驚いたよ。『渡辺卓也様ですね、お待ちしておりました』って言われたんだ」
私は彼の名前を思い出した。
そうだ。いつも暗い顔をして本を読んでいたあの男は、渡辺卓也という名前だった。
偶然にも、彼氏と同姓同名だ。
でも、渡辺がここにいる理由が分からない。
「なんで……」
自分でも驚くほど小さな声だった。恐怖から声帯が思うように動かせない。
「よく僕がここに来るって分かったね。僕の気持ち、君に届いていたんだね」
虚ろな表情をしながら、こちらに向かって近づいてくる。
「僕のために予約までしてくれてたなんてうれしいなあ」
彼から離れようと後ずさりをするが、背中が壁にぶつかった。
「違うの! 近づかないで!」
なんとか絞り出した声に、彼の身体がビクッと反応した。
それからしばらくの間、動きが止まった。
「うぅ……」
さっきまでとは打ってかわって、頭を抱えながら小刻みに震えている。
「なんでそんなこと言うんだよ……僕がどんな想いで君を探してきたか……」
不気味に感じながらも、今しかないと思い、彼の横をすり抜けてドアまで駆けていった。
廊下に出たら大声で助けを呼ぼう。
ドアノブを回そうとしたその時、後ろからものすごい力で襟首を掴まれた。
そしてそのまま部屋の中央に引きずり込まれる。
渡辺はこれでもかというくらい顔を近づけてくると、野太い声を出した。
「お前が俺のことを好きだったくせに裏切るのか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます