第十八話
王侯貴族や各組織の主要人物が集まり開かれた会議。明日の決戦前の最終確認として行われた会合は滞りなく終了した。後は各自で細かい部分の調整をするのみ。英気を養う者、休息する者、自由に過ごす者など様々である。……そして最後の別れをする者もいた。
戦いの規模と理由からして小さないざこざとは訳が違う。戦争と言っても差し支えないのだ。最後となる可能性も十分あった。
「これが戦争ですか。色々な感情が複雑に絡み合っている。そんな気がします」
「高揚感があれば恐怖する人もいる……当然ね。それが人間だもの」
シエルが何処憂いを帯びた顔で忙しなく動く騎士達に目を向けている。セレンは達観した様子で彼らを眺めていた。
「……本当なら誰も戦いたくない。死にたいなんて思わない」
「そうですね。ですが、この争いは人間が起こしたものです。それを迎え撃つのもまた人間です」
呟くように自分の考えを口にするアトリ。彼らの中で一番長く生き戦争を経験しているグランツは冷静に受け答えする。
「争いを起こした人間は……親父達ってことか」
全員の視線が集まる。今し方の発言はヴァンである。死の森での特訓を終え強く成長した剣士。
ヴァンは本当に変わった。転移魔法で戻って来た時はどうなることかと思われたが、事情を知ったことでヴァンの尊厳は保たれていた。現在はラギアス家の使用人が用意した新たな服を着ている。
「止めるのは……息子の俺か」
ポジティブな言い方をすれば純粋。悪く言えば感情的。それがヴァンであった。剣の扱いは一定レベルの実力を持っていたが、直情的で絡み手に弱く応用が利かない。思い込みも激しいことからジークとは何度もぶつかっていた。
「……自分達の都合の為に人を殺すなんて間違ってる」
剣聖の一件、ラギアス夫妻の出来事、死の森での死闘。これらを通じて三流剣士は人として、武人として大きく成長したのだろう。力だけではなく精神的な強さと自信を持った一流の剣士。
グランツ達は懐かしい感覚を感じていた。これがアルデリクの言う繰り返されてきた世界と関係するのだろうか。
「だから……戦わないといけないんだ。それが息子の俺の責任だから」
揺るぎなき瞳は湖の方角へ向いている。明日の夜の決戦の地……これで全てが決まる。世界の未来が決まってしまう。
「……ヴァン。一人で勝手に決めないで」
「そうです。私達もいますよ」
優しく微笑むのはアトリとシエルである。昔から近くでヴァンを見てきたアトリと過ごした時間は長くはないが神聖術で支えてきたシエル。
「ヴァンさん。今の貴方ならもう分かりますね。私達の言葉の意味を」
「あなただけの戦いじゃないわ。私達には戦う理由があり過ぎるもの」
ヴァンがもがき苦しみながらも少しずつ歩んできた軌跡を見守り、助けてきたグランツ。厳しい言葉でヴァンを叱責してきたセレン。
生まれも立場も何もかもが違う彼ら。衝突することもあったがこうして一つになった。繰り返される世界とやらだけが理由ではないはずである。彼らは意志を持った人間なのだから。
「……ありがとうみんな。俺、色々と最悪だったよな」
人間である以上様々な感情がある。時に憧れ、時に恨み嫉み、そして挫折する。……それでも立ち上がることが出来るのが人間なのだ。
「力を貸してほしい。もう誰も理不尽に傷付かないように」
頭を深く下げるヴァン。その申し出を拒否する者は一人もいなかった。
彼らはやっと一つになれた。
****
日は完全に沈み星々が輝く頃。普段なら静かな時が流れているが戦の為に集結した者達の存在がラギアス領の雰囲気を変えていた。
喧騒から離れたラギアス邸の裏手。決戦の地となる湖の湖畔には一人の影。星の瞬きに照らされた黒髪は煌びやかに輝いている。ジーク馴染みの場所だった。
「やぁ、一人で何をしているのかな?」
「お前のような煩い奴から逃れていたところだ」
ゆっくりと歩を進めながら現れたのは金髪の元騎士。幼い頃からお互いを知る関係性である。
「僕より君の方が口うるさいと思うけど」
「抜かせ。くだらん戯言はお前の十八番だろうが」
いつも通りのやり取りに笑みが溢れる。ジークの罵詈雑言をルークが適当に流して、ルークがジークを揶揄う。毎度の様式美。何度続けても飽きることはなかった。
「……遂に明日だね」
「……」
目前に広がる湖。星々と闇に侵食された月が大きな湖に映し出される。明日の同じ時間帯に月は完全に消失する。つまりは新月である。
「明日の今頃は戦闘中か……」
「そうだ」
この綺麗な湖畔が戦場になる。
敵の主たる戦力は魔物と不可思議な影のような存在だと予想されるが対してこちらは生身の人間である。
普通の人間。負傷すれば血は流れるし最悪は命を落とす。
「敵は使い潰しの利く兵士。でも僕達は……」
「沢山死ぬだろうな。本能と命令に従って動く相手と感情を持った人間では根本的な思考が異なる」
入団試験とオーステンの悲劇はルークにとって忘れられない出来事である。あの事件があったからこそルークは痛みを知り絶望を体感した。
同じことが再び起ころうとしている。ルークの心は揺れる。
「もう……あんな思いはしたくない。だから勝たないとね」
「当然だ。その為に各々が力を付けた」
ヴァンは強くなって帰ってきた。別人かと見紛う程に。ジークに関しては言わずもがな。グランツやアトリにシエル、セレン。国軍の人達もそう。この戦いに備えて全員が強くなった。
(また差が広がってしまったな)
出会いは病気が完治した時だった。父であるブリンクに劣らない剣捌きに魔術師を凌駕する魔法。ただの子供でしかなかったルークからしてみればジークは憧れであり目標だった。ずっと遠くにいる背中を追い続ける。それがルークの日常だったのだ。
(君はどんどん一人で先に進んでしまう。……今度は何処に行こうとしているんだい?)
共に冒険者として活動すれば何かが見えると思っていた。騎士になれば追いつけると考えていた。対等な友になれると信じていた。
(独り傷付く君を見たくなかった。だから強くなろうと思ったんだ)
ラギアスの立場をジークがよく思っていないことなど初めから分かっていた。他者から謂れのない批判など日常茶飯事だった。それでもジークは一度も反論しなかった。自らを正当化しなかった。ラギアスの悪行は全て自分の罪だと言わんばかりに。
(ジーク。君は本当に強いね。あんなことがあったのに)
ラギアスの真実から目を背けることなく責任を果たしたジーク。そして今、最後の役目を務めようとしている。最後のラギアスとして、長きに渡り続いてきたディアバレトとラギアスの関係に終止符を打とうとしている。
(僕だったら絶対に耐えられない)
遊撃隊として異界の門へ向かうルーク達。王国軍が露払いをした後に隙を見て突っ込む手筈。つまり、ルーク達が勝つまで彼らは戦い続けることになる。その中にはジークもいることだろう。
(またこの感じだ。どうして君は……そんなにも悲しそうなんだ)
ジークが本音を語ることはほとんどない。表情を乱しているわけでもない。だがルークには分かる。これから失われる命を前に心を痛めていることを。
「ジーク。僕達は……勝てるよね?」
「……」
言葉はない。それも当然である。ジークは預言者ではないし、話に聞くエルゼンのような不死者でもない。ジークはルークが知る限りの最強かもしれないが完璧ではない。――そんなこと分かっていたはずなのに。
「これまで通り、だよね?」
「……」
ジークが敗れ命を落とすことなど考えられない。誰よりも強く優しい親友が負けることなどあり得ない。――都合の良い妄想だと普段のルークなら理解しているはずなのに……。
「君は……死なないよね?」
「……生きていれば必ず死ぬ。早いか遅いかだ」
この口の悪い悪徳貴族は誰かの為に無理をしてしまう人間なのだ。見ず知らずの人間を救う為なら何かを捨てる。それが自らの命であっても。
これが最期なんじゃないかとあり得ない想像をしてしまうのは何故なのか。
(あぁ、これじゃあ弱い頃の僕に逆戻りだ)
親友の隣に立つ為に強くなった。親友の重荷を背負えるよう力を付けた。もう二度と親友にあのような辛い表情をさせない為に……。
今のルークは魔力硬化症を患っていた時と変わらない。いざと言う時に弱音を吐いてしまう弱い自分である。
「余計なことを考えるな。前だけを見ろ」
「僕は……」
「………………背中は守ってやる。だから務めを果たせ」
決して多くはない。たったこれだけの言葉のはずなのに力が湧いてくる。上手くいく気がしてしまう。昔からそうだった。この親友の言葉は何度ルークを鼓舞してきたのか。
「分かった。僕の背中は任せたよ――親友」
「任せろ」
二人が口を開くことはもうなかった。静かに湖を眺めるのみ。月は離れゆく二つの星を照らしていた。
****
光の届かない暗闇。誰も立ち寄ることのない峡谷。かつては街道として利用されていた地には人の気配が存在しない。谷の上から冷めた目で見つめるのは元剣聖候補のエルゼンであった。
「あれから何年経った?」
「……さあな。随分と待たせたことだけは間違いねぇ」
エルゼンの隣に立つトレート。二人の関係は何年も前から続いていた。
「ここで全てが終わった……いや、始まったのか」
「俺達の長い旅がな。お前が封印された精霊に出会わなければこうはならなかっただろうよ」
光が届かない深い峡谷には死の気配が残されたまま。当時と何も変わらない。変わっていなかった。何もかも。
「ヴァンに会ったらしいな。……いいのか?」
「剣を手に取ったなら容赦はしない。新たな世界でまた始めればいい」
「始める、ね。実感が湧かねえな」
現状集めた『鍵』は二本しかない。残りの一本がなければ成就することのない願い。継承者達は確実にエルゼン達を阻む為に動いてくる。
「……なぁ、俺達は間違っていたと思うか?」
「思わない。ハルラが死ぬことの決まっていた世界。そのような物は認められない。――醜いエゴであることも承知の上だ」
「……お前の判断を信じるぜ」
悪と理解していても立ち止まりはしない。彼らは世界を壊す。ディアバレトによって捻じ曲げられた世界を。
****
新月の夜まで残り僅かとなる。戦いを前に緊張感が王国軍に広がる。彼らを鼓舞する為なのか、本来なら王城に留まるべき国王――アルデリクが前に立つ。
「其方らのことを私は誇りに思う」
その一言で全員の心を掌握するアルデリク。凡人にはない王の威厳とカリスマ性。生まれた時から上に立つことの決まった王である。
「愛する国の為、愛する者の為、何かを守る為。理由は様々だろう」
生まれが違えば立場も異なる。一人一人が自身の考えを持つがその目的は同じ。
「多くは語らん。――勝て。それが其方らの役目だ」
歓声が上がる。
王の言葉に応える為、己を鼓舞する為、恐怖を少しでも払拭する為。多くの感情が混ざり合い熱気が立ち込める。
そんな彼らから離れた位置に一人佇むのは黒髪の悪徳貴族。腕を組み瞳を閉じている様子は精神統一なのか。
「あら、あなた一人? この後お茶でもどうかしら?」
「ちょっとセレン。抜けが……ではなく、ふざけないでください」
ジークの周りに集まってくる者達。ジークと絆を深めた彼らは王ではなく反英雄の元を訪れる。
「準備万端といったところですかなジークさん」
「……神」
王が駄目なのではない。彼らにとってはジークが特別なのだ。命を救われた者がいれば生きる希望となった者もいる。これまで共に歩んできた時間の差と信頼である。
「ジーク。まぁ、その、あれだ。――勝とうぜ」
「ヴァン……しっかりしなさいよね。アンタがリーダーなんでしょ」
何処か照れくさそうにするヴァンにエリスがツッコむ。それを見て周りが笑う。雰囲気としては悪くない。
「君に借りた恩はここで返すことにするよ。……後で高額請求されても困るからね」
「……ヨルン殿。我主人はそのようなことはしない」
魔術師団の正装に身を包んだヨルン。連隊長の証である他とは違う服装である。シモンは普段と変わらない鎧姿。だが顔付きは精悍である。
「ぼ、僕は弱いから後方支援だけど頑張るよ。この戦いはイグノートにも関係するからね」
神竜の宝玉の欠片が埋め込まれたサーベルをお守りのように持つクラッツ。ガタガタと震えているが逃げるつもりはないようである。
「ジーク……」
ルークの言葉は短い。口にしなくとも心で通じているのか多くは語らない。
「マイフレンド。あちらは盛り上がっているじゃないか。私達も負けていられないね?」
「確かに、変態にしてはいい考えじゃない。冒険者だってここぞという場面では気合いを入れるのよ?」
「……じゃあ同じ変態のヴァン?」
「違うだろ! 一緒にすんなッ! ……ここは俺じゃないだろやっぱ」
全員の視線が集まる。その対象は件の悪徳貴族。
ジークは面倒そうに目を開ける。そんなことは知らんと突っぱねるが、では私が勝利の舞を披露しようとアーロンがジークの周りをクルクルと踊り始める。もうやめろと耐えかねたジークが観念した様子で口を開く。
「よく聞け。この戦は規模からして戦争と大差ない。世界の明暗を分ける戦いだ」
始まりは元騎士団の連隊長による指導からであった。
「はっきり言ってやる。俺はこの世界がどうなろうが興味はない」
毒竜バジリスクの討伐。忌子との邂逅。
「俺は心底思う。この世界はイカれている」
未開のダンジョンでの救出劇。望んだのはあくまでも力のみ。他人を助けたのはついでにすぎなかった。
「ラギアスに犠牲を強いてきた世界などゴミに等しい。滅んで当前だ」
領主会談の護衛など端からやる気はなかった。王都が被害を受けようが新人騎士や魔術師がどうなろうが知ったことではない。
「俺は決して忘れない。この憎しみは永遠と俺の中に残り続ける」
継承者も公爵家も英雄も関係ない。全ては自分の為に。綺麗事だけで生きていける程この世界は優しくないことを知っていたから。
「……だから戦う。俺の憎しみは歴代のラギアス達が存在した証となるからだ」
ラギアス夫妻の願いを叶える為に。犠牲を無駄にしない為にジークは戦う。
「貴様ら。綺麗に戦おうなど思うなよ。形振り構わず全力でいけ。――何も失いたくないのなら」
ジークの演説を聞く為なのか、いつの間にか集まって来ていた騎士や魔術師。その一団の中には国王のアルデリクまでいた。
「貴様らが命を懸けると言うのなら……俺が勝たせてやる」
響き渡る歓声。国王の面目丸潰れとなる悪のカリスマ性を前にアルデリクも苦笑いである。隣には頭を抱えるアクトルの姿がある。アルニカも一緒になって声を上げていた。
第五章 凡人を追う天才達 終
****
湖畔の前に陣取る王国軍が固唾を飲んで見守っている。夜空に浮かぶ月が遂に光を失い消失する。その瞬間に合わせるように空へ浮かび上がる半透明の階段。これが『異界の門』へ続く『宙の道』である。
「魔術師部隊! 光を灯せ!」
指揮官の合図と共に空に浮かぶ光球。闇夜を照らす光源魔法である。
「⁉︎ 来たぞッ!」
闇から這い出るように現れるのは無数の影。騎士団を模倣したと思われる部隊が『宙の道』を守るように陣取る。
「魔法陣……やっぱり魔物か!」
続けざまに召喚されるのは夥しい数の魔物の群れである。影とは違う生きた本物の魔物。どれも討伐難易度の高い凶悪な魔物ばかりである。
偽の騎士団と魔物の混成部隊。話には聞いていたが王国軍には同様が広がる。
そんな中、一人前に出るジーク。指揮官が慌てて制するが聞き入れる様子はない。
「お、おい下がれラギアス。主戦力のお前が出るのは早い」
「ハッ、笑わせるな。
「はぁ? ……は、はぁ⁉︎ 何だこれは⁉︎」
月が消えた星空。その星空から飛来するのは無数の氷星である。かつてイグザ平原に堕とされた物よりも大きく数も増えている。
「で、デジャブじゃないか! 全員伏せろ! 魔術師は結界を張れ! 隕石が降ってくるぞ!」
敵戦力目掛けて堕とされる儀式魔法。圧倒的な暴力が問答無用で敵を呑み込む。敵味方共にしばらく身動きが取れなかったのは言うまでもないだろう。
戦いの火蓋が切られた瞬間である。
第五章完結
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