第十七話

 途轍もない痛みと共に意識を取り戻すヴァン。目が覚めた場所はジークが拠点にしている更地となった樹海である。物資をほとんど消費してしまった馬のいない馬車が目に入る。転移魔法で移動したのだろう。意識を失ったところを魔物に狙われるという最悪の結末は免れたらしい。


「やっとお目覚めか? 呑気な奴め」


「この罵詈雑言は……本物だな」


「遂に頭がイカれたのか。脳が小さいと色々不憫だな。同情はしないが」


 胸を撫でおろすヴァン。この悪態を吐く様子からして紛れもなくジークである。メンテルは言葉を話すことはなかった。却ってこの暴言に安心してしまう。


「……何をヘラヘラ笑っている? こっちを見るな気色悪い」


「……」


 撤回である。命懸けの死闘の後のコレは辛い。痛みも相まって泣きたくなる。


「そ、そういえば俺の左腕がある……どうして」


「バカなのか貴様は。神聖術で治したに決まっているだろうが」


「お、おう……ありがとう、助かったぜ。ちょっと痛むけどな」


 腕が斬り飛ばされたのだから痛いのは当たり前ではあるが、神聖術がなければヴァンは一生隻腕だったのだ。ジークとの出会いに感謝しなければならない。


「シエルの神聖術は痛みも消えるんだけどな」


「……あの化け物と一緒にするな。奴の神聖術は特別だ」


 ジークが特別というくらいである。シエルの神聖術はそれだけ異次元なのかもしれない。当たり前のように治療してもらっていたことから感覚がおかしくなったようである。認識を改めなければならない。


「それで、俺は何時間眠ってたんだ?」


「一日だ。貴様のせいで時間を無駄にした」


「⁉︎ い、一日だって⁉︎ マジかよ……」


 あの死闘は数時間前の出来事だと思っていたが随分と時間が経過したらしい。言われてみれば喉はカラカラだった。水分の代わりにポーションを補給する。


「ってことはそろそろ一月経つんじゃないか? このままだと間に合わないぞ」


「さあな。今の段階でもう新月の夜は終わっているかもしれん」


「はぁ? ……はぁ⁉︎」


 無責任に言い放つジーク。だが確かにこの樹海では時間の感覚が狂うのも無理はない。毎日が死闘の繰り返しだったのだ。ジークを責めるのは酷な話である。

 そのジークに目を向けると違和感を覚える。ここに来た時と同じ服装に見えるが何だか小綺麗なのだ。いくらジークが強くてもこのサバイバルで多少なりとも服は傷んでいたはずである。


「まさか、着替えを用意してたのかよ……」


「……バカなのか貴様は。予備も用意出来んほど貧乏なのか?」


 当然だと言わんばかりの態度である。それに引き換えヴァンの身なりは対照的だった。火焔魔神の影響で上着は燃えて消失している。ズボンはズタボロだが役割は辛うじて全うしている。……つまりは半裸男である。最悪すぎる。


「なぁ、上着だけでも……」


「腕を治してやっただけでも光栄に思え」


「ですよね……」


 こんな格好で帰るのかと内心辟易するヴァン。ジークが近くにいるなら大丈夫だとは思うが……。とりあえず道中の街で服を買おう。


「と、とにかくラギアス領に急ごうぜ」


「言われるまでもない」


 ジークが魔法を構築する。死の森に来た時と同じ感覚。これは転移魔法。


「え? 直接転移するのか?」


「貴様は歩いて帰るとほざくのか? それこそ間に合わんだろうが」


 有無を言わせず転移の光が二人を包む。

 一ヶ月に渡り死の森を荒らした元凶は馬車を残して消えてしまった。




****




 ラギアスの邸宅内に存在する一室。無駄に大きく作られた客間は会議室並の広さを誇っていた。そこにはディアバレトの王を始めとした王侯貴族にバッカスなどの戦場で指揮を取る主要人物達、そして『異界の門』で敵の主力と戦う命を受けたグランツ達が集まっていた。


 この一ヶ月の間で王国の主力部隊はラギアス領へ移動していた。戦いの地となるラギアス邸裏の湖。直ぐに軍を展開する為に前もって準備を進めていたのだ。

 ……といってもいきなり軍が押し寄せれば領民はもちろん邸の関係者も困惑してしまう。本来であればラギアス領主が窓口となるべきだが既に他界している。唯一のラギアスであるジークも諸事情により留守にしていた。ならどうしたのか。ジークはそれを見越して代理の人間を立てていたのだ。それが私兵団の団長を務めるシモンと使用人達であった。


 王国側との調整役はシモンが担い、受け入れ準備は使用人達や私兵団を中心に行われた。王国の役人や文官達顔負けの手際の良さを前に舌を巻いていたらしい。この戦いが終わった後には引き抜きがあるのではという噂が広がるくらいである。


「バッカス。手筈は整ったか?」


「……最低限はといったところでしょうかの」


 アルデリクの問いに対して苦々しく答えるバッカス。組織の掌握に一ヶ月というだけでも時間的な制約はある。加えて騎士団や魔術師団だけではなく冒険者の一団から王族警護が中心の近衛師団までと幅広い組織を一つにしなければならないのだ。バッカスでなければ最低限すら形にすることは出来なかっただろう。


「構わん。元々無理を承知で言っている話だ。……だが負けることも許されん」


 敗北する。つまりはエルゼンの野望が成就することを意味する。彼らが何を願うのかは不明だが、自らの目的の為に大勢の者を手にかけるような連中だ。どう考えても普通ではない。


「グランツ。其方らの調整はどうだ?」


「この一ヶ月で各々が出来ることを進めてきました」


 グランツを始めとした遊撃隊六名のメンバー。アルデリクの言う英雄達。彼らは一人一人が決意に満ちた表情をしていた。

 老若男女様々の面子。年齢が違えば性別も異なり外国人から平民に貴族とバラバラ。共通点があるとすればにはない輝きを秘めていることか。面識のない者からしても彼らは特別に見えていた。理屈は分からないが期待してしまうのだ。


「失われた命に報いることが彼らへの鎮魂歌となるでしょう」


 敵は剣聖の息子であり元剣聖候補。この世界に唯一残存する精霊を使役する不死身の人物。未知の呪術や魔法陣に古代魔法などの様々な力で王国を翻弄してきた。

 恐怖はある。凡人からしてみればエルゼン達は畏怖の対象である。――それでも勝てるのではないかと思ってしまうのだ。グランツ達を見ていると。


「ただ、懸念点があるとするなら彼らでしょうか」


「そうだな。明日の夜が新月なのだがな」


 この場にはいない六人目の英雄。敵が剣聖の息子ならその孫は対抗し得る切り札となる。そのヴァンを鍛える為にジークが死の森に赴いたのが一ヶ月前であった。


「敵が待つなどあり得ませんからの。……グランツ。儂はヴァンとやらを詳しくは知らんが本当に大丈夫なのかの? はっきり言うてあれがエルゼンに勝てるとは思えん」


 バッカスの疑問。全員が考えていたことを代表するかのように問いかける。確かにグランツ達は他とは違う何かを感じる。何の根拠もないが期待してしまうのだ。彼らなら偉大なことを成し遂げるのではないかと。一方でヴァンにはを感じない。剣聖の孫など聞いたことがなかったし、酷い者だと身分を偽っているのではないかと勘ぐったくらいである。凡人にしか見えなかった。


「マスフェルトさんのこともあり彼も彼で気にしているのです。余り責めないでほしいですね」


「そうは言ってもな。儂らも命を懸けるんじゃ。曖昧にするわけにもいくまい」


 事前の情報が真実なら敵は騎士団同等の戦力を所持していることになる。そして入団試験やオーステンを襲撃した魔物の召喚術まであるのだ。戦の大きさからすれば戦争と言っても過言ではない。命を失う可能性は十分にある。


「……仰る通りヴァンさんでは彼の元剣聖候補には敵わないでしょう」


 全員が息を呑む。バッカスは眉を顰めアルデリクは目を閉じる。グランツの表情は険しい。客間には動揺が広がってゆく。


「『鍵』の継承者という都合もあり今回の戦いに参加する彼ですが、それがなければ私はヴァンさんを戦場に連れて行くつもりはありませんでした。若者が無意味に命を散らすのは見たくないですからね」


「お前さんが言うならそうなんじゃろうの。残念ではあるが。……今ならまだ間に合う」


 実力もそうだがヴァンの家族関係からしても適さないことが言えていた。親殺しの重荷を先のある若者に背負わせるのは余りには残酷である。


の段階でしたらそうしたことでしょう」


「……正気か? 一月で人間が変わるには限度があるぞ」


「ほっほ。普通ならそうでしょう。……ですがヴァンさんには彼が付いていますからね」


 険しかったグランツの表情が朗らかな物へと変わる。よく見ればグランツの周りにいる者達にも笑顔が浮かんでいた。


「陛下が私達を英雄と呼ぶのでしたら彼は……反英雄といったところでしょうか」


「反英雄か。分からんでもないが……⁉︎ これは」


 空間が歪む。自然の摂理を、法則を無視した超常現象。時間と距離の制約を度外視した力によって最後の英雄が現れる。この地まで導いたのは反英雄だった。


 最早この国に知らぬ者はいない嫌われ者。黒髪に青を基調とした貴族服はディアバレトの悪の象徴。

 ラギアスの悪童から始まり、悪魔に剣聖殺し、公爵家の死神など悪名轟く魔法剣士。国一と言われる氷魔法は世界を救う存在となるのか破壊者なのか。


「どうやら間に合ったようだな」


「そうだな……」


 広い客間の中央に現れた二人。罵詈雑言が基本の誰もが知る悪徳貴族のジーク。

 先程話題に上がっていた剣聖の孫。今回の戦のキーマンであり不死者エルゼンへの切り札となるヴァン・フリーク。


 世界を救う六人目の英雄は――何故か上半身が裸。半裸の変態だった。




****




「えっと……ヴァン?」


「……ヴァン」


「あの……」


「死んで」


「ヴァ、ヴァンさん?」


 アトリを始めとした女性陣の冷ややかな視線。セレンに至っては殺意が込められている。一方の男性陣も困惑している。賢者と謳われたグランツでさえ動揺を隠せないでいた。


「……なぁ、さっきまで樹海にいたよな」


「当然だ。頭がイカれたか?」


「俺の格好知ってただろ⁉︎ 何で態々みんながいる所に転移するんだよ!」


「余計な前置きなど不要だからだ」


「俺にはいるんだよ! どうすんだよこれッ!」


 ヴァンの上半身を隠す物は何もない。ズボンもあるにはあるが最低限といったところである。……角度によっては色々と厳しいかもしれない。


 王侯貴族を含めた国の主要人物が集まる部屋の中央で騒ぐ半裸男に面倒そうに相手をするジーク。有事でなければ確実に衛兵案件である。


「シモン。手筈通りか?」


「はっ、つつがなく対応しております」


 恭しく頭を下げるシモン。まるで王を相手にするような態度である。


「文句を垂れるゴミ屑がいるなら摘み出せ。それと……この変態に適当な服を見繕え。見苦しくて適わん」


「誰が変態だ!」


 腰にぶら下げた刀剣に半裸の男。誰がどう見ても変態である。会議に出席している全員の視線が集まる。不審者を見るような視線を向ける者もいるが、ある意味違う理由で注目を集めていた。


 バッカスが話したようにヴァンに期待出来る要素は何もなかった。だが今のヴァンは大きく異なり自然と目が引きつけられるのだ。英雄が放つオーラとでも言うべきか。一ヶ月前のヴァンとはまるで別人である。


「これは……見違えたの。ここまで変わるのか」


「ふん、この俺が修行をつけたんだ。当然だろうが」


 見た目は間抜けであるが強者が放つ独特の雰囲気は本物である。剣聖の証が刻まれた刀剣も相まって今のヴァンは剣豪と言っても差し支えないだろう。

 多くの者がヴァンに視線を向けるが、その一方でジークに注目する者もいる。ヴァンのように分かりやすくはないが内に秘められた力は更に磨きがかかっていた。

 ヴァンが動ならジークは静。一定数の強者はジークの力に驚きを隠せない。


「これで揃ったか。世界を救う英雄が」


 アルデリクの言により会議が動き出す。明日の決戦を前にした最終の戦術会議。王国の、世界の命運を分ける可能性のある重要な会合である。


「……これが最後となることを願うばかりだ」


 アルデリクの小さな呟きは誰の耳にも届くことはなかった。

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