第十六話

 飛ぶ赤い刃。炎の斬撃はヴァンの得意技。熱を帯びた火炎斬を連続で敵へ浴びせる。本物同様に最低限の動作でそれを躱す偽物ジーク。予想はしていたが如何に攻撃を当てるかがこの戦闘の鍵になるだろう。焦りや不安に緊張感からか普段よりも剣を握る手には汗が浮かぶ。


(メンテルが再現出来るのは強さのみか……。会話は出来ないみたいだな)


 言葉を話す様子はない。感情はなくただ戦うのみ。シンプルで分かりやすい。……これで本物同等の罵詈雑言まであったらヴァンの頭はおかしくなっていただろう。不幸中の幸いである。


「悪いが偽物に負けるわけにはいかないんだ」


 炎を込めた剣を大地へ突き刺す。天へ昇る焔が足元から爆ぜるように燃え上がる。――熱昇火炎刃追竜。

 逃げる隙も躱す時間も与えない。複数の猛る炎竜が大顎を広げ呑み込むように顕現する。

 黒い領域はヴァンを閉じ込める檻なのかもしれないが、逃げ場が制限されているのはメンテルも同じ。却って自らの退路を断つことになる。


(ジークなら知ってる技だ。本物の完全なコピーではないようだな)


 炎に呑まれたジーク。さすがにこれで終わりとは思わないが多少はダメージが入っただろう。追撃に備え剣の構えは解かないヴァン。


(次はどう攻める? 炎と氷。相性だけなら負けてないはずだ)


 炎が消失し周囲には熱気が漂う。――だがそこに何かが燃えた匂いは含まれていなかった。ジークの姿は消えている。


(どこだ……⁉︎ 背後頭上、上かッ!)


 上空から振り下ろされる踵落としをノールックで転がりながら躱すヴァン。直ぐに立ち上がるが偽ジークは間合いを詰めてくる。拳に蹴りにと連続の体術技が嵐のように襲いくる。剣の腹で何とか捌くが防戦を強いられるヴァン。


(一撃一撃が速くて重い……)


 本職の体術使いかと見紛う程の連撃。ヴァンには真似出来ない技術である。推し負けないよう必死に食らいつく。


(けどな……この一ヶ月、遊んでたわけじゃない!)


 ジークの動きは確かに速い。目で追うのがやっと。身体で何とか反応しているに過ぎない――これまでのヴァンなら。

 顔面目掛けて振り抜かれる拳に合わせて半歩後ろに下がる。敵の動きを読むなど普段のヴァンには難易度が高い。だが相手はジークの写し鏡。戦い方が効率的で正確無比。だから予測は難しくなかった。――ヴァンと偽ジークの剣が重なる。


「抜かせたぜ……お前の剣」


「……」


 ジークが剣を抜くのは敵がそれなりの相手だと認めた時だけ。死の森での特訓中もそうだった。ジークは戦う相手によって戦闘スタイルを変えるが剣を扱う時は強さが段違いに跳ね上がる。


 鍔迫り合いとなる両者。

 ヴァンが勝機を見出すには体術や魔法ではなく如何に剣の戦いに持ち込むかである。剣なら勝てるなど自惚れた考えをしているわけではないが、可能性があるのならやはり剣である。


(今日俺はお前に勝つ。勝って次のステージに進むんだ)


 本物のジークはこんなものではないだろう。偽ジークはまだ底を見せていないがそれはヴァンも同じ。油断をしているのならその間に一気にけりを付ける。


「飛炎乱舞!」


 炎を纏わせた剣を連続で振り続ける。嵐のような剣技を今度はメンテルが受ける番である。偽物が再現した剣も本物同等の硬さなのか金属音が木霊する。――ヴァンが剣を振り抜くが偽ジークは煙のように消えてしまう。


「だから、見えてるんだよ! お前の動きは!」


「……」


 振り向きざまに相手の剣をいなす。力むことなく身体の動きに逆らうこともなく流れるようにステップを刻む。これまでのヴァンに出来なかったこともジークとの修行で動きの幅が広がった。手札が増えた。自信を持てた。……全部ジークのおかげだ。


「焔旋風!」


 ヴァンの炎が偽ジークに食らい付こうとする瞬間、高速詠唱が始まる。冷気を帯びた突風により炎は掻き消されヴァンも後方へ飛ばされてしまう。

 前方からビリビリと感じる圧と殺気。迸る魔力に凍えるような寒さ。冷き魔力を鎧のように纏った本物に最も近い存在がいた。


「……やっぱりこうなるよな」


 流れ落ちる汗は冷気で凍り霧散する。ここまで本気を出させたことを内心誇るヴァン。ポジティブに考えなければ強烈なプレッシャーを前に折れてしまいそうになるからである。前哨戦の終わりと共に真の殺し合いが始まる。




****




 降り注ぐ氷の雨を走りながら躱し、時に剣で防ぎながら反撃の隙を窺う。剣の戦いに持ち込めたなら十分勝機があると思っていたのだがジークには圧倒的な氷魔法があった。

 属性的には如何に相性が良いにしてもそもそもヴァンは魔法の扱いが苦手。魔力量もジークと比較すれば天と地の差である。それでも剣なら勝てる……ということもなく全てにおいて格上の相手。厳しい戦いであることは理解していたが、実際に戦うとやはり手強い。例え偽物であったとしても。


(体格は俺と大して変わらないのに身体能力が高いのは魔力量の差……か)


 拳一つで地面を砕き、踏み出す一歩で長距離移動を可能とするのは卓越した身体強化によるもの。ただ潤沢に魔力があればいいのではない。魔力をコントロールする技術と才能がなければあのような動きは出来ない。


(そう。俺には才能がない。けどな……)


 激しい魔法の中で剣に蓄え続けた力。大技の後には必ず隙が生まれる。そこを無駄にすることなく何度も突いていくしかヴァンにチャンスはない。


(ずっと前から剣だけは振ってきたんだ。剣に向き合った時間だけならお前にだって負けない)


 冷気を帯びた嵐のような魔法を身に受けながら必死に堪える。躱すことも出来なくはないが完全に防ぐことも難しい。なら相手の力を利用する。激しい風は時に炎を強く燃え上がらせるのだから。


(見せてやるよ。俺の炎を)


 イメージは剛。受けたダメージを倍にして返すカウンター技。魔法の発動後は必ず生じる隙に間髪を入れずに解き放つ。


「焔返し!」


 敵の魔法ごと真上から叩き込む。冷気を両断し、嵐を斬り裂き、術者を猛炎で焼き尽くす。通常よりも威力が上昇した唐竹割り。

 いくらジークでもタダでは済まない。ヴァンが受けたダメージの価値はあったはずである。……これなら。


『終わったと思ったか?』


 そう聞こえた気がした。背後から感じる悪寒に殺気。偶然かもしれないが反応出来ただけでも上出来だった。咄嗟に振り抜いた剣と偽物が振るう剣が交差する。


 ――パキン。


 もう何度目だろうか。ジークに剣を折られたのは。修行の為に持ち込んだ最後の剣は無情にも根元から消失する。辛うじて追撃は避けた。だが次の一手がヴァンにはない。


「剣無しで……この化け物と戦うのかよ」


 最終試験。ジークが言うように楽ではなかった。




****




 流れ落ちた血は冷気によって凍ってしまう。ヴァンの身体も寒さにより動きが鈍くなる。必死に抵抗していたのだが防戦一方では次第に限界がくる。ヴァンは追い詰められていた。


 体術の心得がなければアトリのような魔法も使えない。見よう見真似でルークの魔法剣を模倣するが無駄に魔力を消費しただけ。体力も限界が近い。思考も乱れる。


(寒い、身体が冷える……)


 情けない話だがヴァンの戦闘スタイルは剣術のみだった。もちろん最低限の体術や魔法は使えるが偽ジークを前にすれば素人同然。唯一でありメインウェポンの剣を失った今、反撃の手立ては残されていない……たった一つの奥の手を除いて。


(賭けるしかないか……このままなら確実にやられる)


 剣が無い状態で全力を出せるかは分からない。そもそも制御出来るか不明でありリスクも大きい。最悪は自滅である。


(爺ちゃんみたいに完璧じゃないし、あいつのようにもなれない。けど……)


 何もしないで終わるのと挑戦した結果燃え尽きるのとでは訳が違う。……いや、絶対に成功させる。


 ――イメージは灼熱。全てを灰燼に帰す破壊の象徴。フリーク流の最終奥義であり炎の極地。地獄から呼び寄せる豪火が身体を焼く。


 ヴァンの変化を感じ取ったのか警戒するメンテル。距離を取り魔法で仕留めようと詠唱に入る。……まだ呼ぶには時間がかかる。


(くそ……力が定まらない)


 媒介とする剣が無い状態で召喚するのは初。ただでさえ厳しい状況に追い打ちをかけることになる。……無い物ねだりしたところで意味はない。もうこのままいくしかない。


 掲げる腕。握られた手に剣はない。本来なら失敗するビジョンしか浮かばないのだが、どういう訳か不安はなかった。何故か自信に満ち溢れていた。があるなど微塵も想像していなかったのに。


 空間が鈍く光ると同時に現れる刀剣。何度も目にした憧れの剣。時代の象徴、最強の剣士が持つことを許される剣聖の証。――マスフェルトの刀剣がヴァンの手に収まる。


(この領域には確かに立ち入っていない、か。あいつは本当に……)


 力が漲る。炎が安定する。これまでとは違い力の扱い方が手に取るように分かる。これは剣の力なのかそれとも。


「――火焔魔神!」


 偽ジークの魔法を消し去りながら顕現する破壊の神。全てを灰に変えてしまう灼熱の炎を身に纏った災いが地獄から召喚される。ここにきて初めてメンテルが動揺を見せる。


「ぐっ……身体が焼ける」


 炎の侵食は既に始まっていた。本来なら治癒魔法などの回復手段と同時に使うのがセオリーなのだが、当然の如くヴァンにそのようなことは出来るはずもなく。……持って一分といったところか。


(俺は爺ちゃんじゃない。ジークとも違う。だから……)


 完全な火焔魔神の制御はまだ難しい。体力も残り少なく回復も出来ない。――だから次の一瞬に全てを賭ける。


 顕現した火焔魔神が姿を変える。マスフェルトの物ともジークとも異なる。見上げる程の体躯を誇る炎の化身はヴァンを包み込める大きさにまで小さくなる。――表現するならば甲冑のようなイメージか。


「これが俺の……火焔魔神だ! ――閻魔一閃!」


 爆炎が世界を燃やし尽くす。




****




 吹き荒れる炎の嵐によりしばらく身動きが取れなかったヴァン。初めて完全な火焔魔神を召喚した反動もあり想像以上にダメージは大きい。辛うじて立っているのがやっとである。


(剣にだって負荷はあったはずなのに……傷一つ無いな)


 マスフェルトの刀剣は無傷だった。仮にこれが他の剣なら熱に耐えられずに消滅していただろう。技も不発に終わっていたはずだ。


 索敵を巡らせるが敵の生死はイマイチよく分からなかった。冷気に熱にとヴァンの感覚は滅茶苦茶になっていた。加えて火焔魔神の影響もありコンディションは最悪である。


「はぁ……」


 一段落ついたと溜息を吐くヴァン。大きな達成感と遅れて来る痛みに顔を顰める。頭上を見上げて達成感に浸る。視界に広がるのはである。


「⁉︎ いや、待て……」


『メンテルが張る領域は貴様と奴のどちらかが死ぬまで消えることはない』


 脳内に響くジークの言葉。あの時確かにジークはこう言っていた。そして現在、未だに存在するメンテルの領域。それが意味する答えは一つしかなかった。


「化け物かよ……」


 立ち上がるメンテル。ジークの姿をした偽物はまだ死んでいなかった。相当なダメージを受けていることに変わりはないがヴァンよりは元気そうである。


(回復したのか? いや、それならあんなにボロボロなのは変だ)


 神聖術は再現出来ないようである。ジーク本来の力も出せてはいない。それでもジークの力の一端は担っているのだ。火焔魔神の一撃を耐え抜いた実力は本物である。


 偽ジークはもう魔法を放つ気はないのか詠唱する様子はない。だが握られた剣に込められた魔力は尋常ではなかった。――次の一撃でヴァンの命を刈り取るつもりである。


「……最後はこうなるか」


 ヴァンも魔力を込める。今残っている魔力全てを片腕に集約する。下手な小細工は通じない。全力でがむしゃらに魔力をひたすら集める。そこに技術はなくフリーク流の教えとは最早関係なかった。ヴァンのにはデタラメな炎が宿る。――ジークの偽物がそれを見逃すはずもなく。ヴァンの左腕は斬り飛ばされる。


(強いな。お前は強すぎるよ)


 属性的な相性はヴァンの方が良かった。領域という限られた空間内なら間合いを詰めやすいヴァンが有利だった。


(俺には無いものをお前は沢山持ってる)


 ヴァンには剣しか無かったがジークは全てを兼ね揃えた天才だった。剣や魔法に体術、それ以外においてもジークはヴァンの遥か先に存在していた。


(辛いはずなのにお前はちゃんと戻って来た)


 ジークがこの世界の都合に付き合う必要はない。寧ろ本来ならエルゼン側に付いてもおかしくはなかったのだ。それでもジークは守ることを選んだ。逃げなかった。


(そんなお前だから、俺はジークみたいになりたいって思ったんだ)


 強い言葉の裏に隠された優しさと覚悟。どんな逆境でも最後は必ずひっくり返す英雄。マスフェルトの姿を見ているようだった。


(これでお前になんて思わねえよ。本物はこんなもんじゃねえ)


 ヴァンの利き手に握られた刀剣。どこかのお節介が届けてくれた最高の贈り物。これが無ければ負けていたのはヴァンの方だった。


 宙を舞うヴァンの左腕。そこに込められた異常なまでの炎は


(お前なら絶対気付くと思った。ジークの偽物なら)


 メンテルが狙ったのはヴァン本人ではなくその左腕だった。先程現れた火焔魔神のインパクトは余りにも大きかったのだろう。だからそれを消す為に動いた。動かざるを得なかった。


(俺よりもお前は火焔魔神を恐れた。心臓を貫いていたら終わりだったんだ――それがお前の敗因だ)


 空中で爆発するヴァンの左腕。偽物ジークは躱せるはずもなく超至近距離で爆炎に呑み込まれてしまう。……遂にメンテルは地面に膝を突く。誰が見てもわかる程に満身創痍だった。


(ジーク。やっぱりお前は凄えよ)


「俺、最後の最後まで…………博打だったぜ」


 イメージは閃。残り僅かだった魔力全てを載せて振り抜く。これが正真正銘最後の一撃。ヴァンが初めて覚えたフリーク流剣術で未来を切り開く。


「緋剣抜刀!」


 緋色の剣がメンテルを両断する。

 抵抗はなく断末魔を上げることもなく偽物は斬り裂かれてしまう。同時に黒い天幕のような領域も消失した。


「はぁはぁ……終わった、のか」


 久しぶりに感じる外の空気と弱い日差し。戻って来た感覚に安堵する。


「ふん、片腕を失ってやっとか。及第点以下だが……まぁよくやった。この俺が特別に褒めてやる」


 意識を失う直前に耳に届いた不遜な声に感じる銀の光。ヴァンの妄想なのかもしれないが今は何でもよかった。


 死の森での長い特訓の終わりであった。

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