第十四話

 繰り返される日常に嫌気が差していたタイミングで訪れる変化。明るく前向きな性格の剣士、ゲームで世界を救った英雄達の中心である主人公――ヴァン・フリーク。

 彼の人物の瞳からは色が失われていた。話しかけても何の反応もない。抜け殻のようになってしまったヴァンは剣を握ることをやめてしまい一日中俯くようになっていた。


 食事や水分補給は最低限のみでそれ以外は無関心。魔物の襲撃に警戒することがなければ日課と思われる剣の手入れもすることがない。完全に心が折れてしまったのか今のヴァンはとても弱々しく映る。別人だと判断されても仕方ないだろう。


(やっぱり厳しくしすぎたのか?)


 ヴァンが戦わないからといって浩人が一緒に落ち込むわけにもいかない。普段通りに樹海に入り魔物達との生存競争に勤しむ。縄張りを支配する魔物全てを打ち倒し、その証として陣地を頂く。ひたすらそれを繰り返すことでより強力な魔物が樹海の奥地から現れ戦うことになる。浩人が考えた特訓メニュー。我ながら名案だと思っていたのだが中々上手くいかないものである。


(……一応逃げ道は用意してるんだけどな)


 これまで通り夜は氷壁で陣地を覆い、日中は魔法を解く。つまり現在はヴァンを隔てる物は何もないのだ。逃げ出したいなら自由に出ていける状況となる。憔悴し切ったヴァンを放置するのは不安に思うが、魔物達も学習しているのか最初に襲う対象はジーク浩人と決めているらしい。もちろん可能な限り索敵も継続していることからヴァンに万が一はない……と信じたい。濃い魔力の影響で感覚は相変わらず狂うのだ。浩人自身にも決して余裕がないことからヴァンばかりに注力するわけにもいかない。死の森から出ていくのなら――自己責任である。


(それにしても……滅茶苦茶取り乱していたな)


 数日前の夜。一人氷壁から出て魔物達と戦っていた日。夜活動する魔物は日中と比べて強く凶悪となる。それを狙って戦っていた時に現れたヴァン。泣きながら必死に氷壁を叩き何か喚いていたようだが、上手く聞き取ることは出来なかった。


(抜け駆けと勘違いして怒ったのか? 情緒不安定すぎるだろ)


 さすがにそんな理由ではないと思うが何を言っても無反応なことから確かめようがない。そもそもジークのコミュニケーション能力ではどだい無理な話である。意思伝達スキルLv.1。残念すぎる。

 

 このままヴァンの復活を待つのは賭けに近いのかもしれない。新月タイムミリットまで残り二週間を切っている。安全を考えるなら最終案のルークへ切り替えるのが最善。ヴァンの様子に現在の実力からしてもルークの方が強い。贔屓目無しにしてもだ。

 いつもの浩人なら確実性を重視するのだが……果たしてどうするべきか。


(ヒロイン辺りを連れて来るか? やっぱりルークか……)


 ラスボスを倒すのは主人公でなければならない――という決まりはないが、浩人がヴァンの立場なら絶対後悔する。親殺しなど考えたくはないがそれを見過ごすのはもっと嫌だろう。


 主人公とラスボスの関係について思いにふけていた。この場にいるはずがないと意識の外へ完全に追いやっていた。濃い魔力の影響で索敵が役に立たないことを何処か他人事だと思っていた。この世界はゲームではない。――イレギュラーは必ず発生するのだ。


「また会ったな。ラギアスの小僧」


(ああ……本当に最悪だな)


 背後から耳に届く音。ゲームと変わらない何度も聞いたラスボスの声。動揺を悟られぬようゆっくりと振り返る。そこには現代最強の剣士――エルゼン・フリークとこの世界に唯一存在する精霊がいた。




****




 向かい合う両陣営。原作ではどちらも敵サイドの者達。 

 作中最悪の悪役貴族のジーク。ラスボスのエルゼン。そのエルゼンと契約を交わしている精霊パリアーチ。クリア後に挑むことが出来る死の森での邂逅であった。


「正直僕じゃなくても分かるって。君さ……暴れすぎなんだよ」


 苦笑いを浮かべるパリアーチ。樹海の惨状を見て言っているのか肩をすくめている。


「各国で騒ぎになってるらしいよ? スタンピードやダンジョン崩壊アウトの兆候じゃないかってね」


「それを態々俺に伝えに来たのか? よくやったガキ。菓子でもやろうか?」


「……うん。無理だねやっぱり。僕この人間嫌いだなぁ」


「おかしなことを言う。人間の力を借りなければ門を開くことすら出来んゴミ屑が。下級精霊が図に乗るなよ」


「……」


 舌戦では勝負にならないと判断したパリアーチは早々に白旗を上げる。エルゼンの後方に下がり傍観の姿勢を取る。


「それで……貴様のような極悪指名手配犯が何のようだ? ここは初老の男が来るような場所ではないが」


「愚息が世話になっているようだからな」


 感覚が乱れやすいこの樹海でジーク以外の人間の存在を正確に把握している。エルゼンの実力によるものなのか精霊の力なのかは不明。だがどちらにしても油断ならないとジークは警戒感を抱く。


「邪魔をするつもりはない。は脅威になり得ない」


「ハッ、笑わせるな。『鍵』に変えることなく放置している時点で貴様の底が知れている。愛する息子には手が出せないか?」


「手を下す必要がないからだ。親を殺した


 動くことなく火花を散らす両者。どちらも互いの実力や能力を理解しているからこそ戦うことはしない。得られる物がないからだ。


「――痛みを理解したかラギアス? 今のお前なら分かるはずだ。この理不尽な現実を。欺瞞に塗れた世界に価値がないことを」


 番人化したラギアス夫妻のことはもちろん、それを討ったのがジークであることもエルゼンは把握している。


「ラギアスにだけ犠牲を強いてきたディアバレト。奴らの都合で世界を創り変えた狂信者共。何故お前はディアバレトに加担する? ――いい加減に目を覚ませ」


「……」


 言葉巧みに誘導するペテン師とは訳が違う。痛みを知り、この世界の仕組みを理解しているエルゼンだからこその言葉。


「ラギアス。お前の居場所はそこではない。――に来い。私の元に降れ。ラギアスを解放してやる」


「……」


 絶対的な自信に満ちた言葉と共に差し出される手。長きに渡り続いた偽善に裁きを下す執行者。

 虐げられ都合よく利用されてきたラギアスのジークには理解出来てしまう。その言葉の意味と重さが。

 引きつけられるように一歩を踏み出すジーク。その行き先はエルゼンの元に。


 ジークがエルゼンの手を取る。





























 ――ことはなかった。


「貴様……」


「くだらんな」


 ジークの手に顕現した冷剣。魔法で作られた氷の刃はエルゼンの心臓を貫いていた。そのまま強力な蹴りをお見舞いするジーク。エルゼンは後方に弾き飛ばされる。


「貴様は頭がイカれているのか? そもそもラギアス領主達を『番人』に変えたのが貴様らだろうが」


 心臓部に蠢く黒い何か。一瞬のうちに傷は塞がり立ち上がるエルゼン。


「この世界の矛盾を知りながら道化を演じるか……」


「道化は貴様だ。いつまでも女々しく過去を引きずるのが貴様の生き様か。いい加減に目を覚ませ」


 意趣返しのつもりか同じ言葉でエルゼンを罵倒するジーク。口元には歪んだ笑みが浮かんでいる。明らかにバカにしている。


「降れだと? その下級精霊の加護がなければ何度も死んでいた貴様の指示など聞くわけないだろうが」


「……だから言ったでしょ。こいつは色々とおかしいんだよ。他人に従ったりはしない暴君なんだから」


 首を振りながらため息を吐くパリアーチ。エルゼンは冷めた目でジークを見ている。


「ならどうする? 永遠と殺し合いに興じるか? この私と」


「バカなのか貴様は? ……永遠など存在しない。死んだ人間が生き返ることもない」




****




 もうどれくらいの時間が経過したのか。永遠とも思える時間を何もせずに過ごす。毎日握っていた剣はヴァンの手元から離れていた。違和感を感じてしまうが身体は動かない。心が剣を取ることを拒否していた。


 戦うことをやめたヴァンに対してジークは特に何も言ってこなかった。落胆したのか軽蔑しているのかは分からない。無理矢理戦わされていた日常が嘘のようである。


 夜はともかく日中は氷壁に囲まれることはない。いつでもその気になれば逃げ出すことも出来る。だがヴァンの足は動かない。気力がないのも理由なのだろうが、ここで逃げたらもう戻ってはこれないという意識がヴァンを繋ぎ止めていた。


(俺はどうしたいんだろうな……)


 自分のことなのに他人事のように考えてしまう。置かれた現実から目を背けるのは自己防衛からか。

 マスフェルトのこと、エルゼンのこと、世界のこと。問題は山積みでありどれもこれも難しい内容ばかり。凡人のヴァンには荷が重すぎる。天才になれなかったヴァンには何もすることが出来ない。


「! ……何だこの感じは」


 俯いていた顔を上げる。周囲には何もいない。更地となった視界が目に入るのみ。樹海はかなり遠くの位置にまで後退していた。これはジークが夜になる度に嵐を呼び樹海を切り刻むからである。元々生息していた魔物はジークに敗れ縄張りを奪われた形である。

 そんな更地となった死の森を導かれるようにヴァンは歩き出す。少しずつ小走りとなり何かを確信したのか駆け出す。


(いる! 理由も根拠もないけど必ずいる。――親父が!)


 濃い魔力の影響で索敵の難易度は跳ね上がる。ヴァン自体も決して感知に優れているわけではない。それでも感じた。――自身の父親の存在を。マスフェルトが倒れて以降、一度も会っていないエルゼンの気配を。


 心身共に疲れ果てた身体は何故か嘘のように動いた。修行の成果なのかこれまでにない速さで樹海を駆け抜ける。偶然なのかあれだけいた魔物が一体もいない。誰にも邪魔されることなく巨大樹の中を進みそして視界に捉えた。エルゼンとパリアーチと名乗る精霊、そしてジークが向かい合っていた。


(何か話してる?)


 スピードを落とし静かにギリギリの所まで近付き、樹の裏に身を隠して様子を窺う。ドクドクと心臓が早鐘を打つ。

 

 幸か不幸か、エルゼンにしてもジークにしてもヴァンの存在に気付くことはなかった。強者の二人の感覚が乱れてしまう程にこの地を流れる魔力は異常なのだ。――ただ、精霊であるパリアーチだけは違っていた。『鍵』の継承者の接近を見落とすはずもなく。……だがどういう訳か反応は見せなかった。


「アレは三流だ。鍛えたところで何の見返りもない。お前もよく分かっているはずだ」


(俺の……ことなのか?)


 状況からしてエルゼンはヴァンのことを話しているのか。こんな秘境にまで出向いてどういうつもりなのか。


「死んだ剣聖が直に指導してあの程度だ。魔法の素質はゼロ。魔力の扱いは凡人以下。――何より致命的なのが剣の才能が並。今生きているのは偶然でしかない」


(……)


 冷たい言葉。ある時期を境にエルゼンからは温かみが失われた。それ以来ずっとそうだった。……それでも親が子を想う優しさは感じられていたのに今ではそれが全くない。


「仮に私がフリーク流を継いでいたなら……確実に破門にしていただろう。弱い剣士に価値はない」


 昔はマスフェルトとエルゼンは共に修行をしていた。幼かったヴァンもよく二人の立ち合いを見学し、エルゼンから手解きを受けることもあった。とても優しい眼差しを今でも覚えている。


(そうかよ……あれも全部嘘だったのかよ)


 もしかしたらという淡い気持ちがヴァンの中に少しだけあった。どうすることも出来ない理由でエルゼンは世界を壊そうとしているのだと。ヴァンを巻き込まない為にあえて何も伝えなかったのだと。その考えは呆気なく砕かれる。


「力の無い者に価値はない。偽りの世界で何も考えずに惰性で生きる者など死人と変わらない。お前も、いや、ラギアスのお前なら理解出来るはずだ」


 エルゼンの言葉はヴァンを否定していた。その事実がヴァンの心に風穴を開ける。


「何度でも言う。アレは欠陥品だ」


「……だろうな。どうしようもないゴミ屑だ」


(! やっぱりそうかよ。お前も俺を……)


 視界が定まらない。足元がグラグラと揺れる感覚に吐き気まで押し寄せる。ヴァンは力無く地面に腰を落とす。


「力が無ければ分別もない。思考はガキのままでどこまでも甘い。都合の悪い現実から目を背けることで自分を保とうとする弱者でしかない。本当に見るに耐えん」


「ならばお前のしていることは「今は、な」」


「確かに今は役立たずのゴミ屑でしかない。貴様の足元にも及ばない三流剣士だ。――だがな、貴様を潰すのは


(……え? 今、何て……)


 暗転しかけた視界に強く差す光。冷たくなった身体に熱が灯る。


「鍛えたところで見返りがないだと? バカか貴様は。勝てる見込みがあるからここにいるんだろうが。’よく頑張りました’で終わらせるつもりはないんだよ」


 強い言葉の嵐がエルゼンに反論の隙を与えない。


「フリーク流を継いでいたらだと? くだらん妄想か気色悪い。剣を捨てた貴様が剣聖を語るな反吐が出る」


「……」


 エルゼン相手でも容赦なく炸裂する罵詈雑言。普段のヴァンなら心が折れてしまうような口撃でも、今のヴァンには背中を押してくれる強い言葉でしかなかった。……涙で視界がボヤける。


「剣聖は本物の剣士だった。貴様は偽物の被害妄想野郎。なら、――あの出来損ないは何だと思う?」


「……言ってみろ」


「貴様を葬る英雄だ」


(何なんだよあいつは。どうしてそこまで俺に……)


 涙と鼻水でヴァンの顔は酷い有様になっていた。ここまで泣いたのはいつ以来だろうか。歯を食いしばらなければ嗚咽が漏れそうになる。


「剣だけの才能なら貴様は元より、俺よりも上だ。いずれはマスフェルトを超える剣聖になる」


「何を言うかと思えば。それこそ都合の良い妄想だ。――親を失い牙が抜けたのか? やけにしおらしい態度だ」


「ハッ、自己分析がよく出来ているじゃないか。今更罪の意識に苛まれでもしたか? ……いや、それも当然か。病気で弱ったところを狙うしかなかったんだからな。恥ずかしくて叶わんだろう」


 大声で笑い出すジーク。エルゼンが息を呑む様子が伝わってくる。


「出来損ないの才能を貴様は見抜けなかった。だから貴様はダメなんだよ。何度でも言う。貴様を潰すのは――ヴァンだ」


(俺は……大馬鹿野郎だった。勝手に才能は無いと決めつけて全部諦めて。ジークは誰よりも俺に期待してくれていたのに)


 今なら分かる。どうしてジークの周りに人が集まるのか。絶対的な信頼を寄せるルーク達。国と敵対してでも命をかけて守ろうとしていたエリス達のことが。


「親父!」


「「⁉︎」」


 後先考えずに飛び出すヴァン。剣は無く身体もボロボロ。それでも心は強かった。今ここで想いを伝えなければもう二度と話が出来ない。そんな気がした。

 エルゼンとジークは驚いたように一瞬目を見開く。


「俺は親父が言うように強くはない。欠陥品かもしれない。……それでも俺は戦う。絶対に……父さんを倒す。それが俺のやるべきことだから」


「現実から目を背け続けたお前に何が出来る?」


「出来る出来ないじゃないんだ。俺は戦う。絶対に逃げない」


「な〜んか思っていた展開と違うなぁ」


「……分かっていたなパリアーチ」


 睨むエルゼンに悪気なくケラケラ笑うパリアーチ。


「まぁいい。挑むと言うならば容赦はしない。彼の地にて迎え撃ってやろう」


 パリアーチの古代魔法に覆われるエルゼン。前にトレートがアトリを攫った時と同じもの。つまり、次にエルゼンと邂逅するのは最終決戦の地となる。


「結局貴様らは何をしに来たんだ? 頭がおかしくなったのか?」


「……本当に面白い小僧だ」


 空間が裂けエルゼンとパリアーチが姿を消す。元々異様な空気に満ちていた樹海の雰囲気が元に戻る。精霊の存在はそれだけ異質なのだろう。


「どこまでも追うさ。世界を守るんだ」


 燻んだ視界が晴れた気がした。

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