第十三話
パチパチと爆ぜる焚き火に周囲を覆う闇夜。今日は天気が悪いのか星の瞬きが大地に届くことはない。
この世界に来て焚き火をするのは何度目だろうか。意外と数は少ないのかもしれない。相変わらず味の悪い簡易食料を口にしながら内心ため息を吐く。
死の森で特訓を始めて二週間が経過していた。慣れない場所での命のやり取りは中々に堪えるものがあった。柔らかい寝床はなくシャワーなど論外。魔物は無限に湧き続けるし血の臭いは精神的に参る。食事は食べるというよりは詰め込んでいると言った方が正しい。とにかく何から何まで最悪である。
物資や時間に余裕があるのなら、この地に宿泊施設を作ろうと思ったくらいである。よく漫画やアニメで衣食住を度外視した死地での特訓で強くなるというシチュエーションがあるが、あんなのは御免である。現代人の浩人からすれば考えられない世界である。
そんな浩人が今回の特訓で重宝しているのが浄化の魔法である。これもまた漫画でよくある身体の汚れを綺麗にしてくれる便利魔法。ゲームではなかったのだがまさかと思い調べてみたら本当に存在していたのだ。なら話は早いと早速会得して現在に至る。
血や汗に汚れ塗れでの睡眠など拷問に近い。この魔法の存在が浩人の精神を支えていた。
(それにしても……アレはやばいかもな)
視線の先には我らが主人公のヴァン。焚き火をぼんやりと眺めながら干し肉をモソモソと食べている。
特訓の初めは元気だったのだが、日に日に瞳は濁り生気が失われていった。現在は見るからに活力がない。毎日こっそり浄化魔法をかけていたのだが足りなかったのだろうか。それとも食事が不味くて嫌気が差したのか。
(やりすぎたか? でもこれじゃあまだ厳しいぞ)
この特訓でヴァンは確実に強くなっている。格上の魔物相手によく戦えている。ゲーム風に言えばレベリングは問題なく進んでいるだろう。……それでもまだ足りない。
強さやレベルもそうなのかもしれないが、もっと根本的な部分。主人公足る輝きが感じられないのだ。
初めて会ったメインキャラ――グランツを見た時に感じたカリスマ性。他者を惹きつけ、見ず知らずのうちに放たれる光、特別な何か。……まぁ実際に初めて邂逅したのはヒロインだったのだが。
今ではグランツだけではなくシエルやセレンにルーク、そしてアトリからも感じる。メインキャラとしての強さに覚悟。彼らを中心に世界が回っていると錯覚してしまう程の存在感。それをヴァンからは感じられないのだ。
(何が主人公の足枷になっているのか……。本来なら俺にだって他人を気にする余裕はないんだけどな)
ヴァンがエルゼンに打ち勝たなければ本末転倒である。だがそれはこの世界の都合であってジークには別の意味で問題があるのだ。
結局のところ死亡フラグは折られていない。ジークは最終決戦までの通過点である『異界の門』へ続く道――『宙の道』で主人公達と戦うことになっていた。ジークが持ち合わせる全ての才能と
(さすがに主人公達と戦うことはもうない……と信じたいけど)
主人公パーティと戦うことが世界の決まりではなく、ジークの死亡が世界のルールならまだ分からない。何が起きてもいいように浩人自身も強くならなければならない。
――今よりも、もっと強く。
****
携帯食料を無理矢理飲み込む。もはや食事ではない。単なる栄養補給でしかなかった。
どれくらい時間が経ったのか分からない。王都を出た日が随分と昔のように感じてしまう。腕も肩もパンパンに膨れ足は鉛のように重い。食事を取ったら気絶するように眠り直ぐにまた朝となる。同じことの繰り返し。この生活はいつまで続くのか。
対面に腰を下ろすジークに目を向ける。焚き火を挟んだ先にいるジークは何を考えているのか分からないが、疲れは全く見えない。いつも通りの何処か不機嫌な表情を浮かべ火を見ている。同じ環境にいるのに何故こうも違うのか。
「暇ならさっさと寝ろ。その辛気臭いツラを明日見せるなよ」
ジークが何やら小言を言ってくるが何も感じない。普段なら口答えをするだろうが、今のヴァンにはそのような余裕がなければ気力もない。ジークのような人間であってもいてくれるだけで今はありがたい。仮にヴァンが独りだったなら逃げ出すかおかしくなってしまっただろう。心身共に疲れ切っていた。
(みんなは今何してるんだろうな。……誰か心配して助けに来ないかな)
そんなことあるはずがない。分かっていても現実逃避してしまう。過酷な環境により心が擦り減る。――少なくともヴァン自身はそう思っているのだが、それ以外にも理由があることに気付かない。あえて目を逸らしているのかそれとも。
「……おい、起きろ」
「⁉︎」
顔に感じる冷たい感覚により目を覚ます。
視界に入るジーク。どうやらポーションを浴びせられたらしい。いつの間にか日は昇り魔物達の気配が迫っていた。
「時間だ。戦え」
「……」
身体に染みついた動作。何も考えることなく剣を抜く。今のヴァンは感情を失った人形に近いのかもしれない。指示通りに動くだけの存在。心の安寧の為に考えることを放棄していた。
大きな翼を羽ばたかせながら空から襲い来る魔物。今日の敵は巨大な魔鳥の群れであった。ヒットアウェイを基本に連携を取りながらヴァンの命を狙ってくる。
「……熱昇火炎刃」
上空の魔物を呑み込む炎の柱。遠距離攻撃の手段がないと判断していた魔鳥は不意を突かれ慌てふためく。そこに追撃を放つようにお見舞いする飛ぶ炎の斬撃。空を制する魔物は地を這う剣士に敗れ落下してゆく。
「……おい」
「⁉︎ しまっ……」
背後に感じる殺気。首元にまで迫った大顎に反応出来なかった。先程とは別の魔物。敵を倒した瞬間に生じる隙を狙われた。――もう動けない。
「――アイスアイズン」
大地から顕現する氷の針山に貫かれ絶命する魔物。よく見れば他にも多くの魔物が胴体を貫かれ命を散らしていた。
「何をしている。ボサっとするな」
ヴァンの近くには先程倒した魔鳥の死骸が転がっている。一方ジークの背後には夥しい数の死骸が山のように積み上がっていた。今ジークが殲滅した魔物とは別。ヴァンが一生懸命戦っていた裏でジークは何事もなかったかのように先を進んでいた。
(何でだよ。どうしてお前は……)
ヴァンの中で何かが切れた。身体が動かなくなり視界が黒く染まる。ジークの罵倒も頭に入らなかった。
****
身体が重い。力が入らない。頭にガンガンと響く警鐘音。起きなければという意識と、もう何もしたくないという想いがせめぎ合っていた。――結果的に勝ったのは前者であった。
「ここは……」
視界に入るオレンジ。優しく燃える暖かな焚き火の存在がヴァンに時間を教えてくれる。……もう夜になっていた。
どうやらヴァンは倒れたのだろう。戦いの最中に意識失い現在に至ると予想がつく。強くなる為の修行にも関わらず肝心のヴァンが夜まで寝ていた。ジークに守られる形で。
(……あいつはどこだ?)
付近には誰もいない。横になっていたヴァンと静かに燃える焚き火のみ。いつもと同じ氷壁が魔物の侵攻を拒んでいた。
(何をやってるんだ俺は……)
自らの不甲斐なさに感情が乱れてしまう。これでは完全にお荷物である。自分の修行の為にジークはここまでしてくれている。口がどれだけ悪くても意識を失ったヴァンを見捨てることはしなかった。一人の人間としての強さも度量もそれ以外の何もかもが上。乾いた笑いが漏れてしまう。
(何を勘違いしていたんだ俺は。生まれ持った才能が違うんだから当然だろ)
――才能。
ジークにはあってヴァンにはない。ヴァンがいくら努力したところで埋まらない絶対的な差。凡人にはどうすることも出来ない高すぎる壁。……そう。だからこれは仕方ないのだ。届きもしない星に手を伸ばすことに意味はない。地を這いつくばることしか凡人には許されない。
(もうやめよう。俺には無理だったんだ)
才能のない凡人の努力など初めから無意味だったのだ。ヴァンにしか出来ないことならともかく、ルークがいるしシエルもいる。それに精霊の加護がなくとも天才のジークなら何らかの手段を持っている可能性もあるのだ。なら頑張るだけ無駄である。
「……? 何の音だ?」
理由を話してこの修行をやめさせてもらおうと考えた矢先に耳に届く音。小さな鈍い音が遠くから聞こえてくる。魔物が壁を壊そうとしているのだろうか。ヴァンの足は自然と音の方へ向かって行った。
闇夜に輝く星の光が更地となった樹海に降り注ぐ。暗がりの中に浮かび上がる光景。
氷壁で隔たれた世界には死が広がっていた。数え切れない程の魔物の死骸が山のように積み上がっている。そして今もなお戦い続ける黒い影。魔物の亡骸はどんどん増えてゆく。
「……何でだよ。何でそんな風に在れるんだ」
襲い来る魔物の波を剣の一振りで無に帰す。自分よりも巨大な魔物の拳を自らの拳で跳ね除ける。無慈悲に全てを凍てつかせる魔法。――たった一人で百を超える魔物相手に戦っていた。
「俺はずっと剣を振ってきた。それしか出来なかったんだ。なのに、何でお前はそこまで出来る?」
ジークは天才。天才に努力など必要ない。凡人が天才に少しでも追い縋る為に、心を誤魔化す為に足掻く手段が努力のはずなのに……どうしてジークはこんな真夜中に独り戦っているんだ。ヴァンが寝ている間もずっと戦っていたのか。
「……俺の十七年間は何だったんだ? お前の十七年と何が違う?」
ヴァンの目では追えない程の速さでジークが縦横無尽に動き回る。黒影が過ぎ去った後には魔物の亡骸しか残らない。
「お前は天才なんだろ。何で天才がそんな必死になってるんだよ……」
血を流しているのは魔物だけではなかった。ジークの全身から流れ落ちる血。肩で息をしながら苦しげに食いしばる様子に余裕などない。命の瀬戸際で一人孤独に戦っていた。
「もうやめてくれ。お前みたいな天才が頑張るから俺みたいな凡人が苦しむんだよ。惨めな思いをするんだよ」
足が止まったジークを見て好機と判断した魔物達が一斉に飛びかかる。他の魔物に戦わせ、奥から機会を探っていた凶悪な魔物もそこには混ざっていた。
窮地に立たされたジーク。だが浮かぶのは不敵な笑み。全て計算されていたのかジークを中心に光が瞬く。巨大な魔力の暴発が辺り一面を吹き飛ばす。氷壁の内側にいたヴァンにまでその振動が伝わる。視界が晴れた後には氷の世界に一人佇むジークの姿しかなかった。
「……ッ」
両膝をつき項垂れるヴァン。彼我の差を否応無しに見せつけられた感覚。ジークにはその気がないからこそヴァンの胸を余計に深く抉る。
「俺だって天才に生まれたかったさ! 俺だって頑張ったんだよッ! こんな結果になるって分かっていたなら……剣士になんてならなかった!」
ジークに出会う前は同年代で自分が最強だと思っていた。ジークというか格上の存在を知り、負けないようにとこれまで以上に修行をした。……それでも差は開くばかりだった。
「俺には剣しかなかったんだよ! お前みたいに生まれ持った才能なんてなかった。……凡人が天才と渡り合うにはどうすればよかったんだ!」
恥も外聞も無く涙を流しながら氷壁を力任せに叩く。痛みは最早感じない。
「お前のようになりたいんだッ! 勝ちたいんだよ俺は! 他の誰でもないお前に!」
ヴァンの存在に気付いたジーク。特にリアクションすることなく視線を向けている。興味など無いと言わんばかりに。……普段のように罵られる方が何倍もマシだった。
「俺とお前の何が違うんだよ……俺の何がいけなかったんだ」
ヴァンの悲痛な叫びは樹海の中に消えてゆく。星は変わらず静かに瞬いていた。
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