第十二話
常に薄暗かった樹海は闇夜に覆われていた。光の無い死の森を照らすのはヴァンとジークが囲む焚き火と霞んだ星の輝きのみ。
激しく続いていた魔物の襲撃は止んでいた……一時的に。
「酷い味だなこれは」
「……携帯食料なんだから当然だろ」
ジークが言うように確かに美味しくはない。水と一緒に流し込みながら周囲に目を向けると魔物を拒む氷壁が目に入る。存在感を放つ巨大な氷壁はこの死の森においても異質に映る。
陣取りゲームの如く魔物の陣地を奪ったジーク。更地となり星空を見ることが出来る程に視界が良くなった樹海。拠点として使う分には好都合であったが、その一帯を魔法で覆ってしまうとは思いもしなかった。本人曰く’緊張状態の中で休憩をしないのか……だと。バカか貴様は。そんなことをして何になる? 非効率この上ない’とのことであった。
順番に番をしながら休むものだと考えていた。いつ襲撃されるか分からない状況で五感を磨き、緊張感の中で修行する。過酷な魔物の領域で生き延びる経験を強さに変えることが目的の一つだと思っていたのだが、ジークの考えは違ったらしい。
氷壁についても壁の役割というよりは結界に近いのかもしれない。空と地中にまで範囲を広げた氷壁……最早ドームである。
魔物の気配は感じるがジーク得意の氷魔法を前に手出しが出来ないようである。確かにこれならゆっくり休めそうではあるのだが。
「何だ? 外で寝たいのか? 不服なら出ていけ」
「……そんなこと言ってないだろ。ただ、意外だと思ったんだよ。休憩中も関係なく修行するのかと考えてたから」
「半端に休んだところで翌日に響くなら無意味だろうが。日が沈むまでは戦闘、そこから朝まで休息。基本はこれを繰り返す。どうだ? バカにも理解出来たか?」
ルークから前に聞いたことがあったがジークは効率至上主義者らしい。緻密に計算された修行ではなく、ひたすら魔物と効率的に戦う特訓。これが強さの秘訣なのだろうか。
携帯食料が口に合わないのか顔を顰めるジーク。食材があるなら簡単な料理も作れるのだが、馬車を用意したのはジークである。勝手なことを言うのも気が引ける。そもそもヴァンの手料理をジークが素直に食べるとも思えなかった。
(何か……気まずい)
所々で訪れる沈黙を居心地悪く感じるヴァン。
ジークとは面識があったし共に行動したこともあるが二人きりというのは初めてである。普段は仲間がいたし、ジークの側にも誰かしらがいた。シエルやセレンはよくジークの近くにいたがどのような関係なのだろうか?
今思えばヴァンとジークの関係は何なのか。
王都で初めて出会った時はコテンパンにされた。それから修行を続けたが差は広まるばかり。マスフェルトの仇だと勘違いして返り討ちとなり、その相手に修行をつけてもらう……客観的に見ても情けない。そもそもヴァンはマスフェルトのことで謝れていない。ジークからの心象は最悪だろう。
(俺の側には常に誰かがいたけど……ジークはどうだったんだろうか)
国の悪ラギアス家。ディアバレトの歴史上最低最悪の貴族。ヴァンはラギアスのことをそれしか知らなかった。悪党なんだと漠然にしか考えたことがなかったが、その真実はディアバレト王との間に結ばれた誓約に縛られた被害者であった。望みもしない役割と思想が押し付けられたのがラギアスの正体だったのだ。誰も知らない悲しき英雄――それがラギアスである。
(ずっと一人で戦っていたのか。誰にも打ち明けられずに……)
完全無欠、唯我独尊と思われたジークにも弱さはあった。一度は折れかけたのかもしれないが自分の意思で戻ってきた。最後のラギアスとしての責任を果たそうとしている。……それに引き換え自分はどうだろうか。
マスフェルトの真実に揺らぎエルゼンとの決戦を前に尻込みしている。誰が悪なのか、何をするべきか分かっているはずなのに。ジークがここまでお膳立てしてくれたにも関わらずヴァンの心は未だに定まっていない。
「……なあ、どうしてお前は戦えるんだ?」
ジークの青い瞳がヴァンを見据える。揺らぐことのない強い瞳。対照的に今のヴァンは弱々しい目をしていることだろう。
「何でお前はそこまで出来る?」
いつもそうだった。ジークは決して負けない。必ず結果を残す。王都を救い、騎士団を退け、番人を解放した。……アトリを助けたのもジークだった。
「どうしてそんなに強くあれる? お前は一体何を考えているんだ?」
今思えばジークの行動には意味があったのだろう。全てはエルゼンとの戦いに勝つ為の道筋だったのではないかと考えてしまう。何もかもを知り尽くした存在……この戦いの結末も把握しているんじゃないかと勘繰ってしまう。
「――お前は何者なんだ?」
「ハッ、魔物との戦いで気が狂ったか? ……もう寝ろ。朝日が昇った瞬間に魔法は解く。また地獄の始まりだ」
そう吐き捨てジークは馬車の裏へ移動してしまう。
何かの魔法を唱えた後に用意していた寝袋を引く音が耳に入る。余談ではあるがヴァンの分も寝袋は用意されていた。
「俺は……どうしたいんだろうな」
ジークは何も答えない。幼馴染のアトリも仲間達もいない。
氷壁の中から見上げる星空は幻想的な光景だった。
****
輝く光剣が影を追いながら交差する。全く同じ出力で形成された魔法剣。寸分の狂いもなく同等の角度で重なり爆ぜる。激しい力のぶつかり合いにより周囲の地形は姿を変えていた。
「ルーク。ここまでにしよう」
「……ふぅ。分かったよ父さん」
レント領の外れ、街から離れた平原にブリンクとルークの姿はあった。
二人が王都からレント領に移動して早一週間。毎日のようにこの場所で鍛錬を続けている。王国最高峰の魔法剣の使い手であるブリンクが息子であるルークへ己の技術を叩き込んでいるのだ。
「飲み込みが早い。あっという間に抜かれてしまったな」
「まだまだだよ。インパクトの瞬間、どうしても魔力が乱れてしまうんだ」
連隊長でもあるブリンクがこの大事な時期に騎士団を離れるのは本来ならあり得ない。ルークの修行は私情と言われても仕方がないが、今回は大義名分がある。王から命を受け遊撃隊として動く一人の若者への指導……何ら問題はない。
「しっかり自己分析が出来ているなら焦る必要はないさ。その為の修行だ」
「ありがとう。貴重な時間を」
少し前までは連隊長と小隊長の関係だったが今では父と息子。当たり前なのだが不思議な感覚である。
騎士団を辞めると言い辞表を取り出した時は驚いたがそれを責めるつもりはなかった。自分自身で考え選んだ道なら尊重する。それがブリンクの考えであった。
「……父さん。少し聞いてもいい?」
「ん? どうした改まって」
何年も親子の関係を続けているのだ。どれだけ成長しても本質は変わらない。この雰囲気は何か悩んでいる時のものである。
「今でこそラギアスの真実は明らかになったけど、当時は悪の権化のような存在だったはずだ。どうして父さんはラギアスと関係を持とうと考えたの?」
ラギアスとの関係――つまりはブリンクとジークのことを指しているのだろう。
当時のブリンクは心が荒んでいた。愛する妻が亡くなり息子までがどこか遠くへ行こうとしている。あらゆる手段を駆使してルークを助けようとしたが救いはなかった。騎士団を辞めたことから金も底を突きかけていた。
「本音を言うと悪魔に魂を売った気分だった。――心を殺してでも金が必要だった……」
「だからジークの修行、か」
時間的拘束の都合と対価から選んだのがラギアスの子息への剣術指導。ブリンクにはやる気はなく志しもなかった。それでも金が必要だったのだ。未知の病を治すにはどうしても金銭的な問題が生じるからだ。
「ジーク様の印象は最悪だった。やはりラギアスはラギアスなのかと、当時の私は偏見しか持ち合わせていなかった」
深く関わるつもりはなかった。最低限の務めを果たせばそれでいい。全ては息子を助ける為であった。
「でも父さんとジークの関係は」
「そうだな。不思議な気分だった。話に聞いていたラギアスとジーク様は一致しなかったんだ」
口は最悪だが行いは真逆であった。純粋に力を求めていることに違いはなかったが、行動の一つ一つに義が込められていた。不信感を抱くブリンクにさえそれは変わらなかったのだ。
「ジーク様がいたから今の私があるのだろう。あの出会いがあったからこそお前の父親でいられる」
魔力硬化症の特効薬に毒竜バジリスクの討伐。突拍子もない話に一連の出来事。都合の良い夢を見ている気分だった。
「これは父さんの予想なんだが……あの出会いがなくともジーク様とルークは何処で交わっていたような気がするんだ。……不思議だろう? 何故かそう思うんだ」
ルークも同じ考えだったのか目を見開き驚いている。
「……お前の選択を否定するつもりはない。友人の隣にいたいのなら――何があっても諦めないことだ」
剣も魔法も王国トップクラスの実力。たった一人で騎士団を相手に戦える反英雄。誰よりも強く誰よりも孤高な存在。……だからこそ脆さも持ち合わせている。
「ジーク様はもう
そして悲しそうでもあった。大切な何かを失い憂いていた。この先に起こることを、戦いの結末を知っているかのように……。
「僕は強くなるよ。みんなが生きているこの世界を、親友を守る為に」
強い目という意味ならルークも負けてはいない。本当に強くなった。まだまだ子供だと思っていたのだが、いい加減その考えは正さなければならないだろう。
かつて願ったルークとジークが共に歩む世界。それがいつまでも続いて欲しいと思うのは傲慢なことなのだろうか。
****
人間と魔物が入り乱れ鎬を削る。
強くなる為に、己の本能に従って。理由は様々だがその本質は同じである。――生存競争。弱いものは全てを失い勝ったものが強くあれる。
「焔旋風!」
炎を帯びた熱風が魔物を燃やす。剣術に性質変化させた魔力を乗せた剣技の一つ。ジークのデルタストームからヒントを得て編み出した新たな力。ヴァンも着実に成長していた。
「何だそれは? 真面目にやれ」
身体に走る悪寒。冷き殺気を感じ慌ててその場から飛び退くヴァン。数秒後に振り下ろされるジークの足は槌のような威力を秘めていた。地面はひび割れ振動が樹海に広がる。
「はぁはぁ……くそ、滅茶苦茶だろ」
敵は魔物だけなのだと思っていた。ジークは戦闘に口は出さないが何らかの指導があるものだと考えていた。……ジークは口ではなく手を出してきたのだ。――その対象はヴァンと魔物であった。
(完全に油断していた。やっぱりこいつは頭がおかしい)
氷の大鎌が振るわれ、跳躍しながら躱すヴァンと魔物達。反応の遅れた魔物は無惨にも胴体が真っ二つとなる。判断を誤ればヴァンも同じ末路を辿ることになるだろう。嫌な汗が流れ落ちる。
「どうした……もう終わりか?」
剣を構えるヴァンと鋭利な爪や牙を剥き出しにして唸る魔物。当然ではあるがヴァンと魔物に仲間意識などない。隙があれば互いが互いを迷いなく殺めるだろう。……無論、そんな余裕はジークを前にあるはずもなく。
味方ではなく敵同士。だが今はジークという強大な存在が自分達の命を刈り取ろうとしている。――ヴァンと魔物達は自然と共闘に近い形になっていた。
「もっと俺を楽しませて見せろ。畜生共」
ヴァンの苦難の道はまだまだ終わりそうになかった。
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