第五話

 主人が不在になった邸は随分と静かであった。ラギアス夫妻の滞在中は何処か緊張感に満ちていたが今はそれがない。使用人にしても私兵にしても穏やかな表情を浮かべていた。そんな彼らを見て本当に死んでしまったのだと実感してしまう。……自らの手で殺しておきながら。

 

 生前のラギアス領主は何かあるたびに使用人達を呼び出しては叱りつけていた。無理難題な要望を私兵団に命じては悦に浸る。税の滞納があれば自ら率先して徴収に出向き、応じない者、支払えない者は自慢の宝飾剣で斬り捨てる。――まさに悪逆非道。好き放題やっていた。

 

 ラギアス夫妻が命を落としたという知らせは直ぐに領地内へ広まった。領民からしてみれば訃報ではなく朗報と言える知らせに歓喜に湧いたらしい。


 どのような理由であったとしても領主が死んだのであれば代替わりするのが通例である。普通は長男が、駄目なら次男となるがラギアス家の子息は一人しかいない。

 急な領主交代ともなれば関係者の周囲は慌ただしくなるものだがラギアス家、ジークにはそれが見られない。

 ――それも当然である。ジーク浩人自身に領地を存続させるつもりなど端からなかったのだから。


(俺みたいな素人に領地経営なんて出来るわけないだろ。漫画じゃないんだから……)


 浩人の選択や行いにより巻き込んでしまった者達がいる。浩人がジークに憑依してしまったばかりに路頭に迷う領民達がいる。

 自分が生き残る事だけを優先するのであれば放っておけばいい。全てを忘れて国外に逃亡すればいいのだ。……だが、浩人の心は彼らを見捨てることが出来なかった。


 サマリスの住民の命を引き換えにアルニカに承諾させた取引。これがあればラギアス領は国管轄の地域となり領民達の生活は劇的に良くなる。ジークに加担してしまった者達は王族の名の下に保護される。ジーク浩人には出来ないことも王族にならそれが可能となるのだ。


(これで俺はお役御免。……最後にラギアスとして国王に喝を入れて終わる――そのはずだったのに……)


 フールとノイジー、歴代のラギアス達の真実を浩人は知ってしまった。何も知らなければどれだけ楽だったのか。だが知ってしまった以上は見て見ぬふりは出来ない。フールとノイジーに対して恥じることのない生き様を見せる必要があったのだ。


(息巻いた結果がこの様か。……俺は本当にクズだな)


 隠されていた真実はラギアスだけではなかった。国王であるアルデリクにも秘密があった。

 この世界は前に進むことがなく永遠に続いている。終わることのない地獄であると。……最後の最後でとんでもない爆弾を投下してきた。

 ラギアス夫妻の言葉通りに国を出ようと考えていた。最低限の務めは果たしたのだからシナリオのことはもう知らないと。


(畜生……こんなの、こんな設定、攻略本にもなかったじゃないか)


 繰り返される世界。終わらないストーリー。

 浩人にはアルデリクが嘘を吐いているようには感じられなかったし、そもそも理由がない。

 国王が言っていることが事実なら……また同じ悲劇が起きることになる。フールとノイジーはまた化け物にされて殺されてしまう。


(……そんなのあんまりじゃないか。どうしてあの人達がまた傷付かなければいけないんだ。どうしてラギアスばかりに犠牲を強いる? 一体何をしたって言うんだ……)


 そもそも、アルデリクが言っていたことが正しいかどうかさえ分からないのだ。確かめるには終わってみるしかない。――即ち死ぬしか方法がないのだ。

 シナリオ通りに死ぬのか、ジークとして天寿を全うするのか。浩人は元の世界に帰れるのか。何も分からない。


(ループしたとして俺に記憶は残るのか? 永遠に同じ人生を歩み続ける? 記憶がなかったら……俺はまた『番人』を殺すのか? そもそも浩人は存在出来るのか?)


 ループした場合、記憶の有無に関わらずどちらも地獄行き。世界が進み出すとしてもそこに浩人がいるかは分からない。ましてやジークが死ぬというシナリオを覆せる保証もないのだ。


(国王レベルの人間が何度も抗ってダメだったんだ。凡人の俺に変えられるわけないじゃないか)


 アルデリクの目を見て理解した。全てに絶望した目だった。奴も立派な被害者だった。この腐り切った世界の。


(俺には無理だ。耐えられない)


 どれだけジークに力があったとしても中身が凡人なら意味がない。浩人はどこにでもいる平凡な人間でしかない。

 前にアーロンに言われたことを思い出す。剣を振るう人間が弱くなったと。正しくその通りだった。

 初めは自分の為だけに戦えた。何も知らなかったから好き勝手に自由に動けたのだ。生き残る為だけに頑張れたから。一歩引いた場所から眺めることが出来たから。

 所詮ゲーム世界。まともな人間は自分しかいないと割り切れていた。


(俺はメインキャラ達あいつらとは違うんだ)


 精霊大戦の果てに生まれた世界。繰り返される世界だと知った上でヴァン達は戦うことを選んだ。勝てる保証もなければ終わる保証もない。無意味な行動だったとしても無駄ではないと言い切れる芯の強さを持っていた。……偽物でしかない自分とは違って。  


 ――本当は初めから気付いていたんだ。目を背けていただけで。


(俺がどれだけ努力しても……にはなれない)


 フールとノイジーの墓の前で項垂れるジーク浩人。歴代のラギアス達が眠る墓地。本当だったら良い報告が出来たはずなのに。……こんな残酷な真実など伝えられるわけがない。


(無理だったんだ。平凡な人間が別世界に行ったからって変われるわけないのに。何を勘違いしてしまったんだよ俺は)


 浩人が今生きているのはジークの力を借りているからに過ぎない。憑依先が偶々ジークだったから生きながらえているのだ。これがただのモブキャラだったなら何も出来ずに終わっていただろう。……もしかしたらその方が良かったのかもしれない。苦しむことなく一瞬で終われたのだから。


(誰か……俺を助けてくれ)


 浩人の悲痛な叫びに応えてくれる者はいない。歴代のラギアス達は何も語らない。ただ静かに時が進む。


 どれくらいの時間が経過したのか。自問自答を繰り返すが一向に答えは出ない。

 だから気付くのに遅れた。思い込みもあったのだろう。ラギアス領で、否、国中で嫌われているラギアス達が眠る墓地に人が寄り付くことなどないだろうと。

 複数の人間達が墓地の前に集まっていた。それもかなりの数である。その中には浩人が見知った使用人や私兵の姿もあった。




****




「何だ貴様らは? 墓荒らしの類か? ここがラギアスの墓地だということを理解した上での愚行か?」


 意識せずとも語気が強まってしまう。殺気に当てられた彼らの顔が引き攣り、真っ青になる者までいる。


「と、とんでもございません! 我々はもちろん、領民達にも決してそのような考えはございません」


 私兵団の一人が慌てながら弁明する。他の者達も追従するように頷いていた。


「そうか……見ての通り俺は機嫌が悪い。速やかに消えろ。死にたくはないだろう?」


「もちろんでございます。用件が済み次第立ち去ります。……我々はフール様とノイジー様へご挨拶に参りました」


(……は? 何を言っている? ラギアスの領民がラギアス領主の墓参りだと?)


 常に悪態をつくジークの口も驚きの余り静止してしまう。……だが直ぐに理解出来てしまった。これまで散々領主に痛めつけられてきたのだ。その恨み節でも吐きに来たのだと。

 

 中年の男性がおもむろに口を開く。


「じ、ジーク様。単刀直入に言わせて頂きますが……我々領民は領主様に対して良い感情は抱いておりません」


(まあ当然の反応だな。これで明君だと讃えていたら頭がおかしい)


「不当に扱われてきました。金や尊厳に……命まで奪われた者もいます」


 全て事実である。納税と言う名の巻き上げで幾ら領民から金を奪ってきたのか。金がないなら何か代わりになる物を、それすら無いなら罰として命を取り上げた。

 ラギアスの真実を知らない領民からすればとんでもない話である。仮に知っていたとしても納得出来る者はいないだろうが。


「正直言って……死んで良かったと。誰もがそう思っています」


 言い過ぎだと兵士が諌めるが浩人はそれを咎めるつもりはない。その資格も持ち合わせていない。


「言いたい事はそれだけか? 物言わぬ墓石に悪態を吐いて満足したなら消えろ。……もうラギアスに税を納める必要はない。命も、何もかもだ」


 ラギアス家の取り潰しとラギアス領の国有化はアルニカがヘマをしていなければ滞りなく進むだろう。国からしても決して悪い話では無い。扱い辛いであろうラギアス最後の生き残りであるジーク自らが持ち掛けた話なのだから。

 領民達の生活は良くなり浩人も解放される。お互いウィンウィンである。


「……やはり、殿下が仰られていたことは事実だったのですね」


「あ? 何を言っている?」


 脈絡の無い発言に思わずガラの悪い返事をしてしまう。


「アルニカ殿下から全てをお聞きしました。ジーク様が国へ働きかけてくださったことを」


 領民によると護衛を引き連れた第三王女であるアルニカが街を訪れたらしい。突然の出来事に困惑する領民達であったが彼女から聞かされた話はそれ以上の衝撃をもたらした。

 ラギアス領を直轄地として国が統治するようジークから進言があったと。加えてラギアス家の取り潰しを認める代わりに領民の生活を保証するようにと。


(……何か勘違いしてないか。面倒事が嫌だっただけだ。俺は善人じゃない)


「ジーク様に御用があったらしく、道中にある街や村を回っているとのことでした。……事前に話しておかなければ混乱するだろうと」


 使用人が補足する。王都へ出向いたジークと入れ違いになってしまったと。

 あの時は王城へ殴り込みをすることしか考えていなかったが……。


「もちろん、それだけではございません。私達はジーク様に感謝しているのです」


 今度は別の領民が話し始める。小さな子供を連れている様子から親なのだろう。


「ラギアス領での魔物被害は日常茶飯事でした。それをジーク様は兵を派遣して対処してくださり、時には御自身で戦いに赴かれました。……初めは戦闘狂いの方なのかと思っていましたが、今なら分かります。我々を想っての行動だったと」


「税を納めることの出来ない街や村、個人に代わって立て替えてくださったこと。領主様へ進言なさったこと。全部私達は知っているのです」


 領民達が言っていることはどれも間違いではない。確かに結果だけを見るならそのようなこともあった。

 だが魔物の討伐は私兵団の強化と自らの戦闘訓練、冒険者としての依頼の都合上によるものでしかない。

 税の立て替えは……滞納があると領主の機嫌が悪くなるから未然に防いでいただけ。進言も結局は聞き入れられることはなかった。今思えば誓約があった以上無理な話だったのだ。


「……勘違いするな。全て俺の都合だ」


(そう。俺の都合。俺の都合でフール達を……)


「それでもです。ジーク様がいてくださったから我々の今があるのです。未来が変わったのです。ジーク様がどのように思われようがこの事実は変わりません」


 死ぬはずだった者が生きている。崩壊するはずだった街が今もある。狙ってやったわけじゃない。善意で動けるほど浩人は真っ当な人間ではない。……それでも目の前の者達は本気で感謝している。取り潰しとなるラギアスに取り繕う理由がない。――つまりは本心から。


「死んでしまえば全員が平等です。複雑な気持ちはありますが……ジーク様の御両親なのなら、我々は挨拶をするべきだと判断しました。この場にいる者達の総意です」


 フールとノイジーの墓参りにラギアス領の領民が来る。こんなこと誰が信じるのか。開発者が知れば卒倒するだろう。――とんでもないシナリオブレイクが起きていた。

 メインキャラでなければサブキャラでもない。ゲームに登場することがなかったモブキャラ以下。そんな彼らが自分の意思で踏み出した一歩。――浩人はそれを否定出来るほど傲慢ではない。


(なんだ……俺にもあったじゃないか。変えられた未来が)


 自分と同じ何者でもない彼らの言葉なら浩人も信用出来る。彼らに出来たのだから浩人にだってまだ何か出来ることがあるはずである。

 まだ終わっていない、終われない。無かったことには絶対に出来ない。


「……俺はしばらく邸を空ける。近いうちにラギアス領に動きがある。詳細はシモン辺りから話を聞け」


 光に包まれジーク浩人は姿を消す。




****




 ディアバレト王国の王都スピリトに存在する王城。その王城にある大会議室には大勢の者達が召集されていた。

 国軍である騎士団と魔術師団の副団長から連隊長クラス全員。近衛師団の団長に副団長。王族や国の重鎮に閣僚、アステーラ公爵家を筆頭とする有力貴族。冒険者協会に薬師協会、マリア教会などの各団体。それ以外にも多くの面々がいた。


 彼らに配られた書状。国王アルデリクの署名入りの文章を見て全員が驚愕していた。

 この世界がディアバレトの願いによって生まれた世界であること。継承者達の存在。ラギアスの真実。エルゼン達の目的。そして剣聖殺害の真相。どの内容もこれまでの根底を覆す重要な物であり動揺や困惑が広がっていた。


 世界が繰り返される件については伏せられていた。知っているのはこの場にいるヴァン達とアルデリクのみ。これ以上の混乱を招けば収拾がつかなくなると判断してのことであった。


「皆の者、動揺や混乱は理解出来るがその内容は全て事実だ。そして時間が無い。此度集まってもらったのはエルゼン・フリークらの暴挙を阻止するためである」


 アルデリク自らが嘘偽りはないと断言した以上、周りは受け入れるしかない。

 齎された情報をもとにどう動くか。周囲の反応を伺っているのか視線を巡らす者もいる。

 彼らとは対照的に怒りや不満、安心といった感情を隠さない者達もいた。先日隠世の遺跡でヴァン達と別れたエリス達である。あれから休憩を挟みながら急いで王都に戻って来たところにルークが事情を説明してこの場に参加することになったのだ。

 

 本来なら一介の冒険者でしかないエリスや私兵団のシモン、ましてや外国人のクラッツが参加出来るわけないのだが、救国の英雄であるジークの仲間ということもあり会議に出席が認められていた。無論、それは表向きの理由であり、実際のところは裏でルークやグランツがアルデリクへ働きかけていたのだが。


「国を揺るがす緊急事態だ。構わん。各々発言を許可する」


 静まり返った会議室内。これではただ集まっただけで一向に話が進まない。アルデリクの許しを得たことでやっと会議が動き出す。


「恐れながら発言をお許しください。陛下はこの先どのように動くおつもりか?」


 口を開いたのはアステーラ公爵家の当主、現公爵でありアクトルやシエルの父であるアライト・アステーラであった。


「騎士団や魔術師団を総動員して敵を叩く。無論、それだけでは戦力としては足らぬ。その為の招集だ」


 近衛師団だけではなく、冒険者協会などの外部団体までいるのはこの為かと判断するアライト。裏を返せばそれだけの戦力を投入しなければ勝機はないということである。今のやり取りで状況を理解した者達は冷や汗を流す。


「……だが、まだ役者が揃っていない。彼の者が戦いの要となるであろう」


 アルデリクが視線を向ける先は空席となっている椅子がある。ヴァン達一行が座る席、ルークの隣は空いていた。


「おい、ルーク。あいつは本当に来るのかよ? そもそもこの会議があることすら知らないんだろ?」


 アルデリクに視線を向けられ慌てるヴァン。小声でルークに問うがそのルークは無言である。全員の視線が集まり余計に注目を集めてしまう。どうするべきかとヴァンが狼狽えているとグランツが口を開く。


「どうやら……覚悟は出来たようですね」


 ――風が吹いた。冷き魔力と共に現れる影の英雄。最後のラギアスが姿を見せる。


 ある者は歓喜し、ある者は驚愕し、ある者は恐れを抱いた。彼の者の選択次第では強力な味方となり凶悪な敵にもなり得る。

 大国の王であるアルデリクをも凌ぐ圧倒的な存在感を前に言葉を紡げない。動向を見守ることしか出来ない。ただ一人、ルークを除いて。


「遅かったね。遅刻だよ?」


「抜かせ。俺には俺の都合がある」


 黒を基調とした衣服に青の刺繍が施されている貴族服は国で忌避されてきた象徴……ラギアスの証である。それを堂々と身に纏う者など、この国にはもう一人しか存在しない。


 ――ラギアスの悪魔が全体を見渡しながら口を開く。


「聞けゴミ屑共。黙って俺に従え。――勝ちたいのならな」

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