第二話
場所は再びラギアス邸に移る。
主人が不在という異例な状況ではあったが、さすがに王族を放置するわけにもいかず、使用人達の判断で客間へ案内していた。
「気を遣わせてしまいましたね……」
「事が事ですからの。致し方ないかと」
ヴァン達一行とアルニカやバッカスなどの近衛。この場には誰一人ラギアスの関係者がいない。使用人達も困惑していたが同席するのも場違いだと判断し結果的にこの面々となったのだ。
「しかし……入れ違いでしたか」
「そうなります。我々もジークさんを追って王都に向かおうとしていた次第となります」
アルニカの問いに対して答えるのはグランツ。ヴァン達一行の中では年長者という意味合いもあるが、相手が王族であれば他の面々も萎縮してしまう。シエルも同じ王家の血を引いているとはいえ王家と公爵家では格が違いすぎるのだ。
「殿下。急いで追いかけるかの?」
「……いえ、元々は王の元へジークを案内することが目的でしたので。それにしても……ラギアス領主は亡くなりましたか」
窓の外に目を目を遣るアルニカ。何処か遠くを見つめる様子は何かを憂いているように映る。
「亡くなりました……たったそれだけ? その様子からして王家は知っていたのね。ラギアスの真実を」
「ちょ、セレンよせ」
声を荒げることなく静かに冷たく言い放つセレン。その言葉は抜き身の刀そのもの。普段暴走しがちなヴァンが止めに入る程である。
「……ラギアスについて深く知ったのは最近の事です」
サマリス襲撃事件の後に王は一部の関係者を集めてラギアスの真実を明かした。何故このタイミングであったのかは定かでないとアルニカは話す。
「話を戻しますが、この場にはラギアスがいません。言葉を投げかけるのなら彼にだけで十分です」
「そう。ならどのような言葉で彼らを労うのか見させてもらおうかしら? ‘長年何世代にも渡りよく頑張りました’とでも言うつもりかしら? 滑稽ね」
不信感を隠そうとしないセレン。外国出身の彼女からすれば不満しかなかった。何故功績を上げ続けてきたジークが不当な扱いを受けているのか。何故ラギアスにだけ犠牲を強いてきたのか。
全てを知っていながら国民に説明するわけでもなく、ただラギアスを放置してきた王族が許せないのだ。
「……安心しました。ジークにもいるのですね。友人が」
「あら? 何かしらその余裕な態度は? 王族のあなたでは彼と立場が違いすぎるでしょう。……大人しく王都で舞踏会にでも参加してたらどう?」
「セレンもうダメですよ! 本当に捕まりますよ⁉︎」
シエルが慌てて止めに入る。彼女達の姿を見て優しく笑みを浮かべるアルニカ。ジークだけではない、シエルにも友が出来たことを嬉しく思っているのだ。……ただ少しセレンの言葉に引っ掛かりを感じたが今は口に出さない。
「……お話すべきかもしれませんね。皆さんは知っておくべきです。――ラギアスのこれからを」
「ラギアスのこれから? それはジークのこと……ですか?」
ヴァンの問いに頷くアルニカ。
本当に個性的な面々がジークの周りには集まるとアルニカはしみじみ思う。剣聖の孫に賢者に異国の元貴族、公爵家の令嬢に期待の若手騎士。その他にも沢山いる。
「サマリスの一件について、皆さんはどこまでご存知ですか?」
「ジークさんの活躍によりサマリスの住民が救われたことは把握しております。……サマリスが崩壊したことも」
「なるほど。でしたら話が早いですね。仰る通り確かにサマリスは救われました。……ですが、そこに至るまでの経緯が当然ながらあります。私達はあの場にいたので事の真相を誰よりも理解しています」
ディアバレト王国を騒がしている一連の事件。そこにはサマリスも絡んでいた。アルニカと住民の命を狙う敵とそれを阻むジークとの間で戦闘が勃発したのだ。
「敵の術中によりサマリスは消滅の危機にありました。住民含めたその場にいる者全ての」
「……それをジークが救った」
アトリの言う通りではあるが、少しだけ真実は異なると説明するアルニカ。
「ジークからはある取引を求められました。――サマリスを救いたいのなら応じろと」
「消滅前に王族を脅す? あいつとんでもないな……」
「そうですね。こちらとしては受けざるを得ない状況でした」
何処か悲しげな表情を浮かべるアルニカ。それを見たヴァンは一体何を要求したのかと戦々恐々となる。ジークなら何を言い出してもある意味おかしくはない。
「ジークからの要求は三つありました」
『愚かにもラギアスである俺に付いてしまった連中の保護』
剣聖殺害の容疑により指名手配されたジーク。そのジークを助ける為に立場を捨てた者達。彼らを王族の権力を駆使して守れとジークは要求してきたのだ。
「……そうか。騎士団相手にエリス達は真正面から戦ったって話だったな」
「ヨルンさんのように連隊長という立場の方もいました。国軍の人間がそのようなことをすれば実刑は免れないでしょう」
不当な指名手配であったとしてもそれを釈明出来る立場になかったジーク。いくらジークに力があったとしても自分以外の者達を守りながら国と戦うのは不可能に近い。だからこその取引だったのだろう。
「そして、残りの内容こそがラギアスのこれからに関することです」
ラギアス家の取り潰し。
ラギアス領の国有化及び領民の生活を保証すること。
これがジークが特に強調して求めてきた取引であった。これらを遵守しなければ国を潰すと脅してまで取り付けたかった条件。サマリスを救う為の取引としては国から見れば破格の内容だった。
「おそらくジークは全て理解していたのでしょう。ラギアスから『番人』の役割が無くなれば国がどのような対処をするのかを」
傍から見ればラギアスは国の汚点であり悪党である。『番人』の役目を果たした以降もラギアスをこれまでのように放置すれば、より国民の反感を買うことになり、国としてもラギアスを残しておくメリットもない。
死人に口なし。全ての罪を被せてラギアス家を取り潰す。その筋道を予測していたからこその取引だったのではないかとアルニカは考える。
「領主が変われば領民の生活も大きく変わるでしょう。……ですが、暗君と呼ばれてきたラギアス領主から別の領主へ変わったところで領民の生活が保証されるわけでもないのです」
元ラギアス領の人間ということから不当に扱われる可能性もある。だから別領地として生まれ変わるのではなく国有化という道筋を示したのだ。国が責任を持って管理をしろと。
「何だよそれ……何が取引だよ。全部、どれもこれも誰かの為じゃないか。一人でカッコつけすぎだろ」
「……行かないと。ジークを追わないと」
席を立つヴァンとアトリ。それに続くシエルとセレン。グランツもゆっくりと立ち上がる。
「私達も同行します。元々は王と彼を繋ぐ為にここを訪れたのですから。……そもそもジークだけでは王に謁見は不可能でしょう」
彼らは王都スピリトを目指す。独りよがりの英雄の力になる為に。
****
激しく続いていた戦闘がピタリと止まる。向かい合うのは二つの勢力。
ジーク、ルークの国軍から見れば反逆者の二人と騎士団の精鋭部隊であるブリンク隊とシュトルク隊。これまでにない緊張感が周囲に漂っていた。
「ルーク。お前は自分が何をしているのか分かっているのか?」
「父さん……」
同じ組織に所属しているブリンク、ルークの親子。騎士団の連隊長と小隊長。騎士としての経験、生きてきた時間。全てに於いてルークの先駆者であるブリンクの言葉は重みが違う。
「騎士は国を守る象徴だと前に教えたことを忘れたか?」
「……忘れてないよ」
「なら今直ぐ投降しなさい。武器を捨ててその場に伏せるんだ」
ブリンクとルークの対話が続く。ジークやシュトルクに他の騎士達は口を挟むつもりはない。だが、互いに警戒は緩めない。
「父さん。僕はずっと近くで父さんを見てきた。……あなたの騎士としての振る舞いや父親としての姿に教え。全部僕にとって大切な思い出だ」
「……」
たった二人だけの家族。ブリンクにとっては最愛の妻でありルークにとっては母。その彼女は既に他界していた。
「母さんが死んでから父さんが本当に大変だったことはよく覚えてる。……それでも父さんは僕の側にいてくれた。だから寂しくはなかった」
ルークが魔力硬化症を患い倒れた時は天職であった騎士を辞めてまで治療法を探してくれたことをルークは知っている。――その結果がジークとの出会いを齎したことも。
「あなたがいてくれたから今の僕がある。あなたの教え、何一つ忘れたことなんてなかった」
憧れだった騎士になり父の背中を追いかける立場になれたことを嬉しく誇りに思った。――だからこそ本当に大切なことを見誤ってはいけない。
「僕は――
ルークが懐から白い便箋を取り出す。そこには辞表と書かれていた。それをしっかりとブリンクへ見せつけて地面へそっと置く。
「騎士団――辞めます」
ルークが握る剣が強い光を放つ。剣に魔法を宿す魔法剣を構える。騎士団一、否、国一と言っても過言ではない魔法剣の達人であるブリンクに魔法剣で戦いを挑む。ルークなりの覚悟の表れであった。
「そうか……ルーク。それがお前の道か」
「はい。僕はもう間違えません。ジークと一緒に未来を切り開きます」
ブリンクから発せられるプレッシャーを前にしても怯むことのないルーク。絶対に引かないという強い意思が剣に現れている。それを見たブリンクはより一層圧を強める――のではなく、笑顔を見せていた。
「騎士を辞めるか。なら、お前が俺の指示を聞く道理はない、か……。なぁシュトルク?」
「……しっかりと考え選らんだ道なら何も言うまい。お前の選択を尊重しよう」
「え? 何を……言って」
緊迫していた空気が弛緩する。剣を構えていた騎士達は全員納剣していた。
ブリンク隊とシュトルク隊がジークとルークへ道を開けるように広がり王城から離れ橋を進んでゆく。
突然の出来事に動揺するルークに静観するジーク。
「我々は元々
ブリンクが先に進みその後をシュトルクが続く。すれ違い様にジークが口を開く。
「おい初老。……貴様の
「……初老前だ。……情報感謝する」
心なしかシュトルクの足取りが軽くなったような気がする。
結局二つの連隊は剣を交えることなく通り過ぎてしまった。
「ジーク。これは一体……」
「放っておけ。さて、そろそろ仕上げに入る」
****
「報告であります! シュトルク隊とブリンク隊。何故か賊二人を無視して橋を渡って行きました!」
「ばかもん! 見れば分かると言っておろうが! しかし何故だ……何がどうなったら彼奴等を無視して行きおるのだ? 意味が分からんぞ!」
本命であったシュトルクとブリンクの連隊が結果的には突破されてしまった。近衛の主力部隊は既に橋の下であり、騎士団は役に立たない。カルロスが振り返ればそこには頭の悪いイカれた若手や新人しか存在しない。
「くそッ、もう儂が出るしかない。ばかもん共、儂に続け!」
「しかし、ここの守りは?」
「制圧してしまえば関係なかろうが! 続け続け!」
カルロスが城を飛び出し部下達が後に続く。
王城攻防戦は最終局面を迎えていた。
****
降り注ぐ魔法の雨にそれを防ぐジークの氷壁。カルロス率いる若手新人中心の近衛師団とジーク、ルークの戦いは意外なことに膠着状態となっていた。
「はははッ! なんだばかもん共、やれば出来るではないか!」
近衛兵が放つ多種多様な属性の魔法が途切れることなく氷壁に命中する。
如何に優れた魔術師であっても連続して魔法を撃ち続けることは出来ないが、人数がいるなら話は別である。部隊を複数に分け順番に魔法を放つことで連続の遠距離射撃を可能にしていた。
「ポーション配置完了であります!」
「よし! それでいいのだ! 時間を掛ければ掛けるだけ不利になるのは彼奴等だ」
ジークとルークは二人しかいないが、近衛師団は十分な人数とポーションなどの物資も潤沢に存在する。魔力を回復しながらの長期戦も不可能ではない。
「いいか、無理に倒す必要はない。今この瞬間にも我々の味方が集結しつつあるのだ。数の力で押し潰す! 我ら銀を守護する盾は揺るぎない!」
近衛兵が冷静に戦えているのは副団長であり経験豊富なカルロスの存在も大きいが、彼らが若手であり下手な思想に染まっていない点も理由の一つであった。
謀反を起こしたのが騎士団若手筆頭のルークだからこそ、目上の者は負かしてやろうと躍起になる。ラギアスであり国の悪、そして剣聖殺しの疑いがあるジーク。大罪人へ自らの手で裁きを下そうと気持ちが逸り、前のめりとなる。
心の乱れが部隊の地盤を揺るがし、そこをジークとルークに突かれていたのだ。
「いいぞばかもん共! このまま抑え込む。たった二人の賊相手に国が負けるはずがないのだ!」
「――ほう? この程度でもう勝ったつもりなのか?」
全身を襲う悪寒。比喩ではない。気付いた時には既に手遅れであった。足元を覆う氷に大気に漂う冷気。死神の大鎌は喉元まで迫っていた。……これがラギアスの悪魔。生物としての格が違う。
「か、身体が動かん……ら、ラギアスの仕業か? いつ仕込んだ?」
「副団長……魔法が」
近衛兵が放った魔法が全て静止していた。魔法が概念事凍結されられている光景に絶句する。文字通り手も足も出ない。
ラギアスの悪魔が氷壁を砕き一歩前へ踏み出す。
「……もう眠れゴミ屑共。最後に良いものを見せてやる」
「⁉︎ ――これは、まさか、何故だ⁉︎」
ジークが纏う神秘的な光。ディアバレト王国の象徴である銀の輝き。近衛師団が守護する王族のみが行使出来るはずの神聖術をジークが我が物顔で使用していた。
「その銀の髪色は……貴様はラギアスのはずだ⁉︎」
「当然だ。俺には王族共の穢れた血は一滴も流れていない。――ラギアスはこの世の何よりも特別だ」
長年近衛師団として王家に仕えてきたカルロス。これまでの常識が、誇りが砕ける音が聞こえる。
「道を開けろ。
「馬鹿な……あり得ない」
大橋を包む灼熱。王都中に広がる熱気。炎獄から召喚された破壊の神が顕現する。――火焔魔神。
死した剣聖がかつて戦争を終わらせる為に振り下ろした一太刀。それにより敵兵は即座に白旗を上げた。両陣営を隔てる大地が跡形もなく消滅したからだ。――それを自国に貰えば守るべき国がなくなると判断してのことだった。
件の戦争を経験していたカルロス。戦う気力は完全に削がれていた。
「――静まれ皆の者」
戦意喪失した近衛師団の背後から威厳のある声が響く。魔法で拡声されたわけでもない力強い発声に細身ながらも鍛えられた肉体。そして、王族の象徴である銀色の髪が業火と熱風によりなびく。
「へ、陛下……」
「カルロスもうよい。私はそこの者達と話をする必要がある。兵を引かせろ」
ディアバレト王国の国王――アルデリク・フォン・ディアバレトであった。
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