第二十三話

 彗星の如く戦場を駆け回るジーク。手にした剣に冷気を乗せて魔物を斬り刻み、魔法を交えながら殲滅する。その姿は正に戦鬼。孤軍奮闘する様子を背後の兵士達は眺めることしか出来なかった。


 ジークの魔法、フローズンガイザーにより氷柱を形成し、魔物を含む自らを宙へと押し上げる。空中に作った氷の足場を蹴ることで飛び回り、身動きの取れないところをすれ違い様に斬り裂く。

 キラキラと舞う氷の粒子と降り注ぐ血の雨。戦場はジークの独壇場であった。


「しつこいゴミ屑共が。力の差がまだ分からないか」


 迫りくる魔物からは生き物が持っているであろう感情を何一つ感じることがない。怒りや恐怖をジークに抱いても不思議ではない。だが魔物達は無心に目の前の敵を倒し、街を目指そうとしていた。


「哀れだな。感情を消されて、俺に殺されるのは」


 牛頭人身の魔物、ミノタウロスの戦斧を掻い潜り懐へと入る。魔力を乗せた発勁、振衝波を浴びせ吹き飛ばす。巨大な体躯は他の魔物を巻き込みながら吹き飛び、最後には暴発する。

 ジーク固有のオリジナル技。ゲームにも登場することのなかった体術技であった。


 独り戦い続けるジーク。

 その姿を眺めている兵士達。

 彼らを隔てているのは力の有無か、覚悟の差か、それとも別の何かなのか。


「……いいのかよ。このままでよ」


「そんなこと言ったってな。あれを俺達でどうにか出来る訳ないだろ?」


 兵士である彼らにも迷いはあった。加勢をするべきか、任せて逃げるか、ジークがやられた時の為に残り続けるべきなのか。自問自答を繰り返しても納得のいく答えは中々見つからなかった。


「見た目からして貴族様だよな? 何でまたこんなことを?」


「さあな。貴族の矜持ってやつか? 本だけの世界かと思ったぜそんなの……」


 上空へ飛び上がり氷の大槍を投擲するジーク。物語の登場人物が悪しき者を裁くかのような姿であった。


「……なぁ? 黒髪に貴族で馬鹿げた氷魔法って言ったらよ」


「……冗談だろ。まさかあれが……ジーク・ラギアスなのか?」


 情報の回りが遅いウェステンにすら轟く悪評。

 領民を傷付け、呪いをばら撒き、王都襲撃を手引きしたとされる悪徳貴族。歯向かう者は武力と金で蹴散らす極悪人。平和ボケした彼らでも、ラギアスに対してだけは危機感や嫌悪感を抱いていた。


「ジーク・ラギアス……大悪党じゃねーか」


「何でラギアスの悪魔がこんなところにいるんだよ」


 魔物による恐怖とジークというラギアスの存在により混乱する兵士達。負の感情から重なる疑心暗鬼により空気が変わる。


「あいつが魔物を呼んだんじゃ……」


「んな馬鹿なことがあるかよ」


「だってよ、あいつは進んで凶悪な魔物を狩り続ける戦闘狂って話だぞッ! でなきゃ、俺達みてえな下々の人間を命を張ってまで助けるわけねーだろ!」


 兵士達の瞳に映るジーク。険しい表情を浮かべながら剣を振り魔法を放ち戦っていた。たった独りで戦っている。自分達よりも年下であろう青年が恐怖に負けることなく、見ず知らずの自分達の為に戦っている。

 その必死な姿は悪評塗れのラギアスとは重ならなかった。重ねてはいけなかった。


「……俺にはあの青年が悪巧みをしているようには見えねえよ」


「あぁ、何か……カッコいいな」


 数多くの魔物を相手に戦っているジーク。自分達を慮っているのか、一体も魔物を後ろに逃してはいない。


「俺達にも……何かあるだろ」


「弱った魔物なら遠距離から狙える」


 即死している魔物がいれば重症で身動きの取れない魔物もそれなりにいる。ジークが手一杯なら自分達でトドメを刺す。それが少しでもジークの手助けとなるのなら。


「「「ファイアボール!」」」


 兵士達が一斉に火球を放つ。ジークから離れた瀕死の魔物目掛けて。そう、からここまで進んできたであろう魔物に。


「⁉︎ あのバカ共がッ!」


 着弾を喜ぶ兵士達。トドメを刺したと浮かれる彼らの目の前に魔法陣が複数現れる。そこから召喚されたのはトロールと呼ばれる巨人の魔物であった。


「――えっ?」


「何だこいつ?」


 固まる兵士達に仁王立ちの巨人達。彼我の実力差は明らかであった。

 振り下ろされる棍棒。それを見つめる兵士達。抵抗の余地はなかった。


「アイシクルプロテクト」


 冷たい声に氷の壁。続けて響く衝撃音。

 空中を舞っていたジークが何故か兵士達の前に突如として現れ棍棒による殴打を完全に防いでいた。


「邪魔だ消えろ」


 ジークの姿がブレたかと思えば、続け様にトロールの首が飛び血が吹き出す。頭が切り離されたことに今気付いたかのように、遅れて倒れるトロールであった。


「は……?」


 言葉を失う兵士達。何もかもの感情が遅れて前に出てこない。


「何をしている貴様ら? 死にたいのか」


 ジークが後退したことで防衛戦線も同じように後退する。即ちそれは大量の魔物が押し寄せるということ他ならない。


「さっさと走れ! 貴様らのような無能は要らん。女子供を連れて速やかに消え失せろ! 二度と俺の視界に入るな!」


 ジークの罵詈雑言とプレッシャーに気圧され一斉に街へと駆け出す兵士達。魔物よりも恐ろしい存在を見たかのようなリアクションであった。


「バカが。……だがこれでいい」


 空を見上げるジーク。何かを見つけたのか笑みを浮かべている。


「普段よりも時間と魔力を要したが……それだけの価値はあるようだな」


 天より降り注ぐ氷の彗星。巨大な隕石は魔物達目掛けて飛来する。


「インヴェルノゲート」


 上級結界魔法により自身と背後のウェステンを守るように結界を張るジーク。依然笑みは浮かべたままであった。


「一度だけだと思うなよ。今回の星落としは特別だ」


 飛来する氷の彗星が蹂躙する。抗う術のない極寒の冷気と衝撃が魔物達を喰い殺す。

 

 待ってましたと言わんばかりに新たに現れる魔法陣と召喚された魔物達。術者の性格の悪さが垣間見える。――だが悪役はその遥か上をいく。


「さて、――あと何発耐えられる?」


 彼方より呼び寄せられた氷の星は一つではなかった。複数の星々が時間差で宇宙から飛来する。それは流星群と呼ばれるものであった。

 

 天から何度も降り注ぐ氷の隕石。落下の度に冷気の嵐が吹き荒れ衝撃波が広がり魔物の存在を消し去る。

 魔物が召喚されれば更に隕石を落とす。何度も何度も何度でも。全ての敵が消えて無くなるまで。

 

 その光景はまさに地獄とも取れる。だが、ジークの背後にいるウェステンの人々には悪を討つ英雄の姿にしか見えなかった。何も無い辺鄙な街に誇れる英雄が誕生した瞬間であった。




✳︎✳︎✳︎✳︎




 途切れることのない魔物の大群。

 魔法による撹乱や足止め、注意を引こうと試みるが大きな成果は得られず。

 魔物の進行をただ横目に見ることしか彼らには出来なかった。


 地方都市オーステン。西に位置するウェステンとよく間違われるくらいに辺鄙な都市で、誇れるものがないところや住民達の向上心の無さまで全く同じ。良く言えばのんびりとした街、悪く言えば危機意識の欠けた街。好みの分かれる地方都市であった。

 そんなオーステンとウェステン。この二つの街の命運を大きく分けたのは悪役の存在の有無。これに尽きる。


 初めに異変に気付いたのは兵士ではなく外部から来ていた行商であった。程々に商売を終え次の街に出発しようとした時に見た荒れ狂う荒波。街の外には抗いようのない数の暴力が迫っていた。


 報告を受けた街の兵士達は半信半疑。各々が実情を目の当たりにして初めて慌てふためき、武装や避難準備に移ろうとした。だが、何もかもが遅すぎた。


 その光景はまさに地獄であった。夥しい数の魔物が一目散に街を目指し、なだれ込んでくる。力を持つものは必死に戦い、力無き者は瞬く間に飲み込まれた。人も家屋も街そのものも、全てが蹂躙された。

 

 終わることのない悪夢に光が差したのは外部から駆けつけた四人の者達の存在が大きい。

 悪を拒む堅牢な盾に流麗の如く流れる剣術、魔物を蹂躙する多彩な魔法。そして邪を祓う神聖な輝きを纏う騎士。彼らが身を粉にして戦い続けた結果、オーステンから全てが失われることはなかった。


 夕暮れ時。普段は茜色の空が街を照らすが今はその照らすはずの建物が殆ど崩壊していた。

 昨日まで続いていた平和な日常は全てが消え去り、大勢の死傷者で溢れかえる。文字通りオーステンは壊滅した。最早街とは呼べない廃墟に成り果てていたのだ。


「お母さん! どこなの!」


 泣き叫ぶ女の子。抱いた人形を胸に必死に母親を呼んでいる。だがそれに応える母親の姿はなかった。


(何なんだ……これは?)


 少女に手を伸ばそうとするルーク。だがその手が少女に届くことはない。何故ならルーク自身、満身創痍で歩くことすらままならない程、疲弊していたからだ。

 魔物の進行を止めるどころか、生き残ったことすら奇跡と言える状況。戦闘の途中からの記憶は失っていた。


「……ルーク、大丈夫かい?」


 ルークに声をかけてきたのはヨルン。普段の飄々とした態度は鳴りを潜め疲れ切っていた。


「ヨルンさん。魔物は……」


「もう反応はないよ。どうやら、やっと終わったようだね」


 座り込むヨルン。息を吐き空を見上げている。

 激しい戦闘により身に付けていた衣服は血と砂埃でボロボロになっていた。


「ブリンク連隊長は臨時の責任者として色々話を纏めている最中で、シュトルク連隊長は負傷者の治療をしてる。僕らも少し休んだら合流しようか」


 魔物の襲来により全ての日常を奪われたオーステンの住民達。偶然生き残った、生き残ってしまった彼らは何を糧に生きていくのか。生きていくことは出来るのか。


(分からない。分からない。何も……分からない)


「こんな、はずじゃなかった」


 壊滅した街の一体何を纏めようとしているのか。半数以上の死者がいる状況で一体誰の治療をしようとしているのか。


(これは……僕のせいなのか?)


『何故俺を殺さなかったのか、理解に苦しむ。その甘さがやがて罪となる』


 フラッシュバックするロヴィンズの言葉。耳をどれだけ塞いでも止まることはない。


「ルーク。君は一旦休んだ方がいい。酷い顔だ」


「僕が休んで目を覚ましたら……この悪夢は消えているでしょうか?」


「……消えることはないよ。どれだけ時間が経っても。亡くなった人は二度と生き返ることはない」


 下手な慰めはなく事実だけを告げるヨルン。それはルークに対するものなのか、別の誰かに向けた言葉なのかは分からない。


「……ハッキリと仰ったらどうですか。僕のせいでオーステンは滅んだと……」


「ルーク。君があの場にいなければもっと多くの……」


 ヨルンの言葉は途中で遮られる。街の外から来た二人によって。


「……ヨルン連隊長」


 青白い顔で辺りを見渡しているナハルとスキニー。悲惨な光景を目にして唖然としていた。


「使いを出そうと思っていたんだけど、どうやって来たんだい?」


「森に放置されていた馬車を偶然見つけまして。それでここまで来たのですが。……何故オーステンに?」


 動けるようになるまで休息をしていた二人。

 あの時起きていた出来事を正確に把握していたからこそ、いつまでも休んではいられないと行動を開始した。

 二人がオーステンを目指した理由はヨルンの故郷がウェステンであることを知っていたからである。どちらかを選ぶ必要があるなら、選ばれるのはウェステンだと考えていた。甚大な被害となるのはオーステンだからこそナハルとスキニーは救援の為にこの街を目指したのだ。


「色々とあってね。――見た通り、僕ら四人が頑張った結果がこれだ」


 倒壊した建物に砕かれた街路、人や魔物の死体。この惨状が果たして望んだ結果だったのか、最善だったのか。全てが終わった今では誰にも分かり得ない。


「体が痛むとこ悪いけど、二人にも動いてもらうよ」


「……あぁ、俺達は何をすればいい?」


 ナハル達に指示を出すヨルンの元へ街の兵士が駆けてくる。


「魔術師様、報告がございます。通信用の魔道具を介して隣街のウェステンより連絡がございました」


「……だろうね。続けて」


「はっ、森の方角より大多数の魔物の襲撃あり。それを数時間かけて全てを撃退。街の被害は皆無とのことです」


「……はい? 何言ってるの君?」


「信じ難い話なのですが……一人の青年が全ての魔物を殲滅したとのことです。今は救援隊が組織され、このオーステンを目指しているとのことです」


 兵士の報告を受け混乱するヨルン。

 ロヴィンズの話からして、ウェステンにも同等数の魔物が現れたことになる。それをたった一人で、しかも被害を出さずに対処するなど何処の英雄なのか。御伽噺の世界から間違ってあのつまらない街に出てきてしまったのかと有りもしない想像をする程に困惑していた。

 

 理解が追いついていないのか顔を見合わせるナハルとスキニー。そんな中ただ一人、ルークだけが納得したような、確信を持った表情をしていた。


(そんなことをしてしまうのは、出来てしまうのは……君しかいないよね。僕とは何もかもが違う……)


 街の入り口から歩いてくる黒髪の人物。豪華な見た目をした貴族服は赤黒く変色している。血の海に飛び込んできたと言われても信じてしまうような装いである。


「ジーク・ラギアス。何で君が……」


「貴様らを嘲笑いに来たと言った方が信憑性が増すか?」




✳︎✳︎✳︎✳︎


 


 二年振りの再会だった。騎士になり王都で別れたあの日以来。今思えば、変えてみせると誓ったあの日から道を違えていたのかもしれない。二人の立ち位置は完全に分かれていた。


「嘲笑うだと? お前はこの惨状を見て笑えるのか?」


 ジークの発言を額面通りに受け取るナハル。理解出来ない相手を前に困惑と怒りを織り交ぜたかのような表情を浮かべている。


「笑えるな。この状況で傷の舐め合いか?」


 詰め寄ろうとするナハルを引き留めるスキニー。普段と立場が逆転していた。


「お待ちください! ウェステンからの報告では、魔物の進行を防いだのは黒髪で貴族風の青年だったとのことです」


「って話みてぇだが実際はどうなんだよ? てか、ナハル落ち着け暴れるな。まだ体が痛むんだよ!」


「さあな。訳の分からん地方都市がどうなろうと俺には関係ない」


 その発言を聞きナハルはまた憤り、スキニーは悲鳴を上げていた。


(やはりそうか。ウェステンを救ったのは君なんだね。オーステンを救えなかった僕とは違って……)


 ジークを直視することが出来ないルーク。

 しっかりと自らの足で立つジークと地面に座り込むルーク。二人の立ち位置の違いを明確に表しているかのようである。


「一回落ち着けって! コイツが何を言おうがウェステンは助かったんだろ? ならそれだけでも良しでいいだろッ!」


「落ち着いていられるかッ! 例え冗談であっても言っていいことと悪いことがある! 被害を受けた人達を前にこいつは」


「そうだな。この悲劇を招いたのは貴様らの失態だ」


 場が静まり返る。ジークに詰め寄ろうとしていたナハルは足を止め、スキニーは言葉を失っていた。


「貴様らに力がなかったばかりにこの街は滅んだ。貴様らの能力不足によって街も人間も建物も、全てが奪われることになった」


「なん……だと?」


「俺の言葉を正しく理解出来ないか? なら貴様らはまた同じことを繰り返す。この先何度もな。そして多くの人間がまた死ぬ」


(僕に力がなかったから。ジークには力があったから)


 否定をしたいが頭では理解出来てしまう。あの場にいて戦っていたからこそ。


(どうしてこうなってしまったんだ? 何を間違えたんだ? 僕はこんな結果を望んでいたわけじゃないのに……)


「そのへんにしておくれよ。今の口撃は皆に効くよ」


「ふん、精々あの連隊長共に感謝しておくんだな」


 この場を後にしようとするジーク。それを塞ぐように立つルーク。痛む体に鞭を打ち必死に立ち上がっていた。


 相対するのは二年振り。背は伸び精悍な顔つきとなっていた。同じくらいの背丈なのに何倍も大きく見える。


「……ジーク。どうして君はそこまで出来る? 何故そこまで強くなれる?」


「忘れたか? 俺はこの世の何よりも特別だからだ」


(違う。こんな会話をしたいんじゃない……)


 話したいことは沢山ある。聞きたいことも山程ある。なのに口から出るのは、どれもくだらない言葉で。


「僕の……何がいけなかったんだ?」


「知るかそんなこと」


 見れば分かる。本人は強がっているようだが身体は既にボロボロ。受けた傷を無理矢理氷で塞いで誤魔化している。

 今ジークに必要なのはくだらない言葉ではなくて治療と休息。それを理解しているはずなのに。


(今本当に聞きたいことは……)


「僕と君の……何が違うんだ? どうすれば君のようになれる? どうすれば変われる、変えられるんだ?」


「…………が俺と同じ目線に立つことはない。絶対にな」


(どうしてこんなにも君は…………悲しそうな顔をしているんだ? 誰が君を、そこまで追い詰めたんだ?)


「教えて欲しいジーク。あと、あと一年、君に早く出会うことが出来ていたら……僕は君の隣に立てていただろうか?」


「何も変わらなかっただろうな。この結果も含めてな」


 もう交わす言葉はないのか、ジークは崩壊した街を進んでゆく。振り返ることなく。


 ルークの意識はここで完全に途絶えていた。

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