第二十四話

 崩壊した地方都市オーステン。人が死に建物が倒壊し街そのものが崩れ去った。もはや地方都市としての機能は完全に損なわれている。

 戦後のようなオーステンを一人ジークは進んでいた。


 目に入るのは魔物の死骸と人の死。夥しい血の赤と死の臭い。悲惨な光景を前に常人なら狂ってしまうかもしれない。それでもジークの足が止まることはなかった。


「おい、生存者はいたか?」


「……いねえよ。ほとんど、死んじまった」


 兵士と思われる二人の男性の会話が耳に入る。


「なら、救護所に大方運び終わったってところか」


「……安置所の間違いだろ。助かるわけねえよ」


 座り込む男性。応急処置として巻かれていた包帯は赤く染まっている。


「王都から来た騎士団の連隊長がいるんだ。きっと助かる人もいるさ」


「……本職の神官じゃねんだ。無理に決まってるだろ。あの人数だぞ」


 何とか元気付けようとする男性に絶望しきった表情を浮かべる男性。対照的な二人である。


「……なぁ、俺達が一体何をしたんだよ? 何でこんなことになっちまったんだ」


 憔悴した男性の問いかけに答えることの出来る者はいない。彼らも兵士である以前にこの街の住民であることに変わりはなかった。ある日突然、日常の全てを奪われたのだ。


「贅沢なんて求めてなかった。ただ、のんびり生きていただけだったろ。それだけでよかったのに……」


「そうだな。何も考えずに生きてこられた。……だからダメだったのかもしれない」


 失われた命に目を向ける男性。後悔や悲しみに怒り、色々な感情が混じった濁った目をしている。やるせない感情を兵士の役割を演じることで誤魔化していた。


 別の場所へと移動していく兵士達。彼らの後ろ姿はとても弱々しく見える。いつ消えてもおかしくない小さな灯火のようであった。


「……」




✳︎✳︎✳︎✳︎




 負傷者が集められた救護所。魔物の襲撃によって傷付いた多くの人々が運ばれ治療を受けている。だがその治療を受けることが出来るのはほんの一部のみ。治療を行う神官の数が足りていないのだ。彼らの多くも今回の出来事により命を落としていた。


「連隊長様……申し訳ございません」


「もういい。静かに休め」


 生き残ったマリア教会の神官は最後の魔力を使い果たしたのか、眠るように倒れてしまった。彼らは救い手である前に被害者でもあった。この惨状を目の当たりにし精神的にも疲弊していたのだろう。


「……最後が騎士の私とは皮肉だな」


 負傷者達に目を向けるシュトルク。

 助かる見込みのある住民達から優先して治療を続けてきた。神官の数も魔力も有限であることを理解しているからこそ取れる最善。失われる命に対して助かる命は余りにも少なかった。


「無力な私を……許して欲しい」


「口答えが出来ん奴らに対して一方的な言い訳か? 惨めだな」


 聞き覚えのある不遜な声。他者を上から見下すような態度を取る人間はシュトルクが知る限り数人しかいない。状況からして声の主はジークであると直ぐに分かった。


「ラギアスか。耳には入っていたが……お前がいるということはウェステンの話は世迷言ではないようだな」


「当然だ。貴様らのようなヘマを俺がするわけないだろうが」


 強い言葉とは裏腹にジークは酷い姿をしていた。衣服は赤く染まり砂埃で汚れている。表情には出していないが顔色は悪く青白い。魔力欠乏の症状が表れていた。


「……こちらは見ての通りだ。オーステンを救うことは出来なかった」


「ハッ、自惚れるなよ。貴様程度の矮小な人間が出来ることなど高が知れている」


 息を吐くように飛び出す罵詈雑言。平時や非常時関係なく変わらない態度は今のシュトルクからすればありがたく感じていた。


「それで貴様は何をしている? 負傷者共を集めて悦に浸っているのか?」


「そのような趣味はない。……優先順位を設けて治療をしていたがそれも限界を迎えた。神官も私の魔力も底を突いた」


 本職は騎士でありながらも治癒魔法を修めているシュトルク。騎士の本分は戦うことではなく守ること。それを信条に騎士として行動してきたが現実は残酷であった。


「そうか。だからこのゴミ屑共は死んでも仕方がないと。己の無力さを理解出来ているだけ貴様はマシだな」


「弁解するつもりはない。これは私の罪だ」


 救護所に運ばれた多くの人々。突然発生した魔物の襲撃があった中でも、これだけの生き残りがいたことは幸いなのかもしれない。逆を言えば苦しみだけが残り、死んでいくことは不幸なのか。シュトルクは分からなくなっていた。


「……何度も同じことを言わせるな。貴様のような凡人が罪意識を感じること自体が傲慢だ」


 負傷者達の前に立つジーク。

 小さく息を吐き集中力を高め魔力を練り上げる。


「何を、するつもりだラギアス?」


 魔力が枯渇すれば魔法は使えない。子供でも分かる常識である。

 失った魔力を回復する手段は休息であったり、マナサプライなどの魔法やポーションといった手段がある。

 だが今ジークが取っている手段はいずれとも異なる。足りない魔力を生命力、すなわちに補おうとしていた。


「目障りなんだよ。ゴミ屑共が俺の目の前でくたばるのは」


 何かに切り裂かれたかのようにジークから血が噴き出す。吐血しているのか口からは血が漏れ出し、足元には赤い水溜りが現れていた。


「――エンジェル・ベール」


 ジークが小さく呟いた直後に救護所が銀の祝福を受ける。

 薄く透き通った銀色の薄布が負傷者一人一人を優しく包み込む。失われた腕や足は元の姿を取り戻し、身体に食い込んだ瓦礫や木片は溶けるように消えて無くなる。止まりかけていた心音は再び時を刻み出していた。


「これは……ラギアスお前は」


 シュトルクが見たジークの姿は普段とは大きく異なっていた。歯を食いしばりながら肩で息をするジーク。力を維持する為に己の生命力を犠牲にしていた。


「その力、それにそのか「口を閉じろ」」


 シュトルクの発言を制止するジーク。


「今見ている光景の全てを忘れろ。これは命令だ。従わなければ……貴様のエリス


「……恩を仇で返すつもりはない。それに私は今休暇中でこの場にいる。――だが礼は言わせてもらおう。ありがとうジーク」


 会話をする気がないのか、その余裕すらないのか。ジークが口を開くことはなかった。


「国一嫌われた英雄か。……ラギアスというだけで否定してきた我々の方がよっぽど悪人だな」




✳︎✳︎✳︎✳︎




 薄暗い天井。日が完全に沈み夜が訪れたオーステン。ルークは見知らぬ部屋で目を覚ましていた。


「起きたかよルーク……」


 横になったまま目を向けた先には鎧を脱いだスキニーの姿があった。ロヴィンズから受けた致命傷は回復しているようだが、腹部辺りに空いた衣服の穴が、あの出来事は夢ではなく現実であったと否応無しに思い起こさせる。そう、オーステンの悲劇は悪夢ではなかったのだ。


「あれから……どれくらい時間が経った?」


「半日程か? 外はもう真っ暗だぜ」


 建物の明かりや街灯を失ったオーステン。普段よりも一層暗い街並みであることは想像に難くない。


「ここは街の外れにある宿舎だ。まともに残った建物の一部ってわけだな」


「……なら僕がここを専有するわけには」


「いいんだよ。テメェも怪我人だろうが。それにお前はそれだけのことをしたんだ。いや、それ以上のことをしてのけたんだ。誰にも文句は言わせねえよ」


 いつも通りぶっきらぼうな態度を取るスキニー。椅子に背を預け怠そうに天井を見上げていた。


「テメェが寝てる間にウェステンから救援隊が到着した。救護活動はそいつらに任せて連隊長達は休んでる」


 街の兵士からの報告に偽りはなかった。

 同規模の襲撃を受けたウェステンはその全てを跳ね返し、街に被害が出ることはなかった。オーステンとは天と地程の結末を迎えていたのだ。


「よくわかんねぇけどよ、見つかった負傷者達はなんとかなったらしいぜ。凄腕の神官がいたらしい」


「……でも、亡くなった人達からすれば、ほんの一部分しか助かってない」


「……水をさすんじゃねーよ。生存者がいるだけマシだろうが」


 ベッドから身を起こすルーク。自らの両手を広げて見るとその手は赤く染まっているように感じた。拭っても落ちることのない赤い罪がルークの心を抉る。


「今お前が考えていることを当ててやろうか? ジークアイツがこっちに来てれば結果は変わってた、とか思ってんだろ?」


「……」


「ケッ、たらればなんだよ。アイツがこっちにいれば確かにオーステンは無事だったかもしれねえ。けどな、ウェステンはその分被害を受けてた。東の連中が助かれば他はどうなってもいいってか?」


「――! そんなことは言ってない! ただ僕は」


「そうだよ。お前はそんなことを考えるような奴じゃねーよ。……仕方がなかったんだよ。俺達には救うことが出来なかった」


 己の無力を嘆くのはルークだけではなくスキニーも同じだった。スキニーだけではない。ナハルやブリンクにシュトルクも同じことを考えているだろう。そしてジークもきっと。


「ジークって奴を二年前と今回見た。少し会話もした。それで感じたのは……アイツは何か辛そうだった。そして化け物だった」


「……それはどういう意味だい?」


「そのままの意味だ。たった一人で被害を出すことなく街を救ったんだ。魔物の大群を一人で殲滅するなんて化け物だろ」


 ジークを悪く言う人間をルークはこれまで沢山見てきた。何も知らずに憶測だけで物事を語り否定する者達を。だが不思議なことにスキニーからは悪意というものを感じなかった。


「お前は天才だよ。凡才の俺が言ってんだから間違いねぇよ」


 天才。その言葉をよく耳にするようになったのは騎士団に入ってからであった。それまでは常に近くに本物がいた。


「けどな……お前は天才だがよ、化け物にはなれねぇよ」


 化け物。その言葉を耳にするようになったのはジークが単独行動をするようになってからである。


「他の凡才と一緒にいるから天才が生まれるんだよ。常に独りでいるから化け物になっちまうんだ」


 アピオンや王都、入団試験にウェステンやそれ以外のことも。ジークは誰に頼ることなく独りで戦ってきた。本音を辛辣な言葉で覆い隠し、弱みを誰にも見せることなく前に進んできた。本当の意味で隣に立つ者は何処にもいなかった。


「アイツを化け物で終わらせるのか、天才とするのか――それはお前次第なんじゃねーの」


 机の上に置かれたナッツを摘むスキニー。しょっぺえなと文句を言っている。


「テメェが何の為に騎士になったのかは知らねえけどよ、そいつは簡単に諦められることなのか? それが出来ねえなら……やるしかねーだろ」


 胸にストンと落ちる感覚。乱れていた感情が整う。暗闇から一筋の光を見出す。


「……もしかして、僕を慰めているのかい?」


「あん? テメェがいつまでもナヨナヨしてるからだろうが。……ちっ、俺はもう行くぞ。ナハルの奴をいい加減止めねえといけねーからな」


 スキニーによると、ナハルは救援隊と共に活動をしているとのことであった。ジークに言われたことを気にしての行動だった。


「――いつもありがとう。スキニー」


 スキニーは少し乱暴に扉を閉めて部屋を後にした。


「スキニーの言う通りだ。僕は……諦めることは出来ないし、まだ恩も返せていない」


 誰よりも強くて、誰よりも辛辣で、誰よりも口が悪く、誰よりも優しい不器用な親友。そんな彼の力となる為に、恩を返す為に、そして、胸を張って隣に立っていられるように強くなることを望んだ。

 ジークが誰にも話さず、何かを隠していることは分かる。だがそんなことはどうでもいい。話してくれるその時まで待てばいい。


 たとえ、立ち位置が変わってしまったのだとしても、いつか交わるその時まで進み続ける。


 ルークの騎士道はまだ道半ばなのだから。




第三章 二人を別つもの 終

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