第十七話
「それはどういう意味だ?」
「話を聞いていなかったのか? 俺には関係ないと言ったんだ」
国の一大事とも取れる状況を聞きシエルやセレンには少なからず動揺が見られたが、ジークに至ってはフラットである。
「お前はディアバレト王国の貴族でラギアス家の人間だ。つまり、いずれは領主を継ぐのだろう? なら無関係ではないはずだ」
「ノブレスオブリージュとでも言いたいのか? 今回狙われているのはラギアス領ではない。それが答えだ」
コーヒーを一口。既に冷めてしまっているのか二口目をつけることはなかった。
「今はラギアス領に影響はなくとも、いつかは脅威が訪れるとは思わないか?」
「思わんな。目障りな奴らは俺が消すからだ」
コーヒーと一緒に出されていたクッキーを食べる。好みではなかったのか少し顔を顰めるジーク。
「連隊長なら多少はマシな思考回路かとは思ったが、どうやら俺の勘違いだったらしい」
馬鹿にしたような嘲笑を浮かべるジーク。シュトルクの表情に変化はないが却ってそれが怒りを連想させる。剣呑な雰囲気にシエルはおどおどしている。
「何故俺が貴様らの都合に付き合う必要がある? 懸念材料があるなら自ら動け。それが出来ないのは我が身可愛さ故だ」
一蹴。シュトルク達の嘆願を容赦なく切り捨てるジーク。
「裏切り者がいるだと? バカなのか貴様は。そんなこと端から分かっていただろうが。不審に感じた時点で動かなかった貴様らの失態だ」
「……仰る通りです。私達は盲信的に騎士団や国軍を信じていたのかもしれません」
「ハッ、よく分かっているじゃないか己の滑稽さを。精々後悔しながらこの先も踊り続けろ」
ブリンク相手でも容赦はない。
ジークは嘘偽りなくただ事実を冷徹に告げる。
「小隊長を助けて欲しい? 知るかそんなこと。アレは望んで騎士になったんだろうが。なら死ぬのも奴の責任だ」
「騎士ならば常に死が付き纏うのも事実です。ですが、それでは何故……あの時息子を助けてくださったのですか?」
五年前の出来事をブリンクは一生忘れることはない。未知の病で苦しんでいたルークを救ったのが当時十二歳のジークであった。
「何か勘違いしていないか? 俺が善意で動くと思うのか? アレの生死はどうでもよかった。結果が必要なだけだったんだよ」
「ジークさん! ルークさんは貴方のお友達のはずです。そんな酷いことを言わなくても」
シエルの発言を聞きククッと笑い声を漏らすジーク。
「友達だと? そんな物俺にはいない、必要ない。信用出来るのは己の力だけだ」
冷めた目で全員を見渡すジーク。その目には拒絶の色が浮かんでいる。
「事あるごとにラギアスを否定しておきながら、都合が悪くなれば力を貸せだと? もう少しマシな理由は無かったのか?」
席を立つジーク。無言でテーブル席から離れ店を出て行く。飲食代なのか、ジークの席には数枚の紙幣が置かれていた。
✳︎✳︎✳︎✳︎
ジークが立ち去った店内は静まり返っていた。どこか重苦しい雰囲気が漂う。
「えっと……ジークさんは決して悪気がある訳ではないと思います。あれが普通といいますか……」
「そうね、悪気はないわね。――誠意が足りていないのはあなた達の方だったわ」
「ちょっと、セレン……」
鋭くセレンが言い放つ。初対面にもかかわらず容赦が一切ない。
「協力して欲しいという考えは分かるわ。ジークは一人で状況をひっくり返せる力があるから。でも、貴族や領主だからという理由を出すのは悪手だったわね。……彼の立場からすれば尚更よ」
「君の言う通りだよ。私達は、いや私はまた彼に全てを強いろうとしていた」
妻と死別し、最愛の息子が病に倒れる。ブリンクは絶望の淵に立たされていた。
全てを諦めていた時にジークという希望に出会い救われた。三年前の入団試験の時もそうである。ジークに頼り、縋り、全てを押し付けた。その結果、ルークという光が失われることはなかった。
「やはり私は騎士失格だな」
「そうね。その上で何を見定めるのか考えるべきだわ」
「……君も彼のように厳しいな」
「甘いだけでは生きていけないから……」
思うところがあるのか、遠くを見るような目をするセレン。
「シエル、もう行きましょう。どちらにせよ私達に出来ることは限られているわ」
「はい、私達は信じて待つだけですから」
セレンとシエルも席を立ち離れてゆく。
残されたのはブリンクとシュトルクのみである。
「酷く叱られたなブリンク」
「お前もなシュトルク」
二人して冷めたコーヒーを口に運ぶ。甘さのない苦味が口に広がる。
「娘と同年代の相手にここまで言われると色々と応えるな」
「そうだな。正論であり、彼が言うとまた重みが違う」
家族をジークに救ってもらう。それはシュトルクも同様であった。
二年前の王都襲撃。後から聞いた話だが、娘であるエリスも命を救われたらしい。元々無鉄砲で世間知らずな言動が目立っていたが、その出来事以降は考え方に大きな変化が見られた。娘の成長を嬉しく思う一方で少し寂しさも感じていた。
「シュトルク。……最近は働き詰めで少し疲れた。私は休暇を取ることにする」
「……奇遇だな。同じことを考えていた。王都を離れて気分転換をするのも悪くないだろう」
ナイスミドル達が動き出す。
✳︎✳︎✳︎✳︎
喫茶店を出て一人歩く
ブリンク達から聞かされた話に多少驚きはするも、いつかはこうなると分かっていた。
ルークとの出会いは約五年程前まで遡る。魔力硬化症から快復して少しずつリハビリをしている時にブリンクに紹介されたのだ。
そもそも当初はルークを助ける為に行動した訳ではなく、家庭教師であったブリンクに辞められたら困るという理由で協力したのだ。ルークがフォンセルであることなど知る由もなかった。
(メインキャラなら死にはしないだろう。仮に死んだら……)
メインキャラが退場するならそれは浩人からすればシナリオ脱却と言っても過言ではない。
これまで何度も変えたいと思っていた現実を未だに変えることは出来ていなかった。
グランツから始まりシエルにヴァン、フォンセルにセレン、そしてヒロイン。一部のキャラは
(そろそろ潮時か? マスフェルトのイベントが近付いているならディアバレト王国から離れるべきだよな……)
ゲームでのジークの分岐点は紛れもなく対マスフェルトのイベントである。力を求める為にマスフェルトの元にジークが現れ戦闘に発展。
最後は魔力硬化症によりマスフェルトは命を落とす。主人公達との決定的な敵対イベントであった。
(主人公にとっても一つの分岐点だったな)
賑やかな王都を一人歩く。普段は嫌でも耳に入ってくる雑音が今では全く気にならない。生き残る為、これからのこと。思考の海に沈んでゆく。
「あ、あの、すみませんッ!」
誰かを呼ぶ声が背後から聞こえる。何かトラブルでもあったのだろうか。
だがジークが振り返ることはない。他人を気にする余裕などないからだ。
「えっ⁉︎ ちょっと待ってください!」
前方を塞ぐように現れたのは三人の男女。十五歳程の少年と少女、そして真っ黒な衣服に身を包んだ怪しげな人物がいた。
「……何だ貴様らは? 邪魔だ失せろ」
「⁉︎ えっと、その……リッキーも何か言ってよ」
「僕なのッ⁉︎ 言い出したのはネルじゃないか」
小声で言い合いを始める少年少女。ジークを前に緊張しているのか慌てているようである。
(何だこいつらは……)
いきなり声を掛けられたかと思えば要件も言わずに口喧嘩が始まりそれを見せられる。新手の嫌がらせかと浩人は考え始めていた。
「死にたくなければ足を止めるな」
突然声を発する黒服の少女。脈絡のない発言もそうだがそれよりも怪しい風貌に目がいってしまう。
着用している服は何から何まで全てが黒色。明らかに被り物と思われる黒のウィッグの隙間からは地毛がはみ出ている。出来の悪いコスプレのようである。
「ちょっとメイ⁉︎ 何言ってるの⁉︎」
「静かにしてるって約束したよねッ⁉︎」
メイと呼ばれた少女に詰め寄るネルとリッキー。
「キサマらがいつまでもサエズルからだ」
「もうやめてよ! 本物とは雲泥の差だよ」
「しかも全然似てないよ……」
何やら盛り上がっているが浩人からすれば何のことか全く分からない。内輪ネタを見せられているような気分になる。
「コムシは黙って見ていろ。我が話をつける」
話が纏まったのかメイが一歩前に出る。腕を組み胸を張る様子は自信に満ち溢れている。
「キサマがジーク・ラギアスか? タイギであった」
「……」
(……不味い。何を言っているのか全然分からない)
何が大儀なのか。そもそも三人に対して何かをした覚えはない。やはり嫌がらせなのか。
「キサマの行いによって我らは今も生きている。それがコムシ共の言い分だ」
「……何の話だ? 用が無いなら消えろ」
年下相手でも容赦なく飛び出る辛辣な言葉。自分ではどうすることも出来ないが多少は気の毒に思う。
「あ、あのッ! 私達のことを覚えてはいませんか? 二年前にこの王都で会っているんです……」
「知らんな。貴様らのような塵芥を気に留める間抜けはいない」
ジークに対して好感を抱く人間よりも悪意を持った人間の方が圧倒的に多い。目前の三人が何を思っているのかは分からないが、大した用が無いならジークと関わるべきではない。ラギアスと親しいと勘違いされればこの国では生きていくのは難しいからだ。
(こいつらがどうなろうが関係ない。でも逆恨みされたら面倒だしな)
目的は不明だが重大な用件ではなさそうだと判断してその場を後にしようとするジーク。だが三人に引く様子は見られない。
「王都に魔物が現れた時、僕達は逃げることしか出来ませんでした。でも……ジーク様に助けてもらいました。だから僕達は今もこうして生きているんです!」
矢継ぎ早に話す少年リッキー。呼吸を忘れたのかむせ返している。
「お礼が遅れ申し訳ございません! 王都で見かけることがありましたので、いつかはと思っていたんです」
彼らの言いたいことをやっと理解することが出来た。確かに二年前の王都襲撃時には多くの魔物を討伐した。
ジークの行いによって救われた命もあっただろう。結果的に救われた王都民も多くいたはずだ。
「……まさかとは思うが、そんなくだらん理由で俺の時間を浪費したのか? ――自惚れるなよ」
そう。浩人からすれば結果論でしかない。
王都民を救う為に魔物討伐をした訳ではない。公爵家からの依頼に従っただけ。名も知らない赤の他人がどうなろうが関係なかった。
「俺が善意で貴様らを救うと思うのか? ラギアスが貴様らのようなゴミ屑に手を差し伸べると本気で考えているのか?」
浩人が何を思おうが今の自分はこの世界ではジーク・ラギアスなのだ。
ただ存在するだけで否定され、悪意や敵意を持たれた。自分自身が善人であるという考えはないが、謂れもない罪を背負うつもりもない。
普段は否定しておきながら都合の良い時だけお礼をするという考えが気に食わなかった。
「……ラギアス家のことは知っています。周りの人がよく言っていますから」
「そうか、なら近寄るな。凡人と俺とでは何もかもが違う」
「……何が本当なのか僕には分かりません。ですが、僕達は
『だって君は…………僕を助けてくれたじゃないか』
過去の記憶と重なる。
ただ真っ直ぐに、ひたむきに、愚直に夢を追いかけていた少年を思い出す。
「魔物なんて初めて見ました。恐ろしくて醜悪な見た目をした存在が追いかけてくる。もうここで死ぬんだと思ってました」
どれだけ遠ざけようとしても懲りずに近付いてくる少年。剣を教えて欲しい。魔法を見せて欲しい。
鬱陶しいと思いながらも何だかんだで時間を共にすることが増えていた。
「ラギアス家とか周りの人の発言は関係無いんです。私達は今生きています。ジーク様に助けられましたから」
生き残る為に行動してきた。全ては自分の為に。だが、結局は何も変えられなかった。この世界の本質は余りにも強大であった。
「キサマはこの若人達のミライを変えたのだ」
「……メイもあの時一緒にいたよね?」
「やっぱり似てないよ。本物は重みが違うよ」
再びメイを囲むネルとリッキー。何やら揉めているようだが浩人は別のことを考えていた。
(こいつらは本来なら退場していたのか……)
物語の本質を変えることは未だ出来ていない。だが全てが無駄だった訳でもない。変わった未来も確かに存在していた。
「キサマは特別に我のツガイになることを許そう」
「許されないよ! 何言ってるのッ⁉︎」
「すみませんッ! ジーク様! 僕達はお礼を言いたかっただけですから! 本当にありがとうございました!」
二人に引きずられていくメイ。離せと喚いているが聞き入れられる様子はない。
三人がいなくなり再び一人になるジーク。騒がしさは消えていた。
「……勘違いするなよ。どいつもこいつも」
ジークの声は王都の喧騒に呑まれ誰かの耳に届くことはなかった。
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