部活の後輩女子が俺の菓子の好みを聞き出そうとしてくる
金澤流都
チョコレートを巡る攻防
「先輩は、チョコレートのアレルギーとかってあります?」
土曜日に部活をやっていると、美沙緒さんが飛車を成り込みながらいきなりそう訊いてきた。特にないので、
「別にないけど……どうしたの?」と答える。
「いえ、その。先輩はチョコレートのお菓子だとどういうのが好きですか?」
成り込まれた飛車をどうしたものか、しばらく考えてとりあえず玉を逃がしつつ、
「うーん。チョコレートかあ……そういうのよりならせんべいとかおかきのほうが好きなんだよなあ……チョコレート……そうだなあ、チョコチップクッキーは好きだな」と、とりあえず答えた。
「チョコチップクッキー。なるほど……先輩は歯ごたえのあるものが好きなんですね」
「うん、まあ……オワッこれ三手詰めじゃん」俺はそう悲鳴を上げた。美沙緒さんは当然気付いていて、こうやってこう防いでこうですよね、と手順を示してみせた。
「……負けました」俺はぐぬぬ顔でそう言う。二人して、
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」と、頭を下げる。
「なんで俺のチョコレートの好みなんか……ああ」
俺はカレンダーに目をやった。もうすぐバレンタインデーだ。
将棋部の部室ではポンコツの反射式ストーブがやわらかい温度を放っており、その上でやかんが沸いている。とりあえずお茶を用意して一息つく。
「ふう……」
「先輩はわりと緑茶が好きですよね」
「うん、子供のころから味覚がじじ臭いってよく言われてた。緑茶が好きだからどうしてもそれに合うせんべいとかおかきばっかり食べてたなあ」
「でもせんべいやおかきだと自作のしようがないんですよね……」
「えっ、手作りする気なの? 別にいいよ、そのへんでオシャレなチョコレートの詰め合わせとか売ってるでしょ」
「そういうんじゃだめなんですよ。先輩には手作りのチョコレートをどうしても食べさせたいんですよ」
「いいよ別に……当初の計画案、おそらくチョコレートサラミでも作って一本食いさせるとかそんなだったでしょ」
「なんで分かるんです?!」いやそうだったんかい。それってちくわを美少女に食べさせるゲームみたいな絵面になるじゃないの。変態じゃないの。
「まあ、無理しなくていいよ。お菓子作るのは材料費かかるだろうし……」
「先輩が『こんなぶっといの食べられないよぅ……』って泣いてるとこ見たかったんですけど」
俺はお茶を思いきり噴きそうになった。美沙緒さん、相変わらず妄想が激しい。わいせつな妄想はやめると言っていたのに。バレンタインで一人で盛り上がっているのかもしれない。
「美沙緒さんさあ、エッチな妄想はやめるって言ってなかった?」
「言いました、けど。でも先輩があんまり可愛いので。理想のヒロインなので」
理想のヒロインて……。
「そういう妄想はソシャゲの美少女キャラにでも向けたら?」
「ソシャゲとかあんまりやらないんですよ。仲間を集めるためにガチャを回すなんて興ざめですし、ガチャ回すお金が勿体ないですし。それに将棋のほうが楽しいですし」
その通りなのだった。
「ついにスイッチ買って、某棋士の将棋ソフト買ったんですよ」
「ああ、あの某棋士がめっちゃしゃべるって評判の、乙女ゲームとか言われてるあれかあ」
「スマホは充電がすぐ死んじゃうので詰将棋しかやってないんですけど、スイッチはそういうの気にしなくていいのがとってもありがたいですね。あの棋士、バレンタインには食べられないくらいチョコレート送られてくるんだろうなあ……棋士の名前入れて検索しようとしたら『付き合いたい』ってサジェストされたくらいですし」
「それもなかなか極端な……あの棋士いま王将戦やってるけど、魔王に勝てると思う?」
「うーん……魔王はもうカド番ですよね。あの棋士はいま三連勝中で。王将戦、アベマで中継やってないんですよね……でも魔王にも一勝してほしいなとは思います」
「うーん。カド番とはいえ魔王は名人だからね。わからないなあ……」
「なんか魔王ってタイトルの名前っぽいですよね」
「魔王戦? それじゃ挑戦者が勇者になっちゃう」
俺がそう言うと美沙緒さんは楽しそうに笑った。こういう、ふつうの笑顔を見ると平和な気持ちになる。美沙緒さんはすごく普通の女の子なのだ、少々妄想が激しいだけで。
盤に駒を並べ直して、もう一度勝負しようか、となったところで、美沙緒さんが唐突に変なことを言い出した。
「こたつが欲しいです」
「こたつ……って、そんなの部室に置いたら部活から帰れなくなっちゃう……」
「こたつを置いて、四十八手のひとつの『こたつ隠れ』というのを先輩とやりたいです」
俺はまたお茶を噴きそうになった。四十八手って。江戸時代の春画の世界じゃないの……。
「美沙緒さん、さすがに部室にこたつは無理だと思うよ」
「冷風扇は置いてもらえたのに?」
「部室には反射式ストーブがあるじゃないか」俺がそう言うと美沙緒さんは納得できない顔をしている。こたつ隠れ、て……。
「とにかく先輩のアヘ顔が見たいんです。こたつ置きましょうよ」
「こたつ……まあボードゲームで遊ぶなら最高の環境ではあるな、こたつ……」
ドアがばんと開いた。見るとジャス子先輩だった。
「やっほい。バレンタインのプレゼントじゃあ」
そう言うとジャス子先輩はずかずかと部室に入ってきて、俺の前にブラックサンダーの大袋を置き、美沙緒さんの前に百均のラッピングセットで作ったと思われるかわいいラッピングのお菓子を置いた。
「バレンタインて……まだ当日じゃないですけど」
「バレンタイン当日から専門学校の入試で東京いくんだわー。小論文と面接。親が東京の専門学校OKくれたからぜったいに受からないとね」
「大変ですね」美沙緒さんがしみじみと言う。それからちょっと慌てた調子で、
「あ、え、でも。ジャス子先輩に友チョコのお礼できない」と口をぱくぱくさせた。
「キニシナーイ。そのかわり合格祝いになんかお菓子ちょーだい」
「もう合格する気なんすね」そう言うとジャス子先輩は胸を張って、
「そりゃ合格するつもりで受けに行くからね。併願で滑り止めも受験するけど、大本命は四年制のスゴクスゴイ・センモンガッコー、だからね」と自信満々の顔をした。
「はあ……」
「なんと第一志望の学校、大卒資格も取ろうと思えば取れるみたいでさ、やるっきゃないわけ」
どうも、「みたいで」というところがジャス子先輩の危ういところのような気がする。ちゃんと、どういうコースでなにを履修すれば大卒資格を取れるか確認するべきではなかろうか。
「じゃ、あとは若い人だけでごゆっくりー」
ジャス子先輩はそう言って逃げていった。美沙緒さんはさっそくラッピングをほどく。中から出てきたのはちょっと不格好な、小さいマフィンだった。
「わ、おいしそ」
美沙緒さんはそれをはむっと食べた。しばらく難しい顔をして、
「……粉っぽい」と呟く。ジャス子先輩、お菓子を作るのが苦手そうというイメージ通りだった。たぶん、材料を量るとかよく混ぜるとか、そういうのが苦手なんじゃなかろうか。
「お礼なににしよう。無難にかわいい缶に入ったチョコとかでいいのかな……」
「バレンタインって基本的にそういうものでいいんだよ。無理にチョコ菓子作らなくても」
「そうですか? うーん……なんかそれだと愛情が足りない気がして。ジャス子先輩にはとりあえず愛情はないので缶入りのチョコで済ましますけど……」
「それから俺だけじゃなくて九条寺くんにもなんかしらあげなよ」
「なんでです? なんで九条寺くんにそこまでしないと」
「九条寺くん、たぶん美沙緒さんからチョコもらっていちばん喜ぶひとだと思う」
「……そうですか。それであればブラックサンダーをプレゼントします」
「いやそれじゃだめだ、九条寺くん泣いちゃう」
「なんでですかー?! ブラックサンダーだってチョコじゃないですかー!」
美沙緒さんはよく分からない顔をして、粉っぽいというマフィンをもぐもぐした。おいしくないらしい。しぶーい顔だ。
「まあ、無理しないで。作りたければ作ればいいし……」
「わかりました。いろいろ考えてみます」
そんな話をしていると、日下部先生がドアをあけて入ってきた。
「お? もうバレンタインか? ここは校則がゆるいから女子はみんなチョコレート配りまくるもんな。誰からもらったんだ?」
「ジャス子先輩……演劇部の靖子先輩からもらいました。隣でよく作業してて、俺たちと仲よくしてくれてたので」俺はそう言って肩をすくめた。
「ああ、中田は専門学校の受験で東京行くんだもんな。バレンタインやってる場合じゃないか。しかしブラックサンダーとは……」
「部活のストックにしておいてコツコツ食べます」俺はハハハ、と笑った。
「うん、それがいいと思う」
「あの、先生。こたつを置くわけにはいきませんか?」と、美沙緒さんは切り出した。いや本気なんかい。日下部先生はしばらく考え込んで、
「いやーさすがにそれは……だいいちこたつってなったら床に座らなきゃいけなくて結局寒いぞ?」と、困った顔をした。
「……あ。その通りでした」美沙緒さんはやっとこたつを諦めたようだった。
「よし。陽が長くなったとはいえもう五時だ。薄暗くなってきたからそろそろ帰りなさい」
「はーい」美沙緒さんはそう言い、かわいいリュックサックを背負った。俺も帰る支度をする。部室のストーブと灯りを消して、ドアに鍵をかけて帰路につく。
◇◇◇◇
さて、週があけてバレンタインデーがやってきた。ちなみに魔王vs某棋士は某棋士が勝って、最年少五冠を達成した。
ピロティで弁当を食べていると、美沙緒さんは俺の膝にかわいい缶をとんと置いた。
「これ、出来合いので申し訳ないんですけど。自作して失敗するリスクを思うとどうしても手作りに踏み切れなくて。ジャス子先輩みたいにマメなひとがお菓子作りに失敗してたので」
「ジャス子先輩はおおざっぱだっただけだと思うけど……ありがと。かわいい缶だね」
「先輩に似合いそうなやつを選びました! ……九条寺くんにも似たようなの買ってきたんですけど」
「いいんじゃない? お、噂をすれば」
「お、おれにチョコくれるのか……?!」
「うん。これからも仲良くしてね」美沙緒さんは缶入りのチョコレートを差し出した。九条寺くんはぼっと赤面している。パッケージをちらっと見るとどうやらヴァイオリンの形のチョコが入っているようだ。さすがの美沙緒さんチョイスである。
九条寺くんはチョコレートを受け取ると、たたたと子供が走るみたいに逃げていった。
「なんであのひといちいち逃げるんでしょうね」
「さあ……まあ、九条寺くんなりの照れ隠しというやつじゃない? 赤面してるの見られたくないんだよ」
「そうかあ……で、先輩。このままわたしとバレンタインデートからのご休憩コースですか?」
「しないよ!」俺は食い気味にそう言った。美沙緒さんは残念な顔をしている。
「そんなに自分を安売りしなさんな。もっと自分を可愛がりなさい」
「……はぁい。ジャス子先輩、いまごろお昼食べてるんですかねえ」
「そうだね……受験会場にいるのかな」
そんな話をしていると俺のポケットと美沙緒さんのポケットが同時に鳴った。どうやらいつメンLINEらしい。開いてみると、ジャス子先輩からだった。
「地元にないサブウェイなう!」という、ツイッターでもきょうび聞かなくなったセリフつきのサンドウィッチの写真が送られてきていた。なにやらおいしそうなサンドウィッチが写っている。サブウェイかあ……。
そこに美沙緒さんのメッセージが飛んだ。
「晩は地元にないサイゼリヤですか?」
「おー! サイゼリヤいいじゃん! おいしいらしいから行ってみたい!」
……ジャス子先輩、エンジョイ東京している。受験はどうした。
そんなことをしているうちに昼休みが終わった。午後の授業が終わって、将棋部部室に一番乗りして、ストーブをつけてこっそりチョコレートの缶を開ける。将棋の駒の形のチョコだ。
美沙緒さんのチョイス力がなかなかで感心してしまった。一個口に入れると、歯ごたえのあるクランチが入っていて、わりとほろ苦い。俺の好みドンピシャのやつだ。
チョコをぽりぽり食べていると美沙緒さんがやってきた。美沙緒さんは俺がチョコを食べていることに気づいて目をキラキラさせた。
「どうですか?! おいしいですか?!」
「うん、俺の好みドンピシャ。おいしいよ」
「よかったぁー。先輩、ちゃんとホワイトデーにお返しくださいね! 先輩の好きなものでぜんぜん構わないので! わたしチョコレートならわりとなんでも食べるので!」
「じゃあチョコレートサラミを作って無理やり食べさせようか」
俺がそう言うと、美沙緒さんはドン引きの顔をしていた。冗談だよ、ふつうに出来合いのクッキーでも買うよ、というと、美沙緒さんはにこっと笑った。よかった~。
よいバレンタインを!
部活の後輩女子が俺の菓子の好みを聞き出そうとしてくる 金澤流都 @kanezya
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