第16話 粋な斎藤道三の生き様

 徳川家康は、織田軍が来るまで、自軍の兵士に休息を取らせるよう、本多正信に命じた後、妖魔に翻弄ほんろうされているような気がしてならなかった。

「殿。ご命令通り、兵士たちには、暫く休息を取るよう、指示を出しました」

家康の顏を見て、正信は姿はここにあるが、心は別の所にあるように思えた。



正信は一呼吸おいてから再度話しかけた。

「殿。いかがなされました?」本多正信の言葉に、家康の苦悶の表情を見せて言った。「私の父や祖父、曾祖父が暗殺された事は、徳川家の者なら皆が知っておる」



本多正信は、武勇に優れる者が、徳川家の中に多数いる中、他国の軍師たちに、引けを取らない、才知に長ける切れ者であった。その為、家康の心中をすぐに察する事ができた。


「この戦は、想像以上に厄介なものとなるであろう。違うか? 正信」

「長い戦いにはなるでしょう。しかし、殿の心配なされている事においては、問題は一切ございません。我ら三河武士は殿の元で、一枚岩になりました。そして殿の身は終日、服部半蔵が厳選した者に、守られております」


「この正信はすでに、妖魔に心が支配されそうな人間の検討は、ついております。先ほど、風魔から、妖魔に堕ち易い、人間の特徴の報せも、入ってきております。それを踏まえれば、答えは簡単に出る事でしょう。しかしながら、大原雪斎のような者が堕ちた理由も考えてみました。恐らくは、死を恐れての、恐慌かと思われます」


「死か……余の傍には、常にあったものだ。だが今は、死というものを遠くに感じる。余は果報者よ。心は其方に支えられ、この身は姿は見えぬが、皆に守られておる」家康は不安に思っていた事が、馬鹿らしく思えた。「殿は果報者です。我々は皆、殿を慕っております」晴天のように涼やかな表情で、にっこりと笑みを浮かべて、正信は家康を見た。



男が足早に家康の前まで来て、言葉を発した。

「織田信長様、御到着にございます」「ご苦労」家康は一言だけ言った。

「殿。信長様は非常に頭の切れるお方。話せば突破口を見出す何かを、見つけ出す事でございましょう。織田家は文武に優れた者たちも多数います。今はここにいるのは、無用でございます。信長殿の元へ参りましょう」


家康は信長のその優れ過ぎた才能に、畏怖の念さえ覚えていた。しかし、すぐに今の世界には、信長のような英断力のある人物を、時代は求めているのだと、考えを改めた。


 いつの世も、大きな危険を伴う大事の時には、信長のような英断力と自己犠牲心の両方を持つ英雄が必要なのだと……長生きは出来ない事を知りながらも、己を悪役として平和を守る、次の時代になって初めて、皆に気づかれる英傑。家康は信長こそがその英傑だと賢い者たちは皆が気づいていた。自分には出来ないからこそ、悪役に徹する男に対して、自分たちは命令を遂行する一武将にしか、過ぎない。家康はその事を考えると心が痛かった。そして、そんな素振りを見せる事無く、正信を伴って、信長の元へと馬を走らせた。



 その頃、時を同じくして、斎藤道三は稲葉山城から、竹中半兵衛とその一族と、斎藤利三、そして美濃三人衆と共に、織田領に入る手前まで疾駆していた。息子である斎藤義龍が、妖魔の姦計に堕ち、既に隠居の身であった斎藤道三には兵を動員する事は出来ず逃げるしか道は無かった。実子かは疑わしいが、これまで息子として扱ってきた斎藤義龍は、己が妖魔に堕ちたと同時に、美濃の兵士たちを妖魔の魔力で支配して行った。並の兵士たちは、何かがおかしいと気づきながらも、それが妖魔の魔力の力だとは気づかないまま、妖魔と化した。


織田領に入ったが、信長は既に出陣しており、予定では斎藤道三が殿しんがりを務めると決めていた為、織田も徳川も多くの兵士を残さず、妖魔を倒す為に、多数の兵を動員して動いていた。


このまま織田領に流れ込ませるのは、自らの役目も果たす事も出来ずに、迷惑をかける事になると判断した。

「竹中半兵衛!! これは己が招いた事だ。お主らは皆、そのまま織田、徳川勢と合流しろ。婿殿に、まむしは安心して逝ったと伝えよ。そして己の役目は必ず全うすると」

「分かりました。その御意思、必ずお伝えします」

「さあ、お主らも安心して東に進め。無理に疾駆させずに、予定通りに合流できるよう行くのだ」

「その御覚悟、我らは誇りに思います。では御免!」

竹中半兵衛は振り返る事無く、馬を走らせた。そして皆、彼と共に東に進んで行った。


 斎藤道三も東を見なかった。自慢の配下たちを信長に託した。そして自分の役目はここにあるのだと固い信念を胸に、ゆっくりと馬を進めて止めた。

「お主らは運がいい。わしは印章士と覆滅士の力ある者だ。章滅士として、この世に存在させてしまったのは、己らの愚行が元だ。それ故、我が力を持ってお主らを成仏させてやる。斎藤道三が最後の槍裁き、この身は滅びようとも、意志は残した。思い残す事は一切無い」


そう言うと斎藤道三の心に、娘の帰蝶の目は確かであったと思った。彼は思わず苦笑した。ゆっくりと敵に対して、馬を進めながら、今までの人生は人を騙して成り上がったが、身勝手ながら、この時の為に自分は生まれ落ち、誰にも知られぬ事無く命を落とすのだと思うと、気が楽になった。不敵な笑みを浮かべながら、彼は死地へと赴いた。








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